2008年04月20日

スケールの大きい俵万智

ニューヨーク州が4月5日「池田大作の日」を宣言
 アメリカ・ニューヨーク州が、4月5日を「ダイサク・イケダ・デー(池田大作の日)」と宣言した。アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のニューヨーク総会が同日(現地時間)、ニューヨーク市のアポロ劇場で開催され、席上、デイビッド・パターソン州知事が署名した宣言書が、代理のデイビッド・ジョンソン州知事上級顧問から授与された。

http://www.seikyonet.jp/sg/sp/shimen/headline/index/1208478253926/0


ほかにどんな人物の日があるのだろうか。これはどういうランクの記念日なんだろうか。日本でいうと耳の日くらいではないか、と根拠も無く瞬間的に思ってしまった。
宗教に不案内な私は、先に日蓮の日、さらにはブッダの日をつくったらどうかと思うのだが、既にあるのでしょうか、ニチレン・デー、ブッダ・デー。釈迦十代弟子のデーは一日に纏めるのか、十日にわけるのか、それならば飛び飛びか、連続か。信仰は奥深い。
posted by ヨシノブ at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月28日

夢を描くのは人に生まれたから

人間として生まれてくるまでには幾つもの手続きを経てそれに合格したものが人間として生まれてこれる。と「オーラの泉」で言ってた。と友人の拓郎が言ってた。
そりゃあ嘘だな。具体的にどういう発言だったのか探してみた。


江「中々、生まれて来れないんですよ」 千代大海さんをじっと見つめて。
千「は・・」
江「皆ね、命粗末に、する人も居るけれど。でも、中々、生まれて来れないんです」
美「条件が、いっぱい有るの!!」。
千「はい・・」江「」

美「だからね。『受け難き人身を得て』っていう、お経の文句に書いてあるんですけど。
  『受け難き人身を得て』のはね、この人間の体を得てね。
  人間としてね、あっらゆる手続きや色んな事、踏んでね。出て来る迄が大変なの。
  だからビザの申請がね、許可されるどころの騒ぎじゃないんですよ!」
千「ああ・・」
太「へえー・・」

美「人の形でもって、こうやって人として生きてくね。
  大変なね、色んな手続き踏まなきゃいけないの。
  それも許可出来ない!許可されなくて生まれて来られない場合が有るんですよ・・・。
  だから生まれて来たっていう事、どれだけ、有り難い事かと・・・。


【オーラの言葉】
【人はいくつもの条件をクリアして、この世に生まれて来る。
 たくさんの中から選ばれ、魂を磨くチャンスを与えられる。
生まれて来ただけで有り難い 。 −受け難き人身を得て】
 


星が生まれて消えるまで
http://blog.so-net.ne.jp/k-tantan/2006-07-12


条件って何なんでしょ。許可不許可はどこが決めるんでしょうか。不許可だとどうなる? 何でそんなこと知ってるんだ。
こういう話を、そうなのかぁ〜と信じちゃう人、無批判にいい話と受け止めちゃう人の思考がぜんぜんわからない。
私は笑っちゃうんだけど。



1985年に結成されたTHE BLUE HEARTS
同年、自主制作ソノシート「1985」を発表する。
翌年1986年、4つのバントによる合同アルバムにブルーハーツも参加し、3曲を収録している。
その3曲が、現在でもブルーハーツの代表曲格である「ハンマー(48億のブルース)」「人にやさしく」「未来は僕等の手の中」という名曲揃いなのには驚かされる。


48億の個人的な憂鬱 地球がその重みに耐えかねてきしんでる


ハンマーにある48億とは当時の世界人口である。
2006年、アメリカ合衆国統計局は現在の世界人口が65億人に達したと推計した。
2004年に国連が推測したところによると、2050年には人口は90億人を突破しているという。
そのころには重みに耐えかねた地球がぱっくり割れてしまうのかもしれない。


過去に目を向けると。1800年に世界人口は10億人。なんと現在の中国人の方が多い!

