2012年06月30日

12/06/29


阿佐田の短編にある『あいつは見かけより優しいよ。ただ、あいつの優しさってものは原油みたいなもので、精製されてないから使い道がないだけなんだ』という一節が不意に思いだされて、色川の短編に『したいことはできなくて』という題名があったのを思い出した。ああいうところに、こういう目の届き方をしている人は少ない。

こんなことを書くと色川(阿佐田)が大層優しさに溢れた人物のようだし、彼を知る者たちはその優しさを語っているが、優しさとは限定的なものであることを忘れてはいけない。どの方向へもどこまでも優しい人なんてのは、まず存在に耐えられないだろうし、そもそも成立し難い。

そう強調したくなったのは、色川夫人の本をちと読み返したからだ。色川はみっともない奴である。自身で露わにするみっともなさと、夫人が露にするそれでは、やはり趣が違う。そして、そのみっともなさは、無実にあらぬ私が責められることではない。
色川は寄席について「自分と同じ人間が出てるから安住の地で行ってるようなもの」と語ったそうだ。
私は色川を同種の人間とは見ていない。彼はチンピラの類で、私は単に何にもなれなかっただけの人。遠巻きに見ているだけで近づく道がない。彼をチンピラ呼ばわりして隔てるのは一種の敬意ではないか(チンピラに敬意があるわけではない)と思っているのだが、本人には通じているだろうか。
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2012年06月28日

12/06/27


独りで公園の砂場で遊んでいると頭に小石のようなものが当たったので振り返ったが、辺りには誰もいない。
のどかな昼下がり、その辺の何処かの木からチチチと鳥の囀りが聞こえ、空には白い雲が切れ切れになって浮いている。
訝しがりながらも砂の造形を再開すると、また頭に何かが。さっきよりも大きくて痛い。すかさず周囲を見渡すが、やはり誰もいない。
私は急に怖くなって、ネクタイとベルトで首を吊った。生きていてもしょうがないからね。でも、この世には先に死ぬべき連中がごまんといる。先んじて死んでやるのだから、そいつらにもどうか見習ってもらいたい。

※よく見ると雲の上に鬼がいて、石を投げつけていたのがわかる。
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2012年06月27日

化政期 落語本集 -近世笑話集(下)-



化政期 落語本集 -近世笑話集(下)- 武藤禎夫 校注   岩波文庫

軽口本集(江戸時代の短い笑い話の本)が面白かったので、期待して手に取った。当時の文化や落語成立当初の資料として興味深いところはあったが、笑話として面白くない話が大部分。本来が口演のものだからだろうか。軽口本と違って長い話があるから、一旦面白くないと延々面白くない。


・狸汁を食べた若旦那の腹から鼓を打つ音がする。

又ポンと鳴る。びつくりして「ヤア」といふ。「ポン」「やあ」「ポン」「やあ」。しりにて、「チプポウ」「やあ」「ポン」。「はあコリヤ、あんたるこんだ」

狸の腹鼓がポン。これはわかる。しかし、チプポウとは如何なる音だろう。本当に鼓からこんな音が出るのか、取り外しの音なのか。
「あんたるこんだ」と言っているのは村人。「何という事だ」の田舎言葉。


・歯を白く磨くのは通人や気取り屋とされた。

・小僧相手の男色で脚気が治るという俗説がある。

・『こころいたんぽの革財布』 心得たの洒落言葉。たんぽは酒の燗をする湯婆(たんぽ)。文政七年の本に出てくる当時の流行語。
どうしてそんな組み合わせなのか、どのくらい面白い言葉なのかさっぱりわからないが、現在の流行語にもそういうものはある。

・天保二年刊の本によれば、当時の興行では演芸の途中で料金を徴収していた。

・面白くない話が大部分と書いたが、強烈に面白い奴がある。反則。
題名は「道行きばなし」 注によれば「軍記物や謡曲・浄瑠璃などで、辿り行く道筋の地名や旅情・光景をよみ込んだ美文」とある。それをパロディにしたのがこの話だ。凄いよ。

今はむかし。夜ばなしのなかに、一人、嘘をいふやつがすすみ出で、「コレ、けふ、とほうもないものを見た。馬喰丁を通つたら、井戸端に米をといで、五十ばかりな男がいた。こごんでゐるゆへ、尻のほうから見ると、褌がたるんで、きん玉がぶらぶらしている。道通りの者が見て、『あの人は、褌を上げるとも、きん玉を下げるともすればいい』と、笑いながら見ている中に、一人、きつと眺めていたが、やがてそばにあつた竹を拾つて、きん玉をくらはせたら、その男は『うん』といつて倒れる。コレハコレハと、皆が肝をつぶすうち、見附前のゑんま屋の見世へかけ上がって、絵馬を取って、そこら中まきちらし、絵の具をふみくだき、胡粉の擂鉢を亭主の頭へかぶせ、

(・きつと眺める 鋭い目つきで。 ・くらはせる 叩く。殴りつける。)

こんな具合に男が色んな店に上がりこんでは暴れて行く、美文からは遠い内容である。結末はこうなる。

さつま芋の大きながあつたを、両方の袂へ入れて、橋をかけて行くと思つたが、真中から、ぽんと飛びこんだ。」 大勢「そりやアマア、なんだ」「気ちがひ」。

気ちがひで終わっちゃった。身も蓋もない。いくらパロディが主体だとは言え、こんな決着のつけ方があるか。
しかし、本当の気ちがひは、鋭い目つきで金玉を眺め、いきなりそれを竹で殴りつけた男ではないかという気もする。
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2012年06月26日

今週のドラえもん



「ドラえもん、ジャイアンから頭の中に4匹も蛙を入れられて、ケロケロ鳴かれて五月蠅いし、ぴょっここぴょっここ跳ねられて頭が揺れるので、つらい。つらい。蛙を始末してください」

ドラえもんは、南米から蛙を食べる鶏を一羽連れて来て、丁寧にのび太の頭へと入れました。
鶏は次々と蛙を踏みつけ、啄みました。こうして3匹までは食べてしまったのですが、4匹目の蛙は素早くて、踏みつけることも突くこともできません。

鶏はお腹が空いて、蛙を追い掛け回します。するとのび太の頭に爪が食い込みます。頭がガクガク揺れます。
鶏は蛙を突こうとしますが、空振りしてしまいます。するとのび太の頭を突きます。頭の中に血が滲みます。

のび太の頭は、一日中大騒ぎです。これなら、蛙4匹のほうがよかったと、前にも増してのび太はつらいのでした。ただ、明け方に鶏が鳴くので早起きは出来るようになりました。遅刻をしません。

のび太があまりに苦しむので、最終的に、お父さんがのび太の頭に手を突っ込んで、力任せに蛙と鶏を掴み出し、それらをお母さんが唐揚げにして、みんなで食べました。のび太は翌日から、また遅刻するようになりました。
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2012年06月25日

12/06/24


親父が平成中村座で「法界坊」を観てきて、感激すること頻りであった。歌舞伎の中でも一番観たかった演目で、大変面白かったという。
今回の中村座は常設の劇場ではなく、この興行のために隅田川のほとりへ芝居小屋を建てて公演された。法界坊は正式名を「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」と言い、その名の通り隅田川が舞台である。
最後には舞台の背後が開けられ、実物のスカイツリーを借景にしたという。幕末太陽傳みたいではないか。

どうやら通しではなかったらしいのが残念である。どうせ親父の先は長くないのだから、せっかくなら、ねえ。



*通しとみどり

話を最初から最後まで通してやるものを「通し狂言」と言う。
芝居には話が大変長いものがある。歌舞伎の当初は日の出から日没まで、一日がかりで観るものであったそうだ。やがて、幾つかの演目から名場面だけを抜き出して上演する形式が生まれた。これが「みどり」である。 “選り取り見取り“が語源らしい。現在はこの形式が主流。
(親父が観たのは法界坊だけを一部上演という形らしいので、みどりには当たらないのだろう。手元に資料がないし歌舞伎を知らないから公演の実態がよくわからない。松竹のページを見ると、同月第二部の小笠原騒動では通し狂言であることが強調されているので、通しの表記がない法界坊はやはり通しではなかったと思われる)


ガンダムで例えれば、ファーストのアムロがガンダムでサイド7に立つ第1話から、ホワイトベースの仲間のもとへ帰ってゆく最終回まで全話やるのが通し狂言。
全43話は長すぎると、第27話「女スパイ潜入!」第28話「大西洋、血に染めて」、0083から第12話「強襲、阻止限界点」第13話「駆け抜ける嵐」を抜き出してやるのがみどり。

ファーストの2話は、幼い弟と妹を育てるためにジオン軍のスパイとなった民間人の少女ミハルが連邦軍の戦艦ホワイトベースへ潜入し、戦う目的を見い出せないまま戦場へ駆り出されていたカイ・シデンと交流する物語です。
ファーストには、テムレイ階段落ち、ククルス・ドアンの島暮らし、突撃リュウ・ホセイ等々、名エピソードが多いのですが、なかでも私の心に一番深く達したのは、ミハルとカイの物語であったように思います。

0083については解説不要ですね。シーマが「よりどりみどり」と言っているのは第5話です。
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2012年06月24日

黄金の腕


黄金の腕 阿佐田哲也  角川文庫


部屋の掃除をしている最中にうっかり再読。
題名で中身を思い出せなくなっているのが残念。
狂人日記は型が定まっていないような体をしていたが、ちゃんと締まりのある文章も書けるんだよなァと再認識。

狂人日記は私小説ではないが、かなり作者自身が色濃く(彼の作品にはそういうものが少なくない)、彼が実際にやっていたカード遊びの話が出てくるのだが、これはこれだけで独立させた「ひとり博打」という完成度の高い作品があり、題材使い回しの感が否めなかった。「ひとり博打」は特に好きな作品だから、余計にそう思う。



完全な大人など居ない。欠陥からせつなく生まれるのがパースナリティだ。  「黄金の腕」


あいつは見かけより優しいよ。ただ、あいつの優しさってものは原油みたいなもので、精製されてないから使い道がないだけなんだ   「夢ぼん」
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2012年06月23日

狂人日記

狂人日記 色川武大  講談社文芸文庫



うまくやっているではないかと思うこともあり、感想を抱くことすら憚られる苦悶と思うこともあり、つまるところ、私には遠い話ということだろうか。
人と繋がるということ、人を愛するということ、孤絶していること。私にとっても課題ではあるが、だからこそ彼我の差を強く意識する。
主人公はどうせもう死んでいる。解放されたようで、羨ましくもある。私はまだ暫く無意味に無様に生きていかざるを得ない。また明日が来る。
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2012年06月22日

