2008年05月12日

成り済まし詐欺

ここ数年の内に出来た焼肉屋の前を親父と通った時に、親父に妙なことを言われた。
ここに家族3人で食べに来たことがあるというのだ。
私はその店に一歩たりと足を踏み入れたことはない。
別の店ではないか、と問うと、馬鹿にしたような顔で、ここに来たじゃないか、開店した頃半額サービスがあって来てみたら行列が出来とって、肉も中々こないでお前は漫画を読んじょった、肉を大目に頼んでしまって、最後に豚肉を少し残したじゃないか、行列には○○さんも来ていたがあんまり列が長いものだから途中で帰った、と言う。
まるで覚えがない。いつの頃かと聞くと、1年か2年前、と漠然としているし、季節もはっきりしない。
本当に覚えていないのか、といわれる。本当に覚えていない。
お前は漫画を読んじょったではないか、といわれる。それは持参のものか、店の物か。
店の物じゃった、といわれる。まったく記憶にない。
まったく記憶にないのだが、来たことがあるはずだと言われ続けていると、頭の中に店の内装や漫画を読んでいる自分の姿が少しづつ浮かんでくる。でも記憶はない。
親父は勝ち誇ったような顔で、行ったことがあるに千円賭ける、お前も賭けろ、と言う。
自分の過去に自信が持てないまま賭けにのる。
家に帰って、同じ焼肉屋に行ったとされる母に事実はどうだったのか尋ねると、親父に向かって呆れたように「私とお父さんの二人で行ったじゃないの」という。父驚く。
こうして私の所持金は目出度く千円増えたのである。
親父はきっと、私の偽者をみたのだと思う。私の偽者が私のふりをして親父を騙し、漫画を読んだり肉を食ったりしたのだ。たまにはそういうこともある。母は騙されたことを忘れているのだろう。
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2008年05月09日

05/03/14

NHKの不祥事などを理由にした受信料支払い拒否・保留が2月末現在の暫定値で約56万件に上ったとNHKが発表。その56万には「テレビを撤去した」などの、不祥事に関係なく契約を打ち切ったとする世帯は含まれていないのだろうか。 名目上テレビがないことにしている層がいると思う。

「拾ってきたテレビをコンセントに繋いでないのにNHKが映りマス。
家族友人には見えないようですが、ワタシにはハッキリとにこにこ島がありまして、
にこにこ仲間がいる様子が手に取るようにミエル。ミンナの声も聞こエル。
NHKがみえる。NHKではカミサマもみえる。天国の動く音もキコエル。
悪いヤツが天国にひき潰されてどろどろにマザッテ声をアゲテイルところも映る。
ちゃんと強い光も輝く。
北極と南極を貫く光がカミサマの左目と上目と右目と下目をマッスグに貫イテ、
マッスグにマッスグに光を飲み込む口がNHK。
目を閉じてもNHK.。声をあげればNHK。小指から親指の間にあるNHK。
テレビにNHKが映りマス。NHKを見てる。NHKが見てる。
NHKが出てる。受信したNHKがテレビの穴から溢れて流れテイル。
ワタシの穴からもNHKが溢れてユックリ流れている。
強い光がサシテ、神とワタシはNHKになりまシタ。
にこにこ島がありまして、にこにこ仲間がワタシです。NHK。NHK。
ワタシはNHKを受信した。収束するNHKがワタシ。拡散するワタシがNHK。
今や受信契約を結ぶ。契約をシタイ。NHKシタイ。」

って電話をかけたらNHKは契約してくれるのだろうか。
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2008年05月04日

05/01/25

美味しいもの」について考えると、いつもこの話を思い出す。
昔、学校の図書室の本で読んだ小説
一場面のみ、あやふやに覚えている。

主人公は案内されて、ある部屋を壁の裏から覗き見する。
その部屋には何人もの美食家が集まっていて、普通の人が食べられないようなあらゆる美味しい料理を食べている最中だった。
食事が一段落すると、美食家たちはそれぞれ嘔吐を始めた。
それが一段落すると、また料理が運ばれてきた。
嘔吐は胃袋を空にして、また食べれるようにする為だったのだ。
こうして美食家たちは際限なく食事をしている。
と、そこまでは豪華な料理だったのに、急に鮭のほぐした身が入っただけの粥が運ばれてくる。
美食家たちは粗末なものをだされて不平を言うが、口をつけてみると、
これがとんでもなく美味くて驚き、次々におかわりをする。
次に彼らは、いくら粥を食べても腹が膨れないことに驚く。
美味しいのと幾らでも食べれることに悦び、美食家たちは貪るように粥を食べ……。