1796 ジェンナーが種痘法を発見
1798 中山みき誕生
1800 伊能忠敬。蝦夷を測量
1802 アレクサンドル・デュマ誕生
1804 ナポレオンが皇帝になる


1000年には人口は3億人しかいなかった。
2005年現在のアメリカ合衆国人口が約2億8000万と近い。
枕草子の初稿が出来たのが996年。そのころ人類はたった3億人で地球を歴史を文化を発明を技術を学問を芸術を切り盛りしていたのである。

紀元前2500年まで遡ると、世界人口はたった1億人である。現在の日本人より少ない。
インダス文明が生まれたころである。

紀元前8000年には人口100万人ぽっちと実に心許ない。
だんご3兄弟のCDが発売してから一週間で100万枚売れた。しょぼい世界人口である。


最初の話に返る。

美輪江原両氏によれば、大変な手続きをして許可を受けてようやく人間に生まれられるということである。
しかし、こうやって人口の変移をみると、大変大変といいながら紀元前8000年に100万人にしか許されていなかった許可が、10000年後には65億人に許可が下りているという大放出のゆるゆる審査になっている。現在、年間8000万人が生まれるという。紀元前8000年の総合人口より新生児だけで80倍多いという無茶苦茶ぶり。どういうことだ。審査員がたるんでいるのではないか。そのせいで環境問題やエネルギー問題、食糧問題と人類の憂鬱は重みを増すばかりである。
人間志望者の質が上がって許可が増えたのだろうか。しかし世の中を見渡すと、私も含めてそう立派な人間ばかりではない。
基準がこの大量の人間を許しているんだから、実のところあんまりたいした基準ではないのではないかとも考えられる。もしそうならば合格して喜ぶのはレベルの低いことであり、有難くなんかない。10000年前の志望者たちはよっぽど質が悪かったのだろう。

こんな話を思い出した。

同年五月、朝日新聞の書評欄で、中島梓はこんなことを書いている。「この書評委員会に出るようになって一番感じたのはそれにしてもなんと本とは高価なものになってしまったのだろう」。『イギリスの貸本文化』の書評中にである。
ビクトリア朝イギリスは言うに及ばず、日本でも中島梓が子供であった一九六〇年代と較べたって、本の価格は物価全体の中で相対的に著しく下落している。この四十年でおよそ半額になっているのだ。


「別冊宝島 まれみに見るバカ女」、「犬儒派だもの」(呉智英)に収録


美輪氏の「受け難き人身を得て」という言葉の出典を捜すと、日蓮上人の書いた「松野殿御返事」(別名『十四誹謗抄』『末代禁抄』)に出てくることがわかった。日蓮が経文にある文言を引用したのか、独自の言葉として書いたのか、そこまではわからなかった。
日蓮が松野殿御返事を書いたのが1276年。1200年当時の世界人口は4.4億人とされる。当時の日本人口は730万人。
本当は出生数で較べなければならないのだけれど、それがわからないので総人口で乱暴に計算すると、現在の人口は65億だから当時より約15倍多い。
お経に出てくる有難い言葉なんていったところで、日蓮が現役バリバリで読経してたころより人身に15倍受かりやすい現代では「受け難き人身」という言葉の持つ重みは15分の1になってしまっているのだ。
2050年には人口91億に達する見通しだから、当時の約20倍の人口であり、言葉の重みは20分の1になる見通しである。日蓮時代と同じように人身を得たことを有難がるのは間違いだ。砂漠の真ん中でのコップ一杯の水と、湧水の傍でのコップ一杯の水では、有り難味が違う。
日蓮だって現代に生きていれば、松野さんに「何となく人身を得て云々」という文面の電子メールを送っているかもしれない。
こういうことを考えて、私は笑ってしまうのである。



ここまで読んで、こういう可能性を考えれば受け難き人身の有り難味に変わりはない、という反論があるだろう。
人間に成りたい者が増えている場合だ。
募集人数に制限がなく試験の厳しい基準も変わっておらず、志望者が増えれば、 それだけ人間に成った者も増え、かつ有り難味もかわらないのではないか。増えた人口の影には、何倍にも増えた人になれなかった者の群れがいるのだと。
その受からなかった奴らってどうしてるんだろ。そして、こいつらはどうやって増えているんだろか。
厳しい条件を満たして人なっているのが現在65億人。やたら厳しいということなので倍率10倍と仮定すると、650億いるんだよ、何かが。
人口過密で息苦しそうな感じがするけど、ちょっと待て。
精液1ccあたりには5000〜15000匹の精子がいるという。(個人差が大きい)
一回の射精で3億から5億の精子が出るらしい。ほら、希望の光が見えてきた。「何か」が精子くらいちっこければ、650億いたところで、50年後に950億に増えたところで、土地の心配をしなくてよさそうだ。

