2008年11月05日

デブリ観劇する。

1ヶ月ちょっと前にさ、妙な経緯からちっこい劇団の芝居を観ることになったの。演劇集団デブリ(仮名)ってとこの。芝居には興味があるんだけど、私、出不精だから観劇なんか数えるほどしか行ったことない。

前売りがとっくに無くて当日券買うしかなくて、そもそも当日券出るかどうかもよくわからないまま会場行った。そしたらいるのね、当日券目当ての奴が何人か。当日券は席の埋まり具合次第なんで、開演直前になるまで何枚出せるかわからんとのこと。整理券貰って、時間来るまでふらふらしとった。
そもそも自発的に観にきたわけじゃないからさ、観れんなら観れんで別にいいわけ、私。気が楽。当日目当てが10人居て私が10番目、席は9人分ですゴメンネさよなら、って展開なら流石に嫌だけど、私の後ろにも何人か控えてるんで、死んだとて道連れいるから心強い。勇気凛々とふらふらしとった。むしろ観れないほうがいいかも知れない。申し訳ございませんという係員の説明に、肩を落とす当日連中。私だけ平気な面。連中の一人と目が合う。いかにも演劇が好きそうな、まだ少し垢抜けない大学生風の女で、連れはいない様子。友達いないんだろか。女は私の目を見て、何かを取り繕うように力無く曖昧な笑顔を浮かべた。私もこのまま帰ったんじゃ無駄足なんで、声かけてみる。
「どうです、あぶれた者同士、これから一緒に食事でも。」
「ふふふ。そうね、このまま帰ってはつまらないわ。」
見た目よりも少し気が強そうだ。
夜のネオン街へ向かうふたりの背中。人々の蠢き、街の喧騒。遠くに聞こえるクラクション。それらが渾然となって、早くもふたりの行方は杳として知れぬものへとなってしまった。
その数時間後、とあるホテルの一室にふたりは居た。
「ヨシノブさん、どうか軽蔑なさらないで。あたし、男の人へその日のうちに体を許すなんて、これが初めてなのよ。あなただから許したのです。だから、ああ、ああっ、もっと瑞枝を愛してくださいませっ! あああ〜。もっと、もっとお乳を吸って!」
一通りのことは済ませているらしい瑞枝の体も、私から見ればまだまだ硬く閉じたつぼみに過ぎなかった。素地はいいらしく、丁寧に扱うとすぐに綻び始め、やがて女体として開花した。初めて知る女の感覚に瑞枝は貪欲に溺れ、男というものを存分に貪り喰らった。しかし彼女はこの道の奥深さをまだ知らない。どうやってそれを教え込ませてやろうか。私は愉しい計画を練りながら、今しばらくは瑞枝の要求するままに御奉仕して差し上げるのだった。

で、観たの。全員分当日券出たみたい。芝居はねえ、率直に言えば面白くなかったんだ、これが。気持が全然入っていかない。登場人物に気に入らないのがいてさ、主役はそいつをぶっとばしてふざけた口きけないようにしてやればよかったし、本来なら私が舞台に上がって殴りつけるべきだったんだけれど、ああ、これは何も突飛なことを言ってるわけじゃなくて、寺山修司がさ、観客は安穏と受身でいてはならぬって主旨の話をしていたんだよ。実際に舞台に上がって殴りつけたらみんな困るでしょうけど、寺山の言うことですから。
でも軟弱な常識人ですから、私。殴ったところでそれは最大多数の最大幸福だろうか、なんて考えてしまう。幸福に貢献するか否かなんて関係ないんですけど、そういう常識的理屈を持ち出して正当化しようとするから大成しない。自分がやられたら嫌だしね。寺山? ぶん殴ってやりますよ。

殴りつけることも出来やしない私には不満が燻り続けてもう、面白くないんですな。面白くないのは、それだけじゃない。しばらく観ていて気がついたのですけど、会話にしても人物の性格にしても、いちいちセンスが古い。これは驚くに値するよ。寺山の本読んでるときに感じる古さなんだもん。寺山は25年も前に死んだ人ですから、読んで古いところがあっていいのです。彼の生きた時代が遠ざかっただけだし、内容が時代的な古さに負けてないから、古いことすら一種の売りになってる。今でもそこにある肝心要を拾い出して現代の手法でやれば面白いもの。ただ、デブリのは、時代についていけないアングラ演劇の残滓みたいな古さ。どんな爺が脚本書いてるんだろと思ったが、あとで確認したらまだ若い男だった。話をきくに案の定寺山好きみたいなんだけど、寺山が今芝居書いたらこんなの書かねえって。寺山没後20年くらいのときに出た本の中で、宮台真司が現在のJAシーザーを評して酷いこと書いてる。

10年前くらいかな、テレクラ取材で青森に行ったとき、三沢近辺でシーザーさんたちが市街劇をやってて、バカかと思いました(笑)。1970年の高円寺じゃないんだよ。寺山的な意匠を反復すれば寺山的だと思ってる。こういう後継者はいかがかなものか。寺山の魂を継承するってどういうことか。もし寺山が1990年に生きてたら何をするか。それを想像することが寺山的なんじゃないのか。90年代の寺山は、白塗りの顔で街を練り歩かないよ。

のっけから「バカかと思いました(笑)」ですよ。ひどい(笑)。シーザーが何をしているか90年代の寺山が何をするか私は知らんけど、デブリの作家に感じたのは上記の宮台みたいなことなんだよね。およそ40年前の芝居を観て、その縮尺を考えずに今でも40年前のそのまんまで芝居を書いてる。顔が白塗りのまんま。ゼロ年代で白塗りに相当するものは何だって考えなきゃいけない。そうじゃなきゃ40年前の白塗りの衝撃は出せないよ。つまり、ガンダムってつければ何でもガンダムになると思ってんじゃねえよってことであり、あんなんが仮面ライダーで通るかって話でもあるわけよ。こっちのはまた徹底的な打算であるわけだけれど。

その古さを象徴しているのが、時折台詞に挟み込まれる「おまんこ」「ちんぽ」。これを男女の役者が濡れ場でもないところでいうわけ。台詞うまく再現できんのだけど、これがもう昭和ど真ん中のセンスなんですよ。
「あんた、ここで勃起させなよ! 男は死が迫ると子孫を残そうと本能的に勃起するんだろ。命かけてるなら、今ここで勃起しておくれよ! ほら、あたいのおっぱい触っていいから。おまんこだって見せてあげる。小便臭いおまんこじゃないよ、もうちゃんと毛が生えて男だって知ってる大人のおまんこだ。だからさ、お願いだから、あんたのちんぽを固くさせてよ!!」(最後には絶叫。二人は静止。男は床から半身を起こし息を呑み、女は椅子に片足を乗せ、片手は自分の乳を掴み、片手はワンピースを捲り上げショーツに手をかけ、今にも飛び掛らんばかりの気迫。徐々に暗くなる空。ここでドーンと大きな雷鳴のSEと共に一瞬の強い光。小屋の中のふたりの姿が強いコントラストで浮かび上がる。サーッと降り出す雨のSE。一気に豪雨。今度は弱弱しい瞬き。遠くでドーンと雷鳴。窓から辛うじて差す薄明かりに、二人の姿が影絵のようになって、やがて舞台はゆっくりと暗転。闇に比例して雨音はますます大きく。真闇の雨音は暴力的に耳を劈く。)
ああ、オリジナルでやってみたがうまく書けん。むしろこれちょっといい画じゃねえか。そうでもないか。うーん、小沢昭一的ストリップ精神解放論を今現在にも通そうとするような古さなんだよ。昔はね、そこに観客をドキッとさせる若さとか新感覚、深くえぐった何か剥き出しの何かを表現できたかもしれないが、今そんなこといわれたって何の新鮮味もないもの、陳腐になっちゃって。シーザーが今でも白塗りで寺山的をやってるつもりなら、おまんこ台詞は今でも最大限のエロとして額縁ショーをやってるようなもの。性欲なら一周するなり偏執するなりで日の目を見るけど、芝居だとそれ面白いかね。

あとね、何度か客が笑う場面があったのに私はまったく笑えなかったのは、ショックだった。まったく面白くないのに、大笑いじゃないが客がそれなりに笑うの。笑いの好みが合わなかったという話ではない。そんなので笑ってていいのか。そんな台本書いてて平気なのか。そういう段階。軽い疎外感と恐怖感あったね。モリマリが「太陽を盗んだ男」を映画館で観たとき、ジュリーがベッドの上で飛び跳ねて大喜びするところで笑ったが、自分以外の客は笑っていなかった、フランス人なら笑うであろう、日本人は何か映画は芸術だから真面目に観ねばならぬと思い込んでいるようだが云々と書いていたのが、うろ覚えながら頭を過ぎった。これは違う、そうじゃない、面白くないんだ。何だこれ。私の感受性が痩せているのか。客席の笑いの中にいて、親戚のつまらない冗談を聞かされたように身を硬くしてしまった。こいつら、こんなので笑うのか。これが許される狭い世界、40年前から動かない世界、そこに留まっているからこの劇団はちっこいままのつまんない芝居なんだよ。そう思った。けど、それじゃあ私はどこに許されていて何処にいるんだろ。こんなものでも、形にする人たちがいて、金を払って時間作って足を運んでまで見る人たちがその何倍もいる。誰が私の戯言を形にしたくて時間を作って金を出して見たいんだ。舞台からの照明で青白い顔の並列たちが笑いさざめく。私も同じく顔を青白くできているだろうか。孤立を深める。

それでも席を立たなかったのは、これがどう面白くなっていくんだろうというのが気になったから。「本当につまらなかったんだ、だけど、最後のあの場面だけはいいなって思っちゃったんだよね」。そういう台詞が出ちゃう敗北感を予期していた。芝居が進む。さあ何処だ。何処から面白くなってくるんだ。さあ! プツン。終幕。緞帳が金属部品をキュルキュルいわせて降りてきたんで、呆気に取られちった。緞帳剥ぎ取ってみようかと思った。ああ、これは何も突飛なことを言ってるわけじゃなくて、寺山修司がさ、観客は安穏と受身でいてはならぬって主旨の話をしていたんだよ。そんで、ああ、緞帳前に役者が出てきた。カーテンコールか。新たな展開か。前者でした。ふへえ。

それでも拍手は鳴り、役者はお客さんのお陰でいい芝居が出来ましたって顔で、そりゃまあそうなんだが、私は結局殴りに行かなかったんだから。これが成功という実績に振り分けられてしまうだろうことにムズムズする。ううむ、面白くなかったねいと誰か思っておらぬか。実はつまらなそうにしている客を数人見つけていたんだけどね。哀しや、軟弱常識人。機械的に拍手しちまったよ。
幕切れにポカンとし、胸に沸き立つ言葉を交わす相手も無く、家路に着いた。この演劇体験は何だったのだろう。どうすればよいのだろう。経験を無駄にするか否かは自分に懸かってるんだって、それは正論ではありますけれども、やっぱり当日券出ないで瑞枝の乳を吸ってたほうがよかったなあ。今からでもどうにかなりませんかね、これ。払い戻ししなくていいから。


posted by ヨシノブ at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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