2010年12月29日

10/12/28

今回が今年最後の更新です。
今年もブログを書籍化することは出来ませんでした。悲しい。
出版業界は見る目がない。この逸材を発掘出来ないままでは、出版業界の低迷は永遠に続くでしょう。今年こそ大手出版社が土下座して書籍化を申し出てくれるはずと思っていたのですが……。その後頭部に煙草の火を押し付けるのは、来年にお預けです。
論語ブームも来年こそは。


来年は、更新を月に一回とします。
既に本を五冊は出せるくらいに記事が溜まりましたので、本来は更新する必要がないのですが、みんながどうしてもって言うから、すごく面倒ですが、時間を作って、やります。あと有料化します。お年玉は使わず(orあげず)に取っておいて下さい。来年からは読まないという人も、これまでの分をきっちり払ってください。

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2010年12月28日

意味がわからない

先日、NHK-FMの『今日は一日“ハードロック・ヘビーメタル”三昧』という生放送リクエスト番組にて、まだかかっていない曲へのリクエストに「○○がかからない意味がわからない」という言い回しを使うリスナーが複数がいて、その言い回しになんだか笑ってしまった。



「移設反対 覚悟の上で」北沢氏、名護市に反論

 【東京】北沢俊美防衛相は24日の会見で、2009、10両年度の名護市への米軍再編交付金を不交付としたことに名護市が反発していることについて「(普天間飛行場移設に)反対をしている人たちが、賛成することを前提にした交付金を出さないといけないという意味が分からない」と反論。「反対は(不交付という)覚悟の上でやるものだ」と述べた。

 防衛省としては「名護市の事情で(翌年度に)繰り越した後に、(辺野古移設に)反対ということだから、われわれとしては法の趣旨に基づいて判断せざるを得ない」と述べ、決定は妥当との認識を示した


沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-25_13153/


米軍による異民族支配の歴史を思い起こした。名護市に対する米軍再編交付金の支払い停止問題と、あのころの圧政がダブる。
 防衛省は米軍再編推進法に基づく再編交付金について、名護市への支払いを保留していた2009年度の繰り越し分約6億円と10年度分約9億9000万円を交付しないことを決めた。
 普天間移設に非協力なのでバルブを閉める。あからさまな「アメとムチ」で、税金の使い方としておかしい。
 09年度分には、12年度開学予定の小学校敷地整備も含まれている。事業の公共性を認めた国側には予算の適正執行義務があるはずだ。防衛予算で出せないのなら、政府は他省庁予算に付け替える措置も検討すべきではないか。
 米軍基地を金で押し付けるやり方がいつまでも続くと思うのは誤りだ。
 そもそも野党時代の民主党は再編交付金について、「自治体の受け入れ表明を交付の条件とすることが想定されており、国民の税金の使い方として問題があると言わざるを得ない」と反対していた。
 しかも今年1月の名護市長選で移設反対の稲嶺進市長を民主党は推薦した。政権を取ると公約も理念もそっちのけに名護市を締め上げるなんて、支離滅裂だ。
 札束でほほを打つような政府を見ていると、かつて住民に銃剣を向けながら基地を拡張していった米軍統治の圧政を思い出す。
 これまでに何が変わっただろうか。
 1956年、米軍支配を糾弾していた瀬長亀次郎氏が那覇市長に当選すると、米軍政府は前市長時代に出していた戦災復興都市計画事業費の補助金を打ち切った。さらに米軍が大株主だった琉球銀行は那覇市の貯金を凍結したほか、都市計画事業への融資もストップさせた。
 これに対し瀬長市長は就任会見で、「市民の責任ではない。凍結した人の責任だ」「理不尽なことには断固反対するだけだ」とひるむことはなかった。
 瀬長市政を支えたのは市民だった。市長を守るには納税だ―と市民が市役所で長い列をつくった。前年の市民税納付率77%は、市長選後に86%になり、最高97%に上がった。那覇市は自前の予算で各種事業を展開した。
 瀬長氏(享年94)は回想録に「生活が苦しいあの時代に誇りに満ちた表情で税金を納める市民こそ市政の主人公だ」「市民はみずからの力で基地権力者の圧政を突き崩しはじめた」と記した。
 当時、那覇市の予算凍結で経済人らが瀬長市長への非協力声明を出すなど動揺した。
 おそらく名護市でも計16億円も棚上げされる事態に直面し、穏やかではないだろう。
 しかし動揺する前に凍結された予算の中身をいま一度精査してはどうか。住民ニーズに根差した事業なのか、それとも単にハコ物事業なのか。市民に情報開示し共に解決策を探ってほしい。
 民主党政権に権力者のおごりはないか。市民は必ずそれを見抜くだろう。


沖縄タイムス:社説 2010年12月26日
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-26_13175/



米軍再編交付金ストップ あきらめと不信感交錯する名護市

日米両政府が米軍普天間飛行場=沖縄県宜野湾(ぎのわん)市=の移設先とした同県名護市に対し、防衛省が平成21年度分と22年度分の米軍再編交付金約16億8千万円を支給しないことを決めたことで、同市民、特に普天間飛行場の受け入れ容認派が多数を占める辺野古地区の住民は、やむをえないとの思いと稲嶺進市政に対する不信感を交錯させている。
 名護市には、同飛行場代替施設建設を前提に、19年度と20年度に計13億9千万円が交付された。しかし、稲嶺市長は一貫して普天間飛行場の県内移設に反対し、受け入れを拒否。今回の防衛省決定により、統合久志小学校敷地整備事業など6事業がストップする。
 辺野古地区の住民(60代)は「現市政には具体的な経済活性化への施策があるわけではない。反対だけではだめなことが証明された。辺野古では7割以上の住民が条件さえ整えば移設に賛成する立場」と話す。
 稲嶺市長派が16人を占める名護市議会(定数27)も決して一枚岩でない。市議会関係者は「反対派は『(基地を容認することになるから)基地関連の金は使うべきでない』と主張しながら『交付金はほしい』という。矛盾だらけだ」と指摘する。「市議の中にも市長選で稲嶺さんを応援したため声を出せないだけで、反感を感じている市議も多い」と打ち明ける。飲食店経営者(50代)は「稲嶺市長も市職員時代は移設案に賛成だった。なぜ反対ばかりするのか理由が分からない」と首をかしげた。(宮本雅史


産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101225/plc1012251934010-n1.htm


「ミロ」をココアにすり替え、サギの喫茶店を摘発

【ジョージタウン】 ペナン州国内取引共同組合消費者省は、麦芽飲料「ミロ」を注文した客にココアを出していた複数のコーヒーショップを摘発した。 粉末ココア価格は「ミロ」より30%程度安いため、味が似ているのを利用して店側がココアを「ミロ」と偽り、差額を不当に儲けていた疑いがもたれている。これまでにセベラン・プライやバタワース、ブキ・メルタジャムで少なくともコーヒーショップ5カ所が捜索を受け、成分分析のために少なくとも7つの「ミロ入り」容器を押収した。違反が確認された場合、10万リンギ以下の罰金もしくは3年以下の禁固刑が科せられる。 (ニュー・ストレーツ・タイムズ、12月22日)


マレーシアナビ
http://www.malaysia-navi.jp/news/101222060016.html


Q.ミロはココアなの?
A.ミロは麦芽飲料です。ココアも含まれていますが、それに加えて、麦芽エキスと7つの栄養素が含まれている点が普通のココアと違う点です。

Q.麦芽飲料ってなに?
A.麦芽とは大麦を発芽させた麦粒のことです。大麦は発芽することで種子の中に成長に必要な栄養を豊富に生成します。ミロは、その麦芽エキスを主成分としている麦芽飲料です。

Q.ミロの名前の由来について教えてください。
A.今から2600年位前に、ローマのクロトナという所にミロンという大変力持ちの運動選手がいました。彼は古代オリンピックのレスリング競技で、6回も優勝したといわれています。ネスレ ミロはそんなミロンにあやかり、「強い子に育って欲しい」という願いを込めて名付けられました。

ネスレミロQ&A
http://milo.jp/qa/index.html






世紀末オカルト学院 再放送決定!!
2011年1月6日より、毎週木曜 深夜2:15〜 2:45 テレビ東京にて放送。

http://www.occult-gakuin.jp/
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2010年12月27日

