2013年12月31日

13/12/31


783:本当にあった怖い名無し:2013/10/09(水) 11:01:40.41 ID:4MwLEZ0i0
昔あるところに、一人暮らしのお婆さんがいました。
そのお婆さんはとても優しくて近所の子供たちから慕われており
家には毎日子供たちが遊びに来ていました。
彼女は親戚と会う機会もなかなかなく、子どもたちを大層可愛がりました。
お婆さんは彼らにお菓子を出してあげたり、
100円ほどのおこずかいをあげたりしていました。

しかし彼女は年金生活、貯金もだんだんと減ってゆき
子供たちにおこずかいをあげる余裕もなくなっていきました。
ある日、お婆さんは言いました。
「ごめんね、今までみたいにおこずかいはあげられなくなっちゃうけど
 家には今まで通り遊びに来てくれていいからね」

お婆さんがそう言った次の日、家には誰も来ることはありませんでした。





ああ、昔聴いた伊集院光のラジオでの話を思い出した。
今まで忘れていたくらいだから間違いもあると思うが、こんな話。

伊集院が子供の頃、近所に一人暮らしをしているおばあさんがいた。
おばあさんは子供が好きで、近所の子供たちが遊びに来るとお菓子を出したりしていて、どんな経緯だったか、子供が絵を描いて渡すとお小遣いを出すようになった。おばあさんはその絵を部屋に飾るのである。
最初は丁寧に描いていた子供たちだったが、やがて残酷にも横着することを覚え、粗雑に描いた絵を渡して「はい、金!」
おばあさんは気が弱かったのであろう、今更お小遣いを断ることが出来ず、そんな落書きにもお金を出すのだった。
一回の支払いは小さくとも、人数と回数が増えればその金額は大きい。
こうして悪い子供たちが集るようになって、ある日、おばあさんは突然何処かへと引っ越してしまった。





最後に、橘田いずみがラジオで語った思い出話が素晴らしかったので書き起こす。
みなさん、良いお年をお迎えください!

私、小学校の時に、机で商店開いてたんですよ。
橘田商店とか開いてて、休み時間に独りでなんか、看板を出して、「くじ、どうぞ」とか書いて、みんなにくじ引いてもらって、変な雑誌の切り抜きとか家の要らないものとかを、配って。配ってて。
で、それが、まぁ、やる人斬新じゃないですか。それが、始めた頃は橘田商店大人気で、休み時間には列が出来たんですよ。私の机に。
でもそのうち、なんか、もうちょっと何週間か経ったら、おもちゃ屋さんの娘が同じことしだして。
その子が商店出したんですよ、机で。
商店始めたらその子ずるいから、おもちゃ屋さんの普通に売ってる消しゴムとかを親に貰ってそれを景品にしてくじとかやりだして、そりゃあみんなお客さんそっちに行っちゃうじゃないですか。あたし要らないものとかなんかお相撲さんの切り抜きとかプレゼントしてたんで。「今日は寺尾だよ」とか言いながらやってたんで。
で、それで、取られて、橘田、橘田商店は閉店して、そっからは、もう、その看板は出すけど誰も来ないからずっと休み時間寝てて、たまに冴えない男子が来て「これ引いていいの」とか言って「どうぞ」とか言って引いて、またお相撲さんの切り抜きとかあげてまたその人がいなくなったら寝るっていう休み時間を過ごしてたことを、私昨日思い出して。
多分、すごい過去を封印していたんでしょうね。
そんな過去がありました。



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2013年12月29日

13/12/24

13/12/24
川の土手を飼い犬と歩いていたら、いつのまにか犬がいなくなってしまう。
捜すけれど、みつからない。家には二人組の知人が来ており、二匹の犬を連れている。
その一匹が犬小屋の中に入っている。



13/12/12
読売新聞の電子版に、ニホンオオカミの生存が確認されたという記事が素っ気ない文面で出ていた。
おいおい、これは大ニュースじゃないか。なんだこの扱いは。
と、思っていたら夢でした。


13/05/30
水木しげるがヘタを取ったトマトをバナナに打ち付けるという。机の上に飛び乗る水木を見て、やっぱりこういう人は常識に捕らわれないことをするなと思う。
バナナに投げつけるはずのトマトは、すっぽ抜けてビルとビルの間に飛んでいった。



13/05/20

商業ビル立ち並ぶ一角。ラーメン屋の多い通り。
離れたところが鮮明に見えなくなっている。

店のベンチに座っていると、知らない女の子が私の買いたいものを持って来てくれた。女の子がほしい安い品も一緒で、買ってやることにする。レジで財布から1万円札を出そうとするが、ここのところ急激に視力が落ちた私には、どれが一万円札なのか、ぼやけて見分けがつかない。



13/05/22

私は髪の豊かなほうではないが、それで心を痛めているわけではなく、現状を維持しようと心を砕くこともないし、増毛の類には全く関心がない。
それなのに、年に数度、ひどく禿げてしまった夢を見る。
今日もまた見た。
禿げる夢は、序盤に鏡で頭を確認して動揺した後、頭とは関係のない展開で進む。
意識では気にしていないが、無意識では気にしているらしい。


13/09/10
某ショッピングモールの店は、オーダーメイドスーツを作ると、割引サービス分が柿ピーで支払われるという悪質な店だという。


ラベル:
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2013年12月27日

一日江戸人


一日江戸人 杉浦日向子  小学館文庫

イラスト多用、江戸の生活を軽いタッチで紹介する。
読み易く情報量の多い。(それだけ私が知らなかったわけでもあるが)


錦絵に見る江戸の美女の変遷

明和二年(1765)鈴木晴信タイプ
七頭身 ぽっちりした口 お椀型の胸 なで肩 細い手足 柳腰 清純派
http://ameblo.jp/rekisitosyakai/image-10123388963-10081907442.html

天明四年(1784)鳥居清長タイプ
十頭身 口角の上がった口元 きりりとした濃い眉 細くなった顔 長い手足
http://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc160950

(1794)喜多川歌麿タイプ
八頭身 清長タイプより肉付き良く大きな胸
http://ja.ukiyo-e.org/search?q=%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%B7%9D%E6%AD%8C%E9%BA%BF

文政七年(1828)渓斎英泉 タイプ
六頭身 細面 小さく釣り上った目 受け口 尖った顎 猫背 小さい胸 くびれのない腰 短くむっくりした足 垂れた尻
リンク

退廃的とでもいのうのか、一種凄みが出てきます。渓斎英泉がその姿をとらえていますが、眉根が寄って下唇の突き出た細面。姿勢悪く胴長の六頭身に甲高足、指の家た型悪く、最悪のプロポーション。ところが、これが渋い小紋を着て、しどけなく帯を結ぶと、ゾッとするほどの色気が出るからフシギです。




毎年十二月には「鶴の献上」といって、将軍家から天皇家へ鶴の贈り物をすることになっています。しかもこの蔓は、将軍自身が捕えたものでなくてはなりません。はじめのうちは、将軍も律儀に弓矢をかかえて野山を駆け回りましたが、後には、それ用の鶴を餌付けしておいて、それをチョイと仕留めて献上したそうです。



ああ、元禄世間咄風聞集で料理人が「つる之ほうてう」を挙げていたhttp://qazwsx.seesaa.net/article/370428141.htmlのは、鶴料理が斯様に格調高いものであったからなのか。
こうして予期せず違う本の話が繋がるのは楽しい。


 明治初期に来日し、大森貝塚を発見したアメリカの生物学者エドワード・モースは「日本には大根の他、ロクな野菜はない」と言い切っています。
 私たちにも馴染み深い大根、意外にも外来野菜なのだそうです。鎌倉期には渡来していたとみえ、日蓮上人の見た大根は「大仏殿の大釘」ほどの太さだったといい、『徒然草』にも、薬草としてちらりと名が見えています。品種改良が進められたのが室町中期、女性のふくらはぎのように立派に完成したのが、わずか三百年前、元禄のころなのだそうです。


 ちなみに、日本原産の野菜は、フキ、セリ、ウド、ワサビ、ジュンサイ、ゼンマイ、ワラビの七種のみと言われています。




相撲取りの話

初代の両国梶之助という人は大変な美男子で、土俵に上がる時は白粉を塗って、艶やかに結った前髪立に二枚櫛をさしたといわれています。
 白粉というのは諸説ありまして、いやあれは、まるで白粉を塗ったように色白だったというのが有力なんですが、櫛のほうはほんとうだったようです。
 櫛なんかさしちゃあ、けがでもしやすまいかと思いますが、これは、当時、頭突きをして相手を負かすなんてのは拙いように思われていたので、おれァそんなこたァしないぜという看板にさしてたんだそうです。その上彼は、相手によっちゃ、櫛が落っこったら負けにしてやらァとタンカを切ったといいます。
 子供じみているいやあそれまでですが、ソコがおもしろいじゃありませんか。
 この櫛をさすのは流行だったらしく、髷の前のとこにチョンと櫛をさした力士の絵が何通りも残っています。


もしも相撲のこんな部分が後世に強く受け継がれていたら、播磨灘みたいなのが当たり前の相撲界になっていたかもしれない。

雷電為衛門

小娘が彼の胸をちょんと突っついたら、大げさにズデーンとひっくり返ってた




旅支度

道中脇差といって町人でも護身のための刀を持つことができるが、ふだん差しなれないから重くてジャマになるし、いざ抜いても使う自信がないので持たない場合が多い。



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2013年12月26日

今週の笠地蔵



おじいさんは笠が売れ残った腹いせに、地蔵たちの頭を次々とバットで撥ね飛ばしました。

その夜、地蔵の親たちがおじいさんの家に怒鳴り込んできました。おじいさんはお詫びとして売れ残った傘をあげました。数が足りなかったので、自分の手拭いもあげました。
おじいさんの家は廃屋同然だし他に資産とかないし保険とかも入ってなかったので、これ以上何も取れません。

地蔵たちはおじいさんの生活を目の当たりにし、本当に悪いのはおじいさんではない、荒んだ心を作り上げる貧困だ、と気付きました。
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2013年12月24日

いただきます

少し前にネットで批判が盛り上がった宗教論のリンクを貼るが、貼るにあたって読み返したら頭の悪さに辟易したのでみんなはリンクを踏まなくていいです。


宗教的な感覚は持っているが、それは宗教ではなくて、単なる習慣としてやっているのだと考えている、その二枚舌。


西洋は「信じる宗教」、日本は「感じる宗教」
http://toyokeizai.net/articles/-/22709?page=2

あ、これ東洋経済の記事だったんだあ。なあんだ。ははは。
で、ネットで大いに批判された部分への批判に関してはネットでの大いなる批判に譲り、そこを読みたい人は各々検索してもらうとして。

私が看過できないのは、宗教(神仏)に対して日本人が蔑ろに出来ないのは、宗教を「感じている」からだ(それに対して西洋人は宗教を「信じている」)とだけ結論されていて、私は小林秀雄の定規の話を思い出さずにいられないんだが、宗教を蔑ろにしないのは、感じる・信じる・習慣・礼儀、そういうものだけではなく、「自分がどういう文化に属していたいのか・自分が属したい文化だから従う」という部分を無視してはならないと思う。
神社にお参りするのも、いただきますと手を合わせるのも、自分が何故それをするのかと考えてみると、私はこういう部分に行き着く。
これには先に挙げた4つと不可分な部分もあるが、同一ではない。


怪しげな儲け話に騙される人、都合のいい言説に裏付けもなく乗っかってしまう人などが絶えないのは、人間が自分の信じたいものを信じるからだと言えばわかりやすいだろうか。これと同根である。
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2013年12月22日

今週の桃太郎


むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。
あるとき、おじいさんはピラミッドの建築に、おばあさんはナイル川へ洗濯に行きました。

おばさんが腰布を洗っていると、川上からどんぶらこどんぶらこと大きな桃が流れてきました。おばあさんは大きな桃にびっくりしましたが、それを拾い上げてチャリオットに積み、家に持って帰りました。
帰って来たおじいさんも大きな桃にびっくり。さっそく食べてみようと桃を割ると、なかから玉のような男の子が出てきてまたまたびっくり。

男の子は桃太郎と名付けられてすくすくと育ちました。
ある日、桃太郎は鬼ヶ島へ鬼退治に行くといいだしました。そこで、おじいさんは棍棒と、パピルスにヒエログリフで日本一と書かいた旗、おばあさんはきびだんごを桃太郎に持たせて送り出しました。

鬼ヶ島へ向かう桃太郎は、犬、猿、雉、スフィンクスにきびだんごを与えて仲間にしました。
そしてとうとう鬼ヶ島へ着いたのです。

桃太郎たちは鬼たちを退治しました。
とは言っても、島に上陸してからはスフィンクスの独壇場で、神の力の前には、味方の桃太郎も鬼たちと共に逃げ惑うしかありませんでした。

おじいさんとおばあさんのもとへ帰った桃太郎一行でしたが、鬼退治で活躍したスフィンクスは大人気で石像を作られたり壁画を描かれたりしたのに、逃げ回っていただけの桃太郎たちは人気が出ず、忘れられてしまいました。
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2013年12月19日

今週の収支報告

先月のMVP。
ガスファンヒーターが売れていました。それも都市ガス用。私の部屋はLPガスなのでガス代が2倍くらいかかります。ガスを止めようと思っているが、ガス屋を呼ぶには部屋を片付けないといけないので、ずるずると契約継続中。
君は安い都市ガスでぬくぬくしているわけだな。
ユルセヌ。
MVPはやらぬ。先月私が買った風邪薬に呉れてやろう。
常備薬の予備が無くなったと思って買ってきたら、後で予備が見つかりやがんの。



えっ、何これ。ガス代云々って、早く片付けを済まさないでガス屋を呼べないお前が悪いんじゃないの。
なんでガス使うのにお前の許しが要るんだ。
そんなんだから生活費が逼迫するし鶏肉の加熱が甘くて変な頭痛もしてるんだよ。
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2013年12月16日

大学の吹奏楽部



大学の吹奏楽部(音大ではない)の演奏会(有料)に行ってきました。
私とは縁もゆかりもない大学で、演奏曲も知らぬ。偶にはクラシック聴こーかなー、大学の演奏レベル(有料)ってどんなものだろ、ってそんだけ。

客入りは良かった。知人親族先輩後輩、そういうのが大部分の集まりなのだろう。
演奏が始まる。
私はクラシックの演奏会を聴きに行った経験が豊富で、今回でもう3度目だから、大学生とプロの腕が段違いであるのが聴いた瞬間に判る。吹奏楽部のOBでやる市民楽団よりも未熟だ。プロは音の纏まりと迫力が違う。
演奏レベルが未熟となると、あとは曲自体の良さにしか楽しみがないので、それに意識を向けて楽しんだ。もともと演奏レベルに期待していたわけではないので、不満と言えば何度か離れたところにいる翁の私語が聴こえて来たことくらいだった。演奏が終わるまでは。


演奏が終わると、大した演奏では無かったのに万雷の拍手。そんなに良くなかっただろ。明らかなミスも何カ所かあった。
ああ、これって御遊戯会なんだなあ。子供の御遊戯が拙くても、拍手したい気持ちはそんなことと関係ないのと同じ。
私も拍手をしたが、それは演奏を最後まで聴いた客としての最低限の礼儀のようなものと、若者がこういった文化に打ち込み、継承してゆくことを良しとするからである。
こんなものに万雷の拍手は不要だと思うものの、文句を言う程ではないので黙っていたが、そこへ許しがたい声が掛かった。

「ブラボー!」

耳を疑ったが、同じ声で二度三度ブラボーと聞こえたのでブラボーに違いないのである。これのどこがブラボーか。
仮に親兄弟の馬鹿だとしても、大学生の下手な演奏にブラボーは言い過ぎである。ものには限度がある。外部から客を入れているここは内輪ではない。即ち恥を晒しているのだ云々。
私は席から立って、声のした方へ向かってそういうことを訴えた。
会場は静まり返り、私の声だけが響く。
話が終わると、しばしの間を置いて、盛大な拍手が巻き上がった。
「その通りだ!」
「確かに演奏は上手いわけではなかった!」
私の話は観客皆の心に響いたのである。否、それだけではない。舞台上で奏者たちも足を踏み鳴らして称賛を送っているし、指揮者は自分が受けった花束を私に呉れた。
こんな大騒ぎになるとは思っていなかった。私は拍手から逃げるように会場から出たが、扉を閉めてもまだ拍手が途絶える様子がないことから、また会場の席まで戻って手を振るなどして、また会場から出た。それでも拍手が止まないから、もう一回だけ席に戻って、手を振り、ありがとうなどと言って、ブラボーとか声援を送られて、帰った。とても恥ずかしかったです。

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2013年12月13日

今週の収支報告

先月のMVPの、先月分の発表です。

「チリンの鈴・他」のアニメDVDが売れていました。やなせたかし原作。
内容は憶えていませんが、昔、私も見たことがあると思います。

こうしてやなせたかしを追悼する一方で、二次元ドリームコミックスのエロマンガも売れているという始末。
アフィリエイトの管理画面に並ぶやなせたかしとエロマンガに何事かと思いましたが、このエロスとタナトスの同居が生命を廻る真理を示しているような気がして、あと死霊のはらわたのリメイク版も売れていて、MVPはふかふかの食パンです。
菓子パンを、スイスロールみたいな、クリームいっぱい系のパンを、食パンと一緒に食べるんです。それくらいでちょうどいい。ああいうの甘すぎる味を標準にしてたらヨシノブおじいちゃんは体壊すと思うの。

売れていたエロマンガは、5人の変身美少女戦士もので、それぞれの色分けがスマイルプリキュアそのまんま。スマプリの二次創作という意識はないだろうが、髪型もやや近い。




そういえば、太田出版だったかなあ、或る出版社から出ていた二次創作のエロマンガアンソロジーシリーズは、絵は完全に模倣(上手と言う意味ではない)なのに、名前がみんなちょっとずつ違ってた。「さくら」が「さくや」という具合に。この、ちょっとの差異がどうにも邪魔でなあ。
今から15年くらい前の話さ。
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2013年12月10日

アワワ〜〜ッ


キン肉マンを毎週楽しみにしています。
キン肉マンは面白くてかっこいいマンガなのですが、作者は真面目に描いているであろうけれど、おかしな展開になってしまうことが度々あり、それも楽しみのひとつであります。が、今回は特にひどかった。


人が死ぬとあの世へ行くように、超人が死ぬと超人墓場へ行く。
そこでは鬼たちによる監督のもとで、死んだ超人たちが労働しているのだが、超人墓場を潰すために悪魔将軍が乗り込んできた。迎え討つのは鬼たちの頭であり、墓場で最も強い男、アビスマンだ。
アビスマンは鬼ではなく、特別な事情を持つ超人である。

闘いに勝ったのは悪魔将軍。その結果に慄く鬼たちの台詞。

「な…なんてことだ あの鬼のように強い」
「アビスマン様がやられちまうなんて」
「バ…バケモノだ! やっぱりあの悪魔将軍はバケモノだ!」
「アワワ〜〜ッ」



鬼が自分より強い奴を指して、「鬼のように強い」
自分が鬼であることを差し置いて「バケモノだ!」
アワワ〜〜ッ。

日本のマンガは世界一だと思いましたね。

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2013年12月06日

13/11/24


(穏やかな夢のあとで)

私は垣根の根元にしゃがみ込んでいる。夜明け間近で薄青い。ところどころに溶け残った雪。
地面が少し抉れて、垣根の下の一部がトンネル状に向こう側へ通じている。
それを眺めていて、急に思い出した。

実家の風呂場と脱衣所を仕切る扉は、一つ折の屏風状になっている。開けた状態だと扉が畳まれて、閉めた状態では扉が壁状になる。
もう何年も前、中途半端に開けた状態の扉の下にA君が左手を置いている時、私は何も考えず扉を閉めた。彼の指は切断され、後に傷口から壊死したようになって左手の先は茶色くなってしまった。

ずっと忘れていた。事態の重さに、忘れたくて忘れていたのだ。A君はあれからどうしたのだろう。私はどうしたらいいのだろう。この忘れていた何年もの間、彼の左手はずっと、この先もあのままなのだ。
私は卑怯者だ。この現実から逃げだしたくてしょうがない。

(起きてからもしばらくは現実だと思っていた)

ラベル:
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2013年12月01日

魚をばらまき



随分と長く続いているライブに初めて行ってきた。
チケットを買ってからライブが終わるまで、楽しめたのである。
が、ライブが終わってその室内でアンケートを書いているあたりから、徐々に薄黒い雲が立ち込めていた。今思えば。

結論から言えば私は首を括って死ぬのですが、何故死んだのかと言うと、薄黒い雲というのが、或る中年の一団から生じたのであり、彼らはライブの常連であることが会話から判明。そして、つまらない会話の内容ではしゃいでいるのは、会話が話題ではなく相手で成り立つ側面から不問に付すけれども、ライブの構成に対して目の前の餌を追っかける事しか考えられない脳を欠いた犬の如きを、つまり、常連の妙な余裕で調子付き、一見をないがしろにするような会話を内輪から溢れさせて周囲半径8mには聴こえたであろうと思うが、8mの外にいてアンケートに記入していた私にも聴こえていたわけだ。
私はライブの余韻に浸っていたいので、聞き流していた。長袖の中にかっこいいTシャツを着ていて余裕あったし。

室内が閉じられることになって客は全員外に出され、私もアンケートを提出して外に出て、会場の出入り口にあるチラシを見ようとしたのだけれど、例の中年の一団がちょうどチラシの棚の前に陣取って、遠いところからやってきてコストがかかるとか、次のライブでは途中で帰らないといけないかもとか、まあ、はしゃいでいるわけだ。黒雲もくもく。
私はその近くで陣が散会するのを待つ。彼らの楽しいお時間を長い棒で殴りつける道理はあるけれど、時間はあるのでその必要が無かったし、かっこいいTシャツ着てるわけだし。こっちは余韻に浸っていたいから余計なことはしたくないの。奴らは狭い通路を更に狭くしているけど。

そのちょっと後、霹靂が。一団の一人が、もうやめてくれって言いたくなるような、悍ましさを湛えた物理的なはしゃぎに移行したので絶句した。
会場外の通りで出待ちして出演者を送り出そうという際、男が「かわいらしい帽子」を被りだしたから。それで手を振って送り出すわけ。出演者は待っていた皆に軽く会釈してタクシーに乗り込む。

その年でそのセンスじゃあ、そのセンスのまま死ぬよ。私はかっこいいTシャツを着るくらいセンスがいいけど、だからこそ、そういうのには体から精神がやや食み出すほど動揺する。若い奴の馬鹿と違って、中高年のそれには悲哀を感じる。中高年でそのセンスなら、それが一生変わらないのではないかと思う。さっきまでのライブはそんな雰囲気じゃなかったろ? その余韻を台無しにしてまでやることかそれは?
日常生活・仕事中にはそのセンスを冷笑・侮蔑されているけれども、何も咎められることのない祝祭空間では大いに開放して解放されているのではないか、でも咎められなくとも冷ややかな視線は注がれているぞ、なんて想像しちまってかなしいぜ。

出演者も、全国各地をまわっている息の長い活動で、遠征して来るファンもいるわけで、各地でこういう歓待を受けていているが無下にするわけにもいかないであの歓待を受けるがままになっているのだろうなあ、外であんな恰好されて通りすがりからあれらの親玉のように思われるのではないかと嫌なんじゃなかろうか、彼らのライブの雰囲気をもう忘れたかのような姿にがっかりしないんだろうか、などと考えてしまってこれまたかなしい。

この前日にも、エレベータの中で遭遇した高年の二人が、昨今の政治を批判した後、7億円の宝くじが当たった時の使い道について、無自覚であろう下卑た笑いと共に夢のある話をしていて、その内容はここに収録はしないけれども、悍ましくも哀しい話であった。あなた7億円で寂しさを埋めたいのだろうけど、その埋め方に関しては寂しいままで死んでゆくのが正解だよ、と傍聴人にされた私は思う。




私は今日という日の残りくらいは、ライブの余韻で過ごしたい。
それなのに、こんな余計なことが目に留まり、心に留まる。年を取るにつれ、他人の嫌なところに偏って眼を向けているような気がする。
自分で自分が嫌になる。
魚をばらまき、寄って来た一羽のカモメの首に縄をかけ、その先を輪にして私の首にかけた。やがて魚を喰い尽くしたカモメは飛び立つ。そして私の首吊り自殺は洋上に完結したのです。

posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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