2014年04月28日

中島敦 ちくま日本文学全集


中島敦 ちくま日本文学全集  筑摩書房


買う前から薄々感づいていたが、読んでいてよくわかった。これ実家にあるやつだ。即ち手元にはないわけだが、しくじった印象はぬぐえない。
収録作品数は少ないが、角川文庫の中島本が手元にある。


並行して読んでいた『知的唯仏論』で、宮崎哲弥がミリンダ王の車の問いを紹介している。
wikipedia

中島敦には、ミリンダ王の車の問いを連想させる箇所が幾つかある。
ミリンダ王の問い自体は知らなかったのだろう。知っていたら、どんな影響を受けただろうか。



 俺といふものは、俺が考へてゐる程、俺ではない。俺の代りに習慣や環境やが行動してゐるのだ。之に、遺傳とか、人類といふ生物の一般的習性とかいふことを考へると、俺といふ特殊なものはなくなつて了ひさうだ。之は云ふ迄もないことなのだが、しかし普通沒我的に行動する場合、こんな事を意識してゐる者は無い。所が私のやうに、全力を傾注する仕事を有もたない人間には、この事が何時も意識されて仕方がない。しまひには何が何やら解らなくなつて來る。

 俺といふものは、俺を組立てゝゐる物質的な要素(諸道具立)と、それをあやつるあるものとで出來上つてゐる器械人形のやうに考へられて仕方がない。この間、欠伸をしかけて、ふと、この動作も、俺のあやつり手の操作のやうに感じ、ギヨツとして伸ばしかけた手を下した。
 一月程前、自分の體内の諸器關の一つ一つに就いて、(身體模型圖や動物解剖の時のことなどを思ひ浮かべながら)その所在のあたりを押して見ては、其の大きさ、形、色、濕り工合、柔かさ、などを、目をつぶつて想像して見た。以前だつて斯ういふ經驗が無いわけではなかつたが、それは併し、いはゞ、内臟一般、胃一般、腸一般を自分の身體のあるべき場所に想像して見たゞけであつて、頗る抽象的な想像の仕方だつた。しかし此の時は、何といふか、直接に、私といふ個人を形成してゐる・私の胃、私の腸、私の肺(いはゞ、個性をもつた其等の器關)を、はつきりと其の色、潤ひ、觸感を以て、その働いてゐる姿のまゝに考へて見た。(灰色のぶよ/\と弛んだ袋や、醜い管や、グロテスクなポンプなど。)それも今迄になく、かなり長い間――殆ど半日――續けた。すると、私といふ人間の肉體を組立ててゐる各部分に注意が行き亙るにつれ、次第に、私といふ人間の所在が判らなくなつて來た。俺は一體何處にある? 之は何も、私が大腦の生理に詳しくないから、又、自意識に就いての考察を知らないから、こんな幼稚な疑問が出て來た譯ではなからう。もつと遙かに肉體的な(全身的な)疑惑なのだ。
 その日以來こんな想像に耽るやうになり、それが癖になつて、何かに紛れてゐる時のほかは、自分の體内の器關共の存在を生々しく意識するやうになつて來た。どうも不健康な習慣だと思ふが、どうにもならない。一體、醫者は斯ういふ經驗を有つだらうか? 彼等は自分達の肉體に就いても、患者等のそれと同樣に考へてゐるだけであつて、自分の個性の形成に與る所の自分の胃、自分の肺を、何時も自分の皮膚の下に意識してゐる譯ではないのではなからうか。


かめれおん日記
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/24443_15509.html



 実際、もう大分前から、文字の霊がある恐しい病を老博士の上に齎していたのである。それは彼が文字の霊の存在を確かめるために、一つの字を幾日もじっと睨み暮した時以来のことである。その時、今まで一定の意味と音とを有っていたはずの字が、忽然と分解して、単なる直線どもの集りになってしまったことは前に言った通りだが、それ以来、それと同じような現象が、文字以外のあらゆるものについても起るようになった。彼が一軒の家をじっと見ている中に、その家は、彼の眼と頭の中で、木材と石と煉瓦と漆喰との意味もない集合に化けてしまう。これがどうして人間の住む所でなければならぬか、判らなくなる。人間の身体を見ても、その通り。みんな意味の無い奇怪な形をした部分部分に分析されてしまう。どうして、こんな恰好をしたものが、人間として通っているのか、まるで理解できなくなる。眼に見えるものばかりではない。人間の日常の営み、すべての習慣が、同じ奇体な分析病のために、全然今までの意味を失ってしまった。もはや、人間生活のすべての根柢が疑わしいものに見える。


文字禍
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html



ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏まとまった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。
 医者でもあり・占星師でもあり・祈祷者でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋くうようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺は俺を俺と思うのか? 他の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」


悟浄出世
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/2521_14527.html



 * * *

駝鳥

 何故の長き首ぞも中ほどをギユウと掴めばギヤアと鳴くらむ



牧水の歌に似たのがある。

 きゆうとつまめばぴいとなくひな人形、きゆうとつまみてぴいとなかする



確か、若山牧水(1885〜1928)が歌人として身を立てるか、職に就くかで迷っていた二十代前半の頃の歌である。
中島敦(1909〜1942)はこれを知っていたのか、摘んで鳴かする式の更なる本歌があるのか。


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2014年04月26日

14/04/25


白酒 喧嘩長屋

噺の構造自体は好きだが、噺家の調子がいまいちで残念。


文治 普段の袴

十一代襲名で大きな話題にされていたが、上方に疎いのでそれ以前のこの人を私は知らない。テレビでも見たことがあるけれど、今回も含めちょっとセンスが古いかなと思う。
だが、最近研究会で観た「掛け取り」に高い力量を見た。話題にされるだけの腕前がある。他所の悪口も楽しい。
皮を剥いだら水木しげるの死神。


喬太郎 あの頃のエース

ウルトラマンが大好きだという枕。導入部の「ということは、古典ではないのですね」で受けたところまではいいが、序盤のうちに「根太選びを間違ったかもしれない」と弱気な発言。「でもやれるところまでやろう」
客層を明らかに間違ったが、人気のおかげで冷たい反応はされなかったという印象。噺を切り替えたほうが良かったとは思うが、その場になってのことと独演会ではないから時間の都合で難しいのかな。時間を無視して言えば、今日の正解は「布哇の雪」だったと思う。
誰だったか、高座に上がった途端に「さっきまで予定していたものと違う噺をやります」と始めた人を見たことがある。
器用に見える喬太郎が窮した姿を見せるのは意外だった。私はこういう時に芸というより芸人の凌ぎ方を見ているので、これはこれで見物である。


白鳥 最後のフライト

初めて観る。この人は創作落語ばかりやっている人だそうで、最近テレビ番組の企画で初めて真っ当な古典をやったというから驚く。ちゃんと様になっていた。誰が師匠かと思ったら圓丈。なるほど。
遠慮のない創作であるばかりか、客に参加を強いる噺であった。傾いた飛行機を立て直すと称して、両手を翼に見立てさせ、右へ左に身体を傾けさせるのだ。「ちゃんとやらないと墜落しちゃいますよー」 大半の客は参加したとはいえ、創作で押し通し、客に聞き流す逃げ道を許さないとは、何たる精神力の強さか。


一之輔 粗忽の釘

投げ遣りで客を小馬鹿にしたようなスタイルの人だが、初期はまだぎこちなかった。慣れと知名度でスタイルが認知されたせいか、今回はそれが伸び伸びしていてすっかり板についていた。座るなり、「さっき見たの(白鳥)は忘れて貰って……」みたいなことを言う。
真打になってから寄席で一回、テレビで二三回観た(初天神と蝦蟇の油売りだった)ことがある。今回のが一番良かった。「土星の輪っかみたいになっちゃって……」


談春 子別れ

初見。それまでに出た噺家が一人ならず「どうせみんな談春が目当てなんだろ」といじっていたくらいだから、私が考えていた以上の相当な人気があるらしい。
時間が足りなくなったのか、枕は無くいきなり本題に入る。
子供は絵を描くのが好きで、青鉛筆が欲しいと云う。青い空が好きだから沢山描きたいと云う。「おう、描いちゃえ。江戸中の空描いちゃえ」 詩人だなあ。
これが江戸の風か。貫録があった。これまで聴いた子別れでこれが一番。目頭を押さえて会場を後にする人ちらほら。
この後の数日は余韻が残ったが、まどマギ新編で塗りつぶされる。
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2014年04月24日

俺と田村ゆかりは


田村ゆかりライブへ行ってきた(http://qazwsx.seesaa.net/article/395253258.html)、その後の話。




 * * *

持参した文章を女の子に読んで貰う店がある。
L字型の店内は、Lを半分に横切る一つのカウンターで客と店員のスペースが分断されており、行き来することは出来ない。Lの飛び出た部分が厨房になっている。簡単な喫茶店の機能も備え、テーブル席もある。
カウンター席は、柔らかな雰囲気を持つ病院の受付を連想させる。そのせいか、カウンセリングを受けているような感覚まである。

200文字200円、500文字400円くらいだったか。
私はカウンター席の丸椅子に座って、持参した博物館のパンフレットの一節を示した。その一節に店員がバーコード読み取り機のようなものを当てると、文字数と料金が黒い画面に緑色で表示される。私のは200文字余だった。
誰に読んでもらうか、という段になって、少しだけ見えている厨房の中に田村ゆかりの姿を確認して驚いた。彼女はさっきまでライブをやっていたはずだ。それがもうこんなところで働いている。前に働いていた店に顔を出したという雰囲気だ。

他の客はまだ気付いていない。私だけが、何の妨げもなく指名することができる。
不正とすら思える程の余りの幸運に躊躇したが、私は田村を指名し、しばし雑談をしてから文章を読み上げてもらった。差し向かいでプロの声を聴くのは何とも心地よい。
いつの間にか、田村は私の顔に胸を押し付ける格好で抱きつき、私を跨いで座っていた。赤く短いスカートから彼女の白い太腿が伸びている。私も田村の背中に腕を回す。
それはとても安らかに落ち着く温かな時間で、私は今、生きることの何か重要な核心に触れているのではないかと思った。
感情の中の何か一つが、人類という種に到達可能な最大限にまで高まっているのを感じた。
遥か遠い未来か古代の地球で、満天の星空の下、荒涼とした大地に私達二人だけがいた。



店を出た後、まだ家には帰り難い気持ちで、別の喫茶店のような店に寄った。
白い丸テーブルと椅子が配置され、ほぼ白に統一された店内に、大きな鉢植えで緑が添えられている。夜だというのに昼間のテラスのような明るさがある。
さて、どうしようか。席に着いて店の奥をぼんやり見ていると、そこに店員として田村ゆかりの姿が在った。安らかな心地の余韻が一気に興奮へと変わる。また別の店で働いているなんて。そして、そこに廻り合う偶然を得た私は、これが単なる偶然以上の、私と田村ゆかりが強く深く関係することの表れではないかと思わぬわけにはゆかず、やや震えながら立ち上がった。



 * * *

「暫くは田村ゆかりのことを一切考えないようにしよう」と考えたその晩に見た夢です。
翌朝は不思議なくらい爽やかに目覚め、夢の内容に戸惑いました。
私は決してアイドルにのめり込みたいわけではない。
それが、こんな夢を見てしまった。
もう駄目なんじゃないか。
今後、私と田村ゆかり(アイドルではなく、田村ゆかりとして)の関係をどんなに言い繕おうとも否定しようとも、こんな夢を見てしまったからには一切が虚しい。
俺と田村ゆかりが何でもないわけあるか。
もう駄目だ。
俺と田村ゆかりは一体どうなってしまうのだ。
ラベル:
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2014年04月22日

田村ゆかりライブへ行ってきました。

私の日程が不透明で諦めていたが、急遽都合がついたので行ってきたよ。
前売り券は買っていないし完売だったが、機材開放席の当日券がでた。


田村ゆかりライブに行ってみたかったのは勿論だが、芸能鑑賞としてもアイドル(女)のライブに行ってみたかった。無料イベントでのアイドルライブは何回か見たことがある。
今、王道のアイドルらしいアイドルを一番高いレベルと大きな規模で実現しているのはこの人ではないかと思っているで、田村ゆかり・芸能鑑賞と二重の意味でこのライブに行きたかったのだ。


群雄割拠するアイドル界で、声優圏のアイドルは旧来的なアイドル像を継承していると言われていた。十数年前、たまに声優雑誌的なものを買っていた私の感覚として、声優圏には当時の一般人気を得ていたアイドルからは隔絶する旧来的アイドルの気風が満ちていたと断言する。
近年は声優圏も現代的アイドル像に寄って来ているものの、田村ゆかりは往時の気風を強く残している。


アイドルのイデアを目指す多くは若さを武器にしており、38歳になる田村はその点で後れを取っている。だが、若さで及ばない田村が名を成している事実は、彼女がアイドルをアイドル足らしめる何かで優れていることの表れである。
そして実は、彼女こそがイデアから最も近い場所にいるのではないかと思うのだ。




 * * *

なんてことをブログに書こうかなと考えながら、販売時間の2時間前に会場到着。既に当日券待ちの列が出来ている。
当日券の枚数より購入希望者が多い場合は抽選での販売になると事前に告知されていたので、販売時間直前になってから並んでも良かったのだが、この手の催し物の勝手がわからないので本を読みながら愚直に待つ。
抽選なら外れるだろう。元々このライブは観られない予定だったので、どうということはない。会場まで行かなくては観られないのが確実だから来ただけで、期待はしていない。来ずにいれば後になって、もしかしたら観られたかもしれないのに、と思うかもしれない。その後悔を予め潰すために来たようなものだ。


ライブ開始にはまだかなり時間があるが、その間に物販が始まる。物販にも長い列が出来ており、人数制限をしながら客を入れている。ここの利用に券の有無は関係ない。みんなよく買っている。
私の見たところ、客の2割は女。


読書するために来たような気分で2時間過ごし、抽選開始。列の先頭から割り箸による籤を引く。先が赤くなっているものを引いたら券が買える。
引く前から外れの心境は整っている。流れ作業のように脱落者が出、その流れに乗って私の田村ゆかりライブは終演した。
当日券はせいぜい10枚ほどだったが、100人以上の列が出来ていたのではないか。枚数よりやや多い人数での籤引きで外れたら悔しいだろうが、これなら外れて当たり前と思える。多分、行列の中で最初から最後まで最も落ち着いていたのは私ではなかったか。


急いで帰る理由もないので、まだ開いていた物販コーナーに寄った。
CD、DVD、パンフレット、Tシャツ、カレンダー、ポスター、バッグ、菓子、等々。色々あるもんだ。

せっかくだから、と生写真籤を1袋買った。全30種類程ある写真のうち、どれか3枚が入っている。1袋500円。売り場には全種類のサムネイル画像一覧みたいな表が出ている。


さて、これからどうしよう。帰るしかないのだが、もともと何もすることがないのに来たようなものだから、何の達成感もなく、いまいち帰宅に向けての気持ちの区切りがつかない。
それと、もう一つ。今この場から帰るのは極一部の当日券外れ組で、周囲で楽しそうにしている大勢はまだこの場に残って、これからライブを楽しむのだ。この大勢に囲まれているせいで、何やらまだ帰り難いような気持ちに引き摺られてしまっている。

そんな風に所在無く突っ立っていると、こんなことが頭を過った。
「今、この会場には田村ゆかりが居る。けれども、私は会わずに帰る。券が買えなかったから会ってはいけないのだ」
その途端に気持ちが悪くなったので驚いた。
これは何事だろう。もしかして、私は酷く落胆しているのか。
この落胆は何かとても恥ずかしい気がする。
更に、吐き気まで込み上げて来た。
これはいかんと思い、すぐに帰った。


会場周辺にはライブ客がうようよしている。私は何も意識しないように努めた。
今考えれば、大通りに沿って帰ったのは間違いであった。物販は混雑を避けるために開場よりかなり早い時間に開始されている。泊りがけで来ている客は、そこで買い物を済ませた後、一旦宿に帰って荷物を置き、再度会場に来るのだ。
私の帰る時間はちょうどその再度組が会場へ向かう時間であり、彼らはすぐそれとわかるTシャツやらバッグやらを身に付けているのである。極力何も意識しないように努めた。



帰宅した私は、取り敢えず暫くは田村ゆかりのことを一切考えないようにしよう、と考えた。
こうして私は何事もなく一日を終えたのである。
何事もなかったのだ。





(そう、これくらいなら何でもなかったのだ。
 だが、これには後日談があり、それが決定的で、私はもう駄目だと思った。)
http://qazwsx.seesaa.net/article/395408429.html
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2014年04月20日

マン・オブ・スティール


面白味のない優等生。

突き飛ばされた母親へ駆け寄るより先に相手をぼこぼこ殴りにすっ飛んで行ってしまうのは、親子の愛情に重点を置いた物語のなかで方向を誤った。
この誤りについては、マン・オブ・スティールの鋭い感覚で母親が無事だと把握できていた、頭に血が上っていた、って事なんだろうけど、あんな集団の中に母親置いといて集団の一員(それも頭じゃなかったっけ?)を殴り飛ばすのが物語として何事もない(その隙に母親が攫われるとか、何か吹き込まれるとか、報復を受けるとか、母親の安全より怒りを優先してしまったのを後悔するとかがない)ってのはさ、何事だって思うんだよね。

力を注いだ戦闘場面も、わくわくしない。
殴られるとビルを貫通して飛んで行く。物理現象としてその通りなんだけど。
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2014年04月18日

今週の収支報告


みなさん、私のことをちゃんと心配していますか!
生活に困っていますよ!


先月のMVPはPSソフト「霊刻 池田貴族心霊研究所」です。
あったなあ、これ。発売当時にファミ通かなんかで紹介された記事読んだよ。
君が1600円も出してこれを買おうと思うほど研究熱心な理由は何だ。
こんなインチキ怪しげな研究所に頼ってないでカウンセリングを受けたらどうだ。





幽霊が出たら般若心経を唱えるといいゾ。
お坊さんカットの俺が言うんだから間違いなし!
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2014年04月16日

まったくお腹が空いてくるぜ


前に、青木繁がビリー・ヘリントンを描いていると発表したところ、そんなわけないだろと猛反発の袋叩きを受け学会を追放された私ですが、遂にその絵を発掘しましたので学会復帰です。覚悟しろ。




先ずはビリーさんの御尊顔を目に焼き付けてください。

 

telephone-s.jpg
biriikaigan.jpg


それでは青木繁の「ゆく春」をどうぞ
http://www.hiroshima-museum.jp/collection/jp/aoki_s.html



前は記憶を頼りに絵を紹介したので、「抱き合った二人」なんてのはちょっと記憶違いでしたが、青木がビリー兄貴を描いていたのは事実でした。
http://qazwsx.seesaa.net/article/205318624.html



私を磯辺揚げに迷わせたのはの下方にある「海」「海景」あたり。
後にクロード・モネの「雨のベリール」を観て、これ青木の磯部揚げだ! って思ったのですが、青木はこれを観て真似たのか、岩礁がよくモチーフにされるだけなのか、印象派の技法が使われているのも偶然なのか、その辺はわかりません。
「雨のベリーヌ」では色彩がちょっと磯辺ってないんだけど、この絵の近くにポール・シニャック「コンカルノー港」があって、この色彩を取り入れるとかなり磯辺揚げになることに感心した。ピート・モンドリアン「砂丘」までいくとやりすぎか。





そんなにビリーじゃないとか、磯辺揚げでもない、と思う人もいるだろうが、画像ではなく実物を観ると少し印象が違うものです。これ本当。その時の気分だけではなく、照明の当たり具合や、絵の大きさなんかも影響してくるだろうし。
美術館のホームページでジョルジュ・ルオー「郊外のキリスト」を観て少し驚きました。実物と明確に印象が違うんです。
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/collection/works/112/
私は実物を観たとき、このキリスト一行が、つげ義春の「無能の人」(助川助三)一家のように観えました。世間から切り離されて親子三人だけの宇宙にいるような、あの雰囲気です。世間に身を置くことの寂しさや辛さ、隔絶されて認識する三人でいることの小さな火を灯すような温かさ、そういうものが溢れてきて、印象深い一枚だったのですが、画像でみるとそうでもない。それにこの連中、あの時はもっと右側に居たんだが……。
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2014年04月14日

