2014年03月30日

今週の収支報告


先月のMVP。
何故か二次元ドリームコミックスが2冊も売れていました。
調べてみたら、ここの作品は基本的に触手モノなんですね。


東京ゴッドファーザーズに出てくる医者が大塚明夫なのはブラックジャックで困る。


IHヒーターを使って一ヶ月。電気代が急激に上がるなんてことはなく満足。(或るメーカーの冊子では、四人家族での一ヶ月あたりのIH電気代は凡そ900円弱と記されていた)


先月のMVPは牛肉。
1年くらい買ってなかったような気がする。



お前は宣伝してるわけでもないエロ本を
何冊買えば気が済むんだ。そろそろ俺のDVDも買え。
うーん、俺のも漫画にすれば売れるのか?
荒木飛呂彦が俺の漫画を描きたがっているようなんだ。
それを二次元ドリームコミックスで出せば……。

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2014年03月28日

14/03/25 検非違使気分で


久しぶりに穴を掘りました。
縦横230cm×80cm、深さ130cmはあります。
1時間ちょっとで掘りました。
23080130.jpg


あの日、田村ゆかりのコンサートに来ていた連中に穴を掘らせたら、私は間違いなく上位に入ると思います。
そういう自負心と共に掘りました。
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2014年03月23日

私は人間的に優れている



街を歩いていると声をかけられた。声の主は書類を抱えた中年の女性である。
正確な文句は忘れたが、「あなたの願い事を書きませんか」というようなことを言われた。
私はこの手の誘いへ割合に応じる優しい性質で、いざとなれば無言で走って逃げればいいと思っているから、記入用紙を受け取った。
紙は成就を祈願して焚き上げすると云う。ならばこの人は寺社の関係者か。へえ、焚き上げの呼び込みなんて珍しい。どこで焚き上げされるのですか、と問うと、何処其処の〇〇教会で、と返事された。教会で焚き上げ?
無言で驚いていると、記入用紙の端に「統一教会」と書かれているのを発見する。接触するのは初めてだ。


女性は私に話しかけ続け、写経に興味ありませんか、と誘って来る。手本をなぞるだけの1週間分の写経セットがあるのでやってみませんか、と。基督教系列の教会に写経とは何事ぞとは思うものの、勿論受け取った。
中を見ると、経文らしからぬ一文が書かれている。文先生による愛を説いた一節であると云う。統一教会ではこれを経文と呼ぶのか? あとでHP等を確認すると、「書写」とされている。これなら妥当である。
安請け合いした後で、写経したものは然るべきところに収めるので、必ず1週間後、またここにいるので持って来てください、と強く強く念を押される。1週間後にここを通る用事はないが、私は人格者なのでこの後出しジャンケンの如きを了承する。


さて、願い事記入用紙には住所氏名電話番号メールアドレスの記入欄まであり、そこまで付き合う義理はないので空欄で差し出したら、そこも書いてください、と譲らぬ調子でリクエストされる。厚意で焚き上げに協力してやっているのに何でそんなものまで書く必要があるのか、と嫌々ながらも名前だけ書く。あまり良い名前が思いつかなくて残念だった。それで渡そうとしたが、住所も! と熱いリクエスト。嫌で嫌でペンが進まない。

女性は様々な話を振ってくる。お仕事は何ですか。今日はお休みですか。水からの伝言って御存じですか。やっぱり綺麗な言葉で結晶が綺麗になるように人間の心も綺麗な言葉で綺麗になるんじゃないか云々。
私は伝言を存じておると一言答えただけだったのに支持者だと勝手に解釈され、写経の効能まで説かれてしまったので内心微笑んだ。この人はおっちょこちょいなのだろう。
瞑想をされたことありますか、との問いに、はい、と答えたら、「ああ、やっぱり。良い顔をしていらっしゃるもの」と褒められた。間違いなくこの人には真実を見抜く眼力がある。あとでよく考えたら私は瞑想というほどのことはしたことがなかったが、それにも関わらず「良い顔」をしているのだから、瞑想に明け暮れているような連中とは格が違う。高いところへ到達しようと梯子や階段を使うのが凡人だが、最初から高いところにいる人には梯子や階段など必要ないのだ。


仕方がないから住所欄には即席で考えたオリジナルの住所を記入したが、書き込まれるそれを覗き込んで、へえ、一戸建てにお住まいなんですか、これ駅からどのくらいの場所ですか、とやけに強靭に喰らいついて来るので、疑われているような気がして腹が立ち、張り倒してやろうかと思った。

電話番号も促されたが、そんなものを書いてやる筋合いが寸毫もないし、そもそも私はこれから昼を食べに行くところであり、そんな時間をわざわざ割いて付き合ってやっている聖人君子様に対して些か不遜な態度であるのが気に入らない。
私は良い顔に不信感が現われているであろうのを取り繕うこともなく、自分の電話番号であったような気がする数字を書き込んだ。そしたらあいつ、これ本当ですね、この番号ですね、後でこの番号にかけますからね、などと脅しのようなアフターサービスを押し付けてくるので、歯切れの悪い受け答えと愛想笑いで対抗した。

連絡手段は呉れてやったのでもういいだろうと思ったら、メールアドレスまでお強請りされる。
アドレスが漏れて迷惑メールが来ると迷惑だから、と理論武装して攻めて行ったら、わたしが漏らすと思うんですか、そんなことするわけないじゃないですか、と裸同然で反撃を仕掛けてきた。
貴方に一体何の信用があるというのか! そもそも漏らしたくない相手が貴方なんだよ!と心を打たれてしまったので、今はウイルスとかハッキングとかあるから、と白旗を上げて武装解除した。でも黙秘権を行使してアドレスの開示は断固拒否した。


相手も相当な不信感を抱いたであろうから、そろそろ放流されてしまうだろうと思ったが、今から私たちのサロンに来ませんか、と誘われる。
私は相当に良い顔をしているらしい。手放してはならない人財だと見抜かれたな。高い知性や教養を備えた尊い精神の持ち主であることを隠し通すのは、実に難しい。
ホームグラウンドで囲い込みをかけたいのが目に見ているので付き合う気はなかったが、サロンにはテレビに出ているスピリチュアルの人よりもっと凄いスピリチュアルの人がいるんですよ、と口説かれれてしまい心が揺れる。ははあ、そのお山の大将みたいなやつに私の指導を授けてほしいんだな。まあ、そこまで言うなら少し顔を出すくらいしてやろうかな。いざとなれば大暴れして走って逃げればいいし。
幾分乗り気になって来たところで、その集会所が電車で〇〇駅を降りたところにあると聴き、血の気が引いた。は、その電車賃って俺が出すのか? おいおいおいおい、こいつ頭がおかしーんじゃねーの。往復で300円はかかるじゃん。ふざけたこと言ってんじゃねーよ!
怒り心頭に発する余り、今からお昼御飯を食べに行く所だから、と冷たく突き放して別れた。1週間後に来てくださいね、と念を押される。 


後で基督教に焚き上げに該当する行為があっただろうかと考えたら、火炙りがあった。


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2014年03月20日

虚妄は現われる



本題に入る前に、もうひとつ。

文先生の教えに感銘を受けることで非難される若者達。
『学校から追い出され、家でも睨まれ、友達も離れていき、当然行く所がありませんでした。彼らは三角山に登って断食し、涙や鼻水を流してひたすら祈りに没頭しました。すると、あちこちから異言が起こってきました。もともと神様は、私たちが絶望の果てに立った時に姿を現します。学校を追放され、家族と社会から捨てられた学生たちは、三角山の祈祷所で神様と出会うようになりました。』

別の章から。
『極限状況で宣教する信徒たちは、ひときわ多く夢や幻想を通して啓示を受けました。』


これ、仏教で言うとことの魔境ではあるまいか。
この手の感覚について、私には心当たりがある。


私は15歳の夏、家を追い出された。
自転車に荷物を積んで当てもなく旅立った私は、その晩、小高い丘の上にある人気のない運動場の片隅の、公衆トイレに泊まった。誰かが立ち寄りそうになく、鍵のかかる無料の部屋であるのが理由だ。

新聞紙に包まって寝ようとしたが、疲れているのに寝つけない。
小高い場所が災いして、半袖シャツでは歯がガチガチ鳴るほど寒い。この時期、家では風があたらぬように扇風機をかけて寝るほどで、これほどの寒さは予想していなかった。
これから先の当てがなく、極度の不安で緊張もしていたのも寝つけない理由だっただろう。


外に停めてある自転車が心配になった。盗まれては困る。壊されても困る。
周囲に人の気配はないが、誰か来るかもしれない。

寒さで震えながら自転車を案じていると、やがて「誰か来たらどうしよう」という不安は、「誰かいるんじゃないか」という疑念へと変わっていった。
誰かいるような気がする。誰かが外を歩いているような気がする。誰かが運動場を歩いているような気がする……。
疑念は頭の中に段々と具体的な像を結んでゆき、最終的に、私には締め切ったトイレの床に横たわりながらも、運動場をぐるぐると歩いている背の高い男と低い男の二人組の姿が見えていた。
半醒半睡ながらも、この二人組が見えているのは夢だと当初は自覚できていたが、やがて感覚が曖昧になり、見ているものを疑わなくなった。あの二人が自転車に気付かないようにと祈った。二人の足音さえ聴こえた。


この時の感覚は夢とも現実とも違う特別なもので、以降経験したことはない。

私は自転車への危害を強く懸念していたからそれが具体的な姿で現われたが、もしも神仏のことを強く考えている人間だったら、神仏が現われたのではないだろうか。
私は自転車のことだから見たものを簡単に虚妄と断じることができるが、常識を超えた神秘を追い求めている人の前に虚妄の神仏が現われれば、それを真実と受け止めてしまう人もいるだろう。曖昧な内に譫言を漏らす人もいるだろう。


怖ろしくも何事もない一夜を明かした私は、その朝、気持ち良く自転車に乗っていたところを無過失で乗用車に撥ねられ、現われた救急車とパトカーによって家への帰還を余儀なくされた。
あの夜、車に撥ねられることを不安に思っていたら、私が見たものはきっと迫る車で、その後の事故で夜の虚妄を真実と……。

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2014年03月18日

平和を愛する世界人として



平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝  文鮮明 著  創芸社


これほどまでに「私はこんなに立派なのです」と主張してやまない本を、いまだかつて読んだことがない。
(一つには、韓国で発売された原著の日本語訳であることが要因ではないかと思う。つまり、文先生個人の気質が表れているというより、韓国人の気質に合わせた自己主張法として表れた文面なのではないか、日本のみでの発売を意図して書かれていたならば、日本人の気質に合わせ幾分控えめな主張法になるのではないか、ということである。仏国色恋映画が小難しいことをモニョモニョ言うとか、米国吹き替えドラマのアメリカンな感じとか、そのように型があるのだろう)


今日の私は文先生の伝道師となろう。
まずは立派さの羅列からスタートだ。
以下、『』内が本書からの引用、()内が私の添え書きである。


*
『少しでも観相の分かる人は、私の小さな目に宗教指導者の気質が現われていると言います』

子供時代
『誰とでも友達になる』『間違った行動は見過ごしにできず、子供たちの喧嘩があると、まるで近所の相談役にでもなったかのように、必ず間に入って裁定し、非のある方を大声で怒鳴ったりしました』『行動は荒っぽく見えても、本当は情が深い子供でした』『私の中に温かい情があると大人たちが知っていたからです』『動物を世話することにかけては並外れていました』『闘牋(賭博の一種)場で一晩過ごせば百二十ウォンほどのまとまったお金は稼げます』『そのお金を(近所の子供たちに分け与える水飴に使い、)絶対に、自分のために使うとか、悪事を働くのに使ったりはしませんでした』『(自由にしていいお金で)かわいそうな子供たちに飴玉も飼買ってあげ、水飴も買ってあげました』『同じ年頃の子供たちよりはるかに体も大きく、力も強かった』『手先が器用だった』『どんな食べ物でもよく食べました』『神通力があるかのように、人々が知り得ないことをかなりよく言い当てました』『精神を統一し、集中して思念すれば、全部わかりました(観察による推測のようなものらしい)』『私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした』

ソウルに住んでいた若い頃、近所のおばさんが昼食をとらなかった文先生に食べ物を持って来てくれた。
『パン二個とアイスケーキを二個持ってきてくれました。それがどれだけありがたかったかしれません。一つ一銭で、全部で四銭にしかならないものでしたが、おばさんの心遣いは今も私の心に刻まれています。
いくら小さなことでも、いったんお世話になったら生涯忘れることができません』
全部で四銭にしかならない小さなことですが、忘れません。

日本留学時代
『私の歌声に魅了されて友人となった』


己の悪い点・過ちと認識して書かれた部分はこれくらいだった。
『私も若い盛りには愚かな考えに染まったこともありましたが、結局は、知恵ある人が行く道を選択しました。』
この「愚かな考え」について説明はない。


*
『一度決心すると絶対に譲歩しませんでした。もちろん物心がつく前のことです。(中略。間違いだと分かっていても認めず、母に叩かれることもあった)ある時などは、何回叩かれたか分からないほど叩かれて気絶してしまいました。それでも私は降伏しませんでした』


*
『私が唯一嫌だったのは、牛に牧草を食べさせることでした』
野原に牛をつないで暫く離れ、半日過ぎるころになると、牛は食べさせてくれる人を求めて鳴く。
『私はいたたまれなくなって、「牛の奴め。あいつめ、あいつめ……」と苛立ちました。おなかが空いたと私を捜して鳴く声を、気にしないようにしても気になって仕方がなく、胸がつぶれる思いをしました。』
嫌な理由は明確にされていない。牛の食事に付き合うのが退屈だったのか。



*
15歳の時、イエス様に出会う。

『祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現われました。風のように忽然と現れたイエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」
と語られたのです。(中略)
「私にはできません。どうやってそれをするのでしょうか。そんなにも重大な任務を私に下されるのですか」
本当に恐ろしくてたまらず、何とか辞退しようとして、私はイエス様の服の裾をつかんで泣き続けました。』



*
興南監獄(興南窒素肥料工場の特別労務者収容所)時代

四時半起床、囚人たちの身体検査に二時間、約四キロ歩いて工場へ。肥料の原料をすくい上げて袋詰めする作業。一日も休まず働く。監獄を出たのは二年五ヶ月後。
『食事は一日に小さな茶碗で二杯にならない配給しかありません。おかずはほとんどなく、スープは大根の葉の入った塩水がすべてでした』
しかし。
『どの囚人も重労働で疲労困憊して痩せこけていくのに、私は体重七十二キロをずっと維持して、囚人たちの羨望の的でした』

金日成主席と並んだ写真等を見ると、文先生の方が長身である。金主席が175cmらしいので、180cmはありそう。180cmで72kgだとプロサッカー選手の体である。乏しい食事と重労働でそんな質量保存の法則が成り立つのだろうかと無学な不安を感じてしまったが、神への愛を通じてシンクロン原理が作用して帳尻が合ったとかそんなところであろう。



*
『「韓国の地は今後、全世界で山の峰と同じような役割を果たすでしょう。そして、世界中の人が韓国人に生まれることができなかったことを悔しく思う時が来るでしょう」』
『「今後、イエス様はエリヤが洗礼ヨハネとして現われたように、肉身を持って韓国の地に来られます」』
読んでいて一番衝撃だったのがこれ。
私は今のところ悔しくありませんが……。
みんなはどうかな?


*
宣教のためには費用が掛かる。
『その費用は、当然自分たちの手で稼いだお金でなければなりませんでした。堂々と商売をして稼いだお金を宣教費用に投じてこそ、何の活動をしても胸を張っていることができるのです。
何かお金になることはないかと悩んでいたとき、切手が目に入ってきました。当時、私は信徒に一月に少なくとも三回は互いに手紙を出すよう勧めていました。手紙を出すには四十圜(ファン)の切手を貼る必要がありますが、一枚の切手を貼らずに、一圜切手を四十枚集めて貼るようにしました。そうやって一月に三回送った手紙に付いている切手を剥がして売ると、最初の年だけで百万圜くらい儲けることができました。何でもない古切手が大きなお金になることを経験した信徒たちは、それを七年間も続けました。』

これ、何をやったかわかりますか。
私なりに補足して説明すると、切手を貼って手紙を出すと、切手にかかるように消印が一度押されます。言わば、使用済みの印です。
普通は手紙1通に多くてもせいぜい3枚くらいしか切手を貼らないので、消印はどの切手にもかかるように押されますが、1通に40枚も貼ると、判子の面が切手の面積に及ばないために、消印を押されずに済む切手が大部分となり、届いた手紙から消印のかかっていない切手を剥がせば、それが未使用の切手と同様に使えるわけです。

切手の話はこれが全てで、一切の弁解や懺悔はなし。
この程度のズルは「何でもない」し、堂々と胸を張っていられますもんね。


*
反共産主義運動の展開で。
『国際共産主義者と連携した日本の赤軍派の反発は特に激しく、私がよく滞在していたボストンの修練所に侵入し、後に地元警察の検問に引っ掛かって摘発され、FBIに引き渡されたこともありました。』
今では名前を聞かなくなった勝共連合だが、現在も活動中。
http://www.ifvoc.org/index.html


*
『交叉祝福とは、宗教、国家、人種を超越して、男女が結婚で結ばれることを意味します。』
『最近も、八月十五日の光復節になると、「日本人が犯した罪を謝罪します」と言って頭を下げる、特別な日本人の姿がテレビニュースに登場します。自分が直接犯した罪ではないのに、先祖が犯した罪を代わりに謝罪するのです。彼らもやはり、十中八九、交叉祝福を通して国家の障壁を崩した私たちの教会の信徒です。彼らのおかげで、日本を怨讐のように思っていた私たちの心の壁を大きく崩すことができました。』
ああ、こういう背景があったのか。へえ。


*
『韓民族は、絶対に人の世話にはならないという独特な性格を持っています。私はアメリカで、韓国人の頑固な性格をあらためて感じることができました。アメリカはいろいろな社会保障制度が整えられている国ですが、韓国人はそのようなものに全く頼ろうとしていませんでした。国がくれる支援金に期待せず、何が何でも自分の手で稼いで子供を育て、両親の世話をしようとしました。そのくらい韓国人は自主性が強いのです。』
フーン。





まだまだ紹介したいところはあるのだが、(最初の結婚に関して自分が全く悪くないと主張しているところとか)、量があまりに多いのでこれまでとする。当然であるが、文先生や教会についての「悪い噂」について肯定する記述は全くない。各自ネットで調べよう。

本の帯には「600万部突破!」とあり、巻末に「2011年9月20日 増補版第1刷発行」「2013年11月23日 増補版第385刷発行」とある。
600万部といえば少年ジャンプの90年代黄金期(最高653万部)だ。


文先生が立派な人物であることはよく伝わっただろうし、君もそろそろ韓国に生まれなかったことを悔しがっている頃だろう。
さて、本題は文先生より私の方が立派な人物ではないか、ということである。君は驚いただろうが、私も驚いたのである。少なくともそのへんでチョロチョロしている信徒より立派であることは確認されてしまっていて、後日そのことを記述するための前置きとして、今回の事は書いた。


街頭で配られているポケットティッシュを受け取ったつもりが、よく見たらこの文庫本だった。780円。この気前の良さで近くジャンプの最高部数をも突破するだろう。



追記

600万部云々について。
私は国内での部数と思い込んでいたが、2010年に韓国100万部、国内80万部・2011年に日本国内で100万部突破、との記述を見つけたので、600万部は全世界での部数かもしれない。配布と販売を別に数えているかはわからず。


文鮮明師自叙伝のベストセラー(韓国100万部、国内80万部)を記念

自叙伝ベストセラー記念企画 作文・論文コンクール 2010年12月
 文鮮明師自叙伝のベストセラー(韓国100万部、国内80万部)を記念


自叙伝国内100万部突破記念 感想文コンクール
 2011年4月
 文鮮明師の自叙伝「平和を愛する世界人として」は、韓国に続き、日本においてもこの程100万部の売り上げを記録し、読者に深い感銘を与えています。


文鮮明師 自叙伝
http://sekaijin.jp/?page_id=80
読者の感想文が読めます。
自叙伝アプリも出ているぞ。


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2014年03月16日

14/03/15


ぼくのかんがえた新作ロボコップ


新ロボコップ、パトレイバーのグリフォンの様。
予告で映像を観ただけで本編は観ていないが、あれはロボコップとして駄目だ。
どこかのアクションスターみたいに動きやがる。

ガション、ガション、ウィーン、ウィーイインン、バシュッ、ボガーン!
ロボコップってのは、こうだろ?
20年くらい観てないけど。


新作は、ガションガション、ウィーン式でやるか、旧シリーズ後の時代に造られた新型ロボコップだと良かった。
後者は本作でお披露目の活躍をして、2作目は深い葛藤や絶望で活躍不可能状態にさせ、何かの事情で停止させていた初代ロボコップを再起動させる。同じ境遇の身体として、先輩警官として、新型を教え導く初代。復活した新型は初代とチームを組んで、敵の本拠地に乗り込む。
と、こういうのが良かった。早業の新型と一撃必殺の旧型で、変化ある見せ場を作る。バズーカ弾を避けて敵の喉元まで一気に迫る新型と、直撃を受けた爆風の中から現れて敵を一発で粉砕する旧型とか。(直撃でも口元の出ている部分は大丈夫ですか? マスクつけます? まあ、バットマンやキャプテンアメリカが大丈夫だから問題ないか)

旧型も強化されるが、新旧二人を同じシステムで動かすのは同じウイルス等で一度にやられてしまう危険があり、別々のシステムで動いている設定。これで新旧の動きに違いを付ける。旧型は防御重視で。
でもこれだと独りでロボになってる孤独の悲壮感が消えるんだよなー。


*
キルラキルの後期ED曲「新世界交響曲」が始まると、毎回ストUさくらの曲「この思いを伝えたい」を思い出す。
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2014年03月14日

ゼロ・グラビティ


あまり映画は観ないのだけど、評判の良さが気になっていた。字幕・3D。2200円。
物語も設定も至極単純で(映像は高度)、良質なサスペンスであることが際立つ。感想を集約すると「宇宙飛行士になりたくない」の一言に尽きる。


どんなに良質だったことか。
私は買ってまだ半年もしない手袋を映画館内のトイレに置き忘れてしまい、それを上映前の予告中に思い出した。席が通路の横なら取りに行ったところであるが、満席の列の中央だったために断念。
映画が終わり次第、急いで取りに行かなくては。もしかしたら誰かが持って行くかもしれない。遺失物として届け出が無いか確認しなければ。あれは確か3500円ほどした。約6000円の高い映画になるかもしれぬなあ。
上映開始直後の心境がこれだったのに、そのうち映画に見入って、手袋のことが頭から消えた。良質でしょ。

質が良いとは言え、サスペンスですから、全然楽しくない。怖がりなので序盤の内は、こんな映画観るんじゃなかった、と何度も思った。映画館なので逃げ場はない。子供の頃に怖い番組を観始めてしまった時の感覚って、こうだったな、と思いだす。
だだ広い閉鎖空間の息苦しい宇宙での孤立と恐怖には、長じてから考える死の恐怖を通り越して、幼い頃に漠然と考えて心底恐怖した感覚を思い出した。死の恐怖や世界から独り取り残される孤立。私がどんなに苦しみ、怖れ、死に近づいていようと、世界には、楽しく、平然と過ごし、何事もない明日を予定している他者が溢れていて、誰も私を救わない、私も誰も救わなかった隔絶。
怪物が出るわけでもなく、何かの裏を読むわけでもない単純な物語だからこそ、恐怖の感覚が他所へ向かなくて深く潜しかなく、呼び覚まされた感覚であろう。
それと、LIVE A LIVE のSF編も思いだした。あれも宇宙船の容赦ない死からの脱出で、抑えた音楽の使い方もこの映画に通じる。


物語の定石として、次々と起こる問題は段々と難しくなってゆくもので、この映画でもそうなのだが、ソユーズを動かした後、神舟を動かす段になって「今度は中国語だからパネルも音声もわからない」という変化を付けてきたのには笑ってしまった。

最後のドアを開ける前に宇宙服を脱がなかったのは、私にも気付いたくらい初歩的な誤りであった。あそこは宇宙服を脱いからドアを開けたが、そこは海であり、大波で転覆……なんてほうが良くないか。でも転覆しない造りになっていそうでもある。

視界の横幅を画面がほぼ覆うような席で、短い服を着た女の大写しになっていると、妙に変な気分がした。これは江戸川乱歩の感覚。

サンドラ・ブロックに拍手。
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2014年03月12日

14/03/10


ドラクエの海外版タイトル

フランス
「ド・ラゴンクエスト」

イタリア
「ドラゴンク・エスト」
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2014年03月09日

14/03/08





街で見かけた托鉢の坊主。通り過ぎるその後ろ姿にGTホーキンスみたいなリュックサックがあった。そういうの使うのなら、笠や衣じゃなくて野球帽に高校生の時に使っていたジャージでいるのが質素かつ機能的でよいではないか。
求道者としての宗教者と、文化継承者としての宗教者。中途半端なお坊さんルックしてる奴はこのどちらにも中途半端なんじゃなかろうか。と俺は思うんだよ。
しかし、裾野を広くする意味でこういう輩も受け入れざるを得ないのか?(納得していない)



今日見たサイトhttp://coco.to/にあった映画アメリカン・ハッスルの広告バナーに「本年度アカデミー賞最有力!」と銘打たれていて、確かに高い評判は得たが無冠に終わった結果が知れ渡った現在は切ない。



「昭和の観光地の食堂」に行ってきた。
広い一間に長机を並べ、壁際で箪笥より大きな空調機が剥き出し。
ポリシーの感じられない従業員。太陽光に頼りきりで陰りある昼の店内。
周辺の競合店同士でありふれたメニューを揃え、高いと思わざるを
得ない価格設定(特に飲み物)にして大したことない味。
極め付けは、花瓶代わりのビールジョッキへ生けられた花!
これですよ!
今思えば写真に収めていればよかったのだが、その判断を鈍らせる
ほどの「つまんない店に入ってしまったなあ」のエモーションを提
供してくれるのが「昭和の観光地の食堂」なんだから仕方ない。
こんな店でもかつては華々しく、家族の団欒、一人旅、社員旅行で
長机が埋まり、観光を楽しむ明るい顔、歩き疲れるも心地よい顔を
した人々の間を、まだ若かった従業員が溌溂と行く。そんな時代が
あったのだろうと想う。
21世紀人として「昭和の観光地の食堂」を堪能するとはこういうこ
とである。
posted by ヨシノブ at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月06日

14/03/05


しくじった。俺は添加物塗れの工業製品と化した商業食品を口にするのは間違いだと信じているので、野草や無農薬家庭菜園、自然食品等しか口にしない。それが今回ばかりは仇になった。自然のものだから大丈夫だろうとカマキリの卵を幾つも食べたら、よく消化できなかったらしく、体温で温まって孵化した。それで尻の穴から小さなカマキリが次々と出てくるし、腹の中でぞわぞわ蠢いている感覚があるし、うんこするとうんこに塗れて藻掻き苦しむカマキリの動きを肛門でキャッチして遣る瀬無い思いに駆られる。
恥を忍んで近所の医者に行った。今思えば下剤を飲めばよかったんだ。医者にとって患者なんて踏台だろ、金や名声のための。でも、冷静な思考が出来る状態ではなくて、保険証を手にしてしまったのだ。

医者は40代半ばの壮健な男。恥を忍んで事情を話し、「では診てみましょう」と言われ、ベットの上に這いつくばり、膝までズボンとパンツを降ろしてカマキリがポロポロ零れ出る肛門を晒した。
「珍しい症状ですね。では、そのまま動かないで」医者はそう言うと、「みつるー、ひろしー、こっち来なさい」と誰かを呼び出して、俺の後ろで何かをさせ始めたのだが、俺には一向に何もしない。振り向いたら、医者の息子らしき小学生の兄弟が俺の肛門についてノートに記録を取っていた。

医者は俺に「ほら、動かないで」と前を向かせると、子供たちは昆虫が好きなこと、行く行くは医者にしたいこと、医学と昆虫が組み合わさったこの症状を観察させるのはきっと将来のためになる、などと語った。俺にはどうでもいいことだった。
唯一レントゲンを撮られたことだけが診察らしい診察だったが、写真をすぐに子供へ渡していたので診察のつもりで撮ったのか怪しい。
子供たちは「ほら、ちゃんと御礼を言いなさい」「〇〇さん、ありがとうございました」と御礼を言わされてから退室。彼らは終始浮かない顔をしていた。
医者からは、セミを食べるなどしてお腹に残ったカマキリを育ててみてはどうだろうか、そして定期的に診察を受けてほしい、と言われたが、断固拒否すると、渋々下剤の処方箋を書かれた。
やっぱり医者に行ったのは間違いだったのだ。涙がポロポロ零れた。

posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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