この場面の前後、小説のタイトル、作者は完全に忘れた。
でも、いまでもこの場面を思い出してこの粥を食べたくなることがある。
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2008年04月21日

穴を掘る

04/12/23

実家の庭には雨水が溜りやすいところがあり、一度土を掘り起こして土を詰めなおし、雨水を溜めないようにしようということになった。
それで私も手伝って、父とスコップで穴を掘り始めた。
1メートルくらいの直径で掘るのだから中々進まない。
次の日から父は小学生を集めてきて穴掘りの手伝いをさせた。
7、8人も集めてきただろうか。ひっきりなしに掘ることが出来るので穴はどんどん深くなった。
深さが5メートル程になるまで何日かかっただろうか。
今考えると余計なのだが、少し横穴も掘った。
あとはぎゅうぎゅうに土を詰めるだけである。ここからは小学生の手は借りずに父がやる。

私が実家を離れている間に、祖母が穴に落ちて死んだ。
夜、庭で育てている野菜でも採りに出たのだろう。穴に落ち、そこへ激しい雨が降ってきた。
掘り出した土も一部崩れ、体を半分埋めるようにして死んだ。
この話を聴いて、私はひょっとして誰かが穴の中に祖母を落としたのではないかと思い、恐ろしくなった。助けを求める声も激しい雨音にかき消され、何とか這い上がろうとする祖母の姿は妙に生々しく想像できた。
私がこの根拠の無い確信を深めたのは、数日後、もう1人同じようにして死んだからである。
殺したのは父ではないだろうかと薄々思っている。
警察に相談することにした。
幸い、信頼できる警察官を知っていたので、内内の相談という形で話を打ちあけた。
警察官は水谷豊である。映画「太陽を盗んだ男」でなく、ドラマ「相棒」での水谷豊だ。

こんな夢をみた。
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2008年03月26日

夢のない生活

2005/03/21


新声ドラえもんが動いて喋っているところを見る。
なんだかドラえもんの人格(プログラム?)まで代わったような印象を受けた。
まあ、何だかんだ言ってドラえもんはロボットですから、血も涙も肉も心もない機械人形なんですよ。ぜーんぶプログラムに基づいた言動。
のび太が
「ドラえもんはぼくの友達だよ」
と言うのは、ダッチワイフにチンポコ入れて、
「気持ちいいよ、めぐたん。僕の為に気持ちよくしてくれているんだね。うああ。最高だよ可愛いよ大好きだよああああ。好きだよ好きだよ好き好き。出すよ出すよああ。出る出る。うっ、ううううううう」
と言っているのと、あんまり違いは無いわけよ。本質的には。
前にのび太がドラえもんの菊門に無理矢理チンポコ詰め込んで壊しちゃった時に
「ごめんよ〜ドラえも〜ん、あああああ〜、ああーーっ」
と言っていたけど、それはダッチワイフに空いた穴にガムテープ貼りながら
「ごめんよ〜、今度からタバコの火には気をつけるよ、もう灰を落としたりしないよ〜」
と言っているのと、あんまり違いは無いわけよ。本質的には。
のび太がドラえもんと喧嘩して
「もうドラえもんのことなんてきらいだ! 溶鉱炉にほうりこんでやる! のぶ代と一緒に」
とよく言うけど、それだって部屋の片隅で萎んでいるダッチワイフに
「そろそろ捨てようかな……。でも、あと一週間はいいかな。燃えないゴミの日はなにも明日だけってわけじゃないんだし。あー、林原めぐみのおっぱい揉みてー。あー。チンポたってきた。あー。あー。ああー」
と言っているのと、あんまり違いは無いわけよ。本質的には。