年末にカラオケ

チエコとカラオケ行ってきて水木一郎と堀江美都子を中心に歌いました。それというのも、先日初めてこの二人のライブに行ってきたからで、興奮しました。目の前で本人がコンバトラーVとボルテスVを続けて歌うんですよ。マジンガーZなんかもう数百回聴いているので実際に歌われても飽きるかなと思ったけれど、観客みんなでZコールして矢鱈と楽しかった。CD以外での堀江美都子の歌声はあまり聴いたことがなかったが、直に聴いてもCDそのままのような上手さ。水木、話中に「ゼェーット」連呼。隣で耳を押さえる堀江。
破邪大星ダンガイオー の「CROSS FIGHT!」をデュエット。これ、曲はいいんだけれど本編がつまらなかったなあ。


wikipediaより作品解説

1980年代、『機動戦士ガンダム』によって盛り上がったリアルロボット系アニメブームは、それまでのいわゆるスーパーロボット系アニメを駆逐するまでになっていた。それゆえ、1980年代末期には逆に1970年代の荒唐無稽なロボットアニメを懐かしむ風潮が出た。本作は、OVAというアニメマニア向けの媒体で、あえてスーパーロボット路線を若手のスタッフを中心に製作するというスタイルをとっている。
主役ロボのダンガイオーは、当時の主流であったリアルロボの「立体として破綻のない変形」などを廃し、「飛行形態とロボット形態がどう考えてもこうはならない」「腕をふっとばして敵にぶつける技を持つが、次のカットではもう戻っている」など、1970年代以前のロボットアニメ風のツッコミ所をあえて狙って用意した。しかし、作品の軸は当時のOVAの王道である「美少女+超能力」というものであった。また、主題歌を堀江美都子・水木一郎、ロボットのメインパイロットの少年の声を神谷明が担当していることも、1970年代作品へのオマージュが感じられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E9%82%AA%E5%A4%A7%E6%98%9F%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC

スーパーロボットのメインパイロットと言えば熱血漢と相場は決まっているけれど本作では弱気な少年(ロボットに乗ると強気になる)、第一話の終盤に敵組織の幹部四天王が登場し彼らとの長き戦いを予感させるがその回で全員撃破、なんていうパロディ的な要素もあった。主題歌を歌う水木と堀江は、第一話に登場し敗れる敵の声をあてていたはず。(堀江の演技は上手かったが水木はあまり上手くなかった気がする)

wikipediaに第1巻45分(VHS1巻につき1話収録)とあるので、続巻もそれくらいだったのだろう。OP・ED曲を抜くと本編正味40分ほど。この第2話、冒頭10分が前回のあらすじ(ダイジェスト)。第三話で未完のまま打ち切り。
メカニックデザインにマクロス河森正治がいる。復讐に憑りつかれた悪役を演じる千葉繁はすごく良かった。

で、何を考えたのか「破邪巨星Gダンガイオー」という続篇がある。2001年放送のテレビアニメ。

本作放送当初は、OVA『破邪大星ダンガイオー』との関連性が不明であったが、終盤において世界観を引き継いだ「続編」である事が判明する。本来は全26話で企画されていたものが、諸般の事情により前半13話のみが制作された。反響次第で後半13話を制作する予定であったが、2010年現在も制作はされていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E9%82%AA%E5%B7%A8%E6%98%9FG%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC

グレートダンガイオーのパイロット三人のうち二人が普段大人しい性格で、唯一普段から活発な少女浅野真澄が動き回ることで話が動くのだが、未完で終わったことからわかるように物語は面白くないので、浅野の頑張りが空回りしているように見えて可哀想だった。


カラオケの他には酒を飲んだりケーキを食ったりした。
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2010年12月24日

10/12/23

鬼ヶ島に着いた桃太郎たちでしたが、門番をしているゴーレムが強くて……。
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2010年12月23日

10/12/21

昔々或るところにお爺さんとお婆さんがいて、或る日、お爺さんは山へ柴刈に、お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが川で洗濯をしていると、川上から、大きな浦島がどんぶらこどんぶらこと流れてきたので、お婆さんはお爺さんと食べようと思い拾って帰りました。お爺さんの帰りを待って、お婆さんが浦島を包丁で割ってみると、中から玉のような男の子が出てきました。浦島から生まれたので、浦島太郎と名付けました。
浦島太郎はすくすくと育ち、或る日釣りに行くと言い出したので、お爺さんは釣竿を、お婆さんはきびだんごを持たせてやりました。出かけた浦島太郎はだんごをねだる犬猿雉を家来にして浜辺に着くと、村の子供が亀をいじめているのを見つけました。浦島太郎たちは子供を退治して、亀を家に持って帰りました。子供の親からは鬼と言われましたが気にしていません。
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2010年12月22日

十二支考 鼠

十二支考(下) 南方熊楠  岩波文庫

世界にまるで不用の物なし。多くの菌類や黴菌は、まことに折角人の骨折って拵えた物を腐らせ悪むべきの甚だしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進もならず。そこを醗酵変化分解融通せしめて、一方に多く新たに発生する物に養分を供給するから実際一日もなくてならぬ物だ。

ベナンでは、捨てられる大量のゴミが問題になっている。ベナンでいうごみとは、以前は木材や食べ物といった土に還るものばかりだったので、どこにでも捨てていたようだ。しかしビニールやプラスチックなどが生活に用いられるようになり、ごみ箱に捨てるという習慣もないままに以前のように捨て続け、土に還らないゴミがあふれてしまった。(このベナンの話は前に書いたものだが、誰も憶えておらんだろうと思ったので使った。)
人間が菌の融通が利かない量と耐性を拵えて捨て、世界は死んだもので少し塞がってしまった。



西アジアにイエジジ宗あり、その徒キリストを神の子で天使が人と生まれた者とし、アブラム、マホメットなどを予言者と尊ぶが、キリストを特に崇めず。キリスト教徒がもっとも嫌う魔王サタンを専ら尊び、上帝初め魔王に全権を委ねて世界を作らせ宇宙を治めしめたが、後自分を上帝同等に心得違い、驕慢の極みついに上帝の機嫌を損じて御前より追放された。しかしついには魔王の前功を懐(おも)うて復職され、この世はその掌握に帰すべしといいて、ひたすら魔王を拝み憑(たの)む。復活祭にキリストを祭るにただ一羊を牲するに、魔王の祭祀には三十羊を牲す。珍な事には、その徒皆両手で盃を持つ事日本人と異ならず、また魔王の名を言わず孔雀王といい、孔雀をその象徴とす。欧州で孔雀の尾を不祥とするは、キリスト教で嫌う魔王の印しだからと考える(上に引いたハクストハウセンの書二六〇頁。一八四〇年ニューヨーク板サウスゲイトの『アルメニア等旅行記』一巻二二八頁。一九二一年刊『ノーツ・エンド・キーリス』十二輯八巻拙文「孔雀の尾」)。
 予かつて故土宜法竜師の依頼でこのイエジジ宗の事を種々調べたが十分判らなんだ。一通り聞いたところを考察すると、その宗旨はざっと、上帝は至聖至善だから別段拝まないでも悪くは感ずまい、恐るべきは魔王で、こやつに立腹されると何を仕出かすか知れやしないから、十分慇懃に拝むがよいという心懸けらしく、かつ上に述べたごとく、こんな極悪の者でも何か往く往く間に合う見込みがあればこそ世にあるのだという想像で、これを拝むと時々吉い事にも遇うので、魔王宗に凝り固まったと見える。


天界の人事がどうなっているのかは知らぬが、神が善ならば拝まぬでもよかろう、魔王は機嫌を取らねば恐ろしい、拝めば何か呉れるだろう、というのは実に筋が通っている。神は魔王をなんとかしろ。
神の齎す恵みより魔王の齎す災厄(天災事故飢餓貧困病死等)に直面することが多かった力無き民が、どうにか生きてゆくため魔王に祈りを捧げる選択をした現実、拝んでみたら意外と御利益があって「あ、結構いい奴じゃないか」と抵抗がなくなってゆく心情。
似たような図式を日本でも見るが書かずにおく。


青空文庫:十二支考 11 鼠に関する民俗と信念http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/4790_35939.html
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2010年12月20日

10/12/17

 独断専行で暴走しがちな同僚を諭して、麻薬捜査官が言う。「われわれはチームだぞ。チーム(TEAM)にI(私)の字はない」。同僚は内心つぶやく。「勝利(WIN)には私(I)が入っているよ」◆ドン・ウィンズロウの小説『犬の力』(角川文庫)のひとこまにある。どういう組織であれ、I(私)の功名心を抜きにして活力は生まれない。Iの暴走は、しかし、ときにチームを崩壊の危機に追いやることもある◆大阪地検特捜部による証拠改竄・犯人隠避事件の責任を取り、大林宏検事総長が辞任する意向を固めたという◆被疑者の口を割らせる“割り屋”として令名の轟いた特捜検事を証拠改竄に走らせたのは、歪んだ功名心と、俺たちは万能だという傲りであったろう。検察の信頼が地に堕ちて喜ぶのが犯罪者であることを思えば、トップの辞任に同情の余地はない◆泣く子も黙る最強チームで、ボスの首が飛ぶ。その衝撃を所属する一人ひとりがどう受け止めるか。傲り(HAUGHTINESS)から不埒なI(私)を取り除き、その単語を検察庁の辞書から放逐しない限り、何も変わらない。