12/06/21



文楽を観たくなっていたところ、近々文楽公演があると知り、これ幸いと劇場までチケットを買いに行く。
どうせなら良い席で観たい。発売開始が10時なので、その1時間前に着いて並んでおこうかと思ったが、田舎でそこまでする必要はないだろうと考え直す。


劇場到着は9時半。9時から整理券の配布が始まっていて、私が受け取った整理券には 1 と書いてある。係員が手にしている次の整理券には 2 と書いてある。周囲は閑散としている。


10時近くになったら、発売窓口の近くへ来てください。販売のご案内をします。
係員の言葉を聴き、整理券を大事に胸ポケットへ仕舞う。
劇場のロビーでちらしや掲示物を見て時間を潰す。
9時50分。まだちょっと早いかな。
9時55分。もう行かないと、係員が整列させるのに手間取らせてしまうぞ。
窓口へ行くが、場所を間違えてしまったらしい。誰もいない。ではここは何処だろう。周囲を確認すると、やっぱり窓口である。文楽チケット発売所って張り紙もしてある。はて面妖な。

暫くして係員がやって来た。もう少しで発売ですので、と言う。ちょっと困ったような笑みを浮かべている。多分私も同じ顔をしている。
こうして誰も来ないまま、10時直前に窓口を開けてくれた。どの席から観るのが一番いいのかわからないので、最前列中央の席を買う。
私が手続きを終えるまでに、客が3人来た。

これが我が田舎における文楽人気の実態、と称してしまっては誤解がある。劇場会員への先行販売があるし、チケットを取り扱う店は複数あり、電話でもネットでも買える。しかし、田舎だからといって何のチケットでも買い易いわけではないし、前にここで歌舞伎のチケットを買った時には、販売開始時刻に15人くらい並んでいた。文楽にさっぱり人気がないとは言わぬが、あんまり人気がないのは確かなようである。
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2012年06月21日

アホでマヌケなアメリカ白人

アホでマヌケなアメリカ白人 マイケル・ムーア 松本和也 訳   柏書房

軽くて愉快な読み物だと思っていたら全然違った。本を開いてから著者の名前に気が付いたくらい。
私にはこの本の内容がどれだけ正確なのか判別がつかないので、参考程度にしておく。この本は語り口調であまり信頼性を持たせる書き方がされていない。
政府批判に大きく割かれている。他に黒人差別、環境問題など。『リサイクルなんてのは教会に行くようなもんだと思っている』とは言い得て妙。教会に行ったことはないが。
『週に一回教会に顔を出しとけば、それで気分が良くなり、義務を果たした気になる』 ムーアは分別されたゴミを業者が一緒くたに処理しているところを目撃したのをきっかけに、リサイクルの看板を掲げて実際にはそれを行っていなかった話を幾つも知り『本当のリサイクルなんてどこにもない。俺たちは騙されているんだ』と言う。
『リサイクルをするというのは、要は自分の罪悪感を免罪しようとしているだけだ』 ゴミの行方を確かめたことがあるか。その後はまかせっきりではないか。他人が残り全部をやってくれると信じ込んでしまう。
これは他にも応用が利く指摘だ。募金詐欺を一例に挙げておく。



アマゾンレビューには、翻訳が下手との指摘がある。(下手なだけではなく、一部原書を省略しているらしいが、本書にその旨は書かれていない。その割には訳者あとがきが8ページもある)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/476012277X/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
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2012年06月18日

12/06/16

時は来た。
除湿機がバリバリ活躍する季節になりました。
雨もさることながら、私が使っている製品はある程度の気温がないと、除湿機能が極端に下がるのです。
電気代がかかるので、出来れば使いたくありませんが、この季節にまったく使わないでいると、押し入れに黴が生えます。
もう除湿剤には戻れません。

この部屋のどこにこんな水分が、と驚くくらい水が採れます。
普段こんなに使うことはありませんが、試しに雨の日、ほぼ一日中使ってみたら、4リットルも溜まりました。
もしも使わずにいたら、私は水没していたことでしょう。
おそろしいことです。これは決して大げさな話ではありません。

私は昔、日本が水没するという研究書を読んだことがあるのです!
さらに、日本以外の全てが水没するという研究書も読みました!
つまり、地球が水没するのです。
この大異変に抗うには、除湿機を作動させるのが有効だと思います。
バケツも用意してあるので、部屋の中がチャプチャプしてきたら、これで水を外に汲みだします。
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2012年06月16日

今週の論語

最近「子曰わく、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず」(衛霊公第15-23)という言葉が頭によく浮かぶ。

「孔子様がおっしゃった。君子たるもの、立派な事を言う奴だからといって、そいつを推薦することはない。誰某だからといって、そいつの言ってることを退けたりしない」現代語訳すると、こんなところだろう。
学級委員選挙と、文化祭の出し物を決める学級会について語った言葉である。

立派な事を言ってるのに何故ダメかというと、口では何とでも言えるのであって、台詞と人格が比例するわけではないからである。殊に孔子様は口の上手い奴に対して不信感が強く、「巧言令色鮮なし仁」(口が上手くて相手の顔色窺って愛想よくしている奴に、思いやりだとか慈愛の心だとか、そういうのはまず無いと思っていいね)、「古者、言をこれ出ださざるは、躬の逮ばざるを恥じてなり」(昔の人が軽々しく偉そうなことを言わなかったのは、自分がその言葉に見合わないのを恥じたからなんだよ。すぐ顔が赤くなっちゃう)、「徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず」(徳の備わっている者は良いことを言う。しかし、良いことを言う者に徳が備わっているとは限らねえ。要注意だ)などの言葉が遺っている。


「言を以て人を挙げず」を、言っていることで其の人を信用するな、と解釈してもいいだろう。更に言えば、表面的に見えていることで、と広げてもいいだろう。巧言令色を警戒する孔子である。
今日になって突然この言葉が、入れ込んでいるアイドルに不祥事が発覚して嘆き悲しみ怒り狂うファンの図と直結した。(具体的な誰某ではなく、繰り返されてきた歴史としてのアイドル一般論です)

単なる学園生活へのアドバイスではなく、こういうことも視野に入れた含蓄ある言葉だったのである。
さすが孔子様だぜ。今夜はどっかの孔子廟へ向けて手を合わせてから寝よう。
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2012年06月14日

今週の歌壇



アルミ缶の上にあるメロン
生ハムを持って駆けつけたい。

布団がひっついた
飛んで行った布団を探していたら、団地の壁にひっついていたのを発見。忍者みたい。

「この帽子ドイツんだ」「オランダ」「いえ、私の帽子です」
横から出てきて俺の帽子盗ろうとしてんじゃねえよ。何がオランダだバカ野郎。

元気になった猫
こんなに長く寝込むようじゃ駄目だろうと半分諦めていたけど、良かった。

ミカンが食べられていた
道理で見つからないわけだ。あれ全部食べちゃったの。そう。

父さんの会社が二度目の不渡り
いろいろ頑張ってみたんですけどね。


 
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2012年06月12日

ホンワカパッパ ホンワカパッパ

テレビにドラえもんってのがさ、いるじゃん。
未来から来たことが売りの、寸胴ロボット。
あいつさ、未来から過去に来たわけだから、これから起こる歴史を知っているわけでしょ。
大事件とか大事故とか大災害とか。小さいのだって調べりゃわかる。
そういう事態が近づいていることや、事態に直面して一般人たちが大慌てしているのを、ドラえもんはどう思って見ているのかね。彼の実力ならば、何か手を打つことが出来るはずだけど、特には何もしていないね。
所詮は鉄屑野郎だから、何とも思わないのかな。

過去を大きく変えることが禁止されているとか、手を出すと更に悪い事態が生じるとか、介入したくとも介入できぬ理由があるとも考えられる。それならそれで、そういう事情で無力化された自分、苦しむ人々、のさばる悪人を、どう思っているのだろう。


悲しいことの多いこの世の中で、そういう問いかけをみんなが避けているのは、この答えを聴かされたらドラえもんとは一緒にいられなくなっちゃうからだと思う。
ドラえもんの顔なんか二度と見たくなくなるとか、とてつもなく道徳的で面倒な事が待ち構えているとか、それから逃げ続けることへの呵責とか、そういうのを予感しているんだと思う。

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2012年06月11日

オンヌ考察



今になって大変なことに気付いた。
ルノアール兄弟著・ユビキタス大和第7話「きクぜ!」で、八戸流星が発した「オンヌ!!」は、具体的な意味を持たない感嘆詞だと思っていたが、鬼の語源である隠(オン・オヌ)に違いない。

未読者のために状況を説明しよう。
大きな桃に入って川上から流れてくるセクシーダンスガイ・ユビキタス大和の写真を撮るため、八戸流星は鬼の格好をして橋からぶら下がり、シャッターチャンスを狙っていた。桃から現れた大和が開脚する流星の真下を通過する際、団子状の前髪が八戸の股間をサワワーッと擦ってしまう。八戸は「オンヌ!!」と叫ばずにはいられないのであった……。

誰も言い逃れは出来まい。オンヌは鬼のことである。
すると、これまで無意味だと思われていた数々の感嘆詞も、何かに基づく発言である可能性が出てくる。
このような八戸の叫びを全て拾い上げて考察してみよう。


第4話 セクシーメディア王
本屋で初対面する八戸とユビ。ユビを撮るべく、通路を跨ぐようにして、平積みされた本の上に立った八戸。前が見えなくなっていたユビは、それと気付かぬうちに八戸の真下を通ってしまう。ユビの前髪の膨らみで股間をサワワワーと擦れられた八戸は「シャファーッ」と叫び、折り返してきたユビに再びサワワーされ「ツォーッ!!」と仰け反る。

シャファーは人名にあるが、誰かを思い出したのだろうか。
ツオといえばエロマンガ島で鶏を指す言葉だ。ユビの前髪を鶏冠に見立てた?



第15話 知られざるマイナースポーツ
隊列を組んだ社会人馬乗りリーガーに、馬乗りしようと飛び掛るユビ。それを撮影しようとする八戸は高揚のあまり、馬乗りリーガーの最後尾に跨り、ユビと対面する姿勢をとる。ユビは目測を誤ったのか、馬乗りリーガーまで体が届かず、その直前に落下。それが八戸の股間を前髪でシュリーンと擦る結果になってしまい、「ピムル!!」と熱い吐息が漏れた。

朝鮮語では雨をピ、水をムルと言うらしい。ピムルは雨水である。
(正確には両者を繋げて発音すると、音に変化があってピンムルになるらしい)
外の描写は無いが、きっと雨が降っているのだ。冒頭でユビが本を読んで「心を豊かに耕す」と言っているのも、晴耕雨読というわけだろう。



