2012年09月30日

退院してからの話。




病院からは自転車で帰った。座っていられないので腰を浮かしている。

退院したからといって、完全に回復したわけではない。
朝までカテーテルを挿し込まれてたので尿道が痛い。そして腎臓から膀胱まで管を通しておく留置ステントという処置がされていて、この管が膀胱を刺激して尿意を生じさせる。ステントがあるうちは膀胱が痛み血尿が出るし、排尿時には尿道が締め付けられるように痛む。(後で考えるに、カテーテルを通したことで傷が出来ていたのかもしれない)
結石を砕いた痕が炎症をおこすため、それで尿管が塞がらないようにステントで尿管の広さを確保するのだ。

ネットで「留置ステント」を画像検索すると、体内に管が入った状態のレントゲン写真、「ステント」で検索すればステントそのもの(金属製の網目の筒)の画像が見られる。



退院後の3日くらいは、かなり血の濃い血尿が一日中出た。不穏な赤さで血の粘度が消えていない。
それからは段々と血が薄まり、相対的に尿の黄色が強まって穏やかな東雲色。しかし、夜になると血が濃くなる。日中体を動かすせいで、ステントが傷をつけるのだ。
だから起床後最初の尿も赤い。夜のうちに溜まった血の濃い尿が出ている。2回目からは穏やかな東雲色に戻り、夜になると血が強くなる。穏やかな色に戻るのは、寝ているうちは傷がつきにくく、回復が勝っているせいだろう。そして日中に傷がついて夜は不穏、寝ている間に治って朝の二回目から穏やか。
そんな、三歩進んで二歩下がるような回復状況であった。ステントの留置期間は2週間である。



普通に歩くとステントで傷がついてしまう。痛いのは勿論だが、あまり出るわけでもないのにすぐ尿意が高まってしまい、今にも漏らしてしまうのではないかとの不安が大きかった。
腰を引いて足を開き気味に、ヨタヨタとしか歩けない。まるで戯画化されたおじいさんである。
座るのも腰を引いていなければ耐えられない。ゴリラが座るときの姿勢である。
これでも痛みと尿意が襲ってくる。尿意があるのは常時で、それが高まって出そうと思うと、もう我慢が効かない、すぐ出る。


退院後は最初の3日間が一番きつくて、それからはやや治まった。それでも近所へ買い物に行くのが限度。出かけた後は濃い血尿が出る。行動は必要最小限にして、安静にしているしかなかった。

しかし、こちらにはこちらの事情というものがあって大人しくばかりはしていられない。退院10日目に欲しいチケットの発売日があったのだ。これは会場窓口まで買いに行かなければ良い席がなく、私には代わりに買いに行ってくれる友人もない。

痛みも血尿も大分落ち着いてきた。窓口までは自転車で急がずとも20分程度。前日まで諦めようか悩んだが、これなら何とかなるだろうと出発。勿論直前には小水を済ませる。

刺激を与えないように、腰を浮かせて慌てず進む。
しかし、20分持たなかった。15分が限度。
慌てて公園の厠に駆け込んだ、というのは気持ちの上でのことで、実際には痛くてヨタヨタとしか歩けていない。
出たのはほとんど血。痛い。

会場に着いて整理券(またしても 1)を受け取りつつヨタヨタ厠へ。血。
発売時間まで椅子に座って待つ。
普段の椅子と違うから、痛くない座り方を模索しなくてはならぬ。これはどうかな。痛い。これはどうだ。痛い。こうしたら。大丈夫そうだ。いや、長続きしない。痛ててててて。
結局、ゴリラの如く深く腰を引いて座るのが最も安定した。本を読んで待つ。

粗相のないように発売時間直前に厠へ血を出し、チケットを買った後も帰りに向けて血を出し、また公園に寄って血を出す。家に着いて血を出す。

こんなに血が出るようになってステントを抜いてもらえるのだろうかと不安になったが、除去日には血尿が大分落ち着いた。相変らずヨタヨタ歩きだけど。
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2012年09月27日

12/09/26


みんなー、即身仏してるー? してるわけねえか。ハハハ。
えっ、明日からやるの。あっそう。へー。


私は今日から暫く、断続的にとても機嫌が悪い。

それとは別件で、最近、腸が煮えくり返っていたら気付いたのだが、つまりこの状態はモツ煮込みである。

童話に出てくる御菓子の家は子供にとって魅力的だが、病気が怖くなった大人から見ればこわくてとても食べられない。

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2012年09月26日

摂州合邦辻


文楽を観に行ったよ。桂じゃないよ人形浄瑠璃だよ。

* 以下は人形浄瑠璃初見の私が観た地方公演についてであり、演目や会場によって違いがあります。 *

私が観たのは団子売と摂州合邦辻(合邦住家の段)。
本編が始まる前に10分程度の解説があった。

中央の舞台で人形を操り、客席から向かって右手側(上手)の端に語りと三味線弾きが座るための専用席が設けられている。左側(下手)は衝立で隠されているが、そこで太鼓などの楽器が演奏される。


主要人物の人形は3人で1体を操作する。頭部と右手、左手、両足という振り分けで、足、手、頭という順に演者の格が上がる。なお、女の人形には足がない。足があるかのように着物の裾を動かす。
人形遣いは顔を隠した黒衣だが、頭部担当だけは顔を出して、黒い羽織を着ている。(演者によっては? 出さないこともあるらしい)
主要でない役の人形は1人で操作される。

語りは義太夫節(琵琶法師による平家物語や、講談を唄にしたようなものを想像せよ)。
人物の台詞や状況説明などは、全て義太夫節によって為される。
つまり、ミュージカルでは役者がそのまま歌うが、人形浄瑠璃では演者と歌い手が分業されており、歌い手が演者の台詞まで言ってしまうし、ナレーションも手掛けるのだ。

三味線は太棹を使う。
弟子入りして最初に使うのは、両面に犬の背中の皮を張ったもの。修行を積んで腕を認められると、表に猫の腹の皮を張った三味線が許される。表猫裏犬の組み合わせで出る音が一番いいらしい。
上演中に糸が切れることもある。その時はその場で張りなおす。今回の上演でも張りなおしていたようだが、気付いた時には作業がほぼ終わっていて確り見られなかった。もしかしたら私の勘違いで、別の作業だったのかもしれない。




団子売は短い舞踊である。
明るい曲に合わせて派手に踊り、目出度さは伝わるが、義太夫が何を言っているのかは殆どわからない。人形がよく動くから、背後の黒衣もよく動く。
この明け透けな意味不明、不明瞭、不自然は、ひどく呪術的な行為を目撃しているかのような気分にさせられる。



合邦住家の段。
人情話の悲劇であるから話は暗い。
見慣れない分野の芝居だから開始直後は興味津々で観ていられるが、地味な展開だし、人物の台詞なら人形の芝居もあって大意はわかるが、情景描写のようなものになると、義太夫特有の節回しもあって何を言っているのかよくわからないから、だんだんと注意力が散漫になってゆく。
15分くらい眠気と戦って、5分くらい負けた。

目を覚まして周囲を見回すと、寝ている人がぽつぽつ居る。
義太夫がいい声してるし、その隣で三味線やってるし、舞台の上は地味だから、仕方ないことではあるが、舞台鑑賞していてこんな光景見るの初めてだよ。今までだって私が寝ている間はこうなっていたのかも知れないけど。マーラーの時とか。

寝るのは気持ちいいし、他人が寝ているのも楽しくていい。落語の「寝床」みたいじゃないか。落語とは違って義太夫は玄人だし、客は金を払って来ているのだが、私の頭の中では「誰ががんもどきの製造法を聞いているんだ」「うまいッ! 玉子焼きが」「うえーん、うえーん」「前に回って鰻に聞いとくれ」と何か違うのまで展開されて非常に楽しかった。


少し離れて私の同列に座っているお婆さん。寝ている。
いつ起きるのかなあと思って時間を計ったら、30分で起きた。
「30分も寝ていた」のではない。30分しか寝られなかったのだ。
実地体験して初めて知ったが、席が前方ならばよほど深く居眠りしない限り、それくらいで起きられるシステムになっている。
話が一段落着いたところで、演者、人形らは舞台から去る。御簾からは太夫が去り、新たな太夫と交代する。
舞台端に黒衣が出てきて「只今より〇〇太夫に変わり、□□太夫が義太夫務めまする」みたいな口上を芝居がかった口調で述べ、その声で居眠りは目覚め、舞台には演者と人形が現れ、芝居が再開されるのだ。
今回の芝居では、40分くらいごとに2回、太夫(義太夫の語り手)が交代した。団子売りは短いので交代なし。

住処の段の終盤は、事態が慌ただしく急展開し、事件の真相が明かされ、一番の盛り上がりとなる。
人形たちが慌ただしく動くと、その演者たちも大きく動く。彼らはいないものとして鑑賞すべきなのだろうが、彼らが動くことによって生じる一層の慌ただしさが異様な雰囲気を生むので、無視できないし、無視すべきではないと思う。人形と大小道具の縮尺が合っていないところなど、不自然なところへ大いに目を向けて異界を堪能されたし。
そして、ここの義太夫が凄い。唸るというか情念を絞り出すというか、御簾から天に突き出たいかのように体を揺らして汗だくになって、それはもう、舞台上よりこっちが主役なんじゃないかというくらい迫力があって観客の目を惹いていた。


客は350人前後というところかな。
歌舞伎や落語と違い、意外と若い層も目立った。人気や観る機会がない分、かえってもの珍しさで見学しに来るのではないだろうか。



人形浄瑠璃の趣を解するほどの人間となると、俗人どもとは違って、高尚というか、非常に意識が高いんですよね。私もその一人としてよくわかるんです。隣に座っていた60間近と思われる紳士も、空き時間にバリバリの精神系自己啓発本を読んでいました。自分の中の宇宙がどうたらこうたらって書いてあるけど聖闘士星矢じゃないやつ。




人形浄瑠璃を観なくても人形浄瑠璃が面白くなる話。
初音ミクは日本の伝統芸能だった
http://ascii.jp/elem/000/000/634/634796/
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2012年09月21日

日本笑話集


日本笑話集 武田明  現代教養文庫 社会思想社


青森の話。地蔵浄土(かけろ虫)

小さい鬼が一人、金玉をばらに引っかけて逃げ遅れた。


ばらとは何だろう。日本の昔話だから薔薇ではあるまい。茨だろうか。
調べてみると、日本は薔薇の自生地で、江戸時代には身分を問わず園芸が流行って薔薇も栽培されていた、とwikipedia。
茨(いばら)は、とげのある低木の総称。古くは「うばら」と言った。金玉を引っかけたのはこういうものだろう。
類話(鹿児島甑島)には、出べそを戸口の簾に引っかけたものもある。そちらの結末

夜に地蔵堂へ集って博打する鬼を、物陰から鶏(かけろ虫)を真似た鳴き声で朝だと勘違いさせて追い払い、残していった銭を頂戴する爺、の話を聞いた隣の婆が自分のところの爺に同じことさせたら、逃げ出す鬼の金玉事故で笑ってしまい人だと気付かれ……

鬼どもはもどってきて爺をにくい奴だといって血みどろにした。爺は真赤になって泣きながら家に帰った。婆は欲が深いから、それを見て「おら爺は赤いぼぼ(着物)着て来た」と思ってよろこんで遠くから眺めていた。


着物といえば一般に「べべ」だが、地方によっては「ぼぼ」らしい。老人が血みどろにされながら歩いて帰宅できるところに、昔の人の頑丈さが表れているね。



猿地蔵という話。猿から銭をせしめた爺の話を聞いた隣家の爺、真似をするが失敗してしまう。そうとも知らず…

婆は今に爺は猿から金をもらって美しい着物などをうんと買うて来るべえと思って、今まで着ていた着物をば脱いでみな焼いて裸になって待っていた。ところが爺はぬれ鼠になっておういおういと泣きながら帰って来た。
それを、あれあれおらが爺は猿から美しい着物だの金だのもらって、あんな歌を歌って来るといって、婆は待っていたとさ。


漫☆画太郎が描きそうな婆。



麦粉長者という話。或る日、爺が狸に地蔵と間違えられて、知らんぷりをしていたら沢山の供え物を置かれる。

爺は夜になって狸どもが居なくなってからそのお供物を持って帰って婆と一緒に食べた。毎日毎日そんな事をしているうちに貧乏な爺の家はだんだん金持になってきた。近所の欲ばり爺がその事を聞いて


待て、地蔵詐欺を毎日続けた爺だって十分に欲ばりだろ。



ヒッツコーカ、モッツコーカという話。
かくかくしかじかで、体に一杯むかごをひっつけて帰って来た婆。隣の婆がそれを真似ると、体に一杯松脂がついてしまった。

もどって爺さんに言うと、「そりゃ火で焼かんといかん」と言うた。それで婆さんが体を火に焼くと松やに火がついて婆さんはとうどう死んでしもうたとさ。そこで誰でも人の真似するでないと。


死んだのは真似のせいではない。



本なり瓢箪という話をダイジェストする。
三人の兄弟が一人ずつ父の枕元に呼ばれ「これを大事にして跡を継いでくれ」と瓢箪を渡された。間もなく父は死に、兄弟はそれぞれが父から同じことを言われているのを知り、跡継ぎは自分だと主張した。
話がつかないので村の和尚に裁きをつけてもらうことにする。和尚は、本なりの瓢箪を貰ったものが家督を継ぐべき、一番重いのが本なりだ、と言う。三つの瓢箪を量ると長男の瓢箪が一番重かったので、長男が家督を継ぐことになった。

岩手の話。これで全部。思わせぶりな事をしておいて、結局は長男が継ぐところが面白いのだろうか。父親の真意もわからない。何か大事な部分が省かれたまま語り継がれてしまったのではないか。



和尚と夕顔という話の出だし。

あるお寺に和尚さんと小僧があった。和尚さんは瓢に顔を描いて、女の衣装を着せ、それを床の間に飾っておいた。外へ出る時はいつも、「俺ら行って来るで」といって、つけてある糸縄を引張ると、その姉さは首を下げて人間のようにお辞儀させて、毎日それを楽しみにしていた。


哀しくて胸が痛む。どれだけ寂しい思いをしたらこんな楽しみに耽るのか。
私がこうなってもおかしくない気がする。いや、多分違った形で同じようなことをするのだろう。和尚の胸の内にあるものへ、早晩私も到達するのだ。和尚を通して私は私を憐れんでいる。哀しんでいる。涙が滲む。
何にせよ和尚がこんなことではいかんと思う。
類話。

昔、和尚さんがあったが、嫁さんがなかった。それで南瓜に目鼻をかいて、嬶にしていた。よそに行った時は、いつも土産を買って帰っていた。夜も抱いて寝ていた。
小僧はこれを見て、汚いことをする和尚さんだ、俺がいたずらをしてやろうと言って、針をつきさしておいた。和尚さんは体に針をつきさした。


もう和尚じゃなくて患者だよ。




この本は笑話の分析が主題で、笑話の紹介はそのために行われている。分析の中で興味深かったのは、村から村への笑話の運搬に大きな役割を果たしたのが座頭であったこと。
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2012年09月19日

今週の桃太郎


むかしむかし、あるところに、お爺さんとお婆さんがありました。
ある日、お爺さんは山へフェスに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが洗濯をしていると、川上から、ウッホウホ、ウッホウホ、と大きなゴリラが流れてきましたので、お婆さんはゴリラを拾って帰りました。

帰って来たお爺さんも大きなゴリラに大喜び。
さっそく食べようと、お爺さんはゴリラの頭に鉈を振り下ろしましたが、ゴリラは白刃取りして命乞いをしますので、仕方なく育てることにしました。
ゴリラは桃太郎と名付けられました。

世界初となるゴリラの人工飼育でしたが、桃太郎はすくすくと育ち、立派なシルバーバックになりました。
ある時、桃太郎は鬼ヶ島に住む悪い鬼どもを退治する旅に出ようと決心しました。お爺さんとお婆さんは支度を整えてやり、きび団子を持たせ、桃太郎を送り出しました。


日本一の旗を立て、ナックルウォークで旅する桃太郎の前に、一匹の犬が現われました。
「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきびだんご、ひとつ私にくださいな。くれたら家来になりましょう」
桃太郎はきび団子をひとつくれてやり、犬を家来にしてやりました。

旅を続けていると、一匹の猿が、その次には一羽の雉が現れ、犬と同じくきびだんごで家来となりました。

道中、桃太郎と猿は同じ霊長類ということもあって、とても仲良くなりました。語り合ううちに、どちらもアフリカ中部の出身だとわかり、桃太郎の胸の内には、鬼退治という社会正義よりも、望郷の念が日々強まるのでした。

ある夜、とうとう桃太郎と猿(ボノボ)は寝ている犬と雉を置き去りにして、アフリカへと旅立ちました。
朝になり、犬と雉は桃太郎と猿を探しましたが、見つかりません。犬はその辺をしばらくうろうろすると何処かへいき、雉もその辺の地面をしばらく突くと何処かへ羽ばたいていきました。



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2012年09月18日

12/09/16



毎日新聞 2012年08月25日 
余録:中国各地で起きた反日デモのスローガンは…

中国での反日デモ、日本と関係ありそうな店も被害にあっているという話。

こんども吉野家と味千ラーメンの店が投石された。味千ラーメンは「当店は100%香港資本につき愛国です」の張り紙を出したが無視された。活動家が、通りがかりの日本車をひっくり返して壊すのも扇動マニュアルにあるらしい▲気の毒なのは中国人の経営するささやかな日本料理店だ。やじ馬を巻き込んでデモの人数を増やすために、活動家が日本料理の看板の前で売国だと騒ぎ、店内を破壊する。深センのデモでは「料理・徳川」が被害を受けた▲店主は湖南省の常徳の出身で、四川人の調理師と鉄板焼きの店を始めた。2人の故郷の名前をとって「日本料理・徳川」の看板を出した。去年、福島の原発事故のせいで日本食離れが起き「日本」の文字を消した。なのに店を壊された


日本に反発して看板の字を消したわけでもないんだから、「なのに」じゃねーだろ。



近年、競走馬に変な名前が減った理由。
昔は資産家が単独で馬主になって好きに名前を付けていた。所有馬が増えれば命名に困って変な名前をつける。
今は一頭の馬に複数で出資する一口馬主が増え、その命名は抽選で行われるため、小奇麗な名前がつきやすい。
産経新聞:フクキタル、オレハマッテルゼ…珍名の馬、命名の事情と流行
http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/120715/wsp12071512000009-n1.htm



長崎県民による証言

 長崎の原爆資料館まわりでも、時々「俺たちいいことしたなー」みたいな満面の笑顔の海外からの観光客の方もおられるわけで…。


変人窟 2012/08/16
http://www.henjinkutsu.net/log/201208.html



アニメ監督佐倉大(北久保弘之)氏による、アニメージュ/イノセンス/ジブリに関する裏話(ジブリの声優がアレな理由など)
http://togetter.com/li/374120?f=tgtn




2012年8月24日に行われた参議院予算委員会で、自民党の山本一太参議院議員が質問に立った。
山本議員は李大統領の竹島不法上陸について、武藤正敏駐韓大使が抗議しようとしたが韓国側と連絡がつかなかったことを問題視した。「あれだけの大事件があって、駐韓大使が韓国政府に連絡をしたけど連絡が付かない、これは外務大臣のリーダーシップが全くないということでは」と玄葉光一郎外務大臣に詰め寄った。
玄葉大臣はそれに対し、「よく韓国の場合は、都合の悪いことがあるとなかなか先方が電話に出ないとか、連絡が付かないということは、日韓関係の歴史の中で何度かあったと承知しています」と呆れ笑いすら浮かべながら答弁した。
山本議員が「そんな問題意識なんですか?もっと深刻に受け止めるべきでは」と畳み掛けると、「連絡を取ろうとしてもなかなか電話に出ないということがあるんですよ。それは深刻ですよ確かに、それは深刻です、それは、全く深刻なんですよ。現実そういうことなわけですから、それはそれで踏まえた事前の対応を取るしかないということだと思ってます」と答えた。


J-CASTニュース:「都合が悪いことあると電話に出ない!」 韓国は日本になんと「居留守」まで使う
http://www.j-cast.com/2012/08/24143960.html?p=all




日本側の不信は、李大統領が竹島に上陸する情報を得た9日にさかのぼる。同日夕方以降、在韓日本大使館は職員総出で、韓国大統領府や外交通商省に連絡を試みたが、電話に出ない幹部が相次ぎ、交渉にならなかった。


北海道新聞:日韓外交、不信の連鎖 「最大の転換点」08/25
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/398937.html





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2012年09月17日

中能島欣一 < 私 < 小野田寛郎

箏曲家の中能島欣一は、10時間席を立たずに演奏し続けるという修行をしていた。僅かに片手が空くと、傍らに置いたパンを素早く口に運ぶのだそうだ。
凄いなあと思っていたが、尿意の我慢に関しては私が中能島を凌駕したと自負している。


小野田寛郎がルバング島で現役軍人だった頃は、1日に1回しか用を足さなかった。敵に見つからないよう、なるべく形跡を残さないためである。
これには負けた。小野田は訓練すれば出来るようになると言っていたが、私には出来ない。健康上の理由からも。
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2012年09月16日

12/09/15


道徳の話。

命は重いと言うけれど、「命に重さはない。あるのは思い入れだ」ってことを言った人がある。
『命の重さ』は何処にあるのか。命そのものにあるのか、受け手のなかにあるのか。そういう話です。

それで、古くにこんな問答があったのを思い出しました。
老人がいて、若者がこれを敬う。この敬老の徳の本体は老人と若者、どちらの中にあるのか。
或る一派は、老人にあると言うんです。老という徳があるからそこ(老いただけで立派になるわけではないとお思いでしょうが、ここではこういうことにしといてください)若者は敬うのだ、と。
或る人は、若者にあると言うんです。老人を敬う心があるからこそ、老人を敬うのだ。

私は後者が正しいと思うのです。
如何に立派な老人であろうと、若者に敬老の心がなければ敬われない。老人の立派さに感化されて自然と敬う、なんてのは若者にその下地があってこそのことで、期待であり仕組みではありません。



この話は寺山修司と老子の架空対談であったと思うのですが、出典の確認が出来ません。よって問答の中身も大意であり、正確な表現ではありません。
確か寺山がこれだから老子は社会性がないなんて批判していたように思います。
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2012年09月14日

12/08


夜、買い物に出ると、右脇腹が軽く痛む。腹を壊したのだろうか。大した痛みではなかったが、買い物から帰る頃には平静を装えぬ痛みへ。力が入らず、歯を食いしばって耐えることが出来ない。筋肉痛のような痛み。

何がいけなかったのだろうか。思い当たる食べ物はない。だけれど腹の異常だと見当をつけ、中身を出してやろうと思うのだが、脇腹が痛んで力めない。体力の低下を避けるため吐くのは我慢する。取り敢えず胃薬を飲む。腹を下してはいない。

立っても駄目。座っても駄目。寝ても駄目。
楽な姿勢がない。痛みは治まらず、汗をダラダラかき、呻き声が止まらない。ふらふらと立ったり座ったり寝たりする。同じ姿勢でいる事も苦痛なのだ。

1ヶ月前にも同じことがあったのを思い出す。あれは5時間くらい続いて、最後は痛みが和らいだのと疲弊で眠り込んだらケロリと治った。何だかわからないが治ってしまったので病院には行っていない。私には稀によくわからない症状が起きて勝手に治まることがある。大病に罹ったことがないせいか、積極的に病院へ行く意識がない。
今回もあと5時間くらい耐えれば治まるだろう。二度目だからさすがに病院へ行ったほうがいいのだろうなあ。
寝床と便所を行ったり来たり。壁に寄り掛かりながら。


数時間して少しだけ痛みが和らいだので、ネットで同様の症状と付近の病院を調べる。
盲腸かもしれぬ。病院は一番近い小さなところよりも、少し離れた大きな総合病院がいいだろう。受付時間を書き留め、保険証や診察券の準備をする。

結局、呻き声が漏れる痛みは6時間程続いた。最後の2時間くらいは疲弊で眠ったり起きたりを繰り返して朝を迎えた。
病院は億劫だったが、脇腹の痛みが小さく続いていたのが後押しになり、開院時間前に病院へ行き、内科への受付を済ませる。問診票を書く。


待合室で朝刊2紙と週刊誌1冊を流し読みしてから診察室へ。
診察した医者は尿管結石でしょうと言う。噂に聞くあれか。尿検査とCT撮影を受ける。果たして尿管結石との結果が出た。泌尿器科へ。
泌尿器科でCTが撮影した白黒画像を見る。肝臓と膀胱を繋ぐ尿管の中に白い塊がひとつ写っており、これが結石だと言われる。
長さ11ミリ幅5ミリ。洒落た言い方をすればティアドロップ型。肝臓の形が左右で違っている。右は結石で尿が正常に流れていないため膨らんでいるのだ。

結石の大きさが5ミリ以下だと、ほとんど痛みがなく自然排出される。それ以上だと激痛を伴い、10ミリを超えると自然排泄は期待できない。
記憶違いがあるかもしれないが、医者にはそのようなことを言われた。
私の大きさだと出るか出ないかわからない。結石が膀胱まで落ちれば自然排出が期待できる(確実というわけではない)ため、1週間後に再撮影して、結石が移動していれば自然排出を待つ。結石がひっかかって動いていなければ即日手術で一泊入院。手術は麻酔を打ち、尿道から管を入れて器具を通し、衝撃波で結石を砕くというもの。(手術方法は他にもあります)
手術と入院に備えて書類を貰い、説明を受ける。手術を覚悟する。手術も入院も初めてだが、命や後遺症に関わる病気ではないので不安はない。俺もひとつ大人になったなァと感慨が沸く。
落ち込んだのは、医者からは問題視されていないが軽度脂肪肝とも診断されたこと。気付いていなかったわけではないが、医学的に肥満と認定されたようなのが悲しい。
(実際には脂肪肝=肥満ではありません。ただしヨシノブは肥満です。)

こんな大事になるとは思っていなかったので会計で金が足りず、有り金で払って不足分を取りに家まで往復した。CT撮影だけで5000円くらいかかる。



結石が落ちやすいように水を多く飲んでくださいと言われていたので、それからの1週間は水をガブガブ飲んで過ごした。右脇腹には、痛みというには小さな、しかし確実な何かの感覚が継続している。そこに結石があるのだろうと思っていたが、今思えば肝臓の異常かもしれない。結石に因る詰まりで水腎症を併発している。ごく簡単に言ってしまえば、便秘の尿版みたいなものだ。

着替え、本、タオルなど鞄に用意する。


1週間後、朝に再診。手術に備えて起床から飲み食いしていない。CT撮影で結石が移動していないことを確認。午後からの手術決定。
手術は背中から背骨の間に麻酔を打って、下半身が麻痺した状態(腰椎麻酔)で行われる。麻酔科の医者が麻酔を打つのに仔細ないか診察する。医者は二人いて、一人は前回の内科医だ。背を向けた私の腰を見て、「針が通るだろうか」「大丈夫でしょう」等と会話している。前回の内科医に「いい体格をしている」と腹の肉をプニプニ摘まれた。
手術前に精神安定剤を飲むか訊かれる。飲めば眠って手術を終えられる。麻酔で痛みはないんだから薬で眠るのは軟弱だとも思ったが、初めての手術で見栄を張ることもなかろうと思い、薬を出してもらう。
血液検査等受けて入院病棟へ。大部屋だがベッドごとにカーテンで仕切られてる。棚と小型テレビ付き。


看護婦が血圧や体温を測る。担当の看護士が付いて日程の簡単な説明。「手術頑張りましょうね」と言われ「私は横になっているだけで頑張るのは病院の人達ですよ」と思うが黙っている。私も大人ですから。頑張りを他人事と思っているこの時点では、手術後に私が凄く頑張らねばならないとは露程も思っていなかった。

手術着に着替える。手術の1時間くらい前に精神安定剤を飲み、すぐに30分くらい寝て起きる。飲ませる時間が明らかに早いと思う。
手術は3時から。
うつらうつらとベッドに横たわったまま手術室まで移動。室内には5人いたと思う。
横を向いて背中を丸め、腰に麻酔注射を打つ。少し時間を置いて、麻酔が効いているか調べる。足の方から上へ金属をあてていき、冷たいかどうか問う。肋骨の下あたりまで感覚がなくなる。両足を台に乗せて開く。腹のあたりに仕切りの小型カーテンがある。体に毛布を掛けられる。室内は寒い。
周囲で手術の準備が進められているが、勿論私には具体的なことはわからない。


いつの間にか寝ていた。目覚めると、手術は半分くらいまで進んでいる。
顔を横に向けると、尿管に通したカメラが映す画面が目に入る。透明な液体で満ちた肉の管の中に茶色い塊が挟まっていて、棒状の器具を向けて衝撃波を発すると、水底で砂粒が巻き上がるように茶色い粒が舞う。砕かれた結石の欠片だ。器具がピーと鳴って衝撃波を発するたびに、腹の中で痛いような不快感がする。

夢と現を行き来して、手術が終わった直後くらいに意識がはっきりとしだした。手術は1時間半くらいかかったと思う。
手術台からベッドに移され、部屋へ戻る。まだ寒いので電気毛布をかけられる。点滴を打たれる。
下半身は動かない。4時間くらいで麻酔は切れるという。
尿道にはカテーテル(管)が挿し込まれ、その先はベッドの脇に下げられた袋へ繋がっており、尿はゆっくりした速度で勝手に流れてゆく。挿し込んでいる間中、尿は勝手に出る。

麻酔で動かない下半身が苦しい。意に反して同じ姿勢を取り続けているためだ。呻く。薬の効果がまだ残っていて、少し眠ることも出来たが、少しである。意識のある大部分を身を捩って呻いた。
世の中にはもっと苦しい病気があるのに、これしきのことに暫くの間も耐えられないとは情けないぞ、と思うが苦しいものは苦しい。呻く。動き回れた分を差し引いても、家で呻いていた時の方が楽だったような気がする。

7時を回る頃、大分感覚が戻ってきた。カテーテルが挿し込まれている感覚も戻る。それだけでもじんじんと痛むが、体が動いてカテーテルも動くと、尿道口のあたりでピッと痛む。どこか柔らかいところが切れたんじゃないかという痛み。カテーテルの先、袋の中の液体はやや赤い。

夕食。病院食は不味いと昔は言われていたものだが、朝から何も食べていないのを差し引いても美味しかった。
看護婦からは、食べるのは軽くにしといてね、と言われたが冗談だと思うことにして全部食べた。後で、軽くって言ったのに、と言われたが、残すのは嫌だし体格もいいのでそうはいかない。美味しい、まだ食べたい、と言ってみたがおかわりは出なかった。
夜中も定期的に看護婦が体温と血圧を計りに来る。翌日昼の退院まで点滴は打ち続け。



尿管結石の痛みはあらゆる病気の中でもトップクラスだという説がある。しかし、トップクラスの痛みも生じ得る、というのが適切だろう。
私が呻いたあの痛みがそこまで凄まじいものだとは思わない。
私がこの病気で最も苦しみ、頑張って耐えたのは、術後のカテーテルだった。


挿し込んだままでいる痛みは無視できないものの、耐えられなくはない。管が動いてピッと痛むのには声が漏れてしまう程だけど、何よりもつらいのは尿意である。
管が通してあるので排泄は勝手にじわじわと行われる。しかし、それとは別に尿意が治まらないのだ。膀胱がぱんぱんに膨らんで今にも漏らしてしまいそうな感覚がある。どういう仕組みなのか、自分の意思で排泄することは出来ないし、その前に排泄しようとすればひどく痛む。
カテーテルは明朝8時、医者が尿の様子を診て具合がよければ外す予定になっている。一晩挿し込みっ放しなのである。
その間、性器は出しっぱなし。

最初のうちは尿意を我慢していたが、我慢は2時間も持たない。後はただ苦しむだけだ。
持参した本を読むどころではない。カテーテルが動かないように身を捩り、呻き声を押し殺す。

定期的に様子を診に来る看護婦が無造作に管を触るため、その度に痛みで声が漏れる。体を起こせるようになった後で気付いたが、管は右の太腿にテーブで留めてあったのだ。尿を溜める袋もベッドの右側に下げられている。
これならば管を動かしても太腿で動きは止まり、尿道口が痛むことはない、はず。しかしどういうわけか、テーブが剥がれてしまっていて管の動きは尿道口まで直接伝わり、私が声を上げてしまう仕組みになっていたのだ。

術後の麻痺も辛かったが、3時間程度で回復した。カテーテルから解放されるのは朝の8時。下半身の感覚が戻ったのを夜の7時として、13時間も限界の尿意が続くのである。
出したいのに出ない。
異様に時間の経過が遅い。
もう1時間は経っただろうと思って時計を見ると、15分か20分しか経っていない。
どうやったら朝まで過ごせるのかわからない。
泣きはしなかったが煩悶した。

当然、ろくに眠れない。薬で昼間に寝てしまってもいる。
夜中、尿意があまりに耐え難いので、一気に排泄すれば幾分楽になるのではないかと考え、身を起こし痛みを堪え力んでみた。しかし排泄量に変化なし。
消灯時間の薄明かりに、尿道口の下でシーツの色が変化しているのがわかった。ベッドライトを点けると、赤い染みが出来ている。今のでどこかが切れてしまったのだ。持ってきたタオルを敷く。幸い、血はすぐに止まった。

眠っている間は意識が途絶えているので良いが、30分もすると尿意で目が覚めてしまう。結局眠れたのは2時間くらいか。


朝7時になると看護婦がやって来て、医者の許可が出たのでカテーテルを抜くと言う。喜びと安堵。
どうやって抜くのかと思ったら、看護婦がその場で引っ張って抜いた。あああああああああ!
消毒を兼ねて周辺を拭いてもらう。
まだ痛む。痛むが、楽になってはいる。
ゆっくりとしか歩けぬ足で、便所へ行き、念願の自力による排泄を行った。鮮やかな血尿。
ベッドに帰ってぼんやりとする。

朝食・レントゲン検査・昼食の後、退院。
これで話が終わったわけではないか、今日はここまで。




尿管結石体験と言っても、感覚的には尿道カテーテルに代表される尿道・膀胱の体験が主体である。
そうだ、アフィリエイト収入の使い道をまだ決めていなかった。専用の口座を作っているわけではないので、厳密に言えば他の金と混ざって使ってしまっているのだが、区別して使っていないだけに、胸三寸で使い道を決められる。今回の医療費におちんちんいじりという名目でアフィリエイト収入を充てよう。手術はおちんちんを窓口に行われたのだし、術後もおちんちんはいじられっぱなしだったから、名目は間違っていない。
ベッドの上で、そういうことを考えた。

一連の外来・手術・入院費用は、保険を使ってざっと10万円。充てても全然足りません。
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2012年09月12日

日本語を反省してみませんか 12/09/11


日本語を反省してみませんか  金田一晴彦  角川oneテーマ21





p141

歌舞伎は華やかな舞台芸能として人気があるが、どうして自分を紹介する「名乗り」や由緒来歴を説明をする場面が多いのか、不思議に思うのは私だけだろうか。
(中略)
こうした演目が人気があったということは、逆に言えば日本人は他人のことを聞きたがる心理がどこかにあるということだ。


そりゃ違うだろうと思うが、これについてはまた日を改めて。



p211
・「牛耳を取る」を「牛耳る」、「野次を飛ばす」を「野次る」などと新語を作り出していた漱石。
東大で漱石から英文学の授業を受けた京助は、「妙なことばかり言って、あまり感心しなかった」と述べている。


p218
・「おめでとうございます」「ありがとうございます」「そうです」は関西弁。関東弁では「おめでたくございます」「ありがたくございます」「そうでございます」
文末の「です」「ます」は関西の「さいでおます」から来ている。
江戸で身代を築いた関西商人が多かった(三河屋、伊勢屋、近江屋などの屋号でわかる)ために広まったもの。

なかには、こういう店もある。

今回は、新大久保駅前、「百人町 近江屋」にうかがいました。
まず「近江屋」という屋号ですが、江戸に近いから「近江屋」、ということで滋賀県近江とは無関係だそうです。


江戸のそば屋を食べ歩け:第八回「百人町 近江屋」
http://www.kibati-kai.net/blog/2007/05/post_6.html


・「おでん」「おはぎ」は公家の女房言葉。本来は「田楽」「はぎのもち」
武家に嫁いだ公家を相手に商売するなかで、商売人たちが上品な言葉としてこれを取り入れていった、と晴彦は推測する。


p222

平安時代末期に木曽義仲という武将がいた。源頼朝のいとこにあたり、頼朝に呼応して兵を挙げ、あっという間に京の都を占領した。ところが都の人たちから「木曽の山猿」と呼ばれ大変評判が悪い。最後は頼朝の弟の義経に追い出されてしまう。代わった義経の方は、とても人気があったという。察するに義仲は木曽の山中で少年期を過ごしたために、方言が強かったのだろうと思う。普通に話していても乱暴にどなっているように聞こえたのだ。しかし義経の方は少年期を京の蔵馬で過ごしたので、言葉もやさしい。都の人々に受け入れられる素地があった。



義仲は粗野で無教養で不興を買った、という定説がある。乱暴に聞こえる方言もあっただろうが、それが全てだったかのような書き方をしていいはずがない。皇統問題や治安の失敗もあった。
晴彦は方言の専門家である。

学者は何でも自分の専門分野で説明できるようなことを言うが、それは自分の専門分野という物差しで何でも測るからそう見えているだけだ、その物差しで測れば何でもそれで答えが出て当然じゃないか。というようなことを、もうちっと気の利いた短い言い方で小林秀雄がしていた。多分、『私の人生論』だったと思う。誰か読み返して原文を教えてください。


p234
尾根は昭和初期まで共通語ではなかった。長野の方言が東京から山登りに来た人々によって東京に広まり共通語になった。というのが晴彦説であるが、東京人の働きだけに括っていいのだろうか。それなりの根拠はあるのだろうが、それを明示してくれない。尾根を本来の共通語では「稜線」と言う。
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2012年09月11日

重大発表


先日予告していた重大発表です。
当ブログはアフィリエイト収入を目的に開設されました(現在はメディアミックス展開による収入も目指して奮闘中です)が、その収入の使い道をまだ具体的には決めていませんでした。
この度、その使い道が決定しましたので報告します。

おちんちんいじりです。

最近10万円ばかりいじられましたので、今月中とは言いません、来月にはこの穴が埋まるように皆さんは頑張ってください。私も頑張ってちんちんいじられた体験談をそのうち書きます。
10万というのは差し当たりの金額であり、この先に備えてそれ以上の金額が求められているのは勿論のことです。世の中金です。金が全てなんです。



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2012年09月08日

12/09/05


真っ直ぐに長い海岸線。砂浜は40度近くも傾斜がついて、上がると1メートルほどの畦道を挟んで下り斜面。中高生くらいのが沢山いる。遊んでいる雰囲気。多くは畦道にいる。砂浜は波打ち際まで一枚の大きな透明のビニールで覆われている。その覆われていないところ、ビニールの下にも人がいる。
ここで何かの食品のテレビコマーシャルを撮影しているのだ。主演は私だが、何故そんなことになっているかは気にしていない。この仕事を気に入っていない。
私は不機嫌に波打ち際をうろうろして、それで撮影は終わりである。演技も何もない。
畦道の端に監督の樋口真嗣がいて、撮影した映像を観ている。その周囲にいる若い男のフタッフたちが、海老の孵化する映像(まだ世界で誰も撮影に成功したものがいない、ということになっている)を撮って使いたいと真顔で話している。一時で消費されるための撮影にそんなものを……と私は思う。
畦道に下手なギターの弾き語りをする男。黄色い声を上げて聞いている数人の女。斜面を背にして向かい合わせに座っていて邪魔だ。

次の予定まで時間はあまりないが、一旦自転車で家(実家)に帰ることは出来る。しばし思案する。近くのテレビからニュースの音声。公衆便所の中で中年の男が皿に張った水に顔を突っ込んで死亡。

家に帰る。何年ぶりに通る道だろう。子供の頃には大きく見えた家や道が、随分と小さく狭く見える。否、小さすぎる。狭すぎる。
家は半分作業場兼倉庫のようになっていて、悠木碧がいる。
魔物が通る道をダンボールで塞ぎ、不安を押し殺そうとしている表情で「これで大丈夫」と言っている。駄目だと思うが言えない。
ラベル:
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2012年09月07日

日本語を反省してみませんか 12/09/06


日本語を反省してみませんか  金田一晴彦  角川oneテーマ21





p77

「全然」というのは本来、否定の言い回しに先だって使われるもの。


根拠は挙げられていない。いつから肯定で使われたのか(いつまで本来の用法が守られたのか)、そのような考察もない。そういうところに踏み込んだものが読みたいんだ。
全然の肯定は、明治時代の文学作品には見られる表現である。すっかり・完全に、という意味もある。


p102

人の家を訪問する場合に「ごめんください」と言って入っていくが、これも陳謝の表現と言える。相手の平静を邪魔するという気持ちなのだろうか。また相撲の番付表を見ると、まん中に大きく「蒙御免(御免こうむる)」とある。誰に謝っているかわからないが、こういう場合にもやはりあやまるという日本人の精神が出ていて、おもしろいと思う。


アホー! 晴彦の、アホー! 理事長、こいつをかわいがってやれ。
相撲の「蒙御免」とは、幕府の許しを得ての興行という意味で、江戸時代の名残である。
今でも本場所を開くと御免祝いが開かれる。そもそもは幕府の公認を得た祝いであり、現在ではマスコミへの日程発表の集まりとなっている。

晴彦は御免に陳謝の意味しか観ていないが、免は免許・免罪・免除等、ゆるされる・まぬがれる、という意味で使われる。
大辞泉には御免の意味の第一に『正式に免許・認可することを、その決定を下す者を敬っていう語』とある。蒙るは『他人から、行為や恩恵などを受ける。いただく。』である。(他に「災いなどを身に受ける」「頭からかぶる」)
御免に許可の意味もあることから考えると、「ごめんください」も陳謝ばかりではなく、面会・立ち入りの許可を得る言葉だと考えてもよいのではないか。

私は晴彦が物を知らなかったことをアホ呼ばわりしているのではない。彼ほどの人物であるならば、蒙御免の意味を調べる伝手はあったはずだ。辞書を引いてもいい。
伝手もなく、当時の辞書にも載っていなかったのならば、「誰に謝っているかわからない」ままに陳謝の意味を結論付けるなんてせずに、最初から蒙御免に触れるべきではなかった。私は手抜き仕事をする晴彦をアホだと言っている。



短い話を好む日本人の挨拶がなぜ長い? という見出し。
P103

NHKで以前編集された『話し言葉の魅力』という本の中に、岩井弘融氏が昔のやくざの挨拶の見本を出しておられるが、その長いこと長いこと、(中略)その本で三ページぐらいえんえんと続いている。
(中略)
挨拶が長い方がいいと考えるのは、元来、話が短い方がいいと考えている日本人の気質から見ると、おもしろいことである。


やくざの挨拶とは「手前、生国と発しますは云々」のことである。これが長い理由について、前に日本残酷物語か何かで読んだことがあるが、確認が出来ない。
曖昧な記憶を頼りに書くと、あれは単なる自己紹介ではなく、一種の合言葉なのである。あの口上、作法を身につけていることがやくざの証であり、それによって同業者と認められて渡世人が土地の親分のもとに一宿一飯を求めたり出来るのだ。


p122

『雨月物語』の「菊花の約」は、殺された男が生前の約束を守って、重陽の日に亡霊となって会いにくる話で、これとよく似ている。


殺されたんじゃない、自ら命を絶って約束を果たしに来るんだよ。ここが肝要であり、これでこそ哀切が引き立つのに。おい、誰が周りのやつが訂正してやれよ!
晴彦はお爺ちゃんだから。もうお爺ちゃんなんだから!
誰かがお爺ちゃんのことを見守ってやれよ!


p137

この兄弟、姉妹の長幼の序にこだわること、日本人は格別である。例えば「若貴兄弟」という。絶対に「貴若兄弟」にはならない。いくら弟の貴乃花の方が番付が上でも、この順序は変わらなかった。


そりゃ「兄弟」という単語から見ても、兄、弟、の順で並べるのが妥当だし、番付の上下と兄弟関係には相互関係がないし、弟、兄、の順で並べる必要もないので、変わりようがないだろう。
晴彦は一人っ子、父の京助は11人兄弟の長男。
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2012年09月05日

12/09/04

頭痛、食欲不振・吐き気・熱。
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2012年09月04日

今週の収支報告


先月のMVPはマヨネーズです。久しぶりにポテトサラダを作ったので。
近々重大発表があるよ。お小遣いを貯めて待っててね。










俺のDVD増販キャンペーンかな……。ドキドキ。
へへへ、ヨシノブにもいいところがあるじゃねーか。
ヨシノブ、戸棚の中にあるコンビーフの缶詰食ってもいいぞ。
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2012年09月03日

日本語を反省してみませんか 12/09/02


日本語を反省してみませんか  金田一晴彦  角川oneテーマ21




p52
ここにいない人物について話したいが、話し相手はその人物を知らない。そんな時に、相手へ人物をどのように説明をするとよいか。晴彦がその例を示しているのだが、余計な要素を入れてくる。

夫 その鈴木さんの奥さんというのはねえ。ほら、駅へ行く途中に、喫茶店があるだろう?
妻 喫茶店?
夫 ほら、大通りへ出て、三軒行ったところに。
妻 ああ、いつか、あなたがコーヒーを頼んだらいやに時間がかかって、しかもおいしくなかったって言ってた?
夫 そうそう、あの店。あすこで、いつも店先をそうじしているママさんがいるだろう?
妻 ええ、顔色のあまりよくない。
夫 うん、顔色がよくないかな。あの人に、ちょっと似た人なんだ。
妻 まあ、鈴木さんの奥さんって、あんな人なの?
夫 そうなんだよ。


何故わざわざコーヒーのおいしくない店に設定するのだろう。ママさんの顔色の悪さは、売り上げ不振による生活の疲労が色濃く出たものか、或いは重い病か。
それを気に留めない夫婦の会話に苛立ちすら感じる。夫はこんなことも言う。

夫 あのママさんを、もう一回り若くして、品をつけたら、鈴木君の奥さんそっくりになると思うんだ。



私は本人がそこにいないからと言えども、気遣いは必要だと思っている。そんなにママさんを貶めることはないではないか! 私には、幸薄そうな顔色の悪いママさんが、店先でつらそうに塵取りを構え、掃除している光景がはっきり見える。それを冷やかに、品のない年増女だと思って見ている夫婦の顔も。
ママさんがコーヒーに時間をかけたのも出来が悪かったのも、すべて病気のせいである。懸命に生きる彼女の姿が、夫婦の目には見えていない。



相手の知らない人について説明するとき、幾つも情報を出すと強い印象が与えられず、良くない。

妻 それで渡辺さんというのはどういう人なの。
夫 渡辺っていうのはね、背が高くて、頭が円くて、鼻が尖って、あごが長くて……。



大きな特徴を一つ二つ出すほうがよい。しかし、ただそのまま言うのでは おもしろくない ので目に見えるようにやるべきである。その模範例がこれ。

夫 渡辺ってのは、ものすごく背の高い男でね……。電車なんかへ乗ると、立っている人はみんな釣り革へつかまってるだろう?
妻 ええ。
夫 ところが、渡辺ときたらね、ほら、釣り革の上に横木があるだろう?
妻 ええ。釣り革がぶらさがっている……。
夫 うん、あの横木へつかまってると、ちょうどいいんだよ。
妻 へぇ?
夫 あの横木へ、こうやって両手でつかまっているんだが、ああなると、人間というよりも、猿という感じだね、は、は、は。

これを身振りを込めてやればよろしい。相手の頭には、その人がオランウータンか何かのように、横木の上に顔だけ出している珍妙なようすが目に浮かぶ。


渡辺は怒れ。夫を殴れ。晴彦も殴れ。
お前の知らないところで猿呼ばわりして笑ってやがるぞ、こいつら。
阿川佐和子がジャイアント馬場と対談した際、無邪気に馬場の身長へ言及すると、彼は不機嫌になったという。それを思い出して哀しくなった。渡辺は怒れ。

「おもしろくない」「釣り革」は原文にある表現。



それから、その人の特徴を話すときに、一つ注意したいことがある。それは、人の特徴というものは、見慣れてくると、だんだん目につかなくなる、ということである。
 田中さんて人、初めはとてもあごの長い人だと思ったけれど、この頃はそうも感じなくなったわ。初めは目がだまされたのかな。
 こういうのが普通である。

(中略:客観的であった第一印象を思い出して話すと良いと晴彦は言う)

妻 田中さんはね、とてもあごの長い人なの。ご飯を食べるときに自分のあごがじゃまにならないかと思うくらい……。

もし、相手が何かの機会に、その当人に会った場合には、やはりきっと同じことを感じるだろうから。
ははあ、これが田中さんが。なるほど、みごとなあごだ。これがほんとのロング・ロング・アゴーだろう。


もう俺が晴彦を殴る! 何故この男はこんなことに力点を置いた人物で例文を書くのか! 渡辺、お前の分も殴っとくからな。王座決定戦のリングがお前の墓場だ、晴彦!
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2012年09月02日

12/08/31

西洋の街並み、登場人物はすべて白人。私にはホームズのような相棒がいて、つまり私はワトソン役で、しかも白人だったような気がする。或る人物に私の意識が憑依しているような。

都市計画に則った通り沿い、煉瓦造りの建物に入ると男が3人ばかり壁沿いの椅子に座って暗く項垂れている。それを尻目に階段を駆け上がってゆく。
女から宝石を盗まれた事件だが、その真相では女自身が事件の首謀者である、と私は知っている。何しろこれから起こることを一度体験したばかりなのだ。
相棒が真相に辿り着けるように、机の上のばらされた辞書(Jの項目に何かありそうだ)を渡す。古風なエレベーターの中で目を通す相棒。最上階近く。

田舎の中心地から外れた風景。舗装された車線のない道以外は青い草が覆っている。道は緩く曲がっていて、だんだんと上り坂になる。
道に傾斜がつきはじめたあたり、草深い中に、住居か工場、或いは事務所の廃屋がある。その周辺で私は何かの包みを拾っており、廃屋の敷地に投げ込む。
手元に残しておけば後が楽なのだけれど、私は中身が何か知らないから簡単に投げ込んでしまうべきだったのであり、何しろ一度体験したばかりなので、中身が男の生首だと本当はわかっている。
廃屋には何人か探し物をしている人がいるので、どうしたのですかと声をかけると、金髪の女がこっちを真っ直ぐに見て、何でもない、と言う。あまりに真っ直ぐで、私を突き抜けて、そのずっと後ろを見ているような目付きだった。
本当は生首を探しているのだが知らないふりをしている。この廃屋から時々生首が見つかるのは大抵の人が知っている話だ。今日は私がさっき投げ込んだ生首が目当てである。

坂道の片側は、ブロックで固められた斜面。もう一方は手が入らず落ち葉の堆積した斜面。高く育った広葉樹の枝葉が空を隠して、坂道は心地よい木陰になっている。
この先にいる、男だか女だかよくわからない怪人物の女へ会う必要がある。彼女はとても高い料金を取って、ごく短い話、問いかけをする。その謎を解くことで道が拓けるのだが、そういえば金は十分にあっただろうか。相棒は吹っかけられるとも知らずに余裕の表情だ。

ラベル:
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2012年09月01日

日本語を反省してみませんか 12/08/31

日本語を反省してみませんか  金田一晴彦  角川oneテーマ21


この本は晴彦88歳(平成13年当時。平成16年死去)で、新作を書くこと能わず過去の原稿に手を入れ構成したものである。


p40
「月日はァ、百代の過客にしてェ、行かう年もォ、又旅人也ィ」
語尾を伸ばす頭の悪そうな話し方が広まった一因を、晴彦は学生運動のアジ演説にあると考える。

あれはマイクを持って絶叫調で話すとき、言葉をつなげると聞き取りにくいので一つ一つの文節で切り離す。だからああした言い方になったのだろう。



もうひとつ、ネサヨ反対運動も原因ではないかとする。
「舟の上にネ、生涯をうかべてサ、馬の口とらえて老をむかふる物はヨ、日々旅にしてサ、旅を栖とするんだっちゃ」
このように語尾へネ・サ・ヨと付けるのを、教育現場で禁止したのである。(無理にネサヨを詰め込んだ例文を書いてみたら、民謡か演歌のようになってしまった)

ネサヨには、注意を引付ける、話がまだ終わってないことを訴える効果がある。この種の言葉は古くからあり、方言にもなっている。「のし」「なも」「なあ」等。
また、関東では短く歯切れよく話すことが美しいとされ、文節の区切りに何かを付けないと落ち着かないらしい。

以上は晴彦説である。少し調べてみると、ネサヨ運動(「反対」を付けないのが一般的のようだ)の理念は子供・教師・親の対話能力・対人意識を改善することにあったようだ。その点では効果もあったらしい。
運動にはかなり力を入れており、ネサヨ祭りなんて行事も行われた。フォークダンスをしたり、悪い言葉を書いたカードを燃やしたりしたんだそうだ。
その辺を調べた論文が次の物である。PDFなので、クイックビューで読めるようにグーグルのリンクを貼る。

リンク
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