2014年02月27日

14/02/27


「先輩、俺の部屋で動物園始めたんですよ。あがってってください」
「えっ、君が動物園なんて出来るの。意外だなあ。おじゃましまーす。わあ、カバがいる。大きい! 赤銅色! あっちに見えているのはキリン、むこうにいるのはゴリラ。わっ、岩かと思ったらゾウガメ。池の傍にフラミンゴもいて、木にはレッサーパンダが登っていて、いやあ、これは驚いた。本格的じゃないか」
「先輩、動物園は嘘です。よく見てください」
「あっ、本当だ。君の普段の六畳間じゃないか。相変らず寒々しい部屋だなあ」
「いつも思うんですけど、先輩、頭おかしいですよね」
posted by ヨシノブ at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

知的唯仏論 


知的唯仏論  宮崎哲弥 呉智英 サンガ

呉智英の「つぎはぎ仏教入門」を買おうと思ったのだけど、筑摩だからそのうち文庫になるだろうし、ならずとも、大きな出版社だから年数を経てもどこからか取り寄せやすいだろう、などと思って踏ん切りがつかず。吉本本についても同様。
他に何かないかと探して見つけたのがこれ。サンガなんて出版社は初めて見たので、不文庫化や買い逃しがあるかもしれない。宮崎の仏教本にも興味があったので買った。初期仏教の哲学に興味がある。

宮崎は仏教者(ラディカル・ブディスト)であり、宮崎が評論の師と仰ぐ呉は、仏教系高校を出た封建主義者である。



本書は呉と宮崎の仏教を巡る対談。
前半はさほど惹かれる部分が無くて、「無理ならぬ」が「無理からぬ」(宮崎)と誤用されているのが気になったりして、これは失敗だったかと思うが、後半から一気に面白くなった。
「つぎはぎ仏教入門」が引き合いに出される箇所が幾つかあるが、未読だから読み進められないということはない。



*
宗教学者の回心体験について

呉 じゃあ、中沢新一はどうですか。中沢センセーがああいう言説を吐かれるのは何かあるんですか。


呉が寄稿した産経新聞の連載コラム『断』にて、「吉川潮さん」について(小馬鹿にして)言及した回がある。
このコラムが収録された単行本「健全なる精神」の補注によると、元の原稿では「吉川潮センセ」なのだが、担当編集者から、それだけはやめて下さい、と頼まれて変えたのだ。吉川さんは『断』の執筆陣の一人でもある。
尚、呉の『断』では秋山眞人、芹沢俊介、吉本隆明がセンセ呼ばわりで掲載されている。彼らは『断』の執筆陣ではないらしい。

で、宮崎の中沢評抜粋

中沢氏はおっしゃっていることが時と場所によってコロコロ変わるし、結局何一つ―――自分自身さえも信じておられないのではないかと拝察いたします(笑)。


河合隼雄なる人物が日本のニューエイジ思想、ニューサイエンスのドンだったことがよくわかりますね。そのなかでも、相当にいかがわしいのが中沢さん。


ただ、文章には類い稀なる才能がある。勢い余って失敗するのもそれ故。(大意)


*

宮崎 だいたい般若心経なんかを漢語のままで写経させたりするから、お経の単なる言葉が呪文と化してしまうんですよ。で、「般若心経を唱えたら亡霊が退散した」などというオチの怪談話が流布されたりする(笑)。テレビなどでそんなバカ話を見聞きすると「霊が見えたりするのはすべて気の迷い、錯覚、妄想のせいと主張しているのが般若心経だぞ。お前、心経の冒頭に出てくる『五蘊皆空』の意味わかって唱えてんのか!」などと突っ込みを入れたくなります。意味もわからず読経したり、書き写しても何の功徳にもならんぞ。ちゃんと体読しろよって(笑)。

呉 あれはね、霊を説得しているの(笑)。

宮崎 えーっ、霊って説得されるんですか(笑)。まあ、鬼太郎シリーズに「妖怪学校」ってのもあるから、霊も妖怪も啓蒙可能なのかもしれませんね。



私も昔、般若心経の解説書を読み、暗唱出来るまで写経したことがあり、経文の概要を知っているので、般若心経で悪霊退散な話には冷笑的であった。
まあ、唱える人間が意味を知らないんだから、宙に迷う死んだ人間の方も意味を知らずに成仏退散して道理至極である。
当事者たちの意図とは別に、遣り取りの中身としては、霊と対峙した人間が、「霊を見るなんて俺の気のせいだ!」と言い、霊が「俺がここにいるのはお前の気のせいなのだな」と納得して消えてしまう構図であり、なかなか面白いものがある。

こんな昔話がある。
「生麦大豆二升五合」なる御経を唱えて病気や怪我を治すお婆さんがいた。或る人が「その御経は間違っている。正しくは『南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)』だ」と教えると、以来お婆さんは不思議な力を失ってしまったという。

単なる勉強不足ではなく、指導者側が勉強しないように仕向けていた部分があるはず。知識を独占していれば、都合のいい解釈を一方的に吹き込めるし、自分もあんまり勉強しなくていい。


*

宮崎 まさに若い子たちこそが直面している問題、たとえば自我危機、コミュニケーションの不全感そのものだと思います。この十六、七年のアニメーションの主題はまさにこの問題を堂々巡りしてきたといっても過言ではありません。


偶然だろうがエヴァンゲリオンとロレンスの『黙示録論』には似通った問題意識がある、と宮崎は指摘する。

呉 あっ、そうなの。俺、あれ見てないんだよ。そもそもああいうの好きじゃないから。
宮崎 そうでしょうね(笑)。たとえばこのアニメの初期のキャッチコピーに「溶け合う心が、私を壊す」というのがあるのですが、これなんかは『黙示録論』の「愛情にまったく身を委ねきるならば、底の底まで絞りとられ、ついには個人の死を将来する」と同じディレンマ状況が語られていますよね。
呉 ああ、そうなの。


私は、共依存の末の破滅みたいなものを思い浮かべていた。
ちなみに宮崎はまどマギを観ているし、あの花においては号泣するそうだ。


*
女が好む「優しい男」とはどのようなものか。その優しさについて呉と宮崎の見解が分かれ、話は恋愛や結婚の関係に及ぶ。呉の見解は頭でっかち的で、宮崎の観察研究的な見解が優勢である。その締めの一言。

呉 恋愛や結婚については、私にはよくわかってないところがあってね(笑)。いろんな人からバカにされている。ちょっとくやしい(笑)。




*
哲学者の中島義道は「人は死ぬ限り幸福になれない」と主張しているが、宮崎はこれを「不死が幸福の必要条件」と換言出来るが、それは違う、「死ぬ限り幸福になれない」は真実だが、「不死である限り幸福にはなれない」も真実であると言うべき、と言う。
「永遠」にしろ「無」にしろ、その中に閉ざされてしまうことは恐怖であり不幸だ。

宮崎 子供の時分、このことをうまく人に説明出来なくて困っていたところ、仏教は常見と断見をともに斥けるということを知って、息を呑むほど驚きました。常見は常住論ともいいますが、要は永遠に生きる、無限に存在し続けるという見方。これに対して、断見、断滅論というのは死ねば死にきりで、無に帰してしまうという見方です。仏教はこの両端の見解を否定する。両説に囚われている限り、人は幸福になれないとブッダは述べている。



では、この両端を否定して仏教は何を見ているのか。
この続きにコレですと直接明文されてはいないのだが、先程の「ああ、そうなの。」へ続く宮崎の引用が答えを示していると思う。

宮崎 アポカリプス論を解題するドゥルーズはさらに一歩進んで、仏教的とすらいえる思索を書きつけています。なかなか美しい文章なので引用しておきましょう。
「太陽を崇拝したロレンスだが、それでも彼は草葉の上にきらめく太陽の閃きだけでは関係はつくれないと語っている。彼はそこから絵画や音楽に対する一つの見解をひき出したのだった。個をなしているのは関係であり、自我ではないのだ。おのれを一つの自我として考えることをやめ、おのれを一つの流れとして生きること。おのれの外をまた内を流れる他の様々な流れと関わりあいながら流れている一つの流れとして、流れの集まりとして生きること。希少性さえ、涸渇さえ一つの流れなのであり、死でさえも一つの流れとなりうる」(『情動の思考』)
呉 非信者である私から見れば、本当に仏教的です。我執への批判がよく出ています。


常見も断見も個我からの観点で、仏教の執着から解き放たれる教えはそのどちらにも与せず、個我ではない「この私」とは関係の中にある存在として見出せる。と、大体こんなところだろうか。
宮崎は終盤で仏教を「『この比類なき私』から入り、『縁起する無我』で出る」と述べている。
本書に紹介されている「ミリンダ王の問い」にも、存在と関係の話があるのだが、それはまた別の機会に扱う。


*
簡単に言うと、仏教における善悪は絶対的なものではなく、どれだけ悟りに近づけるか遠ざかるかの、相対的な距離である。教団の律は、僧たちの社会的信用を保つこと含め、周辺社会と衝突しないための取り決めである。
南直哉「仏教には論理学はあるが、倫理学はない」


「大天の五事」という仏教界を揺るがした大事件がある。
大天という阿羅漢(煩悩を滅した聖者)が、夢精してしまったのだ。wikipediaから冒頭部分を引用する。

後に一夜染心を起こして夢に不浄を失して衣を汚し弟子に洗わせた。弟子曰く、阿羅漢は一切の煩悩を尽す、猶斯事ありや。大天曰く、天魔の誘惑せらる所阿羅漢も不浄の漏失を免れること能わずと。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%A9

阿羅漢が夢精をするか否かなんてことよりも、そんな衣を弟子に洗わせていることが私には大事件だった。
やっぱ仏教に倫理は無いな。


*
つぎはぎ仏教入門
https://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/652/



私には仏教体験も知識もほとんどないので、興味深いと思っても自分なりに説明しようとすると窮してしまう部分が幾つもあったが、かなり良い刺激を受けた。後で再読する。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

14/02/21

色の異なる何種類かの野菜、干し肉を細く短く切って敷き詰めた中に、裸のミノムシを投入して巣を作らせる。
そのミノムシを炒めると出来上がり。
この自然が織りなす色彩豊かなミノムシ料理が存在しないことで、ミノムシはあんまり美味しくないと推測することが出来る。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

14/02/17


「いいもの」がわかるためには、いいものに触れなければならない。その通りだと思う。

さて、私の観察によれば、どうも、言いづらいことに「育ちの良い人はくだらないことが結構好き」である傾向が見られる。
当初は不思議だったが、腑に落ちる仮説は立った。
育ちが良いということは、くだらないことから遠いところに居たというわけで、耐性が無いのである。
小さな頃はいいものに囲まれていても、大きくなって行動範囲が広がると、いいものばかりでは囲いきれない。くだらないものに遭遇すると、耐性が無いものだから、簡単に喜んでしまう。


この哀しい転落劇は避けられないのか。

先日、誰かは失念したが、或る人のこんな教育方針が紹介されていたのを見た。
「良いものを観て、悪いものも観なさい。そうでなければ、本当に良いものはわからない」
あっ、多分これは真理に近い。良いものしか観ないのは、良いものしか知らないことであり、悪いものとの付き合い方を知らないことであり、良し悪しを識別する能力とは多分違うのだ。
良いものしか知らないという能力も使い道はあるが、悪いものに触れられる環境になると、そっちにコロッとやられる。

談志が「縁日の屋台で売っているものはくだらないから子供に買ってやらない、という親がいるけど間違いだ。あれは、こういうものはくだらないんだぞ、ということを教えるために買ってやるものなのだ(大意)」とか何とか言っていた。


なお、私には、老人がパチンコなんぞに嵌りこんでしまう賭博性以外の理由として、『これまでコンピュータゲームを体験してこなかったので、その手の娯楽に耐性がなく、生活圏内で唯一それっぽい遊び(ピコピコなんて子供の遊びなので、老人は手を出さない)であるパチンコが楽しくてしょうがない』という仮説もある。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月11日

今週の必ずや名を正さんか



「原発」争点化に苦心 一本化できず票分散
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/2014tochiji/list/CK2014020902100019.html?ref=rank

原発「即ゼロ」193万票 舛添氏得票211万票に迫った
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014021002000212.html

またも敗北、脱原発派は落胆 「一本化できていれば…」
http://www.asahi.com/articles/ASG2776FBG27UTIL04H.html?iref=comtop_6_02

(脱・反・即ゼロなど呼び名は色々あるが、ここでは宇都宮・細川らを「脱原発派」として括る。
舛添も脱原発を自認しているが、「脱原発派」界隈からハブられているのでハブく。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/14/masuzoe-tokyo_n_4593372.html



一本化できていれば脱原発派が当選したかのような未練を感じるが、1万票以上を獲得した脱原発派の宇都宮・細川・家入・マック・鈴木を合わせても(2'055'347)、舛添単独(2'112'979)より約5.7万票(57'632)少ない。(各票数の小数点以下は切り捨て)
分類に困る中松(64'774)まで合わせると、舛添を上回る。
1万票以下の各候補者合計得票数は、約2万(21'734)。

鎌田慧さんは

「舛添氏らが争点は『脱原発だけじゃない』と訴え、いろいろな争点の1つにしかならなかった。肩透かしをくらった」と不満げな様子で選挙戦を振り返った。
「ただ、この選挙によって脱原発の世論がさらに大きくなったと思う。一本化していれば争点がより明確になり、2人の票を単純に足し合わせた以上の集票効果があっただろう」と述べた。


http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20140209-1255501.html
とのことである。

なお、田母神が約61万票(610'865)で、原発の賛否でそれぞれ一本化するとやはり脱原発派は敗北していたような気がする。
http://sokuho.h26tochijisen.metro.tokyo.jp/h26chi_kai.html


よって、「脱原発派だけが一本化して舛添票が分散していれば……」とでも言うべきであった。


都選挙管理委員会によると、当選した舛添氏の得票は有効投票数の43.4%(小数点2位を四捨五入)を占めた。宇都宮氏が20.2%、細川氏が19.6%だった。


http://mainichi.jp/select/news/20140210k0000e010239000c.html




*例の詐欺師名義の曲を盲目の有名ピアニストに「感動」という括りで弾かせようという企みが、どこかで画策されていたと思う。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月09日

真景耳なし芳一



今は昔、或る寺に芳一という琵琶法師がいた。
その腕前は、平家の亡霊から壇ノ浦の弾き語りを請われるほどであり、盲目の芳一は相手が亡霊とも知らず、請われるままに夜毎琵琶を携え墓場へ通うようになった。

それに気付いた和尚は、このままでは芳一が亡霊に取り殺されてしまうと思い、事の次第を話して小僧たちに手伝わせ、芳一の体中に経文を書いた。これで亡霊には芳一が見えなくなるので、諦めて二度とやって来るまい。

晩になって芳一のもとへ亡霊がやって来たが、芳一の姿が見えない。呼んでみても、勿論芳一は黙っている。
亡霊は諦めて帰ったが、その前に、芳一の耳を引き千切った。そこだけ経文が書き忘れられていて、見えていたのだ。芳一は声を上げることも逃げることも出来ず、痛みに耐えるしかなかった。


朝になって和尚たちが目にしたのは、後光を放ち、座禅を組んで宙に浮く芳一の姿だった。まるで仏様である。
驚き戸惑う和尚たちに、芳一は穏やかな声で耳を失った顛末を語った。
しかし、芳一のこの有様は一体どういうわけだろう。小僧たちが解せずにいる中、和尚だけが得心して膝を打ち、それに芳一は微笑んだ。

和尚は小僧たちに芳一の姿の訳を話した。
「おまえたち、『水からの伝言』を知っておるな」
「はい、良き言葉をかけた水からは良き形の氷の結晶が出来、悪しき言葉をかけた水からは悪しき形の氷の結晶が出来るというもので、学校教育にも用いられる教えであります。
つい最近、ヨシノブと話した統一協会の信者からもこの話が出ておりました」
「うむ。では、よく考えてみるがいい。有難い経文を書き込まれた芳一の体の中で、唯一耳だけには書洩らされていた。その耳が失われた今、芳一の体は全き経文に包まれたのだ。するとどうなる。ありがとうで結晶が美しくなるのであれば、経文で人体は」
「……ああ、ああ!」
「そう、細胞レベルでの全身悟り状態じゃ」


芳一の解脱ぶりは、体内でゴルジ体やミトコンドリアが梵字を描き、レントゲンを撮れば曼荼羅が写るほどであった。
統一協会の教えに深い関心を寄せた和尚たちは、駅前で配られていた文先生の自叙伝を読み、すぐさま入会した。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 怪奇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月07日

今週の桃太郎



むかしむかし、あるところに、鬼が住んでいました。
あるとき、鬼がおじいさんとおばあさんを川で洗っていると(老人介護)、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。

年寄りが食べやすいように、鬼が桃を切り分けてみると、中から男の子が出てきました。
男の子は桃太郎と名付けられ、すくすくと育ちました。

ある日、桃太郎は柴刈に行くと言いました。
そこで鬼はきびだんごを作って持たせてやりました。

山へ向かう桃太郎は、きびだんごを分け与えることで犬猿雉を仲間にしました。そしてみんなで集めた沢山の柴を持って家に帰りましたとさ。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ・特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月05日

今週の収支報告


やられる前にやれ!

そういうわけで、ヨシノブはやりました!
ガスを止められる前に、こちらから契約打ち切りの手続きをしてやったんだぜ。ガス漏れ警報器もコンセントを引っこ抜いてやった。もう請求書は来ない!
搾取から解放された私は、全世界に勇気と感動を与えた。
尊敬しなさい。


ヨシノブは生活が苦しく、そして、LPガスは高かった。
重い腰をあげて、部屋を掃除して、ガス屋に電話をかけて搾取への反乱を宣言すると、「退居の日はいつですか」なんて言いやがる。
私はそんな間の抜けた質問を無視して、月末にガスを止めよと要求し、月末にはガス屋を待ち受け、解約の署名を行った。英雄が誕生した瞬間である。



そういうわけで、先月のMVPは、ガス無き世界での生活に備えて購入したIHヒーターです。
最大1200W。
IHヒーターの購入は初めてで、1200という数字の程度がわからないし、パソコンと同時使用でブレイカー(15A契約)が落ちないか心配だったが、簡単なものしか作らないので火力は十分だし、ブレイカーも落ちない。
電気代の請求はまだ先だが、ガス代よりは安いはずである。そのうち大金持ちになるだろう。



生活が苦しいって、お前がふらふら遊ぶ金が足りないってだけじゃねえか。
まあ、確かに余裕はないし、将来困窮するのは目に見えているし、楽ではないな。膝も悪くなってきたし。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月02日

現実的な神様


山で遭難した男の前に、神様が通りかかった。
神様は一抱えほどの雲の上に立ち、古びた衣を纏った老人であった。

「神様、どうか助けてください。何日も飲まず食わずで動けません。麓まで下してくださるか、麓の人々に私がここで遭難していることを伝えてください」
「確かに俺ァ神様だけど、何でもするわけじゃないよ」
「では、水と食べ物だけでもいただけませんか」
「うーん、まァ、いいよ。じゃあ釣ってくる」

神様を乗せた雲は、木々の間を縫うようにして音もなく飛んでいった。

雲は大海原の上で止まった。神様が立ったままで無表情になると、衣の中からちんちんがするすると伸びてゆき、雲を突き抜けて海の中へと垂れ下がった。
暫くすると、ちんちんがするすると縮んでゆき、先端を魚に咥えさせたまま衣の中へ戻って行った。神様がそこに手を入れて魚を掴みだし、バケツで海水を汲むと、雲は山に向けて飛び立った。

「ほい」
神様は男に向けて魚を放り投げると、そばに海水の入ったバケツを置いた。衰弱した男には跳ね回る魚を捕まえられないし、海水などとても飲めるものではない。
「申し訳ありませんが神様、どうか食べられるものと飲めるものを」
「あっ」
神様は左腕の時計を右手でトントンと示すと、
「相撲、はじまっちゃう」
そう言って、何処へかと飛んでいった。
posted by ヨシノブ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
コメント欄にメールドレス、ホームページアドレスの記入は必要ありません。気軽に無記入で。 スパムメール回避のためにも、メールアドレスをそのまま書き込むのは推奨しません。返信方針についてはこちら