第16話 馬乗りヘブン
社会人馬乗りリーガーと聖地ナショナル馬乗りセンターで対決。

馬乗りは攻撃と守備を繰り返すチーム戦である。守備チームは、前のチームメイトの股に尻側から頭を潜らせ、足を掴み、中腰の体制で一列になる。先頭は後列と対面するように仁王立ちする。攻撃チームは跳び箱に似た要領で、守備側に飛び乗る(スタンプ)。次々と飛び乗り、列が崩れると攻撃側はスタンプポイントを得る。少ない人数で崩すほど高いポイントとなり、3回戦の合計ポイントで勝敗を競う。

初回、守備にまわった八戸。チームは最後尾から知之進・ユビ・八戸・山田・オヤジサンの順。スタンプされるも耐え切った知之進だが、スタンプの衝撃でユビの頭がかすかに揺れたのを八戸の股間は感知。哀れ八戸は「バボ!」と崩れ落ちるのだった。
2回表でも同様に崩れた八戸だが、ピコーンと倒れこむだけに描写は省略されている。


スポーツ対決だから、バレーボールのマスコットキャラクターの名前が出るのも無理はない。
オヤジサンはユビが勤務する蕎麦屋の店主、知之進はその息子、山田は蕎麦粉を偏愛する変態。八戸はセクシーダンスマガジン編集長であり、他にも数々のメディアを手がけ、自らカメラを取るジャーナリストである。ユビは18歳。



第21話 巨万のトミー
裏カジノ八戸オンヌーランド。攻略不可能と思われたゲームだが、ユビの前髪を八戸の股間にHitさせると「オンヌ!!」 しかも無限オンヌ状態に突入し、八戸は為す術もなく100回を超えるオンヌに見舞われた。

鬼の恰好をしているわけではないが、第7話で「セクシーダンス界にジャーナリズムの嵐を吹き込んだ鬼才とは このオレのことよ!!」って名乗っていたから、いつも鬼なんですよ、ってことなのだろう。



第32話 瓜二つ大和
本物のユビとユビに変装した偽物を判別するため、“絶対股感”を持つ八戸は両者に股間を潜らせる。「チンモ!!」「チンモレスタ・チンモーゼ!!」八戸は後者が偽物であることを見抜いた。逃走する偽ユビを止めようとする八戸だが、シュコーンと股間を潜られ「ピムル!!」と取り逃す……。

第2巻巻末の予告には、八戸がカブトムシ相手にオンヌさせた手記とユビにオンヌオンヌされている4コマ漫画が掲載されている。


チンモ。チンモってなんだろう。
結局、意味のない感嘆詞なんじゃないのか?
何かに基づくだなんて、私の考えすぎだったのか?



第41話 おまる男爵外伝
入院した八戸を見舞うユビと漫画家ピクルス西。ホスピタルオンヌ!!を目の当たりにしたピクルス西は新作漫画のネームを八戸に読ませたが、その直後に八戸は容体が急変し死亡。嘆くユビが天に咆哮したその時、前髪が霊体となった八戸の股間をシュリーン「ペルヤ!!!」奇跡が起こったのだ。生き返った八戸に駆け寄るユビが躓き、偶然にも股間をスーン「ナペルヤ!!」八戸死亡。


古代文明の名前みたいだね。



第57話 まさぐりの向こう側
DVDに魂を封じられたオヤジサンを救うため、ユビでオンヌ!!!!して霊体化する八戸。そこへ現れたアブノーマルな面々も霊体化を希望し、ユビは一列になった彼らの股間を潜り、オンヌ祭りを開催したのだ!


中国語で鬼は霊や魂を指しますので、正しくオンヌを発するべき場面です。やはり意味のある言葉だったのですね。



第68話 アフター・スクール
厳しい自然環境に適応するため首が伸び、ロクロユビと化したユビ。当然、それに合わせて八戸の足もズオーンと伸びた。超高度で二人が交差する。
オンヌ 更なる高みへ・・・・

夜間学校に通う妖怪たちの話です。八戸もすっかり足長(そういう妖怪がいます)となったわけですから、オンヌの一言が出るのは妥当でしょう。



第79話 セクシーSANPO☆GAI
地蔵の頭の上に立った八戸へ仏罰が下る。
これぞ・・・・み仏のお導きオンヌ!!
いくら慈悲深いとはいえ、仏の怒りはまだ収まらない。この後も居酒屋の出入り口でオンヌ!! ディレクターの靴を舐めるユビが偶然にもオンヌ!! 銃撃され倒れるユビでオンヌ!! さすがの八戸もこれで懲りただろう。


因果応報を説いた仏教的啓蒙色の強い一篇である。
これが後の作者の仕事と繋がるとは……。



第86話 流星のキズナ
八戸とユビの美しい絆が夜空に輝いた最後のオンヌ。

作者はちゃんと考えてオンヌって言わせてるのかよ。
言葉に具体的な意味なんかないんじゃないかな。
もうそれでいいや。
おしまい!






現在ルノアール兄弟は、聖教新聞に月一でヌルい四コマ漫画を連載中!

聖教新聞:お悩み かいけつマンくん@ ルノアール兄弟
http://www.seikyoonline.jp/lifestyle/life/2012/1199839_1631.html

ルノアール兄弟ブログからでもバックナンバーが読めます。

タスマニア八犬伝:お悩みかいけつマンくん
http://tasmania-hakkennden.cocolog-nifty.com/blog/cat47580238/index.html
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2012年06月10日

12/06/09

よく眠れない。
それでいて眠らないということが出来ない。
もう眠らなくていいだろうと思うが体は言うことを聞かない。
眠ろうとするけれども眠れなくて無為に体を横たえるだけの時間が過ぎる。
起きているのは無為じゃないのかと言えばこれもどうも無為だから眠れないでいることへの批判が鈍る。
眠れないことと眠らずにはいられないことが拮抗して自分が揺らぎだすと結果的には眠っていた。
昨日もその前の日もそのまた前の日もずっと前の日も今日もそうで明日もこうなのだろう。
眠っていたことを確認した後は大抵しばらく眠らなくていいのだが眠い。
この眠気は眠りたい時に出ればいいのであって今は要らぬ。
ようやく眠気を押しやると眠りたい時間が来る。
眠れなくてだんだん頭が痛くなる。
拮抗するのを傍観する。
仲良くしろと思う。
他所でやれ。
吐きそう。
揺れる。


 

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2012年06月08日

12/06/07


5月3日付 編集手帳
 五代目古今亭志ん生は苦楽を共にした夫人が亡くなったときも、ひとに涙を見せなかった。その人が、人気を二分した八代目桂文楽の死去を知ったときは頭から布団をかぶって泣いたという◆元横綱の大鵬、納谷幸喜さんは横綱に昇進したとき、北海道の実家にライバル横綱・柏戸の写真を飾った。「柏戸関あっての自分だから」と。柏戸の通夜で、「おい、起きろよ」と故人を揺さぶった話は知られている◆イチロー選手が語ったことがある。「自分の打撃がベストであるためには相手投手のベストも必要になります」と◆昨年の水泳世界選手権・男子100メートル平泳ぎで優勝したノルウェーのアレクサンデル・ダーレオーエン選手(26)が急死した。ロンドン五輪に臨む北島康介選手(29)の好敵手と見られていた人である。涙がとまらないよ――北島選手は簡易投稿サイト「ツイッター」で語ったという◆詩人の西條八十が亡くなったとき、堀口大学は霊前に一首を供えている。〈はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき〉。互いが互いの鞭であった間柄にしか分からない悲しみというものがある。

(2012年5月3日02時31分 読売新聞)



最近になって知ったが、何年も前から志ん生の名跡を復活させる気運があるそうで、何名か候補者が挙がっており、その一人は古今亭志ん輔だそうだ。
志ん生といえばなめくじ長屋の貧乏暮らしが語り草になっているが、志ん輔の場合はぶたくんとへびくんが後々まで語り継がれることになるのだろうか。

志ん輔は志ん朝の弟子である。談志は志ん朝に志ん生を継げと言っていた。


 昨年11月に家元の立川談志が亡くなった落語立川流が7日、新体制の概要を発表した。これまでの家元制度と上納金制度は廃止し、総領弟子の土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)を一門の代表者とする。新しく理事を設け、立川左談次、談四楼、談幸、志の輔、志らく、雲水の6人が就任する。任期は未定。

 立川流は今年1月2日に直弟子の会合を開いて今後の体制の骨格を決めており、これに基づく新規約を6月1日付で決めた。事務局は談志の事務所だった「談志役場」に置く。


朝日新聞:落語立川流、家元・上納金制度を廃止 新設の理事に6人
http://www.asahi.com/showbiz/stage/rakugo/TKY201206070426.html


今年も両親が演芸場に行ったようで、権太楼と市馬を観たと喜んでいた。
あと、林家二楽(だったと思う)の紙切りを貰っていたが、去年貰ったのと同じ、桃太郎が犬に餌付けしているところだった。
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2012年06月07日

木久扇の蛇含草



NHK日本の話芸で、林家木久扇「蛇含草」を観る。2009年収録の再放送だったと思う。

「蛇含草」は、上方落語の代表的な演目の一つ。
大筋はこんな具合。

 * * *

夏の暑い盛り、甚平を着た男、隠居の家へ遊びに行く。隠居の家には草が吊るしてあって、あれは何かと尋ねると、蛇含草だという。大蛇が人間を飲み込んで腹が膨れて苦しくなったときに、この草をペロペロと舐めると、中の人間が溶けて膨らんだ腹が元に戻るそうだ。魔除けにもなるそうだから、吊るしてあるんだという。へえ、すると蛇の胃腸薬みたいなものですか。珍しいので、男は蛇含草を分けてもらい、収めておく所がないので甚平の紐に括っておいた。

隠居が火鉢を取り出す。湯を沸かすのかと思いきや、餅を焼く。親戚に祝い事があり、餅を沢山貰ったので、駄目になってしまう前に早く食べきらないといけないのだという。
男は餅が大の好物。如何に餅が好きで如何に沢山食べられるかを語り、ここに在る餅全部食べられる、いや、そんなに食べられるわけがない、いやいや、食べられる、なんだと、じゃあ食べてみろ、という具合で売り言葉に買い言葉、沢山の餅を全部食べることになった。
曲芸のようにして調子よく餅を食べていた男(この仕草がこの噺の見所のひとつ)だが、だんだんと雲行きが怪しくなり、残り数個というところでとうとう音を上げ、家に帰る。

男は家で横になったが、腹が苦しくて苦しくてたまらない。苦悶するうちに蛇含草を思い出し、これで腹をすっきりさせようとペロペロ。

隠居、苦しがっていた男が心配になり、様子を見に家を訪ねる。そこには餅が甚平を着て座っていた。

 * * *



蛇含草は胃薬ではなく、人間を溶かす薬だったのである。噺家によって、ここまで説明する人としない人がいて、私は同種の草が出てくる「そば清」でその両方を観たことがある。しない方は10代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)で、する方は誰だったか忘れた。(今週のジャンプに金原と書いて「きんばら」と読む人物が出ていましたが、これは実在する名字で正しい読みです)
説明がなければちょっとした考えオチになるが、何しろ代表的な演目なので、大抵の客は草の効用を知った上で聴いている。



 * * *

知っている噺を聴いて何が面白いのだと思うかもしれませんが、噺家によって筋や演出が違ったり、巧拙があったり、日によって出来が違ったり、年齢によって芸が変わってきたり、と見所があるのです。

予め噺を知っておくと、こういった比較が出来ること以外にも、役立つことがあります。客の入った落語会では、サゲ(オチを落語ではこう言う)を言い終わらないうちに客が拍手を始めることがあるため、最後の一言が聴き取れないことがあるのです。私は無作法だと思いますが、これが通の聴き方なのでしょうか。
有名な噺だと中身を知っている客が多く、中でもせっかちな連中はサゲに差し掛かったところで「あーもう終わった終わった」の心境になり拍手を始めてしまう、というのが私の仮説です。人間には年を取るとせっかちになる傾向があるのと、落語好きには老人が多いことが関係していると睨んでいるんだぜ。
落語会に行くと、拍手の中で比較的若い客同士が「え、最後なんて言ったの?」と言ってることがあります。
(文化水準の低い田舎だけの現象かも)
 * * *




木久扇は、男の姿が消えていた理由を説明をしませんでした。
それどころか、男が家に帰ってから隠居が家を訪ねるまでが編集無しで直通。ワープ航法。
冒頭以降は一切蛇含草に触れない。男が蛇含草を思い出すのもペロペロするのも無し。締めはこう。
男の様子を窺おうと、襖を開けると……。

 ガラッと襖を開けてみますと、人間がきれいに溶けて、餅が鉢巻して胡坐をかいておりました。
 蛇含草でございます。


甚平さえ着ていない! ワープ航法で服が脱げた! 鉢巻?
サゲから演目を言うところ(その時々で最後に演目を言ったり言わなかったりする)の間に、ちょっと照れたように詰まっていたので、何事か思うところがあったのかもしれない。

失敗作のようではあるが、考えオチを解するために必要な要素はちゃんと出てはいる。だから、これで最低限の話の組み立ては出来ている。話は破綻していない。
私は何か知らなかったものを見たのかもしれない。何か、凄いものを。




晩年の談志に「落語チャンチャカチャン」というのがある。その昔、「演歌チャンチャカチャン」というヒット曲を繋いだメドレーがあった。その落語版である。古典落語のメドレーで、まったく別の噺との共通点が生じるところでどんどん噺を切り替える。別の噺を入れ込む。童話で例えるとこんなところか。

ヘンゼルとグレーテルが森の中を歩いていると、御菓子で出来た家があり、中には病気のお婆さんが住んでいた。お婆さんの大きな耳や口を不思議に思って尋ねると、その正体は狼で、グレーテルは食べられてしまい、ヘンゼルは慌てて逃げ出した。狼が後を追ってくる。村に帰ったヘンゼルは「狼が来るぞ」と警告するが誰も信じてくれない。やがて狼が来て村は大騒ぎ。それぞれ自慢の家に住む豚の三兄弟は、狼が来たって平気だと高を括っていたが、狼から次々と家を攻略され……。


落語チャンチャカチャンって、「談志圓鏡 歌謡合戦」のイリュージョンから通じているのだと思うのが、どちらも話を広げてゆく飛んでゆく混じってゆく散ってゆく中で、自分の経路所在地が不明になる感覚に揺蕩う愉しみがある。

木久扇がやったことは、この逆で、話を切り詰める噺。
不必要を切り離した世界の実体を、素っ気なく提示する。
その影で、不必要なあれこれに一瞥をくれている。
露骨である。身も蓋もない。
破綻していないから、逃げ場がない。否定できない。



話を切り詰める噺。
考えてみたことがないわけではないが、不意を衝かれた。
私にはこの技法が、すごく寂しくて、怖い。








 追記。

この噺について一日中考えた。
甚平を着ずに鉢巻をしていた餅。
もしかしたら、最初から登場していた男とは別人が食べた餅なのではないだろうか。
鉢巻と甚平では全く違う。これは別の世界で餅を食べ過ぎて蛇含草を舐た鉢巻の男と、この世界の男が入れ替わった可能性を明確に示している。
男が家で横になったところから、襖が開くまでの間、何があったのか一切は不明だ。何かとんでもない、人知の及ばぬラヴクラフト的な怪奇が、或いは「虚無への供物」のワンダランドが発生していたのではないか。
あっ。何だこれは。凄いぞ、これは。
ワープ航法で世界の果てまで行き着いてしまう予感を抱かせ、最後の最後で宇宙的恐怖と反世界へ飛翔してしまった。

 
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2012年06月06日

今週の収支報告


先月のMVPは「監督と俳優のコミュニケーション術 なぜあの俳優は言うことを聞いてくれないのか」という本です。
このブログを映画監督が読んでいるということですね。
誰だろう? 最近話題の新藤兼人かな?















監督と俳優が良い関係を築く秘訣は、やはり監督が俳優の出演作をよく観ることに尽きると思う。それも、レンタルするより買う。これが大事。買いさえすれば観なくてもいいってくらい。さらに複数買い。これだね。でも、出来れば観てね。
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2012年06月05日

遠景


遠景 雀 復活  色川武大   講談社文芸文庫

短編集。全9作。

久しぶりに色川武大へと浸かった。「遠景」はちょっと退屈だったが(もう少し凝縮してくれ、と言っては風情がないのだけれど)、「復活」も「雀」も良かった。「走る少年」は中学生の独白とは言え少し拙い感じがしたが、「ひとり博打」に通じる内向が、拙いが故にかえって先鋭的に出ているように思う。
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2012年06月04日

12/06/03

タツノコプロがニコニコで無料配信開始。(5/30〜
1週間に5作品を5話ずつというハイペースにムッとする。
http://ch.nicovideo.jp/channel/tatsunoko

テッカマン。話が濃くて、鉄の悪魔を叩いて砕くようなアクションが気持ちいい。
山田康夫演じる謎の青年がいかす。



 * * *

ガッチャマンの最終話。ベルク・カッツェ(敵の組織のナンバー2)が地球の支配者になるつもりで、その就任演説の練習をしている場面がある。
視聴者からすれば、地球征服計画が今日で失敗に終わることは明白であり、意気込んで練習しているベルク・カッツェには、滑稽さでは覆いきれない哀切を感じたのだった。

最終回で最も衝撃的だったのはコンドルのジョーだったが、後年になって最も深く胸に残っているのは、この演説なのである。


キャシャーンも面白かったなあ。
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2012年06月02日

「いき」の構造

「いき」の構造 九鬼周造  岩波文庫

他、風流に関する一考察、情緒の系図



難しそうなので敬遠していたが、意外と薄い本だったので読んでみる気になって、それから何年過ぎたのだろう。
今頃になってようやく読んだ。「いき」自体は100頁ほど。

「いき」とはどういうことか、それを論理的に解いている。九鬼説によれば、
「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している。そうして、第一の「媚態」はその基調を構成し、第二の「意気地」と第三の「諦め」の二つはその民族的、歴史的色彩を規定している。
云々。

読めないことはない(十分読み取れるという意味ではない)が、小難しい。九鬼は哲学者である。
山本夏彦から、大変な労作だが文章が野暮だ、と言われていた。


さて、九鬼は男女間にあるものとして「いき」を解いているが、同性愛間にいきは無いのだろうか。その場合、男女のような役割に分かれて「いき」が発生するのか。私はそういうことも気になる。
そういえば日本語では昔からレズビアンを何と呼んでいたのだろう。(百合は比較的最近の言葉)
男色は男の同性愛のことだが、大辞泉によれば女色にそういう意味はない。でもこの辞書に載っていないだけで、実用されてはいそうな気がする。


青空文庫で公開されている九鬼作品のなかに『「いき」の構造』もあります。(図が省略されている)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000065/files/393_1765.html


ちなみにこれは『情緒の系図』を図示したもの。生命の樹みたい。
joutyo-no-keizu.jpg
近所に住んでいた詩人のおじさん(病人扱い)が、少しこれに似た図を書いていましたので、大変懐かしい思いがします。


私が『「いき」の構造』を書いた頃はマルクス主義全盛の頃で、私は四面楚歌の感があった。数年経って「外来語所感」を発表したこのごろは、外囲の事情が全く反対になってしまって、ある読者には私が現時流行の日本主義に阿諛苟合するかのような感を与えたかも知れない。『「いき」の構造』から「外来語所感」に至るまで私にあっては同一の信念の同一の流れである。変化したのは外囲の事情である。
伝統と進取
http://www.aozora.gr.jp/cards/000065/files/4404_12071.html


青空文庫:九鬼周造
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person65.html#sakuhin_list_2
「外来語所感」もあります。
現在のところ、「いき」以外は短く読み易い随筆。面白いよ。
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2012年06月01日

12/05/31

手塚治虫公式サイト内ゲームコーナー
http://tezukaosamu.net/jp/game/index.html
簡単なものから妙に難しいものまで。
一部のゲームでは音声がある。

ブラックジャックがちゃんと大塚明夫なのに、ピノコの声が素人。無理に幼い声を出そうとしている。手塚の事務所で手の空いていた誰かだろうか。男の裏声のようにも聞こえる。いや、これもしかして……。
サイト内の「アニメ・映像wiki」で心当たりのある映像を観てみたら、やっぱり、これは宇多田ヒカルである。
宇多田版を隠すことはないが、ここは水谷優子でいいじゃないよのさ、と私は思う。(ピノコの声優は他にも何人かいる)
宇多田ピノコ当時に作ったゲームなのかな?


『3人の魔女の店』は占い。自分の性別と血液型を選び、「占う」ボタンを押すと、手塚キャラクーになぞらえて今日の運勢を教えてくれる。ところが、どうもインチキ占い師の店らしく、占い結果の画面に「もう一度」というボタンがあり、これを押すと「占う」ボタンに戻り、占うと別のキャラクターで違う運勢を言う。
最初に「そろそろおいでの頃だと思っていたよ。」と言われるんだが、今思えばあれも予知ではなく毎回同じことを言っているだけでは……。




有料でも答えが欲しかった、12の奇妙な質問
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120527/wir12052722050000-n1.htm

posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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