編集手帳  12月17日付
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20101216-OYT1T01134.htm?from=any

Iを抜いてから単語を放逐する? 二度手間? ゴミの分別みたいなもの?
ラベル:読売新聞
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2010年12月19日

十二支考 猪

十二支考(下) 南方熊楠  岩波文庫


『奥羽永慶軍記』二に最上義光、延沢能登守信景の勇力を試みんとて大力の士七人を選出す。「一番に裸武太之助、この者鮭登典膳与力にてその丈七尺なり、今東国に具足屋なし、上方には通路絶えぬ、武具調うる事なかれば、戦場に出づるに素肌に腰指(こしざし)して歩(かち)にて出陣すれども、いつも真先に駈けて敵を崩さずという事なし、本名は高橋弾之助英いいけるが、素肌にて働く故人皆裸とはいうなり、余り肥え脹(ふく)れし故豕(ぶた)という獣に似たりとて豕之助と名付けしを、義光文字を改めて、武太之助と戯れける」。これがヤギと等しく、ブタという畜生の名が明の代既に日本にあった証拠で、義光は飯田忠彦の『野史』一六五に拠れば、大正十二年より三百九年前に当る慶長十九年正月六十九歳で死んだ。明の神宗の万暦四十二年に当る。体が太った者をブタと名付けたのを見ると、肥え脹れたのを形容してブタブタという語も当時既にあったらしく思わる。


いくら武具が体に合わぬとはいえ、裸で出陣し武勇を立てるとは。花の慶次に出てきた蛮頭大虎でさえ鎧があったのに。北斗の拳のデビル・リバースはさすがに裸だった。
最上義光(伊達政宗の母の兄)は西暦1546年の生まれである。当時から数えても現在までざっと460年ほど、おそらくはもっと古くから、日本人は肥満をブタと呼び続けているのだ。政宗も肥っていたら伯父から独眼豕と名付けられたかもしれぬ。
(政宗が独眼竜と称されたのは明治に著された『独眼竜伊達政宗』が最初ってwikipediaに書いてありましたので、いくら政宗がブタみたいでも義光伯父さんが独眼豚なんて名付けることはなかったと思います! ヨシノブさんはもっと日本史を勉強してください! 腹を切れ!)


 一七一五年版、ガスターの『ルマニア鳥獣譚』にいわく、古いヘブリウ口碑を集めた『ミドラシュ・アブクヒル』に次の譚あり。人祖ノアが葡萄を植えた処へ天魔来り手伝おうといい、ノア承諾した。天魔まず山羊を殺してその血を葡萄の根に澆(そそ)ぎ、次に獅子、最後に豕の血を澆いだ。それから人チョビッと酒を飲むと面白くなって跳ね舞わる事山羊児に異ならず。追々に飲むに従って熱くなって吼ゆる事獅子に同じ。飲んで飲みまくった揚句は、ついに泥中に転げ廻ってその穢を知らず、宛然(さながら)猪の所作をする。葡萄の根に血を澆いだ順序通りにかく振れ舞うのだと。一説に、ジオニシオス尊者ギリシアに長旅し疲れて石上に坐り、見ればその足のこ辺に美しい草が一本芽を出しいた。採って持ち行くに日熱くて枯れそうだから、鳥の小骨を拾いその中に入れ持ち行くと、尊者の手の徳に依ってその草速やかに長じて骨の両傍からさし出でた。これを枯らしてはならぬと獅子の厚い骨を拾い、草を入れた鳥の小骨をその中に入れ、草なおも生長して獅子の骨に余るから、一層厚い驢の骨を見付け他の二骨を重ねてその草を入れ、志したナキシアの地に至って見ると、草の根が三つの骨に巻き付いて離れず、これを離せば草を損ずる故そのまま植えた。その草ますます長じて葡萄となり、その実より尊者が初めて酒を造り諸人に与えた。ところが不思議な事は、飲む者初めは小鳥のごとく面白く唄い、次に獅子のように猛くなり、その上飲むと驢の体たらくに馬鹿となったという。驢も豕同様、獣中最も愚とせられた物だ。

日本では大虎と言う。あちらでも泥酔者を猛獣に例える感性は同じ。


荘子は亀と同じく尾を泥中に曳かんといったが、猪が多く食って泥中に眠るも気楽千万で、バウルスは豕を愛する甚だしく、上帝が造った物の中最も幸福なものは豕だといった。殊に太った豕ありと聞かば二十マイルを遠しとせず見に往った。生きた豕の愛が豕肉にまで及んで、宴会に趣くごとに自製の豕肉をポケットに入れ往き、クックに頼んで特に調味せしめた(サウゼイの『随得手録』四輯)。

1マイルは約1.6キロ。


西暦千七百年頃オランダ人ボスマン筆『ギニヤ記』に、フィダーの住民は蛇を神とす。一六九七年豕一疋神の肉を食いたいと謀反を起し、蛇に咬まれた後讎(あだうち)がてら蛇を食いおわるを、側に在合(いあわ)せた黒人が制し得なんだ。祠官蜂起して王に訴え、国中の豕を全滅せよと請うたのでその通りの勅令が出た。そこで黒人数千、刀を抜き棒を振って豕を鏖(みなごろ)しにせんといきまき、豕の飼い主また武装して豕の無罪を主張した。黒人遮二無二豕無数を殺した後、神の怒り最早安まっただろとて豕を赦免の令が出た。その後予フィダーに著いた時豕の値格外高かったので、よほどの多数が殺されたと知ったと(ピンカートンの『海陸紀行全集』一八一四年版、十六巻、四九九頁)。

豚「神の肉食べたいブー」


『本草啓蒙』四七に「野猪年を経るものは甚だ大にして牛のごとくなるものあり、甚だしきは背上木を生ずるものあり」。『甲子夜話』五一に、吉宗将軍小金原に狩りして、自ら十文目の鉄砲で五月白と名づけた古猪の頭を搏(う)ち、猪一廻りした処を衆人折り重なって仕留めた。年歴(へ)た物で鼻尖(さき)に白毛生じ、背には小木生じて花の白く咲けるよりこの名を負いしという。猪の類はすべて澗泥(かんでい)を以てその背を冷やす。これをニタという。この泥自ずから身毛に留まってこれに木生ぜしなりと。戦士の傷口に詰め込んだ土から麦が生えた話や、繃帯(ほうたい)の上に帽菌が生えた譚もあれば、全く無根でもなかろう。

背中に植物が生えているポケモンがいるぞ。


それからまた奇談といわば、アントニウス尊者荒寥地に独棲苦行神を驚かすばかりなる間、一日天に声ありてアントニウスよ汝の行いはアレキサンドリヤの一履(くつ)繕い師に及ばずと言う。尊者聞いてすなわち起ち、杖に縋って彼所に往きその履工を訪うと、履工かかる聖人の光臨に逢うて誠に痛み入った。爾時(そのとき)尊者面を和らげ近く寄って、われに汝の暮し様を語れという。履工これは畏れ入ります、もとより手と足ばかりの貧乏人故何たる善根も施し得ませぬ。ただし朝起きるごとに自分の住み居る市内一同のため、分けては、遠きに及ぼすは近きよりすで、自宅近隣の人々と自分同然の貧しい友達の安全を祈ります。それが済んで仕事に懸り活計のために終日働きます。人を欺く事が大嫌いだから、一切の偽りを避け約束した言は一々履行します。かくして私は妻子とともに貧しくその日を送りながら、拙い智慧の及ぶ限り妻子に上帝を畏敬すべく教えまする。このほかに、私の暮し様というものはありませんと語った。ラチマー曰く、この譚を聞いてまさに知るべし、上帝はそれぞれの職を勉め佯(いつわ)らず正しく暮す者を愛すと、アントニウスまことに大聖だったが、この貧乏至極な履工は、上帝の眼に、アントニウスと何の甲乙なかったと。以上は予往年大英博物館で読んだ一七一三年ロンドン板ホイストンの『三位一体と化身に関する古文集覧』および一八四五年版コルリーの『ラチマー法談集』より抄し置いたものに、得意の法螺を雑えたので、すべてベイコン卿の言の通り法螺の入らぬ文面は面白からぬ。

どこまで法螺なのかはわからないが、苦労自慢のような神への愛も、誠実で平凡な日常にある神への愛も、神にとっては等しいものだった、内面が大切なんです、という話らしい。


熊楠幼時より信心厚く、何でもござれで諸宗の経典に眼を晒し、断食苦行などは至極の得手物で、先日円寂した土宜法竜大僧正など、汝出家せば必ず中興の祖師となれると勧められた。毎度のこと故その気になってしからばなって見ようというと、『維摩経(ゆいまぎょう)』に、法喜を以て妻とし慈悲心を女となし、諸淫舎に入りては欲の過ちを示し、諸酒肆(しゅし)に入りては能くその志を立つとある。貴公酒を飲みながら勉強するは知れ渡り居るが女の方は如何と問うた。予は生来かつて女に構わぬと答えると、それは事実かと反問した。初め予ロンドンに著(つ)いた夜勝手が分らず、ユーストン街にユダヤ人が営む旅館に入って日夜外出せず。客の間に植物標本を持ち込んで整理し居る内、十七、八の女毎度馴々しく物言い懸ける。予は植物の方に潜心して返事せぬ事多きに屈せず、阿漕が浦の度重なりてそんな眼に逢う。処へその姉と称える二十四、五の女が来て、俗用の仏語で若い女を叱るを聴くと、その男はかつて女に会った事のない奴だ、かれこれと言うだけ無駄と知らぬか、商売柄目が利かないにもほどがあるといった。翌日から若い女はさっぱり近寄り来らず、それでようやくこのいわゆる姉妹は仇し仇浪浅妻船(あさづまぶね)の浅ましい世を乗せ渡る曲物とも分れば、かかる商売の女は男子を一瞥して、たやすくその童身か否かを判ずる力ぐらいは持つものとも知った。しかるに今人天の師とも仰がるる土宜師にそれほどの鑑識もなく、みだりに予の童身を疑うは高僧果して娼婦にしかず。畢竟、後白河上皇が仰せられた通り、隠すは上人、せぬは仏で(『沙石集』四の二)、日本に清僧は一疋もなく従って鑑識もその用を要せぬからだ。誰も頼まぬ禁戒など守ってそんな僧たちに讃められてからが縁の下の舞いと気が付いたところへ、折よく右のアントニウスの伝を読んで、無妻で通した聖人も人間並みに暮した靴屋も功徳に異(かわ)りがないと知って、なるほど穴に居るより、これは一番穴――が迥(はる)かましとの断定

縁の下の舞(まい)
(1)昔、陰暦二月二二日に大坂の天王寺で聖徳太子聖霊会に行われた舞楽。舞台の下で舞った。
(2)〔(1)が舞台に上がらず人に見えないところで舞われることから〕だれも見てくれないところで苦労すること。 「大辞林」
http://www.weblio.jp/content/%E7%B8%81%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%AE%E8%88%9E

大僧正でもこんなものなのである。むやみに坊主を有難がっていてはいけない。神仏を敬うのと坊主を敬うのは別のことである。


古く宋の時男色を営業する者多く、政和中法を立て、男子を捕え娼と為すを告げれば賞銭五十貫、罪人は杖一百と定めた。南渡の後呉俗もっとも盛んで、皆脂粉を傅(つ)け盛んに粧飾し、針縫を善くし、呼んでいう皆婦人のごとし。その首たる者を、師巫行頭と号す。およそ官府に不男の訟あらばすなわち呼んでこれを験せしむ。風俗を敗壊するこれより甚だしきはなし(『※[#「こざとへん+亥」、333-4]余叢考』四二
(中略)
インド、エジプト等の諸国に至っては、バートンの『千一夜譚』や仏教の律蔵、ラメーレス訳『愛天経』等を見て一斑を覗わるるごとく、外貌天性とも男女いずれと別らぬ者充満し、対角線を引いたごとく入り乱れて行なうから奇々怪々の異事最も多い。したがって艱難は発明の母ともいうが、男装女子や女装男子を見別つ法も随分あったといわせるほど備え居る。たとえば男女いずれとも別らぬ者を見れば、何気なき体(てい)で遊戯に誘い入れ、普通本邦婦人が洗濯する体に蹲まらしめ、急に球を抛(な)げると両手で受け留むる刹那、股を開けば女子、股を狭むれば男子とは恐れ入ったろう。

私が子供の頃、男同士でこれがオカマ識別法として用いられていたのを思い出した。ただ、相手を蹲まらしむことなく急に球を投げつけ、受け留むる刹那股を挟むればオカマと識別されていたように記憶している。股を挟めば内股でいる姿が女のようだから貴様の本性はオカマに違いない、股を開けば堂々たる益荒男ぶり、という言い掛かりで、一度やられると以降は皆向きになって股を開いて球を受け留む。
誰の考えた悪戯だろうと迷惑しておったが、まさか古代中東の産とは夢にも思わず。昭和千葉へ至るうちに中身はかなり変質して本来の意味を成さず。


青空文庫:十二支考 10 猪に関する民俗と伝説
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2542_35938.html
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2010年12月17日

俺の勝利と怒り


高速料金上限制、ETC車限定に方針転換 料金複雑化で現金ムリ

 政府・与党は15日、新たに導入する高速道路の料金上限制について、対象を自動料金収受システム(ETC)の搭載車に限定する方針を固めた。4月に発表した制度案では、未搭載車も含めたすべての車を対象としていたが、ETC搭載率が利用者の8割前後まで上昇しているほか、通勤時間帯割引などの現行の割引制度を継続することにしているため、料金が複雑化し、現金支払いには料金所が対応できないと判断した。
 国交省は今月9日、普通車について、現行の土日祝日は1千円で乗り放題となる割引を廃止した上で、曜日に関係なく、普通車は一定以上の距離を走った場合、上限2千円とする制度案を提示。対象については、4月の案と同様にETC未搭載車も含めていた。
 これに対し、民主党などから1千円乗り放題に比べ値上げになるとの不満が噴出。このため、通勤時間帯割引などの現行制度を継続することにしたが、現金支払いの場合、誤徴収や料金所で渋滞が起きる恐れが出てきた。
 対象外のETC未搭載車は現在の正規料金が適用され、過度の負担が生じるため、不公平感を緩和する施策について検討する。


産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/101216/biz1012160201002-n1.htm


高速無料化、来年度は1200億円=区間の大幅増困難に−政府

 政府は16日、2011年度予算案に盛り込む高速道路の無料化社会実験の事業費を1200億円(今年度予算額1000億円)とする方針を固めた。今年度と同じ50区間の無料化を来年4月からさらに1年間継続するには1200億円程度が必要。実質的に、6月から開始した今年度並みの予算にとどまることになり、来年度の無料区間の大幅拡大は難しくなった。
 国土交通省は概算要求で、来年度予算の特別枠を活用して今年度の予算額を500億円上回る1500億円を要求。しかし、特別枠の配分をめぐる政府の政策コンテストの意見公募では高速無料化に厳しい評価が相次いでいた。(2010/12/16-12:14)


時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2010121600345


まだ決定前だから早計と言われようが俺は先ず喜びたい。かつて自民党政権時代にETC搭載車のみ一部を除き高速道路料金を値下げしたことがあり、伴ってETC設置費用の助成も行われた。我が家の車はその頃ETCを設置したのであるが、世間にはこれを「民主党は高速道路料金を無料にする、ETCなんか無駄だ」と主張する者が、信じられぬかもしれぬが、実在したのである。
やっぱり要るんじゃないかETC。仮に今すぐ全面無料化されたところで、我が家は自民党ETC搭載車1000円時代にETC設置費用の元を十分取ったので個人戦では勝ちが確定していたが、この度民主党自らETCを当てにした高速道路の約8割有料継続方針を打ち出したために「民主党政権になれば高速道路無料化でETCいらず」論者への全面的な勝利がほぼ確定したのである。もうとっくに確定していたという説もあるが、まだ勝利宣言していなかったので今した。



◇キーワード 高速道路無料化
 2003年の衆院選から民主党が政権公約に盛り込んだ。首都高速など都市部を除き、通行料金を原則無料にする。流通コストを下げたり、地域経済を活性化させたりするのが狙いで、段階的に実施する。これに向けて、6月から全区間の約2割にあたる1626キロで無料化の「社会実験」がスタートした。実験は来年3月末まで続けられ、地域経済への効果、渋滞や環境への影響を把握する。


朝日新聞 2010年07月04日
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000811007040002


民主党2009年マニフェストには、高速道路原則無料化を平成22〜23年に段階的実施、平成24年(2012年)から完全実施、と、受け取れなくも、ない、かな、というイメージ図が載っている。
テキスト版に具体的な日付を伴った工程は書かれていない。

30.高速道路を原則無料化して、地域経済の活性化を図る
【政策目的】
○流通コストの引き下げを通じて、生活コストを引き下げる。
○産地から消費地へ商品を運びやすいようにして、地域経済を活性化する。
○高速道路の出入り口を増設し、今ある社会資本を有効に使って、渋滞などの経済的損失を軽減する。
【具体策】
○割引率の順次拡大などの社会実験を実施し、その影響を確認しながら、高速道路を無料化していく。
【所要額】
1.3兆円程度


http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/index.html


2003年のマニフェスト(第43回衆議院総選挙)には3年以内と書いてあった。

道路公団廃止と高速道路原則無料化
多額の投資をしながら有効活用されていない高速道路を生かすことで、地方を活性化するとともに、流通コストの削減を図るために、高速道路は、3 年以内に、一部大都市を除き無料とします。日本道路公団・本州四国連絡橋公団は廃止します。無料化によってコストが削減するだけでなく、出入り口を大幅に増設できることから、地方の高速道路が暮らしに生かせる道路としてよみがえります。高速道路に係る債務返済と道路の維持管理には、年間2兆円が必要ですが、現在、国と地方を合わせて9兆円に達している道路予算の一部振り替えと、渋滞・環境対策の観点から例外的に徴収する大都市部の通行料でまかないます。


http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/manifesto2003/05_02.html#2

2004(第20回参議院選挙)・2005年(第44回衆議院総選挙)のマニフェストにも3年以内の原則無料化が明記されている。
2007年(第21回参議院選挙)には時期の明記がないが、マニフェスト内で『「高速道路事業改革基本法案」を提出しました』と書いてある。これは2004年4月に国会へ提出されたもので、法案には『第五条 高速道路事業の改革は、この法律の施行後三年以内に実施するものとする。第七条 (前半省略)当該高速道路の通行又は利用について、原則として料金を徴収しないようにするものとする。』と書いてある

民主党マニフェスト
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/

高速道路事業改革基本法案の概要
http://www.dpj.or.jp/news/?num=496


一方、民主党が掲げている景気対策の一つに、高速道路の無料化という政策がある。もし、これが実現したらETCはどうなるか。いうまでもなく、ETCのシステムはすべて不要になってしまう。

日経BP:厳しい時代に「生き残る」には 経済アナリスト森永卓郎氏 2009年4月7日
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/179/index2.html


今度の総選挙で与党が勝てば、条件付き「1000円でどこまでも」方式が再来年3月まで続く。民主党が勝てば、平日も含めて無期限にタダ。ETCもへったくれもない。
世界と時代の潮流が日本のバカ高い高速道路料金の壁を崩しつつある。民主党は流れにさおさして官僚の抵抗と問題点をよく洗い出した。官僚に粘られて中間的な「1000円」案を採らざるを得なかった自民党との優劣は既に明らかだ。

と、毎日新聞の山田孝男さんは2009年6月に語る。
http://qazwsx.seesaa.net/article/122964595.html





2011年1月2日にフジテレビ系で放送される新春ドラマ「新春サザエさんスペシャル」(中略)
ドラマの中でカツオが妄想する未来のシーンには、平野綾も出演。トシ(タカアンドトシ)演じるカツオと平野綾演じるカオリちゃんが新婚生活を展開する。

ナタリー
http://natalie.mu/music/news/42152

カツオには今年中にくたばっていただきたい。まだ間に合う。
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2010年12月16日

十二支考 犬

十二支考(下) 南方熊楠  岩波文庫


南洋ニュウブリツン土人の説に、犬はもと直立して歩み甚だ速やかに走って多くの人を殺した。そこで生き残った人間が相談して、麪包(パン)果を極めて熱しその種子を犬の通路に撤いた。犬これを踏んで足を焼き、倒れて手をも焦し、それより立って歩む事叶わず。その種子今も、犬の足の裏に球となって残りあるという(一九一〇年版、ジョージ・ブラウンの『メラネシアンスおよびポリネシアンス』二四四頁)。

この話が嘘だと思うなら今すぐ犬の足の裏を見るがいい。証拠があるはずだ。
直立の犬が人間を殺すところを思い描くとたまらぬ。歩み甚だ速やかに走るのですよ。私の勝手なイメージでは人間を殺すための棍棒を持っている。(どうやって?)
犬を飼っている人は、直立したそれが歩み甚だ速やかに走って貴方を殺しに来るところを想像して下さい。異様だが、ちょっと可愛い。(うまく棍棒を持てないところなんかBERRY CUTE! LOVELY! 途中で絶対落とす。急いで拾おうとするがうまく拾えない。)



犬の鳴くを本邦では鳴くとか吠えるとか言うばかりだが、支那には色々とその区別があるらしく、英語になると、バーク、イエルプ、ナール、ハウルなどと雑多な種別があって、それぞれ一語で犬が怪しんで吠えたとか、苦しんで吠えた、悲しんで吠えたと判る。どうもこんな事にかけては日本語はまずいようだ。また犬の鳴き声は時代に由って色々に聞えたと見えて、今日普通に犬の吠えるを、英語でバウワウ、仏語でブーブーまたツーツーなどいうが、十六世紀に仏国で出たベロアルド・ド・ヴェルヴィユの『上達方』などには、犬の声を今の日本と同じくワンとしおり、古エジプトではアウと呼んだ形迹(けいせき)あり(ハウトンの『古博物学概覧』三〇頁)。『狂言記拾遺』六、「犬山伏」に犬ビョウビョウと吠える。寛永十年に成った、松江重頼(まつえしげより)の『犬子集(えのこしゅう)』一に、「びやう/\と広庭にさけ犬桜」、巻十七に「びやう/\とせし与謝(よさ)の海つら」「竜燈の影におどろく犬の声」。徳川幕府の初期には、犬の鳴き声をビョウビョウと聞いたので、英語や仏語に近い。

仏語のブーブーツーツーは解せなかったが、バウワウやウォフウォフといった鳴き声を目標に、ブをはっきり発音しないで再現すると解せる。ツーツーは日本で言うクーンクーンか。ネットで調べると仏語の犬はウアウア(oua oua ・ouah ouah)鳴くとある。


江戸期の『続太平楽府(しょくたいへいがくふ)』に、狂詩と呼ばれる分野のこんな漢詩がある。(岩波書店『五山文学集・江戸漢詩集』による、と呉智英『大衆食堂の人々』に掲載されていたもの)


犬咬合

椀椀椀椀亦椀椀
亦亦椀椀又椀椀
夜暗何疋頓不分
終始只聞椀椀椀


いぬのかみあい

わんわんわんわん亦わんわん
亦亦わんわん又わんわん
夜は暗くて何疋か頓と分からず
始終只聞く、わんわんわん



狂詩:江戸中期以後に流行した、こっけいを主とする漢詩体の詩。押韻・平仄(ひょうそく)など漢詩作法に従いながら、俗語・卑語を多用した。銅脈先生(畠中正盈)・寝惚先生(大田南畝)らが代表的作者。 「デジタル大辞泉」http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/56290/m0u/

椀を娘にかえると猫合戦という詩になります。

青空文庫:十二支考 09 犬に関する伝説
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/card2541.html
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2010年12月15日

今週の収支報告

先月のMVPはみんなにあげます。なぜなら、私は気前が良いからです。







マルコビッチ大白抜き

    何が不満で俺のDVDを買わないのか言ってみろ。
    ……。
    お前の話はよくわかった。
    しかし、それがDVDを買わなくてもいい理由にはならない!
    反省しろ!!

 


ラベル:マルコビッチ
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2010年12月14日

おばけ追記




前に書いたおばけの話。夢だろうが現実だろうが、この話は子供の頃から何度か他人に話していて、小学校へ上がる前の記憶というのだけは明確な事実。姿が不明瞭で、意図も不明で、行動が無意味で、ただただ恐ろしい。
あれが想像の産物だとして、未就学児童の発想にしてはかなり高度であると思う。今でこそネットの体験談等でこの手の怪異は確立しているが、当時、子供の知る怖い話にこのようなものはなかった。もう少し年齢があがって、それでもまだ未就学児童だったころ、実しやかに囁かれた怖い話がこんなのである。

・異次元への誘い
幼稚園内に小型の体育館のような部屋があり、隊列や陣形を整える基準を示すテープが幾何学模様を描くように床へ貼られていた。その部屋に一人でいると、テープで作られた図形の幾つかが異次元への入り口になり、引きずり込まれるのだという。
或る日、その部屋を使ったあとの給食時間、部屋からひとり遅れて帰ってきたH君は「実はさっき異次元に連れて行かれそうになったんだ」と私に打ち明けてくれた。図形の中から何本も手が伸びてきて捕まったが、何とか逃げ出したのだという。

・催眠術師
紐で吊った五円玉を揺らし催眠術をかけるおじさんが現る、という噂話。

・死人の出た川
幼稚園近くの川では、警官に追われた泥棒が飛び込んで溺死した、らしい。

・恐怖のカッター男
深夜、幼稚園近くの小学校の壁に異次元の穴が開いて出てくる。
通っている姉が背中と足の裏を切り付けられた、と友人E君から直接聞いた。



私が見たおばけについて、母へ憶えているかどうかを訊いてみたことが何度かある。
毎度はっきりとは答えがなかったような気がする。(子供の頃には「そういうこともあったね」と答えていたような気もするが、この記憶が事実なのか私の願望なのか判別がつかない。多分後者であろう)
最後に訊いたのは10代の頃か。
先日改めておばけのことを訊いてみた。母は全く記憶にないという。
これをもって、それ見たことかヨシノブの夢だったのだよ、と断ずることなかれ。母はこれまで何度か同じ質問をしてたことも記憶になかったし、私の幼少時の一大事であった「昼寝から起きたら目脂で瞼がくっついて開かなかった」事件のことも記憶になかった。母の記憶は当てにならないのである。
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2010年12月13日

非暴力非服従

恩を人糞で返された…世話になった寺に黄金爆弾、自称僧侶の「好青年」がなぜ?

(前略)
「自分も宗教者の端くれ。ふき取れないペンキや、物を壊すような暴力的な行為はしたくなかった」
 県警静岡中央署に同罪で逮捕された諸星肇容疑者(37)の言い分だ。今でも「自称僧侶」と名乗り、宗教者の矜持(きょうじ)を示す同容疑者が投げつけたものは、汚物だった。
 被害にあったのは静岡市の中心部、徳川家康が築城した駿府城跡から徒歩で約20分ほど、閑静な住宅街の一角にある古寺。ここは諸星容疑者が数年前、約1カ月間修行をした寺だ。

“汚物攻撃”は約2年にわたり続いたという。境内のいたるところに、少量だが汚物をまき散らしたような痕跡が見つかるようになった。あるときは建物の壁であったり、石灯籠に付着していた。散歩中のペットの落としたモノではなく、明らかに人為的な“におい”がプンプンしていたという。
 同署の調べによれば、諸星容疑者は「住職に恨みがあった」と容疑を認めている。当初は犬の糞(ふん)だったが、しだいに自分の汚物を投げつけるまでにエスカレートしたようだ。
 捜査関係者によると、諸星容疑者は自宅のトイレで用を足した後、糞尿をすくって集め、保管していたようだ。逮捕後の自宅の捜索で、人糞入りの500ミリリットルペットボトルが複数見つかった。逮捕されなければ、次の犯行が行われていた可能性が高い。
 取り調べを受ける諸星容疑者は、その蛮行からは想像もつかないほど落ち着いており、「宗教者」としての振る舞いを崩さないという。

「被害にあっても、最初は気持ちを改めてくれると思っていた。あまりにも犯行が続き、近所の人の迷惑にもなるので警察に相談した。世に生臭坊主(ぼうず)と呼ばれる僧侶は多いが、寺に糞尿を投げつけるなんて下の下。そういう人に僧侶になってもらいたくない」

まさに「恩を人糞で返された」形となった寺の住職(53)は、憤りが収まらない様子だ。
 住職によれば、事件の影響で寺を訪れる人は10分の1以下になってしまうなど、尾を引いているようだ。
 「誇張癖のある人間」とは、住職の諸星容疑者評だ。
 「お遍路さんを撮った写真集に自分が写っていると、その写真集を町で売り歩いた」「新聞社でアルバイトしていたのを、『新聞記者になった』と自分に自己紹介した」−。
 真偽不明なエピソードがつきまとう。

 しかし、周辺の人の印象は違ったようだ。諸星容疑者の自宅周辺では、「周りのことを気にかけてくれるいい青年」と評価が高かったりする。「仏教系の大学を出て、色々な寺で修行してきたと聞いている。今も自分で寺を開いて、お祈りしてくださいという人が来ているようだ」と、好印象を話す住人もいる。
 諸星容疑者の自宅には「諸星」という表札と「成相山修験道 駿河国宝珠院」と書かれた木札が掲げられ、宗教活動は続けているものとみられるが、捜査関係者は「実態はよく分からない」と首をひねる。
(後略)


産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101212/crm1012121901007-n1.htm


見出しだけで楽しく記事を書いたのが伝わってくる。

犯人が地獄へ落ちて責め苦の日々を送る或る日、天から一本のうんこが垂れてくるのだが、それをのぼって極楽へ行けるかどうかは御釈迦様の体調と食生活次第。一本につながらずドスンドスンと降ってきたとなれば逃げ惑うばかりでのぼること叶わず。御釈迦様が入滅された時に腹を下していたのにも不安が残る。ことによると一本のうんこどころか黄金シャワーが降り注ぐかもしれぬ。結論。地獄はうんこパラダイス。最後に降ってくる紙は、まるで天使が舞い降りる様。始まりに鳴り響いたは福音の屁。
ラベル:うんこ
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2010年12月12日

10/12/11

・修学旅行のようだ。しかしここは生い茂った草と廃墟のような建物(学校? 寮?)があるばかり。
友人FTを追いかけてゆくと、或る一室の中で彼が1メートルほどあるガスボンベのバルブを捻っているのをガラス越しに見つける。死のうとしているのか。部屋に飛び込んでボンベを奪い取り、建物の外に出てバルブを閉めようとするが中々閉まらず。ボンベには短いゴム管がついており、その先から時折火が出る。やっと締め終わると、建物からポンと音がした。FTのいた部屋が炎の塊のようになっている。その炎に鍋をかけて豚の生姜焼きのパックを湯煎する一人の小太りの教師と、そこへ同じパックを持って列を成す生徒たち。中にはFTがいた、彼はまだ中にいるのではないか、と教師に訊くと、まあまあいいじゃないかとにやにや笑う。
(今思えばボンベじゃなくてFTを持って外へ出たほうがよかった)


・夜中に鬼太郎の再放送を観る。面白い話だとわかっているが、眠くて眠くて仕方がなく、半分まで観たところで寝てしまう。


・叔母の家がちょっとした豪邸。家から工場の密集地が見える。堀江由衣がいとこだと知らされる。
ラベル:
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2010年12月10日

10/12/07

NHK、欧陽菲菲のラブ・イズ・オーバー、変な節をつけて歌うから演奏とズレてた。数か月前に同番組で雨の御堂筋を歌った時も変な節がついていた。
そんな不満も勝彩也の恋あざみで吹っ飛ぶ。水が多すぎる飯を炊いたような歌い方が、変に恍惚としたように見える表情に絡んでハイスコア。優勝。
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2010年12月09日

今週の王様

日替りロイヤル弁当
http://www.bentou.e-iwaki.jp/cgi-local/news/news.cgi?id=761&userid=38
福島の王族の御食事です。



「丸美食品のこだわり」より


●現在のお弁当はどうですか?

今はどちらの弁当屋さんからとっていますか?
値段はおいくらですか?
1日何食とっているんですか?


長く取ってるからね……。
安心感はありますね。
でも食べ飽きていないですか?


安くしてもらってるからなあ……。
おいくらですか?
当社にも競争させてもらえませんか?


従業員の親戚がやっている弁当屋さんだからなあ……。
他の従業員さんは満足していますか?
お金を払って食べているのだから、
ベストな弁当を食べたくないですか?


近くだからね……。
弁当は朝から作っているので、
遠い・近いは心配ないですよ

http://www.bentou.e-iwaki.jp/privacy.htm

どれもこちらの逃げ道をふさぐような受け答えだが、
4番目など、すごくキツイこと言ってる……。
「お願いします、どうか、どうか、うちの弁当を取ってください! 頑張って作りますから!」
泣いて縋り付く従業員の親戚を思うと、俺は、俺は……。
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2010年12月07日

十二支考 鶏

十二支考(下) 南方熊楠  岩波文庫


俗に陰嚢の垂れたるは落ち着いた徴で、昔武士が戦場で自分の剛臆を試むるに陰嚢を探って垂れ居るか縮み上ったかを検したというが、パッチ股引ジャあるまいし甲冑を著(き)て容易く探り得ただろうか。したがって陰嚢の垂れた人は気が長いという。これは本当で、かく申す熊楠のは何時も糸瓜のごとし。それ故か何事をも糸瓜とも思わず
(中略)
こんな気の長い人が西洋にもあったものか、チャムバースの『ブック・オヴ・デイス』に珍譚あり。昔話に物言わずに生まれ付いた人が騎馬して橋を過ぐる内、顧みてその家来に汝は鶏卵を好くかと問うとハイ好きますと答えた。何事もなしに一年経って一日同じ橋を騎馬で過ぐる内、同じ家来に去年の問いを続けるつもりでどんなのをと問うと、家来も抜からず焼いたのであります。

拙者半熟が好きでござる。


釈迦の身長は一丈八尺とか、その法衣が弥勒仏の両指をわずかに掩(おお)うはずと土宜法竜僧正から承った。

一丈は約3メートル、一尺は約30センチ。お釈迦様は馬場より背が高いのだ。

弥勒世界の人の身長は十六丈で弥勒仏の身長は三十二丈だ(『仏祖統記』三十)

ウルトラマンの身長は40メートルだ。


十六世紀に出たストラパロラの『面白き夜の物語』(ピャツェヴォリ・ノッチ)十三夜二譚は余未見の書、ソツジニが十五世紀に筆した物より採るという。人あり、百姓より閹鶏(えんけい)数羽を買い、ある法師、その価を払うはずとて伴れて行く。既に法師の所に至り、その人法師に囁き、この田舎者は貴僧に懺悔を聴いてもらうため来たと語り、さて、大声で上人即刻対面さるるぞと言うて出で行く。百姓は鶏代の事を法師に告げくれた事と心得、かの人の去るに任す。所へ法師来たので金を受け取ろうと手を出すと、法師は百姓に、跪いて懺悔せよと命じ、自ら十字を画き、偈(げ)を誦(じゅ)し始めた。これに似た落語を壮年の頃東京の寄席で聴いたは、さる男、吉原で春を買いて勘定無一文とは兼ねての覚悟、附け馬男を随えて帰る途上、一計を案じ、知りもせぬ石切屋に入りてその親方に小声で、門口に立ち居る男が新死人の石碑を註文に来たが、町不案内故通事(つうじ)に来てやったと語り、さて両人の間を取り持ち種々応対する。用語いずれも意義二つあって、石切屋には石の事、附け馬には遊興の事とばかり解せられたから、両人相疑わず、一人は急ぐ註文と呑み込んで石碑を切りに掛かれば、一人は石を切り終って揚代(あげだい)を代償さると心得て竢(ま)つ内、文なし漢は両人承引の上はわれここに用なしと挨拶して去った。久しく掛かり碑を切り終って、互いに料金を要求するに及び、始めて食わされたと分るに及ぶ。その詐欺漢が二人間を通事する辞(ことば)なかなか旨く、故正岡子規、秋山真之など、毎度その真似をやっていたが余は忘れしまった。今もそんな落語が行わるるなら誰か教えてくだされ。

この落語、「付け馬」と思われる。

かつて東牟婁郡高池町の素封家、佐藤長右衛門氏を訪ねた時、船を用意して古座川を上り、有名な一枚岩を見せられた。十二月の厳寒に、多くの人が鳶口(とびぐち)で筏を引いて水中を歩く辛苦を傷み尋ねると、この働き、烈しく身に障り、真砂という地の男子ことごとく五十以下で死するが常だが、故郷離れがたくて、皆々かく渡世すと答えた。

この話を他でも読んだことがある気がする。日本残酷物語にありそうな話だが確認できず。


『大阪毎日』紙を見ると、その大正九年十二月二十三日分に、竜神の豪家竜神家の嗣子が病名さえ分らぬ煩いで困りおる内、その夫人に催眠術を掛けると俄に「私は甲州の者で、百二十年前夫に死に別れ、悲しさの余り比丘尼になり、世の中に亡夫に似た人はないかと巡礼中、この家に来り泊り、探る内、私の持った大判小判に目がくれ、竜神より上山路村を東へ越す捷径(ちかみち)、センブ越えを越す途上、私は途中で殺され、面皮を剥いで谷へ投げられ、金は全部取られた。その怨みでこの家へ祟るのである」と血相変えて述べおわって覚めたと出た。それに対して竜神家より正誤申込みが一月十九日分に出た、いわく、百五十年ほど前、一尼僧この地に来り、松葉屋に泊り出立せしを、松葉屋と中屋の二主人が途中で殺し、その金を奪うた報いで両家断絶し、今にその趾(あと)あり云々。これを誤報附会したのでないかと。この竜神氏、当主は余の旧知で、伊達千広(陸奥宗光伯の父)の『竜神出湯日記』に、竜神一族は源三位頼政(みなもとのさんみよりまさ)の五男、和泉守頼氏(いずみのかみよりうじ)この山中に落ち来てこの奥なる殿垣内(とのがいと)に隠れ住めり、殿といえるもその故なり。末孫、今に竜神を氏とし、名に政の字を付くと語るに、その古えさえ忍ばれて「桜花本の根ざしを尋ねずば、たゞ深山木(みやまぎ)とみてや過ぎなむ」とあるほどの旧い豪家故、比丘尼を殺し金を奪うはずなく全くの誤報らしいが、また一方にはその土地の一、二人がした悪事が年所を経ても磨滅せず、その土地一汎(いっぱん)の悪名となり、気の弱い者の脳底に潜在し、時に発作して、他人がした事を自家の先祖がしたごとく附会して、狂語を放つ例も変態心理学の書にしばしば見受ける。

大阪毎日新聞はのちに東京日日新聞(東京で最初の日刊紙)と合併して、今日の毎日新聞となりました。当時の毎日はゴシップ誌みたいな位置かと思いきや、大正七年に全国中等学校フットボール大会(現在の全国高校ラグビー大会)、十三年には第一回選抜中等学校野球大会(現センバツ高校野球大会)が開かれていて、九年当時は既に「立派な新聞社」だったらしい。(どちらも現在の方は主催に毎日新聞社が入ってるので、当時の大会でも毎日が主催だと思う。ゴシップ誌が主催するような大会ではない、と現代の私は思ったのです。で、「立派な新聞社」たる毎日がこんな記事を載せるということは、他紙もこんな記事を載せていたのだと思う。)
世界初の新聞戸別配達を実施したのは東京日日新聞です。(明治八年)

毎日新聞のあゆみ
http://www.mainichi.co.jp/corporate/co-history.html


ビルマのカレン人の伝説に、昔神あり、水牛皮に宗旨と法律を書き付けてこの民を利せんとし一人に授く、その人これを小木上に留め流れを渡る。暫くありて帰り見れば犬その巻物を銜(くわ)えて走る。これを追うと犬巻物を落す。その人拾いにゆく間に鶏来って足で掻き散らし、字が読めなくなった。神書に触れたもの故とあって、カレン人は鶏の足を尊べど、その身を食うを何とも思わぬ。戸の上また寝床の上に鶏足を置いて、土中と空中に棲む悪鬼シンナを辟(さ)くと(一八五〇年シンガポール発行『印度群島および東亜雑誌』四巻八号四一五頁、ロー氏説)、支那では蒼頡(そうけつ)が鳥の足跡を見て文字を創(はじ)めたというに、この民は神が書いた字を鶏が足で掻き消したと説くのだ。

蒼頡が文字を創った話を呉智英「封建主義者かく語りき」から引用しよう。

ある時、蒼頡は、水辺の湿地の上に、水鳥たちの足跡が色々な模様を描いているのを見た。その時、彼は、文字というものを思いついたのである。文字。これがあれば、人間は、自分の観念をかたちとしてとどめ、他人に伝え、学び、教えることができるのだ。蒼頡は、ただちに家へ帰り、一日中没頭して文字の基礎をつくった。
作業は、夜半すぎにまでおよび、蒼頡が文字をつくり終えた時は、世界は暗黒と沈黙の支配する深い夜になっていた。蒼頡は、大業を果たし、ふと我に返った。すると、吸い込まれるような漆黒の闇の中から、低くかすかな、悲しむような呪うような、魂を凍らせるような呻き声が聞こえてくるではないか。蒼頡は、震える手で、そっと戸を開けた。
蒼頡の家の外には、闇の中に、数知れぬ異形のものが集まり、怨みのこもった泣き声を発していたのだ(鬼哭啾啾)。ぞっとする蒼頡に、異形のものは言った。
「人は、ついに文字を見いだしてしまった。その力の前に、我らの没落が始まる。ゆえに、悲しみ嘆いているのだ。しかし、人間よ、汝らの徳も、必ず衰退するであろう」
こう言うと、異形のものたちは、闇の中に姿を消していった。

(中略)
蒼頡の話は、人間が知を持つことは、すばらしくもあり、同時に、恐ろしくもあるという根源的な認識に達しているのだ。

私はこの話が大好きである。知による繁栄が大いなる喪失を伴うという真理が、古代の文字の始まりにおいて警告されている。ぞくぞくする。異形のものたちが文字を知っていたというのは、文字が単なるかたちではなく、本来は人間が持つべきではない異界の呪術であるかのような想像をさせる。ぞくぞくする。異形のものたちは没落すると嘆いた。それは、人間が彼らよりも恐ろしい何かに変貌してしまうことを意味しているのではないか。ぞくぞくしっぱなしである。

前にも紹介したが、中島敦「文字禍」は文字の禍々しさを描いた傑作短編。

青空文庫:文字禍
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html


エロマンガでツオ

エロマンガ島はすっかり有名になったが、エロマンガ島で鶏をツオと呼ぶのは知らなかったろ。明日学校でひけらかしていいぜ。


二十九年前の秋、予始めて渡英し王宮辺を徘徊すると、貴族の馬車絡繹(らくえき)たるその御者が、(中略)百人一首で稚(おさ)な馴染の業平の冠に著けた鍋取(なべとり)によく似た物を黒革作りで高帽の一側に著けあり。中には金魚が落雁を食ったような美少年も多く、南方先生「大内の小さ小舎人ててにや/\」てふ古謡を臆(おも)い起し、寧楽(なら)・平安古宮廷の盛時を眼前に見る心地して、水ばなとともに散り掛かるプラタヌスの下に空腹ながら時ならぬ春を催しやした。かくてあるべきにあらざれば下宿へ還って『用捨箱(ようしゃばこ)』を繙(ひもと)くと「鍋取公家というは卑しめていうにはあらず、老懸(おいかけ)を掛けたるをいえるなり、老懸を俗に鍋取また釜取(かまとり)ともいう」とある。釜取という名からまた先刻見た美少年どもを想い出したのも可笑しい。

絡繹:馬の往来などの、絶え間なく続くさま。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/229202/m0u/%E7%B5%A1%E7%B9%B9/
老懸:武官の正装の冠につけて顔の左右を覆う飾り。馬の尾の毛で扇形に作ったものを掛緒(かけお)でつける。冠(こうぶり)の緒。ほおすけ。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/27114/m0u/%E3%81%8A/


金魚が落雁云々や古謡については詳細がわからなかった。前者は頬が柔らかそうに膨らんだ紅顔の美少年という意味だと思う。そして美少年を見て「春を催し」たというのは、初めて見た表現だが、後のカマと美少年の連想から考えても、欲情を意味すると受け取るべきだろう。趣深い表現で、いつか使ってみたい。
熊楠は、セクソロジー、猥談、男色、半陰陽にも強い関心を持ち、スケベであり、「チンポいじりながら顕微鏡覗きおり」なんて書いているし、口を開けば猥談ばかりしていた、と中沢新一が水木しげる「猫楠」巻末対談で述べている。
10月にこのブログを通して『ぴことちこ ショタアイドルのオシゴト』を買った君も、熊楠のような立派な博物学者になってください。


青空文庫:十二支考 08 鶏に関する伝説
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2540_35098.html
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2010年12月06日

10/12/05

健康になろうと思ってアロエを食べてるんだけど。
中身だけ食べるのでいつも包丁でアロエの皮を削ぐんだけど、ツインテールの尻尾を下ろしているみたいでこの作業がちょっと楽しい。
健康になったら溢れ出る生命力で女の子にモテモテになるんじゃねーかなと思ってるんだけど。まだならない。


浅草演芸ホールのG・W特別興行で、次の出演者のために普通は下っ端の弟子が見出し(ってどこかで聞いたのだけど記憶違いかもしれぬ。舞台の端に置いてある、出演者の名が書かれた紙が下がっている看板みたいなアレ)を捲るところを、或る落語家(多分、木久扇)の出演時、その日出演予定のない円楽がジーパン姿で出てきて捲ったんだと。半年くらいまえに親父から聞いた話。


「大久保利通って西郷隆盛を殺した人でしょ」
小学生の頃、K商店で親しくないTから突然聞かされた歴史の真実。


今、冷蔵庫に卵が90個あるよ。
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2010年12月05日

「靖国」のことを語ろう

「靖国」のことを語ろう 小野田寛郎 中條高徳  WAC

題名の印象とは違って、話は戦争や天皇、小野田の体験談と広がって、靖国神社に特化した中身ではない。対談形式。六割は中條が喋っている。


ネットで見かける日独間のやりとりで「次はイタリア抜きでやろうぜ」というのがある。私はこれを『「日独間で交わされていそうな台詞」という冗談』だと思っていた。戦後、戦争を徹底否定する風潮が強い日本から生じたとは考えづらい。海外産だろう。今でこそネットでよく見かけるようになった冗談で、実際に言う人もあろうが、もともとは「いかにもありそうな台詞」であって、実用はされないんじゃないか。ところが実際にドイツ系人が言うのだそうだ。


小野田 僕はね、ブラジルでドイツ系の人と長く話をするのは避けているんですよ。彼らと話し込んでいると、しまいには必ず「今度戦争するときはイタリアを混ぜないでやろう」って言うんだ(笑)

中條  日独伊の伊は抜かせと。

小野田 そこまではいいんですよ。それから「日本は一回負けたくらいで何だ」と来るんです。「俺たちなんか、何回勝ったり負けたりしたかわからない。あんなものゲームと一緒だ」って言うんです。そのときの運不運で勝ったり負けたりするんだって。「悪いから負けたんじゃない。戦争っていうのはそれぞれ自分の主張があって、話し合いがつかないからケンカになっただけなんだから、次に勝ちゃいいんだ。だから。今度はイタリアを混ぜないでやろう」って言うんですよ。


※小野田は帰国の翌年からブラジルに移住。現在は年に三ヶ月ほど日本に滞在する。


ネットで調べてみると、実際にドイツ人からこの台詞を言われたという話は幾つも出てくる。みんなは知っていたのだろうが、私だけは知らなかった。
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2010年12月04日

10/12/03

産経からふたつ。

中国は昔からスローガンを掲げるのが好きで、なかにはおかしなものがあるという石平のコラム。

公安部門の打ち出した「治安スローガン」といえば、全国的に広がっているのが「警察を襲撃するのは犯罪行為だ!」である。
 このようなびっくり仰天のスローガンが国中で掲げられたことからは、およそ2つのことが読み取れるだろう。
その一つは警察への襲撃が実に多発していること、もう一つは、一般の人々の感覚において、警察を襲撃するようなことはもはや犯罪として認識されなくなっていることだ。だから公安部門はわざと、「それが犯罪だ」と、人民に教えようとしているのである。


【石平のChina Watch】「強盗より株」 スローガン大国・中国の奇々怪々
http://sankei.jp.msn.com/world/china/101202/chn1012021021000-n1.htm


三宅議員パーティーの楽しいレポート。

自宅マンション4階から転落し、都内の病院に入院中の民主党の三宅雪子衆院議員(45)が11月30日、一時外出許可をもらい約1カ月ぶりに衆院本会議に出席した。同日夜には自らの政治資金パーティーにも出席。「神様から『お前は仕事が残っている。死んではいけない』といわれたと思う」と怪気炎をあげた。(夕刊フジ)
 都内のホテルで開かれたパーティーは、開始前からZARDの「負けないで」が30分以上も流され続け、否が応でも同情ムードが。実際、三宅氏は笑顔で会場に現れたが、つえをつき片脇を関係者に抱えられる痛々しい姿だ。
 ただ、来賓に訪れた鳩山由紀夫前首相(63)は「三宅雪子さんを尊敬しています。それは4階から落ちて助かったからでないが、本当に信じられない」などと絶賛。話の途中で、司会を務めた小沢ガールズの同僚・田中美絵子衆院議員(34)が突如「ありがとうございました」とカットを入れたが、鳩山氏は「早く終わってほしいんだろうがまだ終わっていない!」と激怒するほどの熱の入れようを見せた。
 山岡賢次副代表(67)も「かつては衆院(の乱闘騒ぎ)でダイビングを決めた。どんな形でも政治家は(世間に)覚えられればいいんだ」と話題に事欠かない三宅氏をほめちぎった。
 確かに、会場には50人以上の報道陣が詰めかけ、1年生議員としては異例の注目度を見せつけた。
 その三宅氏は「事故にあい、(病院の)ベッドで『ハッ』と目の前が開けた。私は天下国家の仕事をするために国会に来たのだと」とあいさつしたが、出席者の1人は「当選前に気付いてほしかったが、ケガの功名か」と目を細めた。


ケガの功名か 民主・三宅議員のパーティー異例の注目度 
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101201/stt1012012212012-n1.htm
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2010年12月03日

10/12/02


ぼくのかんがえた遊び

「幽霊」

心霊云々の怖い話が好きなわりに霊感がまったくないもどかしさが昂じて生じた、他人を幽霊と決めつける遊び。3年くらい前から始めた。

物陰にいる人や化粧がすごい人など、幽霊の疑いがある人を見かけたら、「あ、幽霊だ」と思ってみたり、お経を唱えて神仏に助けを求めたりする。すべて心の中だけで行い、幽霊が見えているのを誰にも気づかれてはいけない。憑りつかれるから。
「あ、幽霊がラーメンの試食をしている!」
「ひぃー、幽霊が携帯電話で霊界通信!」
相手は幽霊です。思いきり怖がりましょう。
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2010年12月02日

10/12/01

豚がコンバースのスニーカーを履いている。

http://ishii-shopping.jp/default.php
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