14/04/13


白酒 つる

(比較的)若手で一番手ということで調子が出ないんだと思う。先日よりは良かったが。


遊雀 初天神

子供の描写に重点を置く。それがちょっとしつこい。


兼好 風呂敷

この人は上方落語の勢いを感じる江戸落語。
研究会での「百川」も良かった。


市馬 笠碁

私が花緑を下手だとはっきり認識したのがこの噺、という意味で印象深い噺。私はいつまで花緑に囚われるのだろうか。
権太楼で観た「笠碁」のほうが好き。「うどん屋」は権太楼より小三治「かぜうどん」が良かった。


生志 幇間腹

テレビで観たことがある。やっぱり終盤でフライングの拍手が鳴った。
このサゲがふたつ在るような状態は噺全体としてのリズムが悪いと思う。創作のサゲだけでいいのに。


鯉昇 二番煎じ

相変らず。
もしかしたら私が知るうちで、一番食欲がそそられる噺はこれではないか。

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2014年04月12日

今週のドラえもん





「いるかい?」
バーに入るなり尋ねた眼鏡の男に、マスターは黙ったまま顎でカウンターの隅を示す。
眼鏡の男はカウンターの隅でグラスを傾けていた金属の男の隣に陣取ると、カクテルを一杯注文した。

「どうしたんだい、今夜は」金属の方が尋ねる。
眼鏡の方がグラスに手を掛けたまま、語りだした。
「参っちまったよ。スネオの奴がデカい新車買ったんで、その自慢のためにみんなとドライブに行くんだとよ。俺は楽しいドライブにするつもりで旅行雑誌から記事の切り抜きをしていたんだが、スネオがお前は誘ってねえって。見送りになら来てもいいぞ、だとさ。
しかも、ジャイの野郎から切り抜きを取り上げられちまった! ドライブの参考にしてやるよ、って笑いながら。
俺は、悔しいよ。悔しくて悔しくて、情けねえよ。ドラ、俺はどうするればいいんだ」
眼鏡のグラスは震えていた。

金属は暫く黙った後、腹部のポケットから小型の空気袋のようなものを取り出した。
「『ドライブーブークッション』だ」
「これは一体……」
「車に取り付けると、車から出るあらゆる音が、おならの音になる。
エンジン音、排気音、カーステレオ、シートベルトを締めないと鳴り出すピーって音、赤い三角マークのボタン押したときのカッチカッチって音……。すべてがブビビィ、ブボボ、ブッホ、ブピィ、ブリュ! って具合さ。
楽しいドライブの見送りに行ってやりな。そしてこいつを、こっそりプレゼントしてやれ」
「……マスター、こっちにどら焼きをひとつ」
眼鏡はそう言ってグラスを呷ると、クッションを掴んで立ち上がった。
「もう、行くのかい」
「ああ、まだこれから仕事があるんだ。
そうだ、こいつを忘れてた。今度あるボクシングの試合、チケットを取ったんだ。一緒に行かないか。こいつは久々の、本物のボクサーだぜ。ボクシングってのは……




***


あいつらいつまでも小学生をやっててどうするんだ、と思うんだ。いい加減にドラえもんも大人の話を描いていかないとね。
それで、そろそろ丸っこい絵も谷口ジローの「青の戦士」みたいな画風に改めてもらい、原作も狩撫麻礼でいいや、ということで、児童マンガからは卒業していただくことになりました。
バーの名前は「押し入れ」

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2014年04月10日

バトルシップ



公開当時よく名前を聞いていたから、面白いのかなと思ったら面白くなかったけど、戦艦って英語で BATTLE SHIP でいいんだと勉強にはなった。
(こうは書いているが、波で動きを読む・ミズーリを動かすあたり15分くらいは面白かった。後者についてはこの映画というより、終盤に新型でぶつかった壁に旧型で挑む式の物語が好きなせいである)

宇宙で生命がいそうなところに信号を送ってみたら宇宙人の先遣隊がやってきて、交渉の余地もなく地球側を攻撃する(でも先に攻撃したのは地球側じゃなかったっけ?)のでやっつけた。という映画。

この手の米エンターテイメント映画らしい映画で、それだけだった。
対象の近くに寄せていた画面を一気に引いて全体を映してドーンって感じの「どうだ、凄いだろ! 面白いだろ!」的な、CG技術を自慢したい中高生かのような主張の感じられる場面が幾つもあって辟易した。構図もいちいちわざとらしい。
冒頭の「こいつ、馬鹿で滅茶苦茶な奴だけど、どうだい、愛すべき人物じゃないか」と主人公を紹介する件もまったく俺は嫌いだこんなもの。

最後は地球を救ったーとハッピーエンド一色に染まっていて(当然主人公とヒロインのラブロマンスがくっついてるぞ)、先遣隊潰した後にもっとやっかいな部隊が送られてくる不安が微塵もなかった。ばか。続編作りたいんだろうな。宇宙人の詳細が明かされないのも続編材料だと思う。



軍事演習の見学に来ていたプロレスラーたちが宇宙船に乗り込んで大暴れして地球を救う。(軍人たちは敵の根城の入り口を開くところで戦力が尽きてしまう)
勿論、レスラーの引率はスタン・ハンセン。日本のレスラーも参加させよう。前半は若手が活躍するが、敵の強い奴は出てくるやら数で押してくるやらで歯が立たなくなり、そこへ遅れて駆けつけたロートルレスラー(引退選手含む)がドカンドカンと大活躍! (でも藤原喜明は関節技で地味)
日米レスラーのツープラトンなんて見せ場も。
今思いついたこっちの方が比較にならない程面白い。絶対こっちがいい。
ユニバーサルスタジオはこのアイディアを買いとれ!
宇宙人と戦う力士ってのもいいなあ。



ナガタが浅野だと全く気付かなかった。
でも15年くらい前にトークショーで本人見たことあるよ。

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2014年04月07日

14/04/05


キルラキル
「人は人、服は服」に論語の「鳥獣は与に群を同じくすべからず」の件を思い出す。
結局、黄長瀬と流子に血縁でもありそうだったのはミスリード?
小清水と流子の相性の良さは特筆に値する。


「のたり松太郎」を、ずーっと松五郎だと思っていた。旧OVAは観ていたのに。
検索してみたら、松五郎と認識しているのが何人もいる。


のんのんびより2期決定。ハイテク……!


J9シリーズの新作、2年後にTVアニメで。
マクロス新作にも富野ガンダム新作にも平常心の私(のんのんびよりには少し高ぶった)だが、
これには大興奮よ。



スタードライバーの映画はいつになったら公開されるんだと思っていたら、1年前以上前にやってた。

うちの母は最近まで、アンパンマンが顔を交換することを知らなかった。
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2014年04月05日

泣けるプロレス 心優しきレスラーたちの35のエピソード


泣けるプロレス 心優しきレスラーたちの35のエピソード    瑞 佐富郎と泣けるプロレス製作委員会   アスペクト



若い噺家がやる副業に、結婚式の司会がある。
式が盛り上がると正規の給金の他に、新郎新婦側から御祝儀が貰えることがある。この金額がなかなか大きい。
盛り上がる式とは、泣かせる式である。
噺家だった頃の伊集院光も式の司会をしており、先輩から泣かせる式の極意を教えられた。それは、変わったことをしない、というものである。奇を衒ったり、凝ったりすると、かえって盛り上がらない。よくある基本通りの進行に徹するのが一番盛り上がる。(大意)



プロレスエピソード集。読んでいる間中、上記の結婚司会の極意が頭を離れなかったほど、演出過剰な文章構成だった。思わせぶりな名前暈し、時系列の入れ替え、想像で挿し込まれるファンの声、等。
途中で背表紙を見、出版元がアスペクトだと知って何故か腑に落ちてしまった。理由は定かではないが、私にはアスペクトに軽薄な印象があるらしい。ファミ通の本を出しているのが原因か。

私はプロレスに疎いので、こういう演出がプロレスの手法なのかもしれない、とも思ったが、それで許容できるものではなかった。こういう人はどういう人の文体を手本にしているのか気になる。






文庫版では32のエピソードになっている。レスラー以外がメインになる話が3つばかりあったから、それが削られたかな。
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2014年04月03日

約束を果たす立派な私



あれから一週間、私は毎日「写経」を続け、一週間後、これを手渡すためだけに、のこのこと出かけたのであった。偉い。

しかし、到着したものの、あの信徒がいない。前回より少し時間が遅いためだろうか。これは困った。約束なので、何とか今日中に渡したい。
周囲をうろうろしてみると、人混みの中に仲間の信徒らしき中年女性を見つける。前回の人と同じように書類を抱えて、にこやかに高齢女性と話し込み、どうやら宣教活動中らしい。私は傍を離れて話が終わるのを待つ。

相手が解放されて一段落したのを見計らって、信徒に声をかけた。
「統一教会の方ですか」
「ハイソーデスガ、ナンデスカッ」
「!!!」
なんと、このおばさん信徒はそっぽを向いて、吐き捨てるように返事したのだ。明確に嫌な顔をして。
いつもは自分から声をかけておきながら、自分が声をかけられるとこれ。私に敵対の意思はなく、柔らかく声をかけたのに、失礼の不意打ち先制で奇襲されて心がよろける。
さっきのおばあさんとはにこやかに話をしていたではないか! 私とだってにこやかに話をしてほしい。

私は気を悪くするどころか、この人も統一教会に所属していることで様々な批判に曝されて心が歪み捩れ荒んでいるのだろうと、すぐさま慈悲深く気遣った。
そして、鞄から「写経」の紙を取り出すと、一週間前に信徒から声をかけられたこと、提出の約束をしたが前回の信徒が見つからず、代わりにこれを受け取って欲しい旨を、前回の信徒の名を添えて説明した。
するとおばさんの顔は私に向き、みるみるうちに表情が輝いた。受け取った紙をその場で捲って中身を確認しながら、「ああ、そうですかあ」と答える声も弾んでいる。うわあああ、変な事書いてなくて良かったあ。
こうして二人はにこやかに別れたのである。



声をかけられたくらいでムスッとしていた信徒が、私との語らいで笑顔を取り戻したのである。前回は信徒から顔を褒められ、今回は凝り固まった信徒の心を解きほぐした。
これらの出来事は深い示唆を与えた。
文先生の教えを受けずとも良い顔になり、文先生の教えを受けながらも痩せていた信徒の心を豊かにさせたのは、つまり、畢竟、私が文先生より偉いということではないか。
こんな天地が引っくり返るような上下関係を信じる人は誰もいないだろうが、事実、奇跡は起こってしまったので、私の優秀性を確信する他ない。
そのうちイエスも挨拶に来るだろう。
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2014年04月01日

今週の地域ニュース


「おい、こら、このゴミ屑どもめ!」
公園の屑籠に向かって悪態を吐くことで親しまれていたゴミ屑おじさんが、実際には職場の愚痴を吐き捨てていたことが、関係者の証言で確認されました。

ゴミ屑おじさんは夕方になると公園に現われ、屑籠の中身へストレートにゴミ屑と吐き捨てる、その非常にユーモラスな姿が近所の子供たちの関心を集め、小学校で話題騒然、作文の題材に取り上げられる、噂を聞いてわざわざ隣町からおじさんのステージを鑑賞しにくる子供が現れる等、PTAの議題にあがるほどの人気者でした。

常に観客の期待に応え続けたおじさん。
相手の名前は暈しつつ、飽くまでも「ゴミ屑」への悪態という形式を守りながら、持前のサービス精神を発揮して、かなりの言いたい放題でした。

当初から、おじさんは帰宅中に公園へ立ち寄ってその日の鬱憤を晴らしているのではないか、と推測されていましたが、この度、いつもの屑籠へ偶然にもおじさんの上司であるAさんが埋もれており、おじさんの罵声内容と職場事情が符合することに気付いたAさんが、自身も「ゴミ屑」として言動を面白おかしく罵倒されたことから、「なんだと!」と声を荒げ、事態が明るみに出ました。

Aさんは屑籠に埋もれていた理由について、「今日からここがマイハウスなの」等と意味不明の供述をしており、よほど悲しい事情があるとみて子供たちは慎重に調べを進めています。
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