甲本ヒロトはマーシーらと新バンド「ザ・クロマニヨンズ」を結成した。
俺、人類よりクロマニヨン人になりてー!というやつはどうするんだろう。人類で溢れかえっている現在の地球で、クロマニヨン人に生まれてこれたら、新人の末裔なんかよりよっぽど受け難き人身を得たことになる。大切に生きろよ、クロマニヨン人。





世界人口
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E5%8F%A3
世界の人口http://arkot.com/jinkou/index.htm#suii
佐藤まことの世界史講義 http://blogs.yahoo.co.jp/smakoto1966/MYBLOG/yblog.html


 
posted by ヨシノブ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月25日

奇跡の価値は

信仰によって健康を取り戻したり人間関係がよくなったりという話は聞くけれど、永年の信仰により組を抜けるときに詰めた小指が生えてきましたとか、事故で失くした足が生えてきましたとかいう話は聞いた事がない。
なぜだろう。

とあるビデオで、機能しない2つ目の性器と3本目の足が背中に生えている奇形の子供を見たことがある。
両親は熱心なキリスト教徒で、子供が早く治りますようにと毎日お祈りをしているということだった。
信仰により奇形が治りましたという話も聞いた事がない。
なぜだろう。

語られる信仰の奇蹟って、個人的なことばかり。
国の食料自給率が上がったとか、犯罪率が低下とか、そういう広く人々に貢献するような奇蹟はなかなかおきないようだ。
何より、信仰によって世界が平和になったためしがない。
みんな自分のことだけじゃなくて、人類全体の幸せをもっと真剣に願えよ。
自己中心的な奴らばかりだぜ。


そもそも起きうる奇蹟の上限を予め示せよ。
入信3ヶ月でたいていの癌は奇蹟で治りますが末期と診断されたものには対応出来ません、とか、規定の宗教行為を1年間続けると乗用車による事故を3回防ぎます。航空機の墜落なら1度だけ生き残れます、とか。ずるいよなあ。
posted by ヨシノブ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

パワード久川綾

1 名前: 素人童貞φ ★ [sage] 投稿日: 2006/07/21(金) 23:12:41 ID:???0
もはや週刊誌の一大コンテンツとなった観のある、「タレント創価学会員」ネタ。
タレント学会員事情通の学会メンバー3人が、赤裸々に語る。

C「折伏(勧誘活動)するには“時(タイミング)”というものがありますよね。日蓮
大聖人も、そうおっしゃってるし。番組共演者を手当たり次第勤行(朝晩行う読経)
に誘う久本雅美をはじめ、猫ひろしや柴田理恵なんかは、いかがなものかと
思いますよ」
B「最近、三船美佳、ふかわりょう、長井秀和なんかの学会メンバーで固めている、
露骨なバラエティ番組の特番もあるしな」

B「そういえば一時期、久本がSMAPの中居に勤行を教えていたという噂が流れて
いたけど、実際のところどうなんだろう?」
A「中居が恋人妊娠させたとかいうスキャンダルが出たときに、久本に相談して、
2〜3日勤行したともっぱらだ。草箸砲眩Δ瓩討い燭箸いο辰發△襦ラ
B「だけどジャニーズ事務所に発覚して、中居は勤行やめたらしい」

B「かつて岸本佳世子はビートたけしをかなり折伏していたらしいね。学会員の間
では、たけしがバイクで飲酒事故を起こしたのは『つまみ枝豆と岸本の熱心な折伏
をたけしがなじった』ため、バチが当たったと囁かれているけど」
A「あれは本当かね? 確かに変な事故だったけど。でも、あの時のたけしは死生観
が揺れていたから、勧誘するにはチャンスだったんだけどな」

ソース
「サイゾー」8月号
〈創価学会〉「現役創価学会員が赤裸々に語る、久本雅美ら組織の前進を阻む
有名学会員の功罪」より抜粋



思い立ったが吉日という言葉もあります。
勇気はあるか、希望はあるか、信じる心に!
先生の為に戦うのなら、今がその時だ!




手当たり次第なんて 本当は そんなのありはしないのだ
折伏にせよ 思った時が きっとふさわしい時

チッポケな額だした財務じゃ 自分がとてもチッポケな奴
毎日 勤行つきとおすなら それで健康になる

泣かないで 久本よ 何もかも うまくゆく
泣かないで 柴田理恵 どうにかなるようになる

あきらめきれぬ折伏ならば あきらめきれぬとあきらめる
あきらめきれぬ折伏ならば それはきっといい事だ

御題目 唱えたら 何もかも うまくゆく
学会を 辞めたなら 堕地獄の仏罰下る



geijutusyouri.jpg
 
posted by ヨシノブ at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

「アナタハ神ヲ信ジマスカ?」「お前が信用ならねー」

買い物帰りに公園を通りがかると、前から日本人と白人の二人組が歩いてくる。
私はイヤホンで音楽を聴きながら芝生に沿った道を歩いている。顔をあげて歩いているから自然と二人組が視界に入る。白人が何か声をかけてきた。何が起こるか薄薄わかっていたが、無視をするのも心地が悪いのでイヤホンを外してしまったところで案の定やっぱりそれみたことか。三人とも立ち話でスタート。

最初は、ちょっとお時間ありますか、とか何とか言われたいわれたんだと思う。時間は十分あったし、私は人と接するのが少し苦手なので、度胸を付ける意味でも話を聴いてみることにした。私には信仰心がないものの、信仰を持った人の物事の考え方には興味がある。
彼等はキリスト系教団(統一教会じゃないよ)の宣教師(ザビエルカットじゃなかった)で、白人が「私たちの話を聴いたことがありますか」と言う。一年位前にもこの公園で聴いたことがある。
この二人、話すのは専ら白人で、日本人の方は監督らしく、白人の流暢ではない日本語にいちいちうんうんと頷いていた。二人は最後まで笑顔を絶やさなかったが、意識的な笑顔だろう。
話の内容をしっかりとは覚えていないけれど、話の内容が変だったのは覚えている。

家族の中で父親はどうして必要だと思いますか、と問われた。
考えたこともないので困る。だって、生まれたときから傍に居たのだもの、必要不必要で父親の有無を決めているわけではない。それに父親がいないとどうだというのだろう。考えたこともないと率直に答えると、白人は、血縁の父親は物質的なものを与えてくれるけれど、父たる神は精神的なこと――平穏や幸福――を与えてくれるとかなんとか言う。変だと思う。私はこれでも父の言葉や姿から、精神的なものを色々学んだつもりである。平穏も幸福もその逆だって戴いたことがある。金と物だけしか与えなかったような父ではない。そりゃああんたらの神が与えてくれる信仰の見返りに比べたらチンケなものなんだろうけれど、父の精神、ひいてはそれを受け継いだ私の精神までまったく無価値のように言ってのけてくれる口の聞き方なんぞ神様から与えてほしくない。

白人の彼はまだ日本語が上手ではないから話をちゃんと伝えられなかったんだよ、なんてことはない。すぐ傍に監督の日本人が突っ立っているのだ。話し方に不備があれば補足すればよいだろう。しないということ、彼等が宣教師であるということは、この話が教団として公式なものであると受け取ってかまわないと私は思う。

あなたは神の存在をどう考えていますか、神の与えた幸福を感じますか、というようなことを問われた。
私は多神教の考え方をしていて、色んな物に神が宿っていると思う、神といっても全知全能のゴッドではなく、スピリチュアルな意味での神だ、それを信じている、というより、漠然とそう考えている。
幸福は、自分で掴んだものか神が与えたものか判別がつかないので、特に神のものと感じない。
正直にだいたいこのようなことを答えた。もっと細かく言いたいこともあったが、面倒なのと私の会話能力の低さで端折った。このあと白人がへまをやらかす。
私の答えの後、白人は簡単な相槌のように私の言葉の一部を複唱したのだが、「ボクゼンと……」とはっきり言ったのである。私は「漠然」だと指摘した。彼は「バクゼン」と言い直し、神の計画がどうたらこうたらと話を始めたので、ふつふつと沸き上がっていた不信感は一気にヒートアップした。不信感ゲージが満タンになると笑顔が嘲笑しているように見える。
私は喋っているとき、この人はまだ日本語が流暢じゃないからわかるかな、と疑問に思いつつ漠然という言葉を使ったのである。彼は漠然をボクゼンと言った。漠然という単語を知らなかったのである。漠然というのは書家の……、それは莫山。
単語を知らないということは、その意味を知らないということである。意味がわからないということは私の話がわかっていないということである。言葉の意味を質問しないのは、私の話をわかろうとしていないということである。私の話なんか聴いちゃいないということである。もっとも、話の大部分は理解できたのだろうけど、自分から話しかけておいて、相手の話のわかっていないところを放っておいて自分の話をすすめるなど、人を馬鹿にしている。話がわかっていないことなど気付いていないだろうという心理も窺えて、ますますもって馬鹿にしている。
そして隣に黙って突っ立ってにこり(にこにこ、ではない。動感のない笑顔)としている日本人は薄ら馬鹿である。
薄ら馬鹿、その根拠とは、

ひとつ、こいつも私の話がわかっていない。だから白人に漠然の意味を説明しない。そして自分も私に質問して理解しようとしない。
ひとつ、こいつは話がわかっているが、白人がわかっていないことに気付いていない。
ひとつ、こいつは話がわかっていて、白人がわかっていないことに気付いているが、どうでもいい話だと思っているので白人に理解させない。
ひとつ、こいつは話がわかっていて、白人がわかっていないことに気付いているが、どうでもいい話だと思っているので白人に理解させない。そして私がそれを見抜くわけがないと思っている。
ひとつ、話を何も聴いちゃいなかった。

この考えうる五パターンのうち、どれをとっても馬鹿が成立するため私は彼を薄ら馬鹿と判断した。馬鹿に薄らがついているのは、語感がよかったから。

私は取りあえず彼等の言葉を黙って聴いていた。やがて、私は簡単に神の話をすることができるからその話を聴かないかといわれた。
そんなに深入りしていいものかと思いつつも、ブログのネタになりそうなので困った。
いつ、どこで、どのくらいの時間かと問うと、いつでもいいと言う。10分でも5分でもいいと言う。うーん。日本人が場所はそこの芝生に座ってでもいいと言う。渋っていた私だが質問したいこともあったし、話を聴くだけならと思い、じゃあ今から10分くらい、と言うと、白人は腕時計を見ながら、これから用事があるので今はちょっと……と言い出した。なんだそれ。5分で出来るんだろ。用事があるって、声かけてきたのはそっちじゃないか。ここの芝生の上でいいと言った薄ら馬鹿は黙ってにこりとしている。おい。

本当に用事があるなら、日本人の薄ら馬鹿が今すぐここでもかまわない、というニュアンスのこと(そこの芝生に座ってでもいい)を言うはずがない。それに本当ならば、用事があるので、と白人が言った後に日本人は何か言うはずである。ああそうだった、とか何か。それが普通の会話であり、用事というのが嘘ならば、それでも、ああ、そうだった、とか何とか芝居をすべきである。それが黙ってにこりとしている。
最低限困った顔くらいしろ。にこりとしているのは、用事を忘れていていたにしろ嘘を点いていたにしろ、何も悪びれてちゃいないということだ。
何にしろ、まともな遣り取りができないし、それをちっとも恥じていない。そんな相手にこちらの言葉がちゃんと伝わるはずはない。漠然で既にわかっていたことだが、彼等は私と会話をしようとしているのではなく、自分のペースにのせたいだけでなのだ。
最初からどこかへ連れ込む気があって、安心感を引き出すためにいつでもいいなどと言ったのだろう。
私の不信感は二度目のピークを迎えた。

白人がいつなら時間がありますかと訊いてきた。馬鹿野郎。なんで私が今ここで話につきあったと思ってやがるんだ。
ここは大きい公園で見通しもよく、近くに人が大勢いて、最悪の事態を免れられるからこそ話を聞いている。これがちゃんとセッティングした場所なら、逃げられないような相手の陣地で宣教師が何人やってきて私一人を囲むのかわかったものじゃない。時間はいつでもいい、場所はここでいいと言っておきながら、そっちの用意した時間と場所でないと駄目だなんてあやしすぎるし、漠然の件でとっくに不愉快なので、そっちの都合にそこまで合わせるつもりもない。今度はいつ時間がとれるかわからないので、約束が出来ない。と断った。
その後、名前を教えてくれとか連絡先を教えてくれとかぐだぐだした話が続いて、神の話を聞かないかのお誘いから5分は経過していた。できたじゃねーか、神の話。やっぱ信用ならねー。
にこりと笑った顔も、神を信仰しない憐れな民を蔑む嘲笑にしか見えないし。
こんなボンクラを人前に出してる時点でここの組織の底が知れる。
posted by ヨシノブ at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

知らせなければ知らない 知りようにも知らせない

写真週刊誌フライデーの取材により、中1女子が死亡したことで世に知られることとなった「次世紀ファーム研究所」の堀洋八郎代表(62)が元創価学会員であることが確認された。熱心な学会員で、池田氏の”親衛隊”も務めたという。(本部幹部会とかでハチマキ巻いて池田大作うちわを両手にもってたりする集まりなんだろうか?)
しかし35歳の時、学会の恩師が反池田派となり、それをきっかけに脱退。その後神道へ傾倒。
「宗教(団体)としての運営方法やカネの集め方、信者勧誘などの基礎は学会で学んだ経験が生きており、宗教家としてのルーツは学会にあるといえます。池田センセイのカリスマ性、講演などは本当に勉強になった。いまは主張が違いますが、池田センセイはひとつの目標。憧れです」と堀代表は語る。金だの勧誘だの、宗教家というより別なもののような気が、否、宗教家自体が別な何かそのものであるかのような気がするが、それは気の迷いである。もっと勤行に励もう。

ところで、池田小事件の宅間守が幼少の頃より創価学会員であったという話は本当なんだろうか。
ネットには”逮捕時に「日蓮大聖人様の仏法に背く奴は皆こうなるんじゃ!」と叫んだが報道されなかった”という書き込みがある。
確かなソースを知らないので信じることは出来ないが、板橋両親殺人事件の殺された両親が創価学会員であり、事件には宗教が大きく絡んでいたのにもかかわらず、殆どのマスコミがファクターである宗教について触れないでいることが明らかになっている現状では与太話と切り捨てることも出来ない。(板橋事件については両親が学会員であることを創価学会本部が認めている)
英国人女性殺害事件の織原城二が在日韓国人だという話を当初ネットで読んだときには、マスコミがさっぱりそんなことを報道しないものだったから作り話ではないかと思っていた。(当時は朝日新聞が在日朝鮮人による犯罪では本名を明かさないことも知らなかった)しかし、後に海外のニュースサイトで織原が Korean Japanese と書かれているのを読んで作り話ではないことを知り、マスコミの薄気味悪さを垣間見た。

話は大分ずれたが、池田大作先生の影響力の大きさに私は感服し、御題目を唱える声にも一層熱がこもりましたという話。

大作シャウト.bmp

創価学会専用の出会い系サイトがあった。
タイトルロゴの「ヒューマンズ・ネット」って字の隣の花がちゃんと3色になっている。
色違いの花というと「三つのアイリス」「青いアイリスをまわして」ってのを思い出す。
サスペリア好きです。
http://www.human-s.net/ninsyo.html

このサイトのリンクに「ぽっちゃりネット」ってのが一件だけ登録されている。
ぽっちゃりした人好きの集りで創価色はないようだ。そしてこっちからはヒューマンズネットへのリンクは貼られていない。なんだこの関係。学会員にはぽっちゃり好きが多いのか?
posted by ヨシノブ at 23:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする