2010年06月30日

だから、鳥越の頭が、おい、俺の話を信じろって。


先日、鳥越俊太郎の髪形が変だと指摘したが、君たちは信じてくれただろうか。
本当はテレビ画面のキャプチャー画像を貼りたいところだったが、キャプチャーなどという技術が私には無かった。どうせ俺の言うことなんて誰も信じていないんだろ。馬鹿にしやがって。

しかし、テレビ画面を写真に撮ることを思いつき、鳥越が出演するスーパーモーニングを3週間ほど録画して、変な髪形をしているところを携帯電話で撮影した。髪形が変なのは毎日ではない。きっちり整った日から日を追うごとにだんだんと崩れだしたり、整った日が続いたり、○か×か判定の難しい日もある。その規則性は見抜けなかった。録画からは、はっきりとアウトな日だけを選び、3日分撮影した。
これら証拠写真を見て、俺の言葉を軽く聞き流していたことを深く反省するがいい。反省したって許さないけど。

頭の角度によって不自然に見えているだけではないことを示すために、同日の鳥越を複数枚撮影している。おかげで私の携帯電話には鳥越俊太郎のサムネイルがずらずら並び、思わず「俺は鳥越俊太郎のファンなのか」と自問してしまうほどだった。

torigoe_hair.zip





画面上に映っている緑色の数字は、協定世界時を無視したテレビによる勝手な時刻主張で、時間の進みが一定せず、さらには常時表示されているという困り者です。下にある「標準」や「取り出し」も常時表示されています。これらは、8年位前テレビと一体になっているビデオデッキ部分が故障してからの症状です。
画質の悪さにヨシノブの生活レベルが窺える、と思った貴方。誤解です。どう誤解なのかは説明できません。

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2010年06月29日

10/06/28

君も御存知の通り、私は愚か者である。この前「せめて一週間はブログ以外に書き込みをしない」と己に課して三日目くらいに破った。その先にあるのは腹が立つばかりで時間浪費の不毛である。あいつらの頭も悪いが、そんな所に足を踏み入れている私も悪い。わかりますか。つまり、ネットの掲示板の議論へ下手に参加すると、馬鹿を相手に馬鹿な時間を過ごさなければならぬという怒りのあまり脳髄が痙攣しそうな体験を何度も得た私は、愚民どもへの啓蒙と救済を泣く泣く諦め、隠遁しようと思ったので、まずはプレ隠遁で体を慣らそうとしたのですが失敗しました。オラ、人間だから。人は鳥や獣のようには生きてゆけぬ。人の業がそうさせぬ。
こんな愚か者の私の書くブログですが、コメント欄への書き込みがめったにありません。これはもう、読者のみなさんが私より大変にお賢いことの証であります。
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2010年06月28日

虚無への供物

虚無への供物 中井英夫  講談社文庫

再読。大まかな流れは頭に入っているので、前回の読後にひっかかっていたところを注意。やはり、「○○」と××の××については私の読み落としではなく、本編でちゃんと片付いていない模様。
そういうところは惜しいが、事件が素直に片付かなくて幾重にも世界が浮き出てくるような構造がいい。亜利夫の推理が好き。事件が**0**の**に*******など、ああ、符合することは私にもわかっていたのに。
初読では結末が今ひとつ飲み込めなかったが、今回は前より胸に落ちるものがあった。

「ジェームス・ディーンとかいう、すばらしい個性の俳優が新しく……」
「何とかデーン君については、いずれ暇な時にゆっくりうかがうとして」



京極の『陰摩羅鬼の瑕』では作中人物が横溝と会話するので面食らったが、『虚無』では作中人物が乱歩の著作への意見について「いずれ乱歩さんに手紙でも書くとして」と言い出す。『虚無』は江戸川乱歩賞への応募作品で、当時の選考委員には乱歩本人がいる。


私の持っている47刷版ではP62の「花亦妖輪廻凶鳥」に「はなも えうりんねのまがとり」と読みが振ってあるが誤植。以降は「はなもようりんねのまがとり」と正しくなっている。47刷にもなってこの誤植。
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2010年06月27日

犬の生活

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生後数ヶ月



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反抗期



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老後



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遺影
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2010年06月26日

10/06/25


夕方、血圧測定 高116 低68 脈拍63


電気屋へ行ったついでに、3Dテレビを見てきた。床から突き出た棒の先にメガネが付いていて、そこに顔を持っていってテレビを覗く。ティムのアリスをやっていた。
思ったよりも大したことないという印象。確かに飛び出しているけれど、単なるギミックのひとつ、という感覚に留まる。ちんまりした立体で、映画館で観るのとは感覚があまりにも違うもの。(と書きましたが、アリスを映画館で観たことはありません。観たことのある他の3D映画との比較です。)
私が見たのは47型くらいの大きなものだったが、それでもちんまりする。画面の大きさに応じてしか飛び出せないという制限が、かえって映像領域の限度を感じさせていた。これが映画館だと、飛び出しが視覚の大部分を占めるからスクリーンの枠があまり気にならないのだと思う。
よほど大きな画面か、バーチャルボーイのように視覚を覆って擬似的な大画面にするようなものでないと、大仕掛けな3Dの魅力は出ないのではないかと思う。
現段階のテレビ用3Dは、さりげない立体で演出の脇役に徹するのが適役ではなかろうか。
技術革新とテレビで映える3Dの研究が進めばまた違ってくるのだろう。


急用で実家に電話をかけたら、いきなり「HELLO」と言われた。
もしや掛け間違えたのかと混乱したが、私が名乗ると相手は日本語で会話に応じてくれた。相手は日本在住の父だった。
実家の電話に番号通知はないので、父は相手が私だとわかってからかったわけではない。こんな電話の出方をする父は今まで見たことがなかった。何年か前に、父は認知症の初期段階だと医師に告げられている。洒落にならぬ。
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2010年06月25日

10/06/24

親しくない知人の家だ。妙に狭い。電車の中に家を作ったような感覚。オレンジ色の明かりがあるも薄暗い。
知人の男と、その父か祖父らしい老人。テーブルに向かい合って座る。かつては威厳ある軍人であったと思わせる老人の風貌。枯草色の厚手の服。短く刈った髪。
話が終わると、私と老人が残された。老人は、細長いが人間一人がぴったり収まる箱に横たわっている。老人は死ぬのだ、この箱に入って火葬にされるのだ、と思う。
老人は先ほどと打って変わって弱弱しい。私は銀色のボウルに入った透明な液体の筋弛緩剤を飲ませる。
老人が「小梅」と呟いた。いつのまにか、箱の中で老人は和装の人形を抱かかえている。死に別れた妻の名だろう、あのまま一緒に火葬してやろう、と思う。
知人が戻ってきた。
知人は老人を抱えて、これから排泄をさせるから介護してくる、と言う。しくじった。老人はまだ死ぬわけじゃないのだ。しかし筋弛緩剤を飲ませたので死んでしまう。私が間接的に殺したことになる。しくじったなあ。面倒なことになった。あーあ。なんでこんなところへきてしまったのだろう。

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2010年06月24日

10/06/13


大腸の検査をした父。
検査前日は食事制限。当日は朝から絶食で下剤、午後から検査。検査自体は当日帰宅だが、ポリープが見つかればそのまま切除して4日ほど様子見の入院。私は付き添いと手術の同意者として同行し、医師の説明も聴いた。
検査結果は何事もなし。昔と違ってカメラを飲み込んでも苦痛がない仕様になっているという。病院滞在時間およそ6時間。検査料6500円。

私が聴いて詰まらなかった地元の某噺家のことを、父も詰まらないと評していて安心する。父はいまいちセンスのないところがあるので、あんな噺家を持ち上げたらどうしようと思っていた。


前に横山大観平山郁夫鏑木清方らの近代日本画展へ行った際、父はもともと複製を一枚買って帰るつもりだったそうで、順路の最後にある売店で銀行から下ろした幾許かの紙幣を懐に逡巡していた。
絵葉書にしたものから数十万もするものまで、商品はピンキリ。勿論、立派と値段は比例する。出費には限度がある。
父が欲しかったのは前から好きな横山大観の「無我」だったが、立派と出費の折り合いがうまくつかず、当初はそれなりの出血を覚悟していたものの、結局5000円程度の無我色紙を買っていた。よくもまあ、本物を観たあとであんなものが買えるなあ、と1円も出さない親不孝者は思った。
「無我」は縦長の画で、惚けた童子が外で突っ立っている姿が描かれている。同名の画は三枚あり、我々が観たのは水野美術館所蔵の作品。
童子は画の下三分の二ほどに収まり、あとの上三分の一は特に何もない空間である。この何もない空間が、童子の放心をゆったりと増幅させ画の雰囲気を広げて良い。日本画の美人画も、私は背景がしっかり描き込まれたものより、空白に女の情緒を漂わせているような画が好きだ。
ところがこの無我色紙といったら、童子の姿だけを切り取るように正方形へ収めた寸詰りで、小汚い鍋敷のような雰囲気である。居間に飾ったそれを観て、父は「やっぱりこれじゃいかんなあ」などと言っている。

横山大観 無我
http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&tbs=isch:1&sa=1&q=%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E8%A6%B3%E3%80%80%E7%84%A1%E6%88%91&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=
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2010年06月23日

10/06/22


週刊オブイェクト:環境情報誌Eco Frontが「対艦ミサイルで鯨が爆殺された!」と豪快な馬鹿ニュースを報じる
http://obiekt.seesaa.net/article/154020463.html

対艦ミサイルで鯨を殺すというオーバーテクノロジー(原義を無視)がたまらない。
この手の発想では「火炎放射器で肉を焼く」なんてのがあるが、本気で考える(勘違いする)人のスケールは段違いだ。


寿司屋で、穴子をガスバーナーで炙って出すところがある。
あれを最初に見たときは驚いた。カウンターの隅で、近所の溶接工場で見かけるような青い火がゴーゴーと噴き出しているのは奇妙な光景だった。合理的なのは直感的にわかるが、釈然としない。また、他のねたとは明らかに異質な作業工程に、余計な手間をかけさせてしまっている申し訳無さも生まれて落ち着かなかった。今にして思えば、私はそこにオーバーテクノロジーを感じていたのである。
驚き釈然とせず落ち着かないまま、申し訳無いとは思いつつ、その日は穴子を三回頼んだ。好物だからしょうがない。
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2010年06月22日

20:55 成田発



「どなたか、お客様のなかにお医者様はいらっしゃいませんか」
「私は医者だ」
「よかった。急いでこちらへ」

高度7000メートルに達そうとするジャンボジェット機の操縦室で、
機長に緊急事態が生じていた。
おちんちんの先が痛むというのである。
機長は床に座り込んでえーんえーんと泣いている。
副操縦士はおろおろして操縦が手につかない。
医者は機長のおちんちんを手早く診察した。
「うむ、これはおちんちんの洗い方が不十分だったことによるものでしょう。
 軟膏を塗ればいい」
医者は軟膏を塗った。おちんちんの痛みは消えた。
機長に笑顔が戻った。副操縦士もにっこりした。

「機長のおちんちんは治りました。これより機体の体勢を立て直し、
 予定通り目的地へ向かいます」
乗客の安堵に包まれ、降下中だった飛行機は機首を上げた。
一路、ハワイへ。
Have a Nice Trip !  ―――よい旅を!

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2010年06月21日

10/06/20

鬼平の新作は面白かったが、蹴られた子供が転がる場面の演出、あれは何だったのか?
何年か前にも、足の速さを演出するために映像に変な処理が加えられていてポカンとした。
だが、総じて楽しめた。あとは捨五郎の死があっけなかったのが心残りかな。いかにも殺されそうな展開で序盤からじっくり来ていたのに。
若松武史のねっとりとした悪役、もっと見たかったのにすぐに捕まっちまった。
若松は私が観にいった舞台「毛皮のマリー」で美少女・紋白を演じていて、原作しか知らなかった私は大いに驚いた。その時の美少年・欣也は及川光博。


劇場版鬼平をテレビで観るのは2回目。
しまりのない話なんだよな。元の尺が105分だからテレビ用にそうカットされているはずもないのだけれど。
結局は鬼平の蒔いた種のような話。死人は大勢出るし、憎き親玉をふんじばるってカタルシスもない。
ゲストはいいし、先代猫八の彦十も居るのに、惜しい。
本田博太郎なんか全然見せ場がないのに、あの顔が出ているだけでいい。それとは逆の意味で顔だけ出しに来たような藤田まこと。(脚本が悪い)
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2010年06月20日

いいかげんに目を覚ませ!

郵便ポストに入っていた幸福の科学小冊子5月号を今になって開いてみた。
君は読んだか。すごいことが書かれている。





日本の未来を憂う。

天上界の神々は、今の日本をどのようにご覧になっているか。
大川隆法総裁の霊言集のなかに、その答えがある。
日本人よ、いいかげんに目を覚ませ!
高級霊からの警醒の声を、
あなた自身の魂で、まっすぐに受け止めてほしい。



松下幸之助の霊言
単なる同情のために撒くような金は、
ほどほどにしなはれ。
怠けとるやつについては、
鞭打って働かしなさい。
汗を流して働きなさい。



坂本龍馬の霊言
小沢一郎が「無血革命」やったって?
なんもしとらん。
看板を替えただけのことだ。
革命でも何でもないわ、あんなのは。



吉田松陰の霊言
ときには心を鬼にすることが、
仏に通じることもあるのだ。
今必要なのは、"辛口"の政策だ。
国民に厳しさを突きつけねばならない。



西郷隆盛の霊言
国民が間違い、政治家が間違い、
マスコミが間違っているならば、
破滅以外にあるべきものはない。
奈落の底より国家を再生せよ。



福沢諭吉の霊言
(現在の学問が)実用の学から
離れている理由の一つは、
教員制度にあるのではなかと、
私は思うんですよ。


二宮尊徳の霊言
(年金制度は)もともと老後を
養うつもりなどなかったはずで、
税収の不足を補うつもりで
やっていたはずですね。



渋沢栄一の霊言
(鳩山政権は)
役所も使う気がなくなって、
「政治主導でやる」って
言ってるんでしょ。
恐怖の素人政治が、
今、始まろうとしているわけだ。



勝海舟の霊言
今年は、外交は危険だよ。
このままで行くと、年内日本は、
「アメリカを取るか、中国を取るか」の
二者択一に追い込まれる。



P.F.ドラッカーの霊言
鳩山さんの、
「先進国に先駆けて、
CO2を25%カットする」というのは、
"日本自殺宣言"であることは
間違いないでしょうね。



ミカエルの霊言
アメリカという国をナメているようですが、
もうそろそろ我慢の限界です。
今年、爆発します。
もう許さないと思います。



ムハンマドの霊言
(日本は)まもなく
中国に支配される可能性があります。
この十年のせめぎ合いで
流れが決定すると思いますね。



まあ、いつもの大川総裁なのですが、不信心者には馴染みのない世界だけにドキッとしてしまいました。
渋沢の「言ってるんでしょ」という現世との距離感、福沢の「私は思うんですよ」という謙虚、一人だけなまりが抜けない松下など、生き生きとした言葉がたまりませんね。どんなに敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒でも、時事問題についてミカエルやムハンマドの寸評を聴くことはなかなかないでしょう。
アメリカの怒りが本物であるとよくわかります。もう許さないと思います。



幸福の教えはなんだか近づきがたいなあ、と思う貴方へ。
まずは4コママンガで親しんでみては?

萌える幸福の科学 4コマ漫画
メイド喫茶の主人公による4コマ漫画。時事的な話題を織り交ぜて「幸福の科学」の教えや「幸福実現党」の政策を紹介しています。 (宗教法人幸福の科学ならびに幸福実現党の公式サイトではありません。この漫画に登場する人物・団体は架空のものです。)
http://ameblo.jp/elne/

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2010年06月18日

今週の収支報告


先月、女の子からモテモテになろうと、風早くんと同じ髪型にすることにしました。
ところが出来上がりを鏡で見て呆然。これでは風早くんというより、カビの生えたマルコビッチみたいだ。
ちゃんと別マを買って、それ見ながら切ればよかった……。
後悔先に立たず。髪はまだ短いままです。






トミカを衝動的に17台買いました。ああ、俺ずっとミニカーが欲しかったんだ、って。
家電量販店で。
ミニカーだからと甘く見てはいけません。安価なのになかなか作り込まれており、そこそこ強度があるのも嬉しい。

今回買った中で一番気に入っているのは「114 自衛隊 軽装甲機動車」です。

よく撮れている写真はこちら
玩具とか模型とか…:■トミカ 自衛隊 軽装甲機動車■
http://pony-hp3.web.infoseek.co.jp/TOMIKA114.htm

多分、エヴァに何度か顔を出している装甲車とほぼ同じ型です。
あと2台くらい欲しくなる。
というわけで、先月のMVPはこれでした。
トミカに戦車も出して欲しいが、さすがに無理だろうなあ。


後日、100円ショップでミニカーが売られているのを見つけた。ちょっと笑ってしまうくらい、トミカとは出来が違う。見比べるのも一興です。
もっとも、そのぶん値段も違うわけで、不当に出来が悪いわけではない、のだろう。もし子供に買い与えるのなら100円のものでも良いと思う。子供は乱暴に使うし、無くすからね。






















マルコビッチ大白抜き
 ヨシノブがさ、先月から髪を短くしているんだよ。
 あれは俺の髪型を真似してるところだね。
 口では何だかんだと言いながら、内心ではかなり俺に憧れているわけ。
 まったく素直じゃないよなあ。
 ヨシノブ、俺のDVDを買ってもいいんだぞ。
 DVD観て男を磨け。
 





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2010年06月16日

10/06/15

わけがわかりません。ブログやめます。脳がゆっくりと攪拌されそうな感覚です。何を考えているのだ。
言いたい事はたくさんある。と、言うより、強く言っておきたいことがある。
それを長々と書いては消し書いては消ししてみたが、うまく伝わりそうにないのでいっそのこと簡潔に書く。
ヘラヘラとブログ書いてるわけじゃないんだぞ。何考えているんだお前。これが俺か。
真意を文章に変換出来ないけれど、俺は脳がねじれる。幾許かは伝わってもらわねば困る。
その成否が等しく無意味であるところがこれまた困って脳の負担だ。目的地と出口がないからここにいるだけ。
ぢりぢりする。

あ、
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2010年06月09日

一週間ほど更新を止めます。




















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「けいおん!」の琴吹紬です。
下書き・修正なしで描きました。画材はコピー用紙とボールペンです。
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2010年06月08日

10/06/07



かつて体の太さを店員から「お客さんは胸板が厚いから」と評されたこともありますが、ある店では、試着した服の胴回りが少しきつくて買うか買わざるか思案しけるに店員が「うちは水泳やっている人も来るから大丈夫ですよ(水泳で体鍛えて胸囲がでかい奴もうちで買い物するんだからお前も買えよ)」などと非論理的なことを言い出しおった。水泳選手が1000万人来店しようとこの服が俺に合わないのだから知ったことか、この全体主義者め。


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2010年06月07日

10/06/05


ヱヴァ新劇場版のソフトは、いつか出るだろう新劇ブルーレイBOXで買おうと思っている。
序が2007/9/1、破が2009/6/27公開ときたからにはQが2011年公開予定・誤差+1年として、Qソフト発売がその1年後、BOXは同じ頃に出るのだろうか。あ、新旧セットもありうるか? 先は長い。ヨシノブおじいちゃん死んじゃう。
手元に再生機器はないが、BOXが出るころにはUSB接続の手頃な値段のものが出ているだろう。
先月の初め、緒方がエヴァ新作についてまだ何の話も聞いていない旨の発言をしていた。
先は長い。


旧劇がどろどろの愛憎劇だったので、新劇は話がすっきりしすぎてエヴァらしくないとの声を聞く。私は公式とは関係なく、新劇を旧劇からの一巡した宇宙と解釈することにしているので、愛憎劇は一段落着いて、もっと広い範囲(その分、旧劇に割いていた内面の深さは浅くなる)、登場人物たちがロボットアニメらしい展開へ意識を向けられるようになったのだと考えている。
思えばテレビ版は結局シンジの内面の話だった。旧劇はそこから他人へ意識が広がって、シンジとアスカの愛憎劇になったのだ。新劇では旧劇のラストは繰り返して欲しくない。無かったことにもしてほしくない。苦しんだ後の世界だからこそ、、あの子供たちに、あの大人たちに、報われて幸せになってほしい。(が、油断は出来ない)


たけくまが破を100インチ相当のホームシアターで観たという。羨ましい。
単に綺麗な映像ならブルーレイとモニタで私でも何とか出来るが、大画面大音量は無理。
結局こういうところに行き着く。

デジタル音楽時代、音楽は再び「ライブ」へ回帰する、という坂本龍一の話。

季刊analog&Phile-web 特別インタビュー
坂本龍一氏に訊く、これからの音楽のかたちと価値とは

http://www.phileweb.com/interview/article/200908/31/25.html

破は多分、家で観ても映画館で観たときほどは面白くないだろう。
技術が進んで、個人でも高画質高音質に触れられるようになった。しかし、デカイという単純原始的迫力には、そんな個人の高度だがちまちました満足を吹っ飛ばす威力がある。
現デジタル時代、音楽や映像といった「ライブ」を高度に再現・複製・創作したあらゆるデータを手軽に受け取らることが出来、私たちは非常に高度多大な「ライブ」の疑似体験を得ているつもりになっている。ちょっと気を抜くと「ライブ」を「デジタル」で代用出来るようなつもりでいる。しかし、現「デジタル」では再現出来ない「ライブ」というものはあって、両者の本質的違い(というより両者は結局のところ擬似や代用の効かない違うジャンル、と言っては言いすぎかもしれないが、全くの的外れでもないような気がしている)を何かにつけ思い知らされる時代が、まだ暫く、或いは永久に続くのだろう。




「けいおん!!」の放送が始まる前にいそいそと抹茶ラテミルクをムギちゃんマグカップに注ぎ「今日はムギのかわいい場面がたくさんあるといいなあ」と思いながらテレビの前に待機する私は、何者かの手の上で踊らされている気がする。
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2010年06月06日

今週の収支報告



先月、露骨に購買を煽ったら岡本喜八のDVDが売れました。
(いいのだろうか、こんなブログで物を買わせて)

そして月刊COMICリュウも売れました。
何が載っているのだろうと思ったら、寺田克也・あさりよしとお・島本和彦・安永航一郎・安彦良和ほか、と渋い連載陣。なおかつ、「大正野球娘」と「ゼオライマー」も載っている。
「闇狩師 キマイラ天龍変」もリュウなんですね。これは夢枕獏の人気小説シリーズ二つを伊藤勢がひとつの物語にしたもので、原作では「悟りを開こうと俗世を離れ、山の中で獣じみた生活をしている修行僧おじさん」である沙門を、本作ではなんと猫耳少女にしてしまい、原作ファンに大きな衝撃を与えたことで有名な作品です。(私は未読)

アマゾンレビューより
後書きに獏さんから「伊藤くんの自由にやんなさいっ」と言われたとありますが、これは描き手としてはかえってキビシイ条件だったのではないでしょうか。沙門の猫耳少女キャラ化もちょいとやり過ぎの感はあるのですが、登場シーンに「たまには止めろよ、バク〜」と書いてあったり悪戦苦闘振りが垣間見えます(笑

早く小説の続き出せよ、バク〜


と、こうして珍しく「闇狩師 キマイラ天龍変」の名前を目にしたのですが、私は先月全くの別件でこのマイナー漫画の名前を目にしたところだったので大変驚きました。


「闇狩師」単行本と「けいおん!」グッズを手に写真撮影へと応じる、
たちあがれ日本代表 平沼赳夫議員。
同党所属 中川義雄議員もけいおん!グッスを手にパチリ。

ルーピーのブログ:平沼先生と中川義雄先生に手渡してきた
http://ameblo.jp/asakurahaorenoyome/entry-10545999156.html


私はムギちゃんの壁紙用画像を探していたところ、偶然この画像に出くわしたのです。


同ブログのもうひとつの記事も凄い
ttp://ameblo.jp/asakurahaorenoyome/entry-10540064995.html
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2010年06月04日

10/06/03

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「おい、ハゲ」
背後から声をかけられる専務


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「今ハゲって言ったのは誰だ!」 振り向いた専務怒鳴る。
周囲は静まり返っている。


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「私だ」 机の下からピョコンと顔を出す社長
「アッ 社長!!」 驚く専務


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「何か文句あるのかね」 不機嫌な社長
「いいえ」 弱る専務
(真ん中で「はい」と言っているのは電話に出ている仕事中の社員です)


第42回大宅壮一ノンフィクション賞作品。
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2010年06月03日

うんこの村

どこかにあるという、うんこの村を探し求めつづけて、ついにその場所を指し示す微かな光を得た。

藁にも縋る思いで光の差すほうへ、森を潜り、水を渡り、地を這い、山を抜け、ひたすら歩き続けられたのは、この先にうんこの村があると信じていたからではない。本音では、既にうんこの村の存在を半分も信じていなかった。しかし、人生を注ぎ込んだうんこの村がただの御伽噺であったなら、私は、今まで何を。苦しみながら、笑われながら、歩いた道は。私は一生を無駄に。何も、残らない、膨大な、無為。

だが、探し続けていれば、うんこの村があるという可能性を体現していれば、私という存在に意味があるという可能性を体現することにもなる。ないと認めることだけは出来ない。私の全部がなくなってしまう。ここにいる私の意味も、これまで捨てたものの意味も、全部なくなってしまう。
探し続けるしかない。私を続けるしかないのだ。

しかし、疾うに疲れきっていた。やめたかった。それでも、うんこの村を諦めるわけにはいかない。それでは、私が。

だから、死ぬしかなかった。うんこの村を探しつづけながら死ぬこと。これが、私が生きたことの意味を完全否定されない、唯一の終わり方。こうして危険を顧みない探索が出来るのは、死ぬことが目的だからである。

最後に立ち寄った村で「死への彼方」と呼ばれ恐れられていた土地は、特殊な土壌なのだろうか、有毒ガスでも噴出すのだろうか、なるほど獣も植物も絶えた何もない土地だった。湿度は高く、何等かの生命がありそうだが、小さな虫すら目にしなかった。
ここを越えた先にうんこの村があるというが、最早超えるだけの体力は残っていそうにない。おまけに日が翳り霧が出て、自分が歩いてきた方向さえ判らなくなってしまった。体が熱く、頭がぼんやりする。私はここで終わるのだ。うんこの村を探し求める途中で命尽きた、可能性を残したままの私で終えられるのだ。
歩いた。方角はわからないが、とにかく死に向かって歩いた。歩いた。


暗い地の底から浮上したような感覚で目が覚めた。日の光が目を射すので、反射的に腕で目を庇った。
歩き疲れて眠り込んだおかげで、幾らか体力が回復してしまったらしい。日の高さから見て今は朝だろう。
半身を起こし、辺りを見回して驚いた。地面がうんこだ。私の寝うんこではない。どこまでも、どこまでも、うんこが広がっている。試しに掘ってみたが、どこまでもうんこだった。これはもしかしてうんこの村に入り込んだのではないだろうか。
私は日課である朝のうんこをそこで済ませると、村の中心部らしき建物群へ向かって駆け出した。疲れや空腹など、どこかへ吹っ飛んでいた。

それは、エスキモーが固めた雪で作る住居によく似ていた。ただし、建材はうんこである。扉はなく、ぽっかりと口を開けている。内部には簡素ながら家具が揃っており、そのすべてはうんこで出来ていた。それどころか、この村一帯がすべてうんこなのである。一見樹木や岩に見えるものも、うんこの色しかしていないし、近づいて確かめてみれば、やはりうんこだった。それでいて、生き物や植物は一切いない。これには「死への彼方」と関係があるのだろう。
すべてがうんこで出来たうんこの村。伝説にあるとおりだった。私のこれまでには確かな意味があったのだ。

私はひどく興奮していたが、しだいにそれも冷めていった。何しろ、すべてがうんこで出来て静まり返った村は不気味極まる場所なのだ。命が惜しくなって今更臆病になったせいもあるだろう。ここから生きて帰られる当てはない。
数あるうんこの造形物の中でも最も不気味なのは、人の形をしたうんこである。大きいのも小さいのもあるが、どれも人間の大きさで、胴体に四肢と頭をくっつけただけの、目も口もないのっぺらぼうだ。それが家々のベッドらしきものに横たわっている。中には机で居眠りをしたような姿勢のものもある。
これが伝説にあったうんこ人だろう。伝説には、うんこの村に迷い込んだ旅人がうんこ人に追いかけられたという一節があったが、ここにあるうんこ人にはまったく動く気配がない。
それにしても、誰がこんなにうんこをし、こんな村を作ったのだろう。実際に人間の住む小さな村ほどの規模はある。
私は前からうんこの村を、何かの信仰のために作られた異界だと考えていた。人の理とはまったく違う世界を作ることにより、人間の力が及ばぬ災害や病といった不条理な運命への、何等かの対抗策、つまりうんこ人を祭ったり畏敬することで人間ならぬ力に味方をしてもらい、不条理への対処法を得ようとしたのではないか、と考えているのだ。
それにしては、この村には宗教的な痕跡がない。ただの質素な生活をうんこで模したようで、それにしては大規模すぎて、捉えどころのない不気味さがべったりと塗り込められているのだけは強く感じた。

私は村の調査中、ある住居で椅子に腰掛けてしばし休むつもりが、リュックの中に残っていた木の実を齧っているうちにぐっすりと寝付いてしまった。
目を覚ますと、辺りが薄暗い。日没したばかりのようだ。心がきゅっと冷えた。日が落ちて心細くなった瞬間に、これからどうなるのか、と不安がどっと押し寄せてきた。ただただ恐ろしい。体は強張り、心臓が早鐘のように鳴る。ともかく、夜明けを待たぬことには何も行動出来ない。
恐怖にとらわれると、周囲の何もかもが恐ろしい。今にも何かが、あの影から何かが、恐怖が。
なかでも、一番恐ろしいのは背後だ。後ろに何かいるのではないかと思った瞬間、もうそこに恐怖が居座ってしまう。何もいないと頭ではわかっていても、心が従わない。ましてやここは常識外れのうんこの村だ。ただでさえ落ち着かない。うんこ人に追いかけられる旅人が自分の姿と重なる。
うんこ人が、背後に立っているのではないか。
呼吸が苦しい。ゆっくりと暗闇が増してくるのにつれ、恐怖も増してくる。背後にはうんこ人がいるような気がする。なに、うんこ人なんて塊は昼間にベッドで寝ていたじゃないか。しかし、伝説にはうんこ人が動くと。いや、あくまでも伝説だ。でも、自分は伝説に従いここへ来た。うんこ人はいた。あれはただの塊じゃないか。では誰が作った。うんこ人はあった。うんこ人はいた。いない。いた。いない。ある。あった。いる。いない。いる。いない。いない。うんこ。ただのうんこだ。だから。いない。いない。こわい。こわい。うんここわい。おねがい。ゆるして。
こわくて泣いていたが、歯を食いしばって、恐怖に少し耐えた。
ひとまず、ここを出よう。住居の中は暗闇が濃くていけない。外なら月明かりが差す。そう思った私は、そろそろと椅子から腰を浮かし、一歩踏み出した。体が硬直する。静寂。息を殺して、また一歩踏み出す。出口はすぐそこだ。でも、走り出せない。後ろにはうんこ人がいて、走り出した途端に飛び掛ってきそうな気がするから。だから、ゆっくりと歩く。何だ、何事もないじゃいか。少し高揚する。歩みも少し速めて、とうとう出口に辿り着いた。外は月明かりで静かに青く光っている。
取りあえず、村の中心部から離れよう。「死への彼方」のせいで、このあたりには危険な動物がいそうにないのが幸いだ。野外で安全に夜を明かせる。

外へ踏み出す前に、振り返ってしまった。さっきまで座っていた椅子の後ろにはうんこ人が立っていた。私が、わざわざ不気味なうんこ人を背にした椅子など選んで座るはずがない。うんこ人がこちらに手を伸ばした。
頭の中が全部止まった一瞬の後、息を止めて村の外を目指して駆け出したが、足がもつれて勢いよく転んでしまった。わからない。うんこ人はいるのだ。なにがどうなっているのかわからない。そうか、うんこ人は夜行性なのだ。それで、捕まったらどうなるのだ。
起き上がったが、どちらへ行けば村の外が近いのかわからない。だが、とにかく走った。いつか外へ出るはず、だが、ある建物を曲がったとき、そこは村の中心部なのだろう、少し開けた広場があった。うんこ人が集っていた。

静寂の中、私だけが騒がしかった。音もなくこちらへ顔のあるべきところを向けるうんこ人たち。私は悲鳴を上げてもと来た道を引き返すが、家々から出てきたうんこ人が道を塞いでいる。ああ、ああ。私はうんこ人たちに壁際へ追い詰められた。背中が壁にぶつかると、腰が抜けてしゃがみこんでしまった。もう立ち上がれない。うんこ人たちが私へ手を伸ばす。私は両手を振り回して泣き叫ぶが、うんこ人の手は意外と力強く、びくともしない。一体何を食べればこんなうんこが出るのだろうと思ったきり、私は気を失った。


最後にうんこの村の伝説について教えてもらった村の外れで、私は気絶していたそうだ。
村人は私がどこへ行っていたのかを悟って脅えていたが、親切にも介抱してくれた。しばらくは腑抜けていた私も、毎日世話をされ食べるものを食べていると、体力も気力も回復した。何より、うんこの村から逃れられたことがわかった安堵感が大きい。時折、あの夜の悪夢にうなされる事はあったが、それは目覚めて恐怖から解放されたことを強く意識することにもなり、私はどんどん元気になっていった。夜はまだこわかったが、最初のうちは疲れで日没すぐから長く寝ることが出来たし、そのうちに恐怖に耐えられるだけの体力もつき、村人がそばについていてくれたおかげで精神が追い詰められるようなこともなかった。
すっかり元気になったころ、私は長老から話があると呼び出された。
人払いされた村の拝殿で、長老は精霊に祈りをささげてからこんなことを言った。
そろそろ話しても大丈夫だろう。実は、黙っていたことがひとつある。村外れでお前が見つかったとき、体にはべったりとうんこがついていた。よく見ればそれは古代うんこ文字で、こう書かれていたのだ。
"野糞するな"

私は頭が混乱し、ふっと気を失った。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | うんこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

ユビキタス大和最終回

私の一押し漫画『セクシーDANSU☆GAI ユビキタス大和』遂に最終回。(来週、1回だけアンコール掲載)
何故終わってしまうのだ! と思ったが、よく考えてみれば何故今まで連載が続いたのかわからぬ。約2年もやってた。

だいたい、よくわからない漫画だった。好きな漫画だけれど、回によって出来不出来は感じる。しかし、作者が出来不出来をどう認識しているのか、さっぱり掴めぬ漫画だった。


ギャグ漫画の特権を行使して、絵はいい加減である。体の末端、特に手の描き方にそれがよく表れる。
例えば第53話のペーター=フランクマンの手。
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遠慮がないにもほどがある


第4話の雑誌を開いた主人公
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こんなにもいい加減なのに、トーンは丁寧に貼っている


毎回こんな作画である。


しかし、それでいて人物の描き分けがしっかりしている。老若男女、人種の違い、喜怒哀楽、動き、その人物を印象付ける服装。
いい加減なのに、バリエーション豊かで変に高度なのだ。

50代女性
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牧村龍之介氏
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せっかくのミドルエイジセクシーも末端はこうだ
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外国人男性
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チンパンジー
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ありがとうさようならユビキタス大和。
助演男優賞は八戸流星にあげたい。オンヌ!



タフ。朦朧拳の前に膝を突き病院に運ばれた、鬼龍の衝撃的な敗北。しかし「珍しい技を実際に食らいたかっただけでーす。あんな相手に負けたなんてちっとも思ってないので負けてませーん」の論理展開でノーカン。
「うわああああ、鬼龍が病院の廊下を練り歩いとる! 」という主人公の叫びに別の意味で「うわああああ」だ。


HUNTER×HUNTERは面白いです。だから早く帰ってきてください。


保健室の死神。生徒に取り付く病魔と闘う学校の先生ときて少年誌だから、ぬ〜べ〜を彷彿とさせて如何にも戦闘場面が見せ場になりそうな漫画だが、先生が病魔を退治するのは不可避のおまけというか後片付けのような扱いであることが多く、人間同士の遣り取りに病魔が一枚噛んで進む話が主体の、ジャンプには珍しいタイプの漫画。女漫画家らしい傾向と長所がよく活かされている。
posted by ヨシノブ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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