はじめに
前回の
乙武の本が売れたのは顔がいいからだ。(ホーキング青山談)の追記のつもりで書き始めたが長くなったので別個に書き込みます。
最初は批判するつもりで書き始めたのですが、乙武さんをなかり見くびっていたことに気づき、今では反省しています。
前回指摘した事が何で私には不愉快だったのかというのを少し冷静になって考えてみる。
殉教者が正義を説いているような高潔さに問題があると思う。
「どんな命でも尊いはずだ」なんて、一般的モラルでは自明の理をわざわざ言う。
立派なことを言うには、その発言者にもそれだけの「格」が求められる。
乙武氏は、皇室という、非常に批判しやすい分野にこれを言った。
朝青龍には何で言わないんだ!
そりゃあ、本人目の前にしていえないわな。
そんなこと言ったら瞬時に左腕が飛んでくる。(冗談です。横綱はそんなことしません。)
言いたいことを飲み込んで仕事をしなきゃいけない時だってあるさ。
それは、カッコワルイことではあるけれど、誰にだってある。
仕事相手に、機嫌を損ねるようなことは、言えない。
だから乙武氏は言わなかった。
それでいて言い易いところには臆面もなく優等生みたいなことを言う。
そこに、えらそうなこと言ってるけど恣意的な正義を振り回して皇室批判したいだけじゃねーか、というような気持ちになった。
面白い話を読んだことがある。
辛淑玉氏と上野千鶴子氏の会話である。
辛 「私はずっと不思議に思ってることがあって、右翼の子どもはちゃんと右翼になるじゃないですか。それなのに左翼の子どもの少なからぬ数が見事に「右翼」になるでしょう。あれはなぜだろう。」
上 「あたりまえだと思う。左翼はタテマエの思想、右翼はホンネの思想だから。外国人と仲良くしましょうってタテマエの思想、嫌いだから出てけっていうのがホンネの思想なのよ。タテマエは、非の打ちどころのない、後ろめたいところのない人が言わないと、タテマエはタテマエにならない。
ところが、大概の人は、非の打ちどころがいっぱいあってタテマエを言っている。それをいちばん鋭く見抜くのは子どもでしょう。『ケンカの作法』角川oneテーマ21
これは月刊誌WLLの日垣隆氏の連載に引用されていたもの。日垣氏は
「なるほど。筋金入りの左翼が言うのだから間違いないでしょう。」と結んでいる。
私が反感を覚えた構図にそっくりである。
非の打ちどころのないことを言う乙武氏自身の非を「鋭く見抜」いた私(慧眼の持ち主)はその「タテマエ」の嘘に反感を抱き「右翼」になってしまったのである。もし、乙武氏が「まあ、朝青龍のときも思ったんだけどさ、こっちも仕事だしドルジ怒らすと怖いし、言えなかったよ、ガハハ」と自分の非を認めるようなことを言っていれば、こっちも「しょうがねえやつだな、アハハ」ですんだかもしれない。
「左翼」に足りないもののひとつは、こういういい加減さだ。
自分に何も非がないようなカッコイイ言動は、大概の場合ひどく矛盾する。
だから、自分のカッコワルイ部分を認めた上で、えらそうなことを言うのがよいのではないかと思う。
私はそういうところを意図したうえで、うんこを漏らしただのオナニーをしただの平均的な仮性包茎よりもチンポの皮が余っていることへの言い知れぬ劣等感を抱いているだのを遭えて書いているという部分がある。その目的がどの程度果たされているかわからないが。もっとも、くだらないことを書く第一義の理由は保身よりもただ「書きたいから」なのだけれど。もうふたつくらい下らないことを書く理由があるんだけど、それはまたの機に譲る。
昔はAVの女優が男の乳首を舐めるシーンに何も思わなかったけど、最近それをエロいなと思うようになりました。
えらそうな自説が続いたのでくだらないことを書いてみました。書かなくていいことだとわかっているのに、何で私はこんなことが書きたいんだろう。でもいいんだよ、乳首舐め。あと、AVでは珍しくないことなんですけど、男が女のアナルを舐めるのはやっぱ一般的にはNGですか? 多くの場合、徐々に説得していけば可能になることなのか、ほぼ絶対的に受け入れられないことなのか。知りたいです。いきなり舐めるのが駄目というのは何となくわかっています。乙武のことなんて関係ねーよ。本当に知りたい。
乳首もアナルも置いといて、少し冷静になって考えてみる。
あ、その前にもうひとつ。男の乳首の周りに生える毛は処理したほうがいいですか?
ああ、何書こうとしていたかすっかり忘れてしまった。何考えていたんだっけ。
改めて一連の乙武氏の発言とコメントを読んでみた。
すると、面白いことに気づいた。
乙武擁護派には天皇制を批判する人が多々見られる。ところが、乙武氏自身は、天皇制を少しも批判していないのである。言葉足らずの行間に乙武氏のスタンスを反天皇と読む事は出来る。出来ると言うより、そういうスタンスがあっての文章だと自然に読める。だが、確かな言質がないのである。言質がないから、反天皇と決定付ける要素がない。それどころか、乙武氏がはっきり明言したのは「どんな命でも尊いはずだ」という自明の理だけ。これだけ燃えているのに、元の発言たるや実はほぼ何も言っていないに等しい内容である。
私自身は多分乙武氏は現状の天皇制に批判的であろうと推察する。天皇制そのものにか、女系を認めない継承権にかはわからない。
彼ほどの有名人、それも前向きで明るい好青年という人畜無害
キャラクターで、イデオロギーに踏み込んだ発言をしていなかった人間が天皇批判を明言すれば、大きな支持も受けようが、大きな不支持をも受ける事は明白である。今後何をするにもそのスタンスによる評価が付いて回ると考えていい。そういう立場になるのは支持層も評価も偏ってしまい、実利的には不利である。そこでわざと
稚拙な「言葉足らず」の文章を書いて尻尾を掴ませまいとしつつ己が意を示しているのだ。
彼の支持者の多くは彼の思惑通り、勝手に皇室批判を繰り広げている。乙武氏は一言も批判していない。無論、批判しろとも言ってない。
支持者が自主的に批判を展開している。乙武氏は何もしていない。天皇の是非を巡ってコメントは荒れる。天皇是非論には参加していないから、乙武氏は己の稚拙さで「誤解」を招いた事を謝るだけで済み、天皇制へのスタンスを表明しなくてもいい。先にも書いたが、乙武氏はほぼ何も言っていない。何か透けて見えるような演出をするに徹している。その演出が一番露骨(下手)なのは一切自分の言葉を挟まない友人のメール紹介。これではどの部分に何を言われようと、そういう意図ではないとか、言葉が足りなかったとか、何とでも言い訳出来る。
それでも、乙武氏を同志とみた人々からは支持を厚くできるし、乙武氏を反天皇論者と見る人々には「どこにそんな言質ある」と白を切って決定打を叩かせない。反天皇論者は勝手に乙武批判者≒天皇支持者を叩く。コメント欄は踊っている。
ぬらりひょんとした文章とはこういうものを言うのか! と私は軽い感動を覚えた。そりゃあ、何冊か本書いてる早稲田卒のジャーナリストだもの、ここまで言葉足らずの稚拙な文章なんて意図的にしか書けないよなあ。一本取られた。
山本夏彦のいういかさまの才である。私はかなり舐めてた。完敗である。
一度は幻滅したが、乙武氏はやっぱり「立派」な人であった。今ではあの笑顔が恐い。
その他の事。
コメント欄に「同じようなコメントばっかりです。同じ事を書くのは、自制を。」というような書き込みがあった。(乙武氏のものではない)
たしかに、違う人による同じ内容の書き込み(
コピーしたものではない)が幾つも幾つもある。でも、それをブログ主催者から「重複する内容の書き込みはご遠慮ください」と規制する事は出来ない。それを言えば、「あなたの書いているブログは世論の何処にもないような独創的なものなのか。他所に同じような言論があったぞ。あなたが書く余地はない」と己が首を絞める事になる。
読者の良識が頼みである。
前回、コメントが付くのがこわいと書いたが、実はリピーターが増えるのもこわい。とある記事が検索にかかりやすくなったため、訪問者が倍に増え、少しだけリピーターになる人が出ている。リピーターは視聴率と同じで、見ているというだけの数字であり人であり、内容に関して支持不支持は関係ない。このブログのリピーターの七割は反感を抱きながら、また、嘲笑のために読んでいると思っている。なんて恐ろしい奴等だ。
だから、訪問者が増えているのもこわい。(訪問者数は
カウンターの管理サイトで確認している)
批判コメントが付いているかもしれないし、恐ろしきリピーターも増えるかもしれないから。
日垣隆氏の名を出したついでに氏で検索してみると、氏による公式サイトがあった。
有料によるメールマガジンを発行しており、ケチの私には内容を読むことはできないが、目次だけは読ませてもらえる。
目次だけでもかなり面白い。鰻屋の前で白飯食ってる気分だ。
最新号にはこんな目次にはこんな見出しがあった。
□今週の極上発言
◆林真理子さんを指して曰く、
「こんな美人、見たことない」byケニア一等書記官http://www.gfighter.com/蛇口をひねれば水が出る。スイッチ押せば灯りがともる。
それが当たり前の生活になってしまった私たちの脊椎を粉砕する一言。
絶世の美女は林真理子だったのである。
ケニア一等書記官殿には、くれぐれも、グーグルで「
林真理子 ヌード」などとは検索してもらいたくない。
そこに「Super熟女
アイドルヌード」の「林真理子」という項目を見つけた日には、彼はこれから先一生仕事が手につかなくなってしまうだろう。
美しきは罪である。