「ぼくのいえにもドラえもんがきてくれればいいのにな」なんて家計のことも考えずに言うのは7歳くらいまでにしておいたほうがいいぜ。
それ以降は「夢」という言葉の裏に隠れた商業主義の姿に疑問を抱いて、もっとものを考えるようになって人間不信になってくれ。
俺みたいに大人になるとさ、「ドラえもんのポケットには未来道具が詰まっているだけじゃないんだよね。何より夢が詰まってる」なんて寝言は寝ても言わないよ。覚醒剤を打ったときくらいしか言わない。
もう、いろんなことに気付こうぜ。
ドラえもんになんか夢はない。ドラえもんなんて嘘話なのさ。ドラえもんはいない。
もう虚構に逃げるのはやめよう。
どんなにどんなに逃げ込んだって、明日来る悪夢は本物なんだ。
嫌な会社、嫌な学校、嫌な人間関係、嫌な生活。
朝から晩まで老いゆく体で追いかけるのは、更に老いた先での生活。
やめようぜ。気付いてない振りをして、誰かに踊らされるのは。
やめようぜ。踊らない奴に「夢がない」なんて眉をしかめるのは。
やめようぜ。気に入らない世界を遮断するのは。
はじめようぜ。現実を正面から睨みつける、夢のない生活。
もうすぐ4月。春の風は夢とは関係ないのに、気持ちがいいもんだ。


以上のドラえもん決別宣言を読んでもらっても解るように、俺はドラえもんなんかいらね。
そういう幼稚なお芝居にはついていけません。
俺は美少女型メイドロボットが欲しい。これは現実になる話だから。
技術は進歩しているからね、俺が実際にメイドロボットを手に入れる時代にはもうほとんど人間みたいな体してるの。
見た目は綾波みたいなのがいいかな。で、ちょっと甘えん坊な性格なんだよ。
本当は綾波1人で料理作るはずだったのに俺に手伝いを頼んできたりして、しょうがねーなーとか言いながら手伝うんだよ俺。もちろんメイドの声は林原だよ。
仕事終わらせた後にさ、うつむき加減の頭を擦りつけてきながら「…頭、なでて…ください」とか言うんだよ。よしよしって頭なでてやるとちょっと顔が赤くなってるんだよ綾波。
でも普段はちょっと冷たいくらいに素っ気ないんだよ。
でもすげー俺に甘えたいんだよ。だから俺も素っ気ない態度を続けていると、気を引こうとしてやたら視界に入ってこようとしたり、それとなくこっちの邪魔してきたりするんだよな。それでも態度を変えないでいるとちょっと泣きそうになって、それがまたかわいいんだよ。ああ綾波。

綾波1人に仕事を押し付けるのも可哀想だから、もう1人メイドロボットも連れてきてね、アスカみたいなのを。すると俺争奪戦が起こるわけだ。けんかするんだよね、あいつら。
あんまりひどいようだと俺も本気で叱るよ。だって、俺たちはもう家族だから。
主従関係を超えた感情が生まれてるわけ。だから本気になれる。
二人とも本当は仲が悪いわけじゃない。二人とも俺のことが大好きだからさ、ちょっと衝突しちゃうことがあるんだよね。俺もそれをわかってる。気持ちが通じ合っているんだよ。だからちゃんと仲直りさせるし、二人も俺の気持ちをわかってくれる。

アスカは気が強くて、積極的に俺に抱きついてきたり直接的な言葉を使ってきたりして、それが綾波には羨ましいんだよ。綾波もそうしたいんだけど、恥かしくてそれが出来ない。でもアスカって、態度とは裏腹に、本当はすごく繊細で傷付きやすくて、寂しがり屋なんだよね。俺に見捨てられるんじゃないかと怖くて、あんな風に俺を誘ってくるんだ。
「大丈夫、どこにも行かないよ。俺はこの先何があろうとも、ずっとアスカと綾波を守るよ。二人のそばから離れない。だって、俺の心はもう二人から離れられなくなってしまったのだから」
これはこの前、泣きじゃくるアスカと綾波を抱きしめながら言った言葉。
この時からかな、アスカは俺を心から信頼してくれるようになった気がする。
表情も、心から笑う顔が多くなったように感じるよ。
この二人に出会えた奇跡にすげー感謝してる。でも奇跡に頼っているばかりじゃないよ。
運命って自分で切り拓いていくものだから。この先、どんな運命が待ち構えているかわからないけど、俺は絶対にそれを乗り越えられる自信がある。
もうあの頃の俺じゃないんだ。今の俺には心を通わせた可愛い二人のメイドがついている。
未来に立ち向かうことに恐れはない。
唯一何か恐れるとすれば、それは二人を失ってしまうことだ。
アスカ「あんたバカぁ? あたしがあんたから離れるわけないじゃない!」
綾波「…絶対…離さないから…」
ははは、ごめんよ。そうだ。俺には不安なんて何もないんだ。
綾波とアスカの二人がいる未来は、きっと輝いているに違いない。
俺は今、輝ける未来への一歩を踏み出した。
可愛い二人とともに―――――――。




