長崎旅行に行ったときの話。
原爆資料館で関西からと思われる中学生集団が
原爆によるケロイドを「きもい」と言いやがった。
同行の教師は、その言葉は聞いてなかったが
なんとなくへらへらした態度。
となりの彼女が中学生に向かって
「こらーっ!!」とだけ言うと、そのまま見学を続けてた。
いつもは優柔不断で引っ込み思案な彼女なのにかっこよく見えたよ。
この話で思い出したのは、呉智英の単行本「ホントの話」の前書きにある話である。
呉智英は高校の修学旅行で長崎に行き、原爆の惨禍を伝える平和祈念館を見学した。
そこで被爆遺物の実物や写真を見、強烈な印象を受けたが、その後の思想形成に影響はない。もとより原爆は恐ろしいと思っていて、見学によりその思いが強まっただけである。
だが、祈念館の入り口に掲げられた注意書が影響を与えた。
そこに書かれたものの大意は、「心臓病の人、妊婦、幼児は、衝撃が強いので入館はご遠慮願います」というもの。
真実は快いものとは限らず、誰もが直視できるものではない。しかし近代的な教育やジャーナリズムは、誰もが真実を見られるし、見る事を望んでいるし、見せるべきだと主張する。そうでなければ民主主義は成立しないからである。
だが、祈念館の注意書きは一部の者に真実を見せることを婉曲に拒否したものである。彼らにも見せるべきではないかと考えたが、それでは立論が反対だ。彼らは真実に耐えられない。呉智英は万人に真実を見せる必要がないことに気付く。だとすると、万人に真実を見せようとする民主主義は嘘の思想である。後に呉智英は論語に「民はこれに由(よ)らしむべし、これを知らしむべからず」とあることを知った。
転載した書き込みと呉智英の話に特に関連はない。
呉のは私の好きな話なのでこじつけて書いてみた。
が、改めて読み返すと、そんなに面白い話か?とも思ったのでお蔵入りにしておいたのだが本日はブログに時間をかけていられないのでこれを載せた。
呉の話から離れて、真理と芸術に関してはこんな一文がある。
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。」
御馴染み岩波文庫の巻末に掲げられた岩波茂雄による「読書子に寄す」の書き出しである。
呉は民主主義の建前と実態から民主主義の嘘という真実を読み取ったが、意思を持たぬ真理や芸術が万人から求められたい愛されたいと欲望を持っていることを岩波は何からどのような論理で読み取ったのだろうか。チャネリングによって真理や芸術と対話したのだろうか。残念ながら「読書子に寄す」には真理芸術の欲望を知る経緯は記されていない。もうひとつ残念な事に真理も芸術も万人から求められも愛されてもしていない。「読書子に寄す」の続きにはこうある。
「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。」
ほら、知識も美も、民衆の中でも進取的な奴しか要求してないのは岩波も認めているところである。まさか民衆=進取的ではあるまい。貴方は、隣人は、お向かいさんは、「古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書」を読んでいるだろうか。そう、真理も芸術も叶わぬ恋をしているのだ。万人に届かぬ切ない片思い。
願わくは、彼女が万人ではなく、僕を欲し望みますように。
(06/12/13 私の境遇に合わせて軽い冗談のつもりで書いたが、真剣な眼差しでこれを書いたと思われていたら困るのでこうした。読み返したら気持悪かったので。)
話は変わるが、くたばれよ恋愛至上主義。



