2013年12月24日

いただきます

少し前にネットで批判が盛り上がった宗教論のリンクを貼るが、貼るにあたって読み返したら頭の悪さに辟易したのでみんなはリンクを踏まなくていいです。


宗教的な感覚は持っているが、それは宗教ではなくて、単なる習慣としてやっているのだと考えている、その二枚舌。


西洋は「信じる宗教」、日本は「感じる宗教」
http://toyokeizai.net/articles/-/22709?page=2

あ、これ東洋経済の記事だったんだあ。なあんだ。ははは。
で、ネットで大いに批判された部分への批判に関してはネットでの大いなる批判に譲り、そこを読みたい人は各々検索してもらうとして。

私が看過できないのは、宗教(神仏)に対して日本人が蔑ろに出来ないのは、宗教を「感じている」からだ(それに対して西洋人は宗教を「信じている」)とだけ結論されていて、私は小林秀雄の定規の話を思い出さずにいられないんだが、宗教を蔑ろにしないのは、感じる・信じる・習慣・礼儀、そういうものだけではなく、「自分がどういう文化に属していたいのか・自分が属したい文化だから従う」という部分を無視してはならないと思う。
神社にお参りするのも、いただきますと手を合わせるのも、自分が何故それをするのかと考えてみると、私はこういう部分に行き着く。
これには先に挙げた4つと不可分な部分もあるが、同一ではない。


怪しげな儲け話に騙される人、都合のいい言説に裏付けもなく乗っかってしまう人などが絶えないのは、人間が自分の信じたいものを信じるからだと言えばわかりやすいだろうか。これと同根である。
posted by ヨシノブ at 04:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そのとおりなんだと思う。
誰だって自分のしてきたことを、正当化したい。
日本人は、その思いが強すぎるだけなのかもしれない。
Posted by COBRA at 2016年09月02日 00:51
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