                                         *******Fin******
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2006年04月28日

2005/04/03 宮崎

5月12日に金曜ロードショーでもののけ姫が放映されるということで。


2005/04/03(日)

正論3月号では評論家佐藤健志氏のハウルの動く城を題材にした非論理への
批判文も面白かった。
映画のあらすじを紹介しつつ、いかに不整合・支離滅裂・非論理的で
あるかが述べられている。私はまだハウルを見ていないので氏の指摘が的確であるかは
わからない。ハウルを見てからまた読み返したい。
彼は「千と千尋」「もののけ」「ハウル」には共通したメッセージが織り込まれていると言う。
それは、「上の世代の勝手な行動のせいで、どんな迷惑や被害を受けようと、恨んだり
反抗してはいけない」というもの。
「千」と「もののけ」は私も観ている。メッセージはどこにあらわれていたのか。
(****内は佐藤氏の文章を要約したもの。
 映画タイトル略称以外の『』内は佐藤氏の文章を引用した部分。)

*********
「もののけ」で主人公アシタカは突如ムラを襲おうとする神を退治したことにより、呪いを
受けてしまう。アシタカは好き好んで神を討ったわけではないし、ムラは神に襲われる
理由もなかった。なぜ神は襲ってきたのか。呪いを解くための旅に出たアシタカは、「自然」と
抗争するエボシ御前と出会う。そしてエボシによって傷付けられた自然の神が暴走し、
アシタカのムラを襲ったことが判明する。
アシタカはエボシと自然とも対立することなく、『観念的な平和主義者さながら』『自然と人間の
共生』を訴えて終わり。
*********

そう、アシタカはとばっちりを受けたことを怒らないのだ。
良く言えば人格者である。アシタカはサンに「共に生きよう」と言い、それが自然と人間の
共生を意味する象徴的な台詞になっているが、具体的にどうするのかよくわからん。
そういうことを全く考えずに観ていたのが恥ずかしい。
なんでそういうことを考えなかったかといえば、映画を観ている間中、サンをおかず
ポコチンをいじっていたので脳への血液供給量が低下し思考能力が衰えていたからである。
私がインポテンツであったなら、高い思考力ですぐさま作品の問題点を見抜いていただろう。
話はずれるが、この作品は、どちらかというとエボシのような自然を切り開いた人間が
悪いような描かれ方をしていたが、先に住みついていたものが幅を利かせて人間の台頭を
阻むのも結構アレなんじゃねえのかな。

自然界は弱肉強食自然淘汰の世界。自分達も縄張りを広げてきたのに、人間が縄張りを
広げると悪で自然が縄張りを維持・拡大するのは善いっていうのは、ダブルスタンダードと
いうやつではないだろうか。タンポポが綿毛を飛ばして広範囲への増殖を目指す、
冬虫夏草がセミを養分にして成長する、トンボが縄張り争いの喧嘩をする。
人間がやっているのは、そういうのと同じではないだろうか。(ただ、人間は他を淘汰する力が強い)
自然が地球環境を考えて繁茂してきたわけではあるまい。
自然はこれまで勝手にやってきたのである。人間も勝手にやったのである。
それを観念的な善悪で分けてしまうのはおかしくないだろうか。
自然が絶対的な大いなる善であるという、非論理的な根拠に根差した価値観に基づいた作品と
いえるのではないか。自然に善悪のモラルはない。子孫繁栄という本能があるだけである。
自然を破壊することによって地球環境が悪くなり、人間が苦しむようになったというのなら、
責めるべきは人間の行ってきた繁栄作戦のミスであり、善悪というモラルで断罪することは
自然至上教信者による人間への差別ではないだろうか。
あと、アシタカはムラを出るときに女の子から大切にしていた綺麗な石を貰い受けるが、
それ以降、その彼女のことを何にも考えないし、思い出す様子もない。
そもそも故郷のことさえ頭から消え去ったかのようだ。
情のない男。

************
「千と千尋」は『軽薄かつ身勝手な両親のせいで』異世界へ迷い込み、働くはめになった少女
千尋の物語。千尋は豚に変身した両親を救うべく、阿呆な両親も、自分をこき使う魔女も
恨まずに『運命を従順に受け入れる』。結果、両親を救い出すが、やっぱり千尋は『軽薄かつ
身勝手な』両親を責めたりしないのだ。
************

「上の世代の勝手な行動のせいで、どんな迷惑や被害を受けようと、恨んだり
反抗してはいけない」というメッセージは、こっちのほうが解りやすいか。
映画館で見ながら私もなんて身勝手な両親だろうと思ったものだ。
千尋の両親は誰もいない店に置いてあった料理を勝手に、そして豪快に食ったのだ。
確か「お金は店の人が来てから払えばいい」なんて言ってた。
勝手に他人のものを食うものだから豚にされたのである。千尋は止めたのに。
なんてモラルのない親であろうか。
知らない店の料理を勝手に食うことに良心の呵責が働かない親に育てられた子は、
将来きっと「盗作したとか、小さいことでガタガタ言われるとムカツク!」なんてことを言う
モーニング娘。になってしまうのではないかと危惧する。
安倍なっち千尋は馬鹿親を心配するばかりで、ちっとも怒らない。
まさに『上の世代の勝手な行動のせいで、どんな迷惑や被害を受けようと、
恨んだり』しないのだ。
これを奇麗事に言い換えると、『恨んだり反抗したりせず、独力で立ち直るのが真の成長』
になる。そこには不始末をやらかした者の自省がなく、下の者による立派な肩書きのついた
お尻拭き仕事が待っている。

なるほど。もののけ以降の宮崎作品には「下」の立場の者を持つ者にとって随分と
便利な世界観が形成されている。
主人公は素直で、疑いを持たず、与えられた運命(誰かの尻拭い)に疑問を抱かない。
なぜそうなったのか、原因(責任)を追求しないし、すべてを許す。
そればかりか、世界(作り手・世界観・観客)はそんな主人公を「成長」したと
肯定的に見なし祝福するのである。
この調子で行くと、次回作あたりでは主人公の少女が非現実的な世界に迷い込み、
そこでアナル舐めを要求され、真摯にそれに応え、フェラやふぐり舐め、淫語責め、飲尿、
アナル開発、露出プレイなど経験して成長し、一人前のチンポ中毒肉奴隷になる
という映画になることは必定なので、佐藤健志なんかの戯言に惑わされず、
己の価値観を貫いて映画を作っていって欲しい、と切に私は願うのだ。
宮崎駿大先生、バンザーイ! 今、俺のポコチンが勃起してまーす!
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2006年02月19日

森山

05/01/12

森山良子テレビに映っている時に親父に聞いた話。
親父はその昔、森山良子を泣かしたことがあるという。
これがひどい話なのだ。
親父が学生の頃、学園祭に森山良子が招かれて歌ったそうだ。
その時、若かりし頃の親父は酒に酔っており、フォークソングなんてもの歌うんじゃねえ、とか
何とか野次というか罵声を浴びせたのだという。
さんざん罵声を浴びせられた森山さんは泣きながら「こんなところでは歌えません」と云って
途中で帰ってしまったのだ。
この親父の息子である私はこんな話を聞かされて、直太朗にさえ申訳ない気持ちでいっぱいだ。
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2005年11月06日

鹿の善し悪し

長年に渡って鹿を見続けた某氏の話では、善い鹿と悪い鹿というのがいるんだと。
悪さをする鹿しない鹿という話ではないらしい。
どういうのが善い鹿なのか訊くと、背に仏様を乗せているのが善い鹿、それ以外は悪い鹿、なんだってさ。
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2005年11月02日

「宗教」とはっ、民衆平和のための指針、すなわち道徳なのである!!

04/12/24

書こうと思っていたこと。

極稀に捨ててある雑誌を拾う。
本当は毎日でも拾えればいいのだけれど、雑誌の回収日は二週間に一度しかないし、毎回
拾いたいような雑誌があるわけではない。
一番拾いたいのはエロ本であるが、滅多に捨てていない。
先日、アニメ雑誌が束ねてあるのを拾ってきた。ニュータイプとMEGUの詰め合わせ
ここ数ヶ月収穫が無かったので、一応拾ってみた。

96年ごろのものである。まだエヴァンゲリオンが放映されていた頃だ。
MEGUという雑誌は初めて見る雑誌だ。表紙が綾波で、林原めぐみ専門雑誌かと思ったが
普通のアニメ誌であった。OUTというアニメ誌の後継らしいが、OUTも知らぬ。桐野夏生か。
MEGUの読者ページがちょっと面白いことになっていて、編集者の掲載基準に読者が反発、
担当編集者がよくわからない弁解のようなものをして、コーナーの方針変更を発表していた。
完全な敗北に見えるけれど、編集者はなんだか他人事のような文章を書いてた。
グダグダである。調べてみたら案の定MEGUは現在休刊している。
3年くらいしか持たなかったらしい。
MEGUの読者ページに面白い葉書が載っていた。(これが書きたかった)
ペンネーム「パワード久川綾」。高知県の方からである。(久川綾は声優の名前)
以下、誤字もそのままに丸写しする。ただ原文では「、」が「,」になっていたがそれは直した。


 12月号、笹野某氏の意見に関して(!?)
 ちと一席、私は今さらながらカミングアウト致しますが、私は宗教法人の某
 「S学会」の会員ッス。私も笹野某氏意見に同感、と言うかハッキリ言ってしまえば
 日本人は宗教の真の意味をまるではき違えてるとしか思えないのです。
 「因った時の神だのみ」だの「アヤシイ儀式」だの・・・特にウチらの団体に至っては
 やれ「政治を宗教の力で支配」だの、「住民票大移動」だの、「ヤクザまがいの強制入信」
 だのと根も葉もないデマを昔っから言われ続けてきたんだから・・・「宗教」とはっ、
 民衆平和のための指針、すなわち道徳なのである!!

これに「たちめみょう」というアニメ・声優関係のフリーライター(らしい)が

 「宗教団体」については確かに誤解も多いでしょう。ですが、デマと言われることが
 果たして過去に一度もなかったのでしょうか? お互い聞き伝えでなくて、自ら勉強
 話をしたいものです。ちなみに、僕は多神教(自然の中に神が存在する系)の考えに
 共感しています。


というやけにやんわりとしたコメントをつけている。
私はこういうやりとりが大好きだ。ちと「私」を使いすぎの「S学会」会員の「因った」意見を
読むと笑顔になれる。惜しむらくはMEGUの12月号を持っていないので、笹野氏が何を
書いたか知らないことだ。
「宗教の真の意味」だの「民衆平和のための指針」だの、尻たぶをむんずと掴まれて、
菊門から池田大作思想注入棒をずっぽり挿入、そのままずぶずぶと侵入を許し、亀頭が
脳髄まで達したところで大量射精、ドクドクと波打つ思想注入棒の鼓動がパワード久川綾の
胸の鼓動の高まりと同調した時、池田汁にまみれた脳髄をフル回転させ亀頭を刺激、更に
射精、そのエンドレス尻姦体験のなかで滴る白濁池田汁に己のチンポ子も明日のノーベル
平和賞へ向かってビンビンに勃起、尿道口に耳を澄ませば「イトマン、ウーマン、キンマンコ!」と
御題目を唱えていた……というS学会会員として非常に正しいパワード久川綾氏の姿は
私も見習わなければなりませんね。


話題は変わって、MEGUの読者ページに「シルバー林の自由落下通信室」というコーナー
がある。いくつかネタを書き出してみると、

・「ボールはともだち」なんてことを言うサッカー少年は愛に飢えているのかもしれない。
・「海底2万リーグ」って大リーグより強そう。
・かかとおとしのしすぎでかかとが荒れてきた。もう手がつけられない!!

こういう定型のない、頭に思い浮かんだことをそのまま書き出したようなネタのコーナーである。
その昔、ちょうどこのMEGUが出ているくらいの頃の「伊集院光 深夜の馬鹿力」というラジオ番組
で似たような雰囲気のコーナーがあった。
頭に浮かんだ面白い文章をリスナーが送るというコーナーで、「日本一短いデブへの手紙」と
「三行革命」というコーナーだ。それぞれ別時期にあったコーナーで、デブへの手紙は字数無制限、
三行は上限60文字の制限ありで、要はどっちも内容は同じである。
伊集院のラジオで好きなコーナーだったので、「シルバー林〜」もどことなく懐かしい想いで
読んでいたら、あらびっくり、ラジオで聞いたことのあるネタと全く同じネタが掲載されていた。
多分、デブへの手紙で読まれたネタだったと思う。
これはラジオにも雑誌にも二重に同じネタを投稿したのか、盗作されたのか、盗作したのか、
宇宙意思によるシンクロ二ティなのか。
今ではもう確かめようのない話である。
posted by ヨシノブ at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月20日

エッフェル塔について

世界の名塔100選にも堂々名を連ねているエッフェル塔。
その美しさと優雅さは「鉄の刺繍」の異名を持つに相応しい。
パリの万国博覧会用にと建設されたこのエッフェル塔、当時は知識人・芸術家・パリジャン・パリジェンヌから「景観を損ねる!」と非難轟々であった。
モーサッパンは「鉄の塊」と評した。なんだかマジンガーZのようでカッチョイイが、褒め言葉ではなく非難の言葉である。このころ、永井豪はまだマジンガーZを描いていなかった。
圧倒的な不評にさらされたエッフェル塔。取り壊せという声が多かったが、さすが「鉄の塊」、取り壊すには莫大な費用がかかる。
故に放置され続けたのだが、やがて時代はエッフェル塔に追いついた。
エッフェル塔が高く評価されだしたのである。
こうして、後に制定される「世界の名塔100選」へ続く栄光への道は開かれた。
さて、モーサッパンは塔の建設を非難していたわりには、完成するとすぐに塔のレストランへ足を運んだという。あんなに非難していたのに、と言われると「中にいれば、鉄の塊を見なくていいからね!」と、どこかのとんち坊主みたいな受け答えをして、これには足利義満もグゥの音も出なかったとか。
屁理屈のとばっちりを受けて新右エ門さん打ち首獄門。
エッフェルは塔の設計技師の名。彼の好物はじゃがバター。
塔は約320メートル。1889年完成。
posted by ヨシノブ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

幼女に対する猥褻行為

朝、シャツにジャージサンダルをひっかけて歯を磨きながら近所をぶらぶら歩いていました。
外は雨上がりの気持ちのいい空気で、公園のそばを歩いていると公園で小学生が何人か遊んでいるのを見かけた。
微笑ましい光景じゃのう、と思って公園のベンチに腰掛けてぼけっと眺めてたんです。そしたら一人の女の子、小学1、2年といったところのツインテール頭の子で「遊ぼう」って言ってきたんだよ。
やましい気持ちもなく、ベンチのところで二人ぼそぼそ話していた。

そのうち女の子から公園の隅にある小さな建物に誘われて、入ってみた。
何のためにある部屋なのかわからなかったが、中は宿直室みたいな感じで畳が敷いてあって、小さいテレビテーブル、本の詰まった本棚があった。
二人で部屋の中にいると、どういう話の流れになったか、女の子が服を脱ぎ始めた。
上から一枚一枚ゆっくりと。誘ってるわけじゃなくて、自然なことのように脱ぎだした。
驚いたけど、かわいい女の子だったし、止めることできなかった。
うわあうわあと混乱しながら、これは日記に書こうかなとか、京極夏彦「姑獲鳥の夏」で関口先生が白痴のような娘に誘われるシーンがあったなとか、誰かに見つかったらどうしようとか考えてた。

で、何だかんだ理由つけて結局女の子の体、というかクリトリス触りました。
嫌がられず、好評でした。「誰にもいっちゃダメだよ」と口止めして、ああ、これがばれたら社会的生命が絶たれる、とおもいつつ触りました。
その子はそういうことをしたことがなかったようで、驚きつつも喜んでました。
ああ、俺は決定的にダメ人間になっちまった!という背徳感と、楽しいなあという気持ちで葛藤しつつ、これを日記に書いたら吊るし上げられてすげえ罵倒されるだろうなあなんてことも考えながら、結局挿入しないままに目がさめました。

ああ、なんで目を覚ましてしまったんだろう、現実にやったら取り返しがつかないくらいのことをやればよかった、とすごく後悔しました。夢精はしてませんでした。
そうだよな、夢だよな。だって俺、汁の出かたがなんか変だなって気づいてたよ。
ああ、もう。
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2005年08月04日

まんじゅうこわい

有名な落語噺「まんじゅうこわい」。
実は、今知られている筋のあとには、もう少しだけ続きがあったそうだ。
いわばディレクターズカット版である。

「最後に一杯、熱いお茶がこわい」のオチのあと、仲間が熱いお茶を差し出す。
こわいこわいと言いながらお茶をすする男。
ガシャン!
湯飲みをひっくり返す。
「ぎゃああああああああッ!!!」  シュ〜〜〜〜〜〜〜・・・。
男は下顎から喉にかけて溶かしながら血を吐いている。
あっはっはっは。
最後に男をギャフンといわせて大笑いの仲間たち。
硫酸のお茶かけられてシューシューいってるけど。
男の台詞「濃硫酸でいれたお茶とは、まことにこわい…。 ごふっ、がはっ、げえぇぇぇ…」

江戸の粋人は洒落がキツイ、ということであろうか。
解説として添え書きするならば、物語の背景として当時まんじゅうは大変高価であったこと。
貧乏長屋に住んでいる仲間たちが男をこわがらせようとして、大枚はたいてまんじゅうを買ったのに、まんまといっぱい食わされてしまい、怒っても無理はないこと、怒っても、洒落でやりかえす(本当にこわいお茶をいれた)ところが粋人であること、などを挙げておこう。
踏み込んだ解釈として、立川談志が「男はわかっていて硫酸を飲んだのではないか」という説を唱えている。それだけ洒落に命を懸けていたのが江戸の粋人だったのではないかということだ。「孝行糖」の与太郎が、わざと役人に半殺しにされたという説に通じるものがある。
実際にここまで粋を通した人がるかどうかはわからないが、「宵越しの金は持たない」「火事と喧嘩は江戸の華」などで知られる江戸っ子の姿は、わかっていて硫酸を飲んだ男の姿とそう掛け離れていないのは確かだ。
ちなみに硫酸は、近所のメッキ工場から貰ってきたのだそうだ。
何にせよ、カットして当然という気がしないでもないオチである。
posted by ヨシノブ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

夢の話。

北の果てに大きな魚がいる。鯤(こん)という名で、何千里もある大きな魚。
大きすぎて、誰も正確な大きさはわからない。
これだけ大きな魚は、生態のスケールも大きい。変身して鳥になる。
鵬(ほう)という、これまた大きい鳥になる。
翼は空に広がる雲の如く、鳴き声は雷鳴轟くかの如し。
例によって大きさはわからない。あまりにも大きすぎるから。
知る人が言うには、鵬は水面三千里に翼をうちつけ、つむじ風に乗って九万里も上昇し、半年休まずに飛ぶのだという。
これを言った人は、ばれないと思って適当に嘘をついているのだと思うが、誰も本当のことは知らないので何も言えない。それだけスケールの大きな鳥だ。
ある時、鵬は九万里の空から墜落した。理由は定かではない。
重要そうな理由が明かされていないところがまた、スケールの大きな話だ。
誰も大きさがわからないほどの大きい鵬が落ちたものだから、墜落する鵬の巻き起こした風は大嵐となってすべてを吹き飛ばし、鵬の体で大地は潰れ、海底にまで及ぶ裂け目が出来、そこから海が全部流れ出てしまった。
なんと大きな鳥であろうか。たった一羽が世界を壊してしまった。
世界が壊れてしまったのなら、ここに存在している僕らは何なのかというと、
鵬が死に際に見ている夢なんだそうだ。
壊れた世界の中で、鵬はゆっくりと死んでいるところ。
僕らは死にかけた鳥の見てる夢。
僕らが見るもの感じるものも、世界のすべてが鵬の夢。
話を聴いてるこっちまで巻き込んでしまう、実にスケールの大きい鳥なんだ。

この話をF君にしたら、とても嫌な顔をしていた。
この嫌な顔も鵬の夢のうちかと思ったら、何だか笑ってしまった。
posted by ヨシノブ at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする