2008年07月17日

ちくま日本文学全集 石川淳

くま日本文学全集 石川淳  筑摩書房

マルスの歌・張柏端・曾呂利咄・焼跡のイエス・鷹・和唐内・霊薬十二神丹・二人権兵衛・八幡縁起・小林如泥・狂歌百鬼夜狂・虚構について・江戸人の発想法について・敗荷落日・安吾のいる風景

八十八まで生きたせいか、幅広く書けている印象。ユーモアの和唐内から、若い昭和文学然としたマルス、古くに題材をとった八幡、御伽噺風の張柏端、狂歌の分析解説
(こう書いたら怒られそうな気がするけど)。暑いのでそれぞれの発表年は調べてないが。狂歌がらみの話は、そっちに暗いせいもあってほとんどまったくわからん。

敗荷落日は永井荷風の死に際して、その没落を記したもの。(安吾のいる風景もまた安吾の死に際して書かれたものである。)
「一箇の老人が死んだ。」で始まり、その老人が荷風であること明かし、その最期を「その文学上の意味はどういうことになるか」と第一段落を結ぶ。
石川が見るに、荷風の住まいである偏奇館が東京大空襲で焼失し蔵書を失ってから、書くものが「小説と称する愚劣な断片」「無意味な饒舌」「すべて読むに堪えぬもの」と駄目になったそうである。以来、書を読むことを廃し、精神が堕落したと。また金利生活者であったのが戦後に窮民となったのも一因としていている。
文の最後は「一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一燈をささげるゆかりも無い」としている。文学上の意味を問うて、最後は「一箇の老人」に「怠惰」を加えて締めてしまった。
荷風はケチで頭も悪く助平だったが、その文章は一流であった美しかった、「美しければすべてよし」。山本夏彦は度々そう云って荷風を庇った。才能と人格は別物であるとし、その才能を褒めたが、怠惰になってからの荷風の文章をどう見ていたのだろう。才能にしか見るべきなき人間が、その才能を失ってしまったら。過去の栄光に届かぬ劣化を来たしたら。物書きの人間のほうはカスで、文章にそのすべてが表れている。そう云ってた山本が怠惰な老人に言及しなかったのは、文章もまたカスとなり見るべきがなくなった故の切り捨てか、かつて美しかった文章家の老醜を哀れんで伏したのか。
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2008年07月09日

京極夏彦

魍魎の匣がアニメ化とニュータイプの報。
製作はマッドハウス。キャラクター原案はCLAMP


京極夏彦は「姑獲鳥の夏」を偶然手に取ったのを皮切りに、「塗仏の宴」まで一気に読み、「巷説百物語」を読み、当時アニメ誌に連載されていた見開き2ページの連載を毎月律儀に立ち読みし、「妖怪馬鹿」「どすこい」「百鬼夜行―陰」を読み、第4期ゲゲゲの鬼太郎の京極脚本及びアフレコ回を見、「百鬼夜行―雨」を読んで、遠ざかった。(時系列に自信なし)

姑獲鳥の病んだ世界と、その薀蓄は掘り出し物であった。妖怪が好きでありながら柳田國男のような本を読んでいなかった私には民族装置としての座敷童の話が新鮮であり、時折差し込まれる京極堂と関口の、榎木津と木場の軽妙な掛け合いも面白かった。なかでも仏舎利の「お釈迦様はそんなに大きな人だったんだ」という解釈は今でも心がけている。
京極堂シリーズのなかでも一番面白いのは「魍魎の匣」であるという声はよく聞く。私もそう思う。長い小説を再読することはめったにないが、あのグロテスクと大仕掛け、切ない余韻と幻想に再読した。一番盛り上がらないのは「狂骨の夢」か。一番人気のエピソードをアニメ化してしまって、あとをどうするのだろう。キャラ設定画もみたが、猿顔の精神薄弱関口先生が大人びた四月一日のような顔をしておって面白くない。木場は四角さと無骨さが足りないし、榎木津は兵部少佐じゃないか。どれも等身の高い細身の優男で。ここまでにしておこう。要はいつものCLAMP美形キャラクターだ。

榎木津はエキセントリックな性格と常人ならざる能力を有している探偵で、作品内では特異なキャラクターである。いつも事件の真相を見抜いていながら、理解を求めぬ意味深な台詞を吐いて気ままに単独行動してしまう。事件の真相にしても木場とのじゃれあいにしても登場すると面白いのだが、あまりに高性能すぎる故か出番が少ない。
これが「雨」では主人公格となって出ずっぱりである。ここで京極と私の見解は分かれた。私は、このようなエキセントリックな人物は要所要所に挟むだけにし、前面に押し出すべきではないと思う。オカルトが秘されてこそのオカルトであるように、エキセントリックは一般と比されてこそのエキセントリックだ。全部が榎木津で染まってしまえば榎木津が薄くなる。この見解の相違は根深く、数年の後まで私は一切の京極夏彦を遠ざけた。
ある時少し時間が出来、図書館で気乗りはしなかったが「今昔続百鬼―雲 多々良先生行状記」を読んだら、やっぱり面白かった。なかでも泥田坊が面白い。榎木津の運用方針は違えど、やはり面白いのだ。これを機に、買ったまま数年間放置してあった「嗤う伊右衛門」を読む。京極堂シリーズとは違った風味で、これもまた良かった。機会があれば、「陰摩羅鬼の瑕」も読んでみようと思っている。これは悪い評判しか聞かないけど。


私がインターネットを導入直後の頃、まだまだネットで何をすればよいかわからず、とりあえず好きなものをキーワードに検索をかけてあちこちのホームページを巡っていた。
京極夏彦で検索したこともある。ファンサイトが幾つもあり、いったいどんな内容なのだろうと覗いて見ると、男のキャラクター同士が交接する妄想ホモ小説が書かれたサイトが幾つも出てきて、自分が何を読んでいるのか理解できずに混乱した。
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2008年06月22日

泉鏡花 ちくま日本文学全集

泉鏡花 ちくま日本文学全集  筑摩書房

雛がたり・国貞えがく・三尺角・高野聖・山吹・天守物語・縁結び・歌行燈・湯島の境内


泉鏡花は名が知られている割には、名高い高野聖にしても、あまりその作品が語られることのない作家だと思う。高野聖は少年時代に蛭の降ってくるあたりまで読んでそれっきりだった。

高野聖は大変艶っぽい話。坊主が辿りついた山の一軒家には美しい女と白痴の子供がいて、この女の肉と姿態がどんなに官能的であるかがねっとり描写されている。そういえば古い小説はその場の描写で長く行を割く風潮があったな。解説によると、漱石が門弟に「全体、動くということは下品なものだ。動くよりじっとしている方が品がよい。文学音楽は動かない絵より下品なものだ」と語ったそうだ。漱石は絵も描いている。作品を、読者をじっとさせるには、その場の描写を細にするしかない。

なんとなく、こりゃ寺山修司が好きそうな文体だなあ、と思う。実際、寺山は鏡花の「草迷宮」を映画化している。(未読・未見)
「山吹」の最後に「うむ、魔界かな、これは、はてな、夢か、いや現実だ。」という台詞があり、現役当時すでに国宝とも揶揄される鏡花の古風なスタイルは、それゆえに日常から離れて高野聖のような魔界に入りやすい効用があるのではないかと思ってみたりして。寺山の「新・病草紙」「新・餓飢草紙」が歴史的仮名遣いで書かれているのも、もちろんパロディ元が江戸時代だの平安鎌倉だので書かれた古書であるせいだが、それだけではなくて、古いスタイルで紡ぐことで「魔界」が拓かれる効用に着目したんではないかと思ってみたりして。

個人的に「文学」へは、重苦しくてオチがないというイメージがある。小学生の私は他に読みたい児童書があるのに暗夜行路や次郎物語を無理矢理読まされ、それが面白くなくて、文学らしい文学を敬遠するようになってしまった。それで有名どころの文学作品を押さえることなく年を経て、今頃になって格好をつけるために少し手を出してみて、軽くはなく、話にあまり起伏がなくて終わってしまう物語でも、心地よく許容できるようになった。「国貞えがく」の締め方なんて好きよ。それにしても「天守物語」の、降って湧いたような唐突なハッピーエンド! あれはどうなのよ。悲愴も純愛も吹き飛んでしまったわ。そして「湯島」のお蔦は良妻。
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2008年06月16日

マンボウ酔族館 パートU

マンボウ酔族館 パートU 北杜夫  新潮文庫

何かで連載されていたエッセイ。鬱期に入って、週刊誌とワイショーを丸写しにしたような内容や、株で損した話がダラダラ続き、面白さを損ねている。私もほぼ丸写しすることによって今回を終えたいと思う。首は痛いし、ざるだの天そばだの食べる話がでてくるからそば食べたいし、どうしようか。
私は読書の幅が非常に狭いばかりか、手の届く範囲にある本しか読まないため、北杜夫は何冊か読んでいるもののマンボウやジバコやマブゼばかりで、長編文学物は「神々の消えた土地」しか読んでいない。
今どう思うかわからないが、当時「神々〜」は私にあまり合わず、それから北の文学物を避けてしまっていたのだと、今思い出した。話の内容自体が駄目だったのか、それまでのイメージとの差異に困ってしまったのか、もう忘れてしまった。話の筋も大方忘れていて、ここから少し筋をばらすので伏せるが、主人公と少女が草原で交わり、終わった後、主人公が破瓜の血を少し指にとって舐め、少女と一体になった実感を抱く場面があり、そこだけは強烈に覚えている。私もいつか処女の血を舐めることがあるのだろうかと思ったが、実際には何度か自分の切った指の血をちゅうちゅう吸ったのと、この前血の混じったゲロを吐いて鉄の味がしたので人生を終えつつあるし、今ではそれより女の子のおしっこを飲みたい気がする。私をそんな気にさせた、「可愛い女の子のおしっこなら飲めるはずだ」と諭してくれた先輩は、もう亡くなってしまったらしい。これは遺訓なのだ。先輩の話、馬鹿馬鹿しくて本当に楽しかったです。ありがとうございました。




「Hanako」という女性誌がある。ウィキペディアによるとこうある。

対象とする読者像は当時の首都圏の結婚平均年齢の27歳女性。年2回は海外旅行へ行き、ブランド物を思い切って買うけれども、お得情報にも敏感で貯蓄もする。女性誌では珍しい金融関係の広告がある。東京近郊の大学を出て、一流会社に勤めて3〜5年以上、今すぐ会社を辞めても、海外で3カ月は暮らせる資金があり。キャリアと結婚だけではイヤ、というものであった[1]。

創刊後から1989年にかけて雑誌が対象とする読者像が時代を象徴する女性像となり、『Hanako』『Hanako族』は1989年の流行語大賞も受賞している。1990年3月には「Hanako・WEST」が発売。

1993年頃からのバブル景気崩壊から、Hanako族の終焉とも言われたが、ナタ・デ・ココを特集で取り上げ、ブームの先鞭をつけるなどの話題もあった。2000年代に入ってから長期的な紙媒体雑誌の低迷、ライフスタイルの多様化もあり発行部数は最盛期には及ばない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Hanako


さて、ある頃から南青山が「楡家の通り」と称される。青山を舞台に「楡家の人びと」を書いた北であるが、「楡家」出版からは時間が経ち、個人的な青山との関係も薄くなった今になって何故、といぶかしがる。北はやがてその原因となった雑誌「Hanako」を入手する。


見ると、表紙のトップに、
「南青山『楡家の通り』を徹底初公表」
とある。
驚いてページをくると、
「豪奢で、新しくて、もう日本じゃない!」
などという活字がある。私の記憶する青山は決してそんなものではなかった。むしろその逆の、どことなく古くて湿った感じが漂うものであったはずだ。
説明文を読むと、
「表参道から根津美術館へ向かう。まっすぐに、ゆるやかに下る、その通りの移り変わり。北杜夫さんが描いた『楡家の人々』が暮らしていたのは現在の南青山四丁目あたり。
 かつて、その人々が行き交っていた通りには、数年前からスノッブなビルが集まり始めた。FROM-1st. Y's SUPER POSITION' そしてミラノパリス、本店のイメージそのままのブティックも続々と肩を並べ出し、待望のコムデギャルソンショップも華やかにオープン
 ざわつきのない、洗練された大人にこそふさわしい、いま最も注目されている〈楡家の通り〉
 だれよりも早く、この通りにこだわり、遊びこなせれば」


注:ミラノもコムデも本文ではアルファベットであったが面倒なので片仮名化。

「〈楡家の通り〉って何のこと? 多くの人がきっと首をかしげると思います。いままでこの通りを呼ぶときにはヨックモックがある所とか、フロムファーストの通りとか、そんなあいまいで自分勝手な呼び名しかありませんでした。
 小説を読んでいない人には、なじみのない言葉かもしれませんが、楡聖子や桃子たちが確かに歩いた道なのです。ですから、今日から心をこめて〈楡家の通り〉と呼んでしまいましょう。
 素敵な通りの名前、またひとつ誕生です」
これでわかった。たとえば原宿の竹下通りのように、若者が集まる地名もないので、にわかに発展してきたのこの通りを、この雑誌が勝手に命名してしまったのだ。
 それにしても、「心をこめて・・・・・・呼んでしまいましょう」という文章など、いかにも自分勝手である。


注:ヨックもフロムも本文ではアルファベットじゃなかった。
「ヨックモックがある所」とはじゅげむに出てきそうな語呂の良さだ。寝るところに住むところヨックモックがある所。どうだ。めでたい。

私の父は晩年帰京してからも、一度も青山の焼跡を見に行かなかった。苦心して集めた多くの蔵書や苦労して再建した病院の跡を見ることがつらかったのだろう。私も懐かしい青山の自宅付近を、勝手に一雑誌によって名づけられたことに対し、いろいろ複雑な心境である。(一九八九・八・四)



南青山には複雑な心境になる思い出がある。
そして有楽町と聞くと、「YOU 白鳥で I 鵞鳥」という替え歌を思い出すので困る。
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2008年05月30日

不味い!

不味い! 小泉武夫  新潮文庫

シンプル・イズ・ベストの好例である。このタイトルを見た途端に買ってしまった。小泉武夫は食い物に詳しいとだけ知っている。そいつが不味いものの本を書いたのだ。わくわくする。


高級料亭高級レストラン居酒屋、ランチ、喫茶店、御菓子デパ地下ラーメン駅弁ファーストフードからスローフードまで、とかく美味いものにスポットライトが当てられる。美味いのは幸福であり愉悦だから、関心を集めスポットライトが当たるのは当然だ。
しかし、ここで大きな不自然に気づく。これだけ美味いものの話題が飛び交っているのに、不味いものの話題が少なすぎる。不味いこともまた、人々の関心事ではないか。
不味いは世にごまんとあるのに、たまにテレビで不味い下手物を食わせて喜ぶ番組があるくらいで、不味いそのものよりも食った反応を見せ場にするそれは大袈裟を好しとし、私の求めるものではない。あとは雑誌で小さな企画があるくらいか。
私が求める怒りの篭った不味いの告発や、笑みを誘う不味いの失敗談、冷静な不味さの詳細報告書は、口コミやネットの掲示板で交わされる程度だ。そりゃあ不味いは誹謗だから、扱いづらいのはわかる。しかし、店や場所を伏せて書けば、不味い本をもっと出せるのではないか。美味いに到達するのは難いが、不味いに出会うは易く、情報に価値がない、と言う人があるかもしれないが、それは浅墓な意見である。美味いに種類がある如く、不味いにもそれがある。

「まずさにも種類がある」
ということである。さわやかなまずさ、体力を消耗させられるまずさ、肉体に恐怖をおぼえるまずさ、胃が逆流するまずさ、唾液が引っ込んでしまうまずさ、舌がしびれるまずさ、歯が溶けそうなまずさ。食事の種類は数々あるが、そこに浮浪者のように横たわるまずさの数々。これこそ食のダイナミズムだ。

青林堂「定本 ディープコリア」より

不味いことに飢えている層はきっとある。不味いのは不幸であり業苦さえ感じさせるからだ。他人の不幸は蜜の味がする。一説には「あまい」は「うまい」が転じたものという。
また、不味いは悪でもある。それに憤るとき、擬似的な正義に浸ることができる。悪をやり込めれば胸もすく。それに、美味いのと違って羨ましくなければ腹もすかない。地雷を避ける情報にもなる。ほら、いいことずくめではないか。
他人の不味いは幸福であり愉悦であり健全であり有益なのだ。


本書を手に取っただけで、ざっとこのようなことを考えてしまった。



読んでみると、私の期待していたものとはちょっと違って、どうしようもない定食屋の話の類は少ししかなくて、店の都合による解凍ものや化学調味料に頼ったものなど手抜きを批判するのが殆どで、あとは明らかに不味いものへと果敢に挑んだもの、文化の違いで口に合わなかったもの。不味い不味いと言いながら挑戦するのは、食への野次馬的好奇心ばかりではなく、好きが嵩じて食文化論や発酵学を専攻するまでの学究肌の成せる業だ。そのため、不味いというばかりではなく、なぜ不味くなったのか考察しているのが巷の不味い談義と一味違う。
小泉武夫ははじめにこのようなことを書いている。
逆説的に考えれば、不味いがあってこその美味いである。そう考えると、不味さの本質を探ることは、美味しさとは何かを探ることでもある。

ただ、食文化の違いによって口に合う合わないがあるように、美味い不味いは主観的なものだ。私は読み進めていくうちに、静かな不満を抱えていることに気付いた。ここで不味いと断じられているもののなかに、自分なら美味いとは思わずともモリモリ食べられそうなものが含まれているのだ。小泉が閉口したものを、同行した学生がもりもり食っている様子も描写されている。普段口にしているものや年齢によって感覚が異なり、小泉のそれは経歴や食遍歴をみるに、多分一般層より相対的にハードルが高い。また、この本に出てくるものはすべて美味いか不味いかどちらかに分類にされていて、美味ならぬは不味いでしかなく、「美味くはないけど・不味くはないけど」の曖昧がない。そこからもハードルの高さを感じさせている。

ともあれ、読んで不味い本ではなかった。ざっと調べたところ、続巻はないようなので、是非ともシリーズ化してほしい。また、この手の本がひとつのカテゴリーとして確立できるくらいに、世間は不味いへの関心を顕在化してほしい。絶対関心あると思うんだけどなあ。
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2008年05月18日

思い出そっくり

思い出そっくり 出久根達郎  文春文庫

名前は知っているがちゃんと読んだことはない人。雑誌コラムでぽつぽつよ読んだことはあるのだが。
営む古本屋のこと、本の思い出、書評、創作小話など。

私が面白かったのは、「室内」に載ったコラムが五つ収められていて、それがそれまでの出久根の文体と少し違って山本夏彦っぽいところだ。
タイトルからしてそうである。「歩くことなくなった暮し」「いつの間にか見られている」「怪しや病室に冷蔵庫がある」「弁当みればすべてがわかる」「墓を持ってもうれしくない」。もう山本そのまま。中の文章も、それまで多かった柔らかく丸みを帯びたものから、少し冷めた山本らしいものばかりになっている。紙面にあわせて文体を書き分けているのだろうが、タイトルのつけ方があからさまに山本すぎる。関川夏央が室内に載せた「家はあれども帰るを得ず」のタイトルも随分と山本らしかった。もしかしたら、山本が少し朱を入れているのかもしれない。
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2008年04月22日

家はあれども帰るを得ず

家はあれども帰るを得ず 関川夏央  文春文庫

関川は同級生の犬養によく似ていることで私に衝撃を与えた人物であるが、彼の本業であるところの文章を知らない。それで読んでみた。
数ある著作の中でこれを選んだのは、エッセイ風の読み物で軽そうだったせいもあるが、何よりタイトルである。山本夏彦が主宰するインテリア誌「室内」に使ったタイトルのひとつ、「帰りなん いざ木の家へ」に答えるかのようなタイトルではないか。
読み終わって巻末の初出一覧をみてびっくり、本書の一部は「室内」に載ったたもので、家はあれどものタイトルも、そのコラムのひとつにつけられたタイトルだった。これは山本を意識してつけたタイトルではないかと調べてまたびっくり、家はあれどもは1988年7月号に載り、いざ木の家への惹句は2002年2月号に出ている。(夏彦の晩年である。)
不思議な縁である。

どれも文章は申し分ないし、面白く、父親が語った理想の書斎・列車の乗務員室の話は、昔日の国語の問題集に使われていたので懐かしかったが、個人的な劣等感、痛いところを衝く言葉がたびたび出てくるので、今後関川との関係は慎重にならざるを得ない。
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2008年04月21日

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル 森茉莉  中野翠 編  ちくま文庫

・沢田が生来持っているずぼらでノンシャラン(フランス語のずぼら、大阪でいう後生楽の意味。少しばかり齧っているフランス語をひけらかすのではなく、ノンシャランという言葉の語感がいかにも沢田にぴったりだからだ)な風格と、どこやら得体の知れない、やくざなムウドのせいで、その役らしいものを出している。

・オーガイの小説はつまらぬ。(「雁」だけがたった一つの例外)何故かというと、最初の一行に筆を下ろすときには既う、最後の一行が頭の中に出来ているからで、それでは読んで面白い筈がない。

・今回の文章に行く前に、山本夏彦が「銭形平次」について書き、その後に私のこの欄に書いた平次のことに触れ、頼もしいと書いてくれた。「銭形」が消えるかもしれないという恐怖におびやかされている私にとって、その文章は百万の味方を得た思いである。



山本は後に、晩年の森茉莉は西洋乞食みたいだったと書いている。
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天皇家の財布・追跡!値段ミステリー

天皇家の財布 森暢平  新潮新書

何故買ったのだろう。格好つけたかったのだろうか。(どう格好つくのかわからないが。)
色々載ってます。しかし、特に財布の中身に関心のなかった私には単に数字データの羅列としか映らず、途中で読むのをやめた。
アマゾンレビューでは高評価がついている。データの好きな人なら。



追跡!値段ミステリー 日系新聞社編  日経ビジネス人文庫 

これを買ったときのことはよく覚えているぞ。何か本を買わないとひどく勿体無いような気がして、無理に買ったのだ。そういう強迫観念に駆られて買うものに面白かったためしがない。
連載されていたコラムをまとめたもの。何故この値段なのか、何故利益が出るのかを、サービスから商品まで広く扱って紹介している。コラム1回分が実質2ページ。要はデータ。
ところどころ興味のある話題は出てくるのだが、買ってまで読みたいとは。
でもねえ、やっぱりアマゾンじゃ高評価している人がいるんだよ。
そう、単に私は数字データに向いていないのだ。
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2008年04月18日

南蛮阿房列車

南蛮阿房列車 阿川弘之

内田百閧フ「阿房列車」の存在も知らず、取りあえず読んでみた。
阿川弘之が世界中あっちこっちの列車に乗る紀行文。
阿川弘之は何冊もの北杜夫作品で知っているが、著作を読むのは初めて。
北視点の阿川よりも本人の著作内での阿川は、なにやら紳士然とした姿に映る。
北視点ではだらしない訳ではないけれど、「乗り物キチガイ」や「孫が憎い」のエピソードでやや特殊な性格を帯びた人物に映る(これは北の親愛の情とユーモアによる描写が大きいだろう)が、本作では海軍出身(といっても、駆逐艦にでも乗っていたわけではなく、中国暗号解読をしていた)らしい凛々しさが見える。
阿川視点による北杜夫や遠藤周作の描写も面白い。
なんだかメインの列車紀行よりも、登場人物の振る舞いの描写のほうに目が行ってしまった。

アボウとは何だろうと思っていたら正しくはアホウで、阿呆とともに「あほう」の当て字の1つ。
余談だが、江戸時代には阿房払いという刑罰があり、武士の刀を取り上げて追放する刑であった。その際に裸にすることもあったという。


05/01/19
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2008年04月09日

妖怪談義

妖怪談義 柳田國男  講談社学術文庫

妖怪を学問的に扱った人物といえば、やはり井上円了と柳田國男が双璧を成す。私は物心ついた時にはもう水木しげるにやられてしまっていたから、幼少時に妖怪の名のつく子供向けの本は手当たり次第に読み漁り読み尽くした。田舎だからあまり本がなく、すぐに尽きたのである。必然、両者の名前は知るところとなり、ある日図書館で井上円了の本を子供向きに噛み砕いたような本を見つけたのである。
当時の私は妖怪幽霊怪異譚が実に非科学的なことを認識しており、テレビに出てくる霊能者も半分くらいは嘘吐きだと思っていたけれども、どこかに本物の妖しき者どもがいるに違いないと、強い願望の篭った確信を持っていた。
さあそこへ、迷信打破を信条とする井上円了である。真怪仮怪の単語だけは覚えているが、内容は少しも頭に入っていない。面白くなくて、放り投げてしまったのだ。いるんだってば、妖怪は。
柳田もグルみたいなものだろうと思って、以降は妖怪学問研究の双璧を遠ざけた。

やがて物事を理性的に多面的に捉えられるようになって、両者へのわだかまりも自然氷解した。妖怪をオカルト話としてだけではなく、迷信を分解してゆき民俗学的に捉えると面白いことも知った。にもかかわらず、今日まで両者を手に取らなかったのは、いつものように単なる怠惰で、いざ妖怪談義を読んだら面白かったので、己の怠惰を悔やむのである。何も本に関してばかりではない。あの時、あの一歩を踏み出していれば。余裕ぶらずに駆けつけていれば。私は結局のところ怠惰に身を任せて重い腰を上げずに、あらゆるものを逃し、失ってきた。取り返しのつかない、大事なものを。いろいろ思い出してきちゃった。よーし、死んじゃお。

それはそれとして、序文にある「われわれの畏怖というものの、最も原始的な形はどんなものだったろうか」という問いの、なんと興味深いことか。私はきっとクトゥルーの神々、それも盲目にして白痴の魔王アザトースが、何らかのかたちで畏怖の原始を与えたのではないかと思う。が、柳田が求めている答えは多分そういうのじゃないだろうな。そっちでも興味深いけれども。


話はずれるが、幽霊妖怪の類はいると思うかと訊かれれば、私は、いる、と答える。(話の通じそうな相手ならば。)
水木しげるは、妖怪や精霊は感じるもので、いないと思っている人には感じられない、というようなことを言っている。どうやら妖怪は実在しないようだと渋々認め始めた、若かったころの私は、それを苦し紛れの言い逃れのように思ったことがある。
還暦に手が届く年齢になった今の私には、水木の言葉がわかる。詭弁や言い逃れではなくて、確かにそれらはいて、いると思っている奴にしかそれは感じられない。証拠になるものは出せないが、本当にいるんだからしょうがない。一度遭ったことあるし。
ある本で水木は、妖怪に遭ったことが12回ばかりある、とさらりと書いていた。
彼にも一時は妖怪の存在を疑っていた時期があったという。
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2008年04月07日

雀の手帖

雀の手帖 幸田文  新潮文庫

新聞に連日で百回連載されたものだそうで、これだけの質で毎日エッセイを書き続けられるというのは才であると思う。

取材に行っていろんな話をきくのは嬉しいのである。これもひとえに作文を書いたおかげだと思う。「書いた」おかげである。下手でも不出来でも、才だの素養だのがどうであっても、そんなことよりとにかくつとめて「書いた」のがきっかけで、取材に行くなどという楽しいご褒美がもらえたと思う。

これは私も感じるところである。読み返して、いや、読み返すこともできないほどの出来の悪い作文が沢山あるけれど、書いたからこそ巡りあえた僥倖は私のブログにも確かにあって、今まで記事として触れてはこなかったが、このブログを通じて女の子と知り合いになったり、おいしいものを頂いたり、そういうことがたまにあるのだ。この場で改めて、良き友である彼女らに礼をいいたい。粛啓謹んで申し上げる。汝らがここにあることは、我が身には過ぎた僥倖であり、汝らの言葉のひとつひとつを思い出すたびに、我が魂は安らぎを得ます。深い感謝の念を抱きつつ、末永くこの良き御縁の続くよう願ってやまぬ日々であります。謹具。本当は誰とも知り合っていないので届け先のない礼状なのだが、いつかこういう僥倖があるのではないかと願ってやまぬ日々であります。謹具。
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2008年03月22日

冷暖房ナシ

冷暖房ナシ 山本夏彦  文春文庫

私が好きだった「ゆかいなバジル」について調べてみると、日本で出版しているのは金の星社であった。出版社などまるで気にしなかった幼年の頃でも、金の星社ポプリ社ほるぷ出版あたりは自然とその名を覚えてしまい、幼年から遠ざかった今でも、何処が何を出していたか忘れてしまいながらも、社名は覚えている。

かつて「金の星」という児童雑誌があったことを、私は他の山本の本で知っている。山本はかつて「赤い鳥」「童話」「少年倶楽部」「子供の科学」等児童雑誌の読者であり、これらについて書いている。蛇足ながら、金の星初代編集長はあの野口雨情である。
斎藤佐次郎は横山寿篤と共に児童雑誌「金の船」を創る。後に斎藤は横山と別れ「金の星」を創刊、金の星社を興し初代社長に就く。この斉藤の選で、山本の作文が金の星に載ったのだという。
時代も内容も違えど、私も山本もかつて金の星に親しんでおり、共にそのかつてを懐かしみ、更に私が今こうして山本に親しんでいることに縁を感じた。
この二人を繋いだ「金の船」「金の星」には、若山牧水が関わっている。私の実家には解説付きの牧水歌集が一冊あり、十代の頃ためしに読んでみて気に入ったのだった。私も山本も牧水も、金の星を通して知らぬうちに繋がっており、ますます縁を感じる。


山本の妻は、名のある病気ならばたいてい患ったという。乳癌に罹って手を術したが、再発して発見遅れ、検査すると癌細胞は骨に達していた。余命幾ばくもない。医者がそれを告げる前に、夏彦は偶然それを知る。抗癌剤を服用するが、やがて一縷の望みを懸けて副作用のない丸山ワクチンに乗り換える。丸山ワクチンは癌を治しはしないが、進行を止めた。
更に妻はリウマチに罹った。リウマチの全身に及ぶ耐え難き痛みは、ステロイドを服用すれば消える。しかしステロイドは丸山ワクチンの効果をも消す。副作用もある。胃にステロイド潰瘍も出来た。癌は進行した。
医者は医者として、否、人としてあるまじき言動で、その身に手の施しようがないことを突きつけた。

 健康な人ならみなキライだと妻はある時ふと漏らしたことがある。

 ある日妻は突然号泣した。死にたしという、死にたからむ、生きたしという、生きたからむ。


まだ挙げたい箇所はあるが止める。夏彦はドライに綴る。キライの後に続く一節などこうだ。さもあろうと私は同感したが、私もその健康なほうに属しているのだからめったなことは言えない。私は半ば死んだ人と暮らしているのである。
今に始まったことではない。自分を死んだ人と称し、死ぬの大好きといい、醒めた目で世を眺めて文を綴るのが夏彦の最期まで続く基本姿勢であった。ただ、水木しげるのドライが天然であるのと違い、山本夏彦のそれは、半ば本当だろうが半ば嘘で、技術であり詐術である。
まだ自宅療養のころ、まばらになった冬の生垣から遠くに透き見える夏彦の出勤姿を、妻は雨戸一枚あいたなかから見送り手を振って、これが見納めかと思ったのだという。病院に移ってから、夏彦が夕刻見舞いに訪れ、日が暮れたころ病院を出、振り返ると、七階病室窓から豆粒大の妻の影が手を振っている。夏彦は電話ボックスにかけより、その灯りの下で背伸びして同じく手を振る。さながら、「一太郎やあーい」である。
夏彦はこれだけ書いておいて、悲しいだの可哀想だのの類は書かない。
だからこそ、いったいどれだけのものを胸に押し殺してこれを書いたのだろうと、私は察しようとして察しきれないでいる。


山本の主宰するインテリア誌は、その美麗な内容に反し、古びたビルの朽ちたる一室で編集されている。しかしそれを伝えても、頑として紙面の延長線上に花やかな編集室を夢想する者がいて、あまりに是非訪れたしと云うものだから「冷暖房ナシ」の一言を放ってみると、漸く承知し諦めるそうである。中にはその一言を聴いた上でも訪れる者あって、仕事を手伝わされて嬉々としていたというから羨ましい。私も行きたかった。




一部、ウィキペディアを参考。
斎藤佐次郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E4%BD%90%E6%AC%A1%E9%83%8E
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2008年03月15日

死にゆく妻との旅路

死にゆく妻との旅路 清水久典  新潮文庫


縫製工場を営んでいた著者は、安価な外国製品の台頭と長引く不況、そして自身の甘さから、周囲に多大な借金と迷惑を作り、自己破産寸前に追い込まれる。妻を実家に置いて一ヶ月の間金策に走り回るが、失敗に終わる。家に戻った著者は、妻の顔色が悪いことに気づく。大腸癌であった。摘出手術は成功するが、医者は再発の可能性があるという。早ければ、三ヶ月で。
夫婦は仕事を求めて車泊の旅に出る。養生しなければならない体であったが、妻は夫と離れ離れになるのを拒んだ。夫はせめて妻にはなるべく名所や風景をみせようとしている。これが五十と四十の夫婦ふたりが過ごす最後の時間となった。
新潮45に発表された手記に加筆してまとめたもの。


もしこれが創作であったらなば、すっきりとした気持ちで泣ける物語に仕上がっていただろう。しかし、ここにある夫婦は実在し、夫はこれを手記にした。創作ならば、綺麗に美しく力強く描かれたであろう夫婦愛は、ここにはない。
ここに描かれた夫の愛情は、垢じみた、どこか頼りないものだ。夫は、あまり良き夫ではない。もともと愛情を抱いて娶ったわけでもなく、婚前にデートをしたこともない。夫婦としても工場経営者としても、妻と会話することはあまりなかった。妻の浮気を疑ったこともあるが、それならそれでいいと思った。夫婦とはそんなものだと思っていた。自分は浮気をしたことがあった。
負の面を並べたが、読めば夫が決して悪人ではないことを読者は承知する。ここが創作にはあまりない感触であって、劇的な負の要素がなくて、もどかしい。夫の回想に私は、もっと妻の傍に居てやればよかったのにと思うも、手記の現在では、夫は妻を心底労わり傍に居ようとしているのを知っている。夫が悪人ならば、憎めたかもしれない。妻を気遣う姿に、カタルシスを感じたかもしれない。しかし、良し悪しの振り幅が夫が悪人であった場合のそれよりも小さいので、夫を憎みきれず、かといって妻を寂しがらせたことを見過ごすこともできない。それがもどかしい。
妻の自由意志はあまり示されない。スカートを一着求めたくらいで、あとは娘への連絡を数度とアイスクリームを欲しがったくらいか。この旅路に胸中何を抱いているか、よくわからない。ただ、夫と離れたくないことだけは強く主張する。稚気さえ感じさせる。それは文字通り命懸けの願いであった。

旅は数ヶ月後、妻の体調の低下にしたがって、終盤へと向かう。癌はきっと再発しているのだ。妻は疲れやすくなり、徐々に食欲が衰えはじめた。戻すようになった。やがて歩けなくなった。寝たきりになって痩せ衰え、記憶も曖昧になり、とうとう拙くもT字剃刀で手首を切り自殺を図ろうとする。
私は旅の終盤で落涙した。これは一体何の罰であろう。何度も病院を口にする夫に、頑なにそれを拒んだ妻の末路。苦しんでも苦しんでも、夫と離れることを拒んだ。夫は昼も夜もなく世話に追われる。手を握り、横に一緒になる。それは夫にとって、出来得る限りの最大限の献身である。しかし、私にはもどかしい。何故、もっと。今しなければ妻はもう。ページ数は尽きようとしているではないか。
ある日ふと傍を離れた隙に、唐突に妻は死んでいた。夫はここでようやく妻を抱き寄せた。ああ、どうしてそれを早くしなかったのだ。私がもどかしかったのはそれだ。世話や世間話だけではなく、妻への愛情と感謝を示すもっと直接的な言動が欲しかったのだ。こんなにも愛してくれた女に報いようとしたら、もうこれしかないではないか。生きているうちに、これを。

夫の愛情にどこか頼りないものを感じたのは、夫がどのように愛情を発露させればよかったのか知らなかった、もしくは、もっとこうすればよかったのにという私の願望、あるいは両方からの印象である。もっと妻と向き合えたなら。責めているのではない。こういう手遅れはよくあることで、夫は夫なりにすべてをやり、妻はその夫とともにいることを選んだのだ。この夫婦の末路にもっと幸せな一節が欲しかった私の無いものねだりだ。私だって後悔のない夫婦にはなれないだろう。
夫は不器用なやり方で何とか妻を労わろうとした。技術がない。だからこそ、見栄えしない剥き出しの血肉だ。美麗な文章の飾りもない手記の、物語としては拙い、哀しい実話だ。


娘との絡みや妻の死後のことも書かれているが、的を絞って感想を書いた。娘からの手紙も重要な存在だという理屈はわかるが、自分で家族を築いたことのない私にはまだ実感が遠すぎる。
そして実のところ、私には借金まみれになろうが妻が癌で死のうが、本当はどうでもいいのだ。まったくの他人事で、関係ない。私は社会と、他人と、堂々と関わっていくことが出来ない人間だから、私と関連することのない一個人の動向なんて意味がないのだ。あったとしても優先順位の低いことで、妻に向き合えなんて云う前に、私はもっと自分の身の振り方について向き合わなければならない。見知らぬ夫婦の話なんかで心を動かすにはまだ早い。そこはまだまだ遠くて無関係な世界なのだから。ここを自覚しなくては、自分が生きていくことに何か勘違いしてしまう。私が落涙したのは、私には無縁の人間的な営みへの憧れなんだろうなあ。
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2008年03月12日

朝日新聞血風録

朝日新聞血風録 稲垣武  文春文庫

発売当時、あちこちで取り上げられたのをよく覚えている。読みたいと思ってはいたのだが、ずるずると10年以上が経ち、ようやくの邂逅であった。
朝日新聞社勤務の経験から、なぜ朝日はあんな具合なのかを自身の実体験を軸に暴き、新聞のあるべき姿を説く。

私はその昔少々頭の軽い子供だったから、新聞というのは立派で正しいものだと思っていた。朝日なんて正義中の正義である。そうではないことに気付けたのは、10代の中ごろではなかっただろうか。頭の中身が大して増えたわけではないが、親がインテリ左翼じゃなかったせいか、さすがに変だと思うようになったのだ。
小学生のころにこういうものを読んでおきたかった。本書は中学生程度なら読んで難しいものではない。読書慣れしているなら小学生でも読める平易な文章である。難解な論理もない。それだけ朝日新聞が単純明快におかしいのだ。

新聞は読者の顔色を伺って、上司や指導者の顔色を伺って、歪んだ空疎な記事を載せ、反省もしない。勿論そうでない部分もあるけれど、重要な、少なくない部分で、実際にこういうことがあって、新聞はそれをひた隠しにし、恍ける。だから私は新聞が嫌いだ。ほとんど憎いと言ってもいい。

同類の教員と組んで、NIEなんてやっている。こんなもの、新聞信奉者育成に他ならない。
新聞が要らないとか読むなと言っているのではない。新聞がどういうものなのか、それはもう具体的に暴かれているのだから、それを前提として、新聞に流されない、新聞から読み解く力をつけるべきなのだ。
それには同著者の『「悪魔祓い」の戦後史』も好書である。


NIE
http://www.pressnet.or.jp/nie/nie.htm
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2008年03月05日

霊長類ヒト科動物図鑑

霊長類ヒト科動物図鑑 向田邦子  文春文庫

向田邦子は石ころひとつからでも優れたエッセイを書く、というようなことを言っていたのは太田光だったと思う。いつか読まねばと思って思って、ようやく読んだ。いちいち中身が、ぎっしりになる手前のしっかりで程よく詰っている。土台がしっかり出来ているのを感じる。

覚えたばかりなのだろうか、「なかんずく」という言葉をやたらと使いたがる親戚の子供の話が出てくる。ガキである。
私はガキのころに「単なる」という言葉を覚えてしまい、それから数日は水溜りを指差しては「単なる水」、鉛筆を持っては「単なる鉛筆」、草を引っこ抜いては「単なる草」という具合に、いちいち声に出して「単なる」を堪能したものだった。
「単なる」を何事かの頭につけると、急にそこから温度とあらゆる繋がりを奪って粗末にし、固い床にコロンと放り出してしまうような感覚がある。それぞれの名詞につけるときはまだいい。やがて何でも「もの」という抽象的な言葉に置き換えたうえで、単なるをくっつけるようになる。水溜りも鉛筆も草も「単なるもの」だ。下校中だった私はあたりを見回して、車も人も単なるものだと気付く。学校も家もクラスメイトも近所の住人もガードレールも単なるものに過ぎない。自分だってそうだ、単なるものだ。ただここにあるというだけで、それだけのことだ。あらゆる繋がりを消してしまった今、すべての存在には必要がない。過去から未来へ張られていた糸がぷつんと切れて、そこを渡っていた自分という点がぽつりと取り残された。自分も必要ないのだ。
家に着くとすぐに拳銃を取り出して銃口を銜え、自殺した。小学2年の6月だった。
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2008年03月02日

いずれ我が身も

いずれ我が身も  色川武大 中央公論社

晩年のエッセイ。特に面白くはない。
こう書くと突き放しているようだけれども、同情の念を篭めている。
定期的に何事かを書き続けることの難しさは全く知らないでもない。ましてや決められた分量で、人に読ませなければならないと来れば、これはもう、たまったものではない。
ある編集長に色川はこう言われている。「貴方くらい勉強しない作家も珍しいね。才能だけで書いてる」。慙愧にたえぬと色川は言う。
勿論彼だって取材をしたり本を読んだりすることはあるのだけれど、日々勉めて精進するタイプではない。才能と幸運(怪しい来客簿「尻の穴から槍が」の結末を思い出してほしい)でここまで来たのは凄いことだけれども、不勉強のつけが、本書のような形で出てくるのである。
しかしこれで作家としても人間としても色川を批判するにはあたらない。他でいいものを書いているし、彼の不甲斐なさはすでに我が身も持ちたるところで、彼が他人の不徳に寛容であったように、色川を贔屓する私もまた、彼の不徳を寛容したいのだ。
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2008年02月26日

ゆかいなバジル

小学校の図書室に児童書「ゆかいなバジル」シリーズの本があったのを強く記憶に残しているのは、それが好きだっただけではなく、全く人気がなくて誰も読まないのが悲しかったからだ。いつも図書室の後ろのほうの本棚の最下段にあった。
バジルを思い出すと、旧友を懐かしむような気持になってもよさそうなのに、何故かそうはなりきれない。バジルには何かもっと嫌な、居たたまれないものの気配が付き纏っている。その気配の正体を思い出した。永らく忘れていたが、これは苦い孤独である。

学校内郵便とでも呼ぶようなものがあって、それは葉書大の専用紙表に相手の名前とクラスと己の名前を書き、裏に好きなことを書いて投函しておくと、相手のもとへ届けられるシステムであった。
ある日、授業の時間を図書室での読書に充てられたことがあり、それだけなら大喜びだが、嫌なおまけがついていた。学校内郵便を使って、クラスメイトに本を薦めなければならなかったのだ。
もうおわかりであろう。私には、そのような御葉書を出すに心易い相手が、いなかったのである。苦悩した。煩悶した。懊悩した。
授業時間が終わっても宛名が書けずに、腸を搾り出すようにして、苦し紛れに、口を利けるが仲が良いわけではない男の名をしたためた。そこで推薦していたのが「ゆかいなバジル」である。なんと健気な私だろう。せめてバジルには人気者になってほしかったのだ。
その男はクラスでもちょっと人気のある奴で、推薦本の葉書も何枚か届いていたようである。私のもとへ何枚届いたかは憶えていない。それからも図書室の後ろのほうの本棚の最下段には、誰借りることもなく、ゆかいなバジルがいつも置いてあった。
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2008年02月19日

おとうと

おとうと 幸田文  新潮文庫

買って、すぐ読み始めて、すぐに放り投げた。時間をおいて、再度読み始めて、またすぐに放り投げた。三度目で読み終えた。
冒頭の姉弟が土手を歩いてゆく場面で、誰が誰なのか混乱したのは私だけなのだろうか。ここがひっかかって二度も放り投げてしまった。

蛇の目をかたげた「げん」、傘をささない弟、碧郎、姉。碧郎が弟だとすると、げんは何なのか。弟がふたりいるのだろうか。だとしたらどの描写が碧郎で、どれがげんなのか。そもそもげんは本当に弟か?
そう、姉の名がげんなのであった。男の名前だとばかり思っていた。はだしの然り、大工の然り。


嫌な話だった。不良に堕ちてゆく碧郎、いまいち気の回らない父、信仰に頼りきる義母、家事に追われしっかりしているが報われぬげん。嫌な話であるが、下手な小説ではない。この碧郎を憎みきれない感じはサマセットモームを思い出させた。ただ、モームは意地悪を込めてそう書いている(と思う)のに対し、幸田は愛情を込めてそう書いている。
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2008年01月16日

萩原朔太郎詩集

萩原朔太郎詩集 河上徹太郎編  新潮文庫

もともと、どちらかといえば詩は苦手なので、やっぱりよくわからなかった。
「猫」や「旅上」のようなものはいいけれど、小難しいものになるといけない。そういうのは散文でやってもらったほうがよい。
町田康が萩原朔太郎を好きだという。(たしか、そのはず)





まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』


旅上

ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
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2008年01月02日

ちぎれ雲

ちぎれ雲  幸田文  講談社文芸文庫


買ったはいいが読む気が失せてた本を放り投げてある箱を引っくり返していたら、出てきたのがこれである。いつ買ったのか覚えていないが、山本夏彦の伝手で買ったのであろう。
まだ始めのほうに栞が挟んであるあたり、一度手をつけて放り出したようだが、何故そうしたのか今はわからない。品があるが上品過ぎず、女らしいしなやかさがあって、腰の据わったいい文章だと思うが。あからさまなほどに示される露伴への情が当時は引っかかったのだろうか。
「雑記」の『侍は戦場の死顔の美しからんことを願って、氷を割って手水をしたものだそうだ』というのは、中学の国語試験に引用されていて当時印象深く覚えていたのを思い出した。


露伴の最期を看取った「終焉」に、私の父の姿を思う。

仰臥し、左の掌を上にして額を当て、右手は私の裸の右腕にかけ、「いいかい」と云った。つめたい手であった。よく理解できなくて黙っていると、重ねて、「おまえはいいかい」と訊かれた。「はい、よろしゅうございます」と答えた。あの時から私に父の一部分は移され、整えられてあったように思う。うそでなく、よしという心はすでにもっていた。手の平と一緒にうなずいて、「じゃあおれはもう死んじゃうよ」と何の表情もない、穏やかな目であった。私にも特別な感動も涙も無かった。別れだと知った。「はい」と一ト言。別れすらが終わったのであった。

私は私なりに年をとり、自身にそろそろ老いを感じるようになってきた。父の姿は既に老いの塊のようになっており、そろそろ明確な死を感じる。
我ら父子は、このようには終焉を迎えられぬであろう。私は露伴の終焉が半ば理想的に思え、半ば生温かい気持ち悪さを感じる。前者は一般的終焉に思うもので、後者は我らを当事者としてみたものだ。
私は父の体に触れるのも、触れられるのも嫌だ。そこにある心情的な体温や呼吸音や手触りを考えるのも嫌だ。私は生まれてからこれまでの経緯により、親子関係をドライに徹しようとしているが、徹しきれない部分で肉体の感触に生々しい息苦しさを覚える。また、我らの関係をドライにしようという意識に不自然をも感じている。
幸田親子のようになれないのも、彼らを気持ち悪く思うのも、親子としての徳を積んでいないせいのように思われる。

だが、幸田のように触れ合うのが本来我らに適していたとも思えない。彼らは彼らに、我らは我らに適した関係があって、よき終焉を迎えるためには、そこに向かって徳を積むことが必要だったのではないか。
我らが何処に向かうべきだったのかわからぬまま、父の生は残り少ない。
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2007年12月30日

怪しい来客簿

怪しい来客簿  色川武大  文春文庫


何と云っても大掃除の常は捗らぬことに尽きる。塵や衣類やそうでないものが積み重なった地層から、本が顔を出す。ぺらぺら捲って済むのは稀で、大抵は開いたところからきりのいいところまで読んでしまう。
大概そうやって出てくるものは、私の部屋の場合、ほんの数ヶ月の間に読んだニューフェイスだから顔を見て驚くこともないが、この度はいつからどうしてここにあったかわからぬ「怪しい来客簿」だったので魂消た。

私が好きな一冊であり、色川武大が泉鏡花賞を受けた一冊でもある。本書に著された色川の内面と感性が大好きなのだが、その割には読んだことをすっかり忘れていた。
もくじに目を通す。おお、おお、うむ、これだこれだ。確かに読んでいる。もくじだけでは半分くらいしか思い出せないけれど。しかし、確かに読んだし、確かに面白かった。タイトルがいい。「尻の穴から槍が」「サバ折り文ちゃん」「したいことはできなくて」「とんがれ とんがり とんがる」「ふうふう、ふうふう」「スリー、フォー、ファイブ、テン」「また、電話する」「たすけておくれ」…。
これらを読んでいて忘れていたのは不覚であり不誠実であり不義理である。私は色川と己に対する何かに応えるために、掃除の手を休め、夜中から日の昇るまでかけてこれを読み通した。好きな一冊なんだもの。
posted by ヨシノブ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月30日

怪気象現る

妖怪大統領といえばバックベアード(と、こうもり猫)、そして妖怪総理大臣元興寺(ぐわごぜ・がごぜ)である。その総理大臣のほうがついに実写化。

漫画
gagoze1.jpg





実写版
gagoze2.jpg
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2007年10月24日

天晴れ!筑紫哲也NEWS23

天晴れ!筑紫哲也NEWS23  中宮崇  文春新書

筑紫哲也がメインキャスターから外れるという報を知り、これを読んだことを思い出した。NEWS23のデータベースとして買ったのであった。

最近では滅多に見ないが、数年前まではちょくちょく番組を見ていたので、読みながら、ああこんなことあったな、そういえばこう言ってたな、と懐かしかったのも束の間、NEWS23のあまりの酷さに不快感がこみ上げた。一冊丸ごとNEWS23の酷いところ(の一部)を書いた本である。
NEWS23と対比として取り上げられる報道ステーションが、相対的にとはいえ、良い評価をされてることが少し変で可笑しい。

著者の経歴をみると、『「プロ2ちゃんねらー」を自称す』とあり、危ういものを感じた。ホームページを持っており、その名も『週刊言志人』。月刊原始人を思い出して呻く。調べてみると、月刊原始人のパロディを含んでの命名であった。

『言志人』誕生!
http://www.interq.or.jp/world/mado/genshiji/970512/GENTAN.HTM

週刊言志人トップページ
http://www.interq.or.jp/world/mado/

トップページを一見して、ますます危ういものを感じた。
現在はさるさる日記での更新がメインの模様。あちこち覗いてみたが、やはり危うい。
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2007年09月25日

昭和恋々

昭和恋々 あのころ、こんな暮らしがあった  山本夏彦/久世光彦  文春文庫

買ってから二年くらい読まずにいたのは、何がしかの直感が働いたためであろう。
三部構成で、一部は山本、二部は久世のエッセイで、三部は両氏の対談。それぞれの割り当てが変で、一部五十頁、二部百五十頁、三部四十頁ほど。
エッセイはひとつごとに写真一葉があって、山本は写真見開き二頁と文章三頁、久世は写真一頁(たびたび二頁に及ぶ)に文章一頁の構成。
頁を贅沢に(余裕を持って)使ったと見るか、ボリューム不足と見るかで満足感がわかれるであろう。私は後者である。
私が一番読みたかったのは、対談である。山本も久世も、エッセイはそれぞれ単独の本で書けばいい。両者が一緒になって話をする機会はないのだから、ここが一番貴重なのに、単なる一項目に過ぎない扱い。それも、最初はどちらもやや硬くなって話しているのが、だんだんと和らいでいって興が乗ってきたあたりで、おしまい。
山本が何かでこの本について触れ、えらく素っ気なかったのが不思議であったが今ではわかる。
posted by ヨシノブ at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする