2010年04月29日

LSD

ああ、ごめんなさい。申し訳ない。すいません。私は先日鳩山首相が米紙コラムにてloopyと書かれたことについて、その意味を「くるくるぱー」と断定しましたが誤りでした。





鳩山首相は「現実から変に遊離した人」 米紙コラムニスト
2010.4.28 13:31

 鳩山由紀夫首相を核安全保障サミットの「最大の敗者」と皮肉った米紙ワシントン・ポストは、同記事で首相を表現した「ルーピー(loopy)」は「愚か」や「変わり者」でなく「現実から変に遊離した人」が真意だとするコラムを28日付の同紙電子版に載せた。
 著名コラムニストのアル・カメン氏が再び執筆。記事をめぐっては平野博文官房長官らが「非礼な面がある」と不快感を示していたが、首相を重ねてやゆしているとの指摘も出そうだ。
 カメン氏は「ルーピー」について「組織の意思決定について十分な情報を得ている、つまり『輪の中に入っている』状態とは正反対の意味」とも強調した。
 首相が国会で「ポスト紙が言うように、私は愚かな首相かもしれない」と答弁したことに触れ「ルーピー」という言葉が日本で注目を浴びていると紹介した。(共同)


産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100428/amr1004281336010-n1.htm


「loopy」は「現実離れ」 米紙、鳩山氏批判で辛口続報

(前略)
(コラム筆者は)日本の言語学者から「愚か」と翻訳されたのはおかしいとの訴えがあったことに言及。「ルーピー」の代表例として、浮気が報じられたエドワーズ元上院議員が再三うその言い訳をしたことを挙げ、「現実から奇妙に遊離している」という意味だと解説した。

「これで(鳩山氏の)助けになるといいね」と締めくくったが、鳩山氏を評価していないことに変わりはないようだ。


日本経済新聞



米国では格好つけて英語で記事を書くので、こんな過ちが生じてしまいました。米英帝国主義による英語の押し付けを我々は断じて許すわけにはいきません。抗議の声をあげましょう。ローマ字で書け!


ワシントンポスト:'Loopy' takes Japan by storm
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/04/27/AR2010042704746_pf.html


無学文盲ながらざっと読んでみると、産経日経が報じた「現実から奇妙に遊離している」で大体あっているよーな気がします。





私は、人々が縦列をつくって黙々と歩いている横に並んで、ふわふわと飛んでいる鳩山さんを想像しました。人々は薄暗い中を歩いていますが、鳩山さんの周辺だけは青空です。時々笑いながら幸夫人が飛んできて、夫婦でワルツを踊ります。踊り終わると、幸夫人は笑いながら何処かへ飛んでゆきます。行き先は誰にもわかりません。
BGMはThe Beatlesの「Loopy in the Sky with Diamonds」です。お金持ちとDiamonds、太陽パクパクとthe sun in her eyes、何を考えているのかよくわからない様子とyour head in the clouds、鳩山さんの言動と曲全体に漂う奇妙な遊離感、どれもピッタリだと思います。これは鳩山総理のためにThe Beatlesが再結成し、自身の曲をリメイクしたものです。原曲とあまり変わりません。



 
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2010年04月28日

気持悪い

私は野球に興味がないが、付き合いでプロ野球を観にいったことがある。
観客席からだとグラウンドにいる選手の顔はまず判別がつかないが、距離によっては背番号が確認できる。数字がわかったからといって誰なのか私にはわからない。
隣にいた茶色い髪の若い女が、背番号から選手の名前をポンポン言う。私は驚いたが、ファンなら背番号と名前を憶えていて当然だとすぐに納得できた。しかし、何やら言い知れぬ気持悪さを感じた。
そのうちに、あ、これなんだ、と思った。多分、世の中の「オタク気持悪い」と眉を顰める感覚ってこれなんだろうと思った。何がどうと言うわけでもなく、ただ気持悪いと連呼するやつ。私はアニメや漫画が好きだから、そこに集まる気持悪い人やどうしようもない人を見ているし、自分たちを客観視した姿も少しはわかっているつもりだ。だが、私が知っていたそれらの気持悪さは「内輪話の俗語を公で得意気に使って憚らない自己中心的陶酔が云々」といった説明の出来るもので、このような理屈抜きの気持悪さとは違う。野球の観客が選手の基本的な情報を知っていて何がおかしいのだろう。何もおかしくないのだ。
エヴァの使徒の名と番号、キン肉マンの超人パワー、そういうのと同じはずなんだがなあ。


本当のところ説明がまったくつかないわけではないのだけれど、気持悪くない理由がはっきりとわかっているのに感覚がそれを承知しないのは不思議だった。
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2010年04月26日

幸福の有無

貴方は幸福か否かという問いに然したる不幸もない人がうっかり幸福とは思わぬなどと答えようものならば、健康で毎日三食御飯が食べられるのがどんなに幸せなことかと叱られる。誰しもこのような遣り取りを何かで目にしたことがあるだろう。
私はこの遣り取りに何か得心せぬところがあって頷けぬ、だが何がいけないのか言葉に出来ぬ、と思案したるに突如ポンと了解した。この論理の先にあるのは金だから嫌なんだ。一般論として現代日本に於いては食うも寿命も金の有無に左右される。金が無ければ食うに事欠き医者にも掛かれず。世の中金で大概のことは為る。だが、幸福の有無が金の有無だなんて詰まらぬ。私はロマンチストだから。
では幸福とは何ぞやと己に問うてみると、鯔のつまりは本人が幸福と思ったことが幸福であると思う。こんな答えですみません。世の中全部が嫌になっちまって生きるに飽いた金持ちと、金が無くて三度に一度は食べられなくとも気の合う女と仲良く暮らしている貧乏人と、どちらが幸福かと云うと後者なんだ。環境が恵まれていることと幸福は別である。そこを一緒にするとインフラストラクチャー整わぬ地に幸福が無いかの如き論理になる。
昔は毎日三食食べられたことを何とも思っていなかったが、借金が出来て食うや食わずの身になると昔が幸福であったことに気付く。この場合は三食食べられていた時点では幸福に値しなかったが、現時点から遡って過去に幸福の価値が認められたわけで、ここから三食食べられることは幸福だと一般化した話は抽出出来ぬ。何故なら生涯困らず食べられていたならば幸福とは思わなかったからである。昔は有り触れていたものが現代には多くが失われて希少価値が出るに似る。


思いつきの与太話はこの程度にして本題の与太話に入る。
私は毎週日曜朝の特撮番組を見ているが、本命はその一連の時間帯に放送されるアニメだから熱を入れて見ているわけではない。そのアニメも子供向けで、大人の私はそう熱を入れて見ているわけではない。
放送終了後に特撮の話をしている掲示板に行くと、熱を入れて見ている大人同士がその日の放送内容を巡って毀誉褒貶の侃々諤々喧々囂々である。曰く今回脚本の素晴らしき完成度は人類の能う業を超えたりて我痛く感動せり必ずやDVD揃えんこと決意す、曰く脚本某の回は屑だと又しても天下に知らしめた罪深く才能無き某に今後一切仕事与えること無かれ地獄に落ちよアーメン云々。怪人のデザインがどうのこうの、関連商品の売り上げがどうのこうの、前シリーズが良かった悪かった、面白いつまらない、神だ糞だ、馬鹿阿呆云々。
子供向けだと大人が観るに値しない、とは思わぬ。だが、主たる対象が子供の番組について感情的に過ぎる罵倒感動や屁理屈を優越感や嘲笑を交えて書き込みをしているタイプの大人達を見ると、私はこんなに熱く幼稚にどうでもいい話をするタイプのマニアじゃなくて良かったなあと幸福を感じる。
また、私は某アイドルのファン掲示板も見ており、年端もいかぬアイドル少女に握手会で顔を憶えてもらったつれなくされた何の番組に出演決定ブログに何を書いたスキャンダルが出たCDの売り上げがどうだ視聴率がどうだ事務所の方針がどうだ対応がどうだイベントの動員は何処ぞでファンが殴り合いと一喜一憂する御熱心な悲喜交々の大人達を見て、私はアイドルに興味が無くて良かったなあと幸福を感じる。


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2010年04月23日

黒猫・モルグ街の殺人事件

黒猫・モルグ街の殺人事件 他五篇 ポオ作 中野好夫訳

他、ウィリアム・ウィルソン、天邪鬼、マリ・ロジェエの迷宮事件、盗まれた手紙


ポオを最後に読んだのは中学生頃で、どんなものだったかと読み返す。黒猫もモルグも昔は読後に一息つくような興奮があったような気がするが、筋がわかりきっているせいで今はなんともない。よくよく考えれば、昔読んだのは小中学生向けに手を加えられた翻訳だったのだろう。


「マリ・ロジェエ」は酷い出来。殺人事件が起こり、デュパン氏が事件を推理する新聞記事(内容は日本の低俗な週刊誌に近い)を徹底批判するのが主内容で、ここがダメあれがオカシイというデュパン氏の台詞が何ページも羅列されてゆく。新聞記事というものの、ポオの創作なんだから、作中人物が幾ら記事が酷いとやっつけたところで虚し。
そう思っていたら、巻末の解説ではこれを「ほとんど失敗作に近い」と評していて、それでも載せたのには訳がある、これは当時実際に起こって迷宮入りとなった事件を踏まえながら「平行線的物語」として書かれたもので、ポオの才気と俗気の表れを紹介したかったという。作中の新聞論調も実際の事件に対する論調に沿ったもので、ポオが都合よく展開したものではなかった。ずるいことに、本作ではデュパン氏が犯人を突き止めたことになっているものの、誰が犯人なのか明記されていない。結末まで読めば本作の主題は事件解決ではなく思考法にあると理解できるが、やっぱりずるいと思う。
「モルグ」も「マリ・ロジェエ」も「盗まれた手紙」もデュパン氏が活躍する作品で、特に「盗まれた手紙」では氏の手際が鮮やか。だが、「〜だねえ」多用の口調で長々と御高説を垂れるのが無粋である。氏に自覚はないだろうが、貴方は大変偉そうです。なんですかその態度は。


「黒猫」、妻を殺す直前の主人公が、猫への憎悪と恐怖を吐露する場面。

 いまこの私、かりにも神の像に似せて造られた人間で有る、この私に対し――

神云々とは、気が狂ったから浮かんだ言葉なのか、あちらの人の一般的な意識なのか。後者ならば現代ではどの位の割合でそう意識しているのか。
日本の或るキリスト教系高校の入学式で、そこの理事だかが「進化論は間違っている、すべての生き物は神が造った云々」と話し始めた――というのを聴いたことがある。大変だなあと思った。


ポオは虚言癖や飲酒癖や不遇や貧しさで不幸な人生を送ったらしいが、どこまでが本当か確かなことはわからないらしい。解説では27歳の時に妻にしたヴァージニアが13歳であったと書かれているが、当時その年齢で結婚が可能だったのだろうか。事実婚のようなものだったのだろうか。
ヴァージニアは24歳で病死する。


本書にはないが「黄金虫」は素晴らしい冒険小説だったと記憶している。
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2010年04月22日

10/04/21

「浜野矩随」を立川談笑が解説。やっぱり母親の自殺のくだりはプロでもすっきりしないらしい。談笑は話を全体的に再構築している。王楽の馬鹿もこれを読め。

日経BP:落語の明日はどっちだ?!『浜野矩随』
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100419/222064/

史実としての浜野、最初期の「浜野矩随」がどうなっているのかわからないが、自殺の件のもともとは、安易なお涙頂戴用のいかがわしい付録みたいなモノなんじゃないだろうか。死が絡むと客に受ける(客が泣く)ものだから、話の完成度は落ちるのだけれど、大らかな時代にいい加減な気持ちで付録を続けていたら、それが「伝統」になって後世で削るに削られなくなっちゃった……との想像が膨らんだ。人によっては母親が命を取り留めた話にしている。

王楽は浜野の母親の自殺に何の解釈も出来ないまま高座にかけちゃう真打で、談笑がウチはヨソとは違うんだいと言いたくなるのも道理だなあ、なんて。

都内には落語の団体は4つあって、メジャーな団体では3〜4年経てば自動的に昇進できます。しかし私の所属するのは、いわばインディーズの「落語立川流」(ただし、クオリティはピカ一! ←重要)。こちらでは今時の企業のごとく、年功なんて関係なしの成果主義!

日経BP:「ギッタギタにぶちのめしたい」と思った日々
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090520/154075/?P=2

それにしても俺は王楽について浜野の件しか知らないのに馬鹿だ馬鹿だと書いて性格が悪いと思う。何が性格悪いって、一つのことだけで全体を否定する乱暴な態度なんて可愛いもので、一つのことしか知らなくて馬鹿と罵っておきながら、全体を評してもやっぱり「馬鹿」が妥当だといいなあと思っていることである。それでいて王楽について知ろうともしない。見下したものに対して、徹底的に下だと思い込もうとしているのだろう。心が貧しい。我ながら人としてかなりまずいと思う。これで自分がエリートや成功者だと幾らか格好がつくのだが、落伍者なので救いようがない。


200円弁当、容器代や人件費を差し引いて利益約10円。

毎日新聞 デフレの深層:/3 「200円」の衝撃、乱立する低価格弁当 雇用不安が後押し
http://mainichi.jp/sele
ct/biz/archive/news/2010/04/15/20100415ddm008020057000c.html


「竜馬」と「龍馬」、何故2種類の表記があるのかというと、社によって異体字・旧字は使用せずという原則があり、旧字体の「龍」を「竜」としたことによる。

毎日新聞 読めば読むほど:龍馬か竜馬か
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100416mog00m040025000c.html
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2010年04月21日

10/04/20

「人類よ。地球を明け渡せい……」
わっ、突如宇宙人による地球征服が始まった。俺がすぐさま小型ビーム銃を手にとって外へ飛び出すと、既にあちこちへ宇宙人がゆらゆら突っ立っている。ええい、と気合を込めて銃の引き金を引くとビューとビームが飛んで宇宙人に当たり奴はばたりと倒れた。その隣も、屋根の上のも庭先にいるのも、同様にばたりと倒れさせてやり、地球の俺の家周辺を守った。
翌日、またもや「人類よ。地球を明け渡せい……」と聴こえてきたので「またか」と思いつつも、今日は身嗜みを整えてから慌てずに小型ビーム銃を片手に外へ出るとやはり宇宙人がゆらゆらと突っ立っている。昨日のように力むことなく姿勢を正して引き金を引き、ビュー、ばたり、と目に付いた3人を倒した。
その翌日、三度目の「人類よ。地球を明け渡せい……」 面倒だったので部屋着のまま小型ビーム銃を掴んで外へ出て、ビュー、ビュー、ばたりばたり、とやって5人。宇宙人はしつこい。
それから毎日だった。「人類よ。地球を明け渡せい……」
もう俺は飽き飽きして、窓を開けてそこから見えている奴だけにビュービューと銃を撃つようになり、10日を過ぎるあたりからは無視して寝ているようになった。
浅墓だったと後悔している。地球はいつのまにか征服されてしまっていた。俺が毎日きちんとビーム銃をビュービュー撃っていれば、地球は守られたのに。毎日の小さな努力の積み重ねが大事だという教訓を来世に活かしたい。
臨時世界政府は、地球にゆらゆらする宇宙人すべてを倒すために地球を爆破した。
俺は小型ビーム銃に生まれ変わって、10日くらい使われたあとは放っておかれた。
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2010年04月20日

10/04/19

GyaOは何を食っているのか知らぬが重くてやっかいで骨をぎしぎしいわせてギンガイザー、マシーンブラスターの第1話を観る。昔の一部アニメは話の端折り方が雑、もしくは大変素晴らしい。どちらも典型的ロボットアニメ(異界から侵略集団、集団には王がいて仕える数名の幹部と多数の戦闘員、主人公側は二枚目・デブ・チビ・紅一点・熱血漢等の組み合わせによる5人程度のチーム、大きな基地があり合体するロボットを所有、博士がいる云々)だからいちいち説明が要らないとはいえ、体裁ってものがあるでしょう。それを拉致同然に民間人をパイロットに仕立て上げたり、大した驚きも疑問も持たずにロボットに乗り込んだり、話の進め方が強引である。だからといってこれで話が全部わかるのだから振上げた拳の落とすところがない、ってところで思い当たったのが、落語。落語の必要最低限にまで削ぎ落とされた簡潔な構成を手本にしているのではないか。と思ったのだけど考えすぎか。
ギンガイザーはテレポートするときのポーズが一部の隙もなく格好悪い。二人一組で、両手を前方斜め上に伸ばして膝は椅子に座るように曲げ、二人の掌と膝が接触して鏡合わせのようになる。隊員らは遊園地勤めで主人公は奇術師をしており、テレポートのポーズはトランプのスペードを模しているのだろうが、君もやってごらん、格好悪いぞ。姿見に掌と膝をくっつける様にすれば一人でもテレポートを疑似体験できるからどうぞ。どうだ、感想は。昨夜観た「アイ アム レジェンド」の感想。ダークシーカーの質感が生体ではなくCGにしか見えないのは大きなマイナスだった。これでも最高峰の技術なのだろうが、この程度の出来ならば特殊メイクを使ったほうがよろしいのではないかと思う。走り飛び跳ねる彼らにバタリアンの黄色ゾンビを思い出した。両者の迫力は約20年前に撮られたバタリアンが勝る。それからの20年間研鑽したメイク技術を使えばレジェンドは更に出来が良かったであろうと思う。ただ、ダークシーカー犬には十分なメイクを施せないだろうからCGなのかなあとも思ったが、それでもやはり特殊メイク(とはいえ編集で何らかのCG処理が為されるわけで、ここでは特殊メイクの比率が高くなる表現を示すとの補足が必要だとは思わないが一応書いた)で撮ってほしかったなあと私(ヨシノブ)は思った。犬の特殊メイクというと、特殊メイクと呼んでいいのかわからないが『超人機メタルダーの犬』、これに尽きると思います。何か尽きたわけではないが、それは言葉の勢いとか綾で、とにかく私は「メタルダーの犬」がいたことを後世に語り継ぎたい。そう思った。
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2010年04月19日

アイ アム レジェンド

観たかった映画。あらすじは知らなかったが、前に浜岡賢次がいいゾンビ映画だったと書いていたのを読んでいたからおおよその見当はついた。
途中からは「28日後」みたいだと思い、公開当時に「28日後みたいだ」とどこかで読んだのを思い出した。「レジェンド」は1954年に出た小説「地球最後の男」が原作、3度目の映画化だそうだ。「28日後」は原作について明記がないようだが、そのまんまの映画を作っちゃった模様。「最後の男」はあっちこっちに影響を与えており、ロメロの「ゾンビ」もそうだという。
あまりテレビでやる映画・ドラマっぽくないテンポで、映画を観たなあという気分になる。


観ながら考えた先の展開。

・ダークシーカーから罠を仕掛けられたところにて。
その前の、仲間を捕らえられて怒っているダークシーカーには、少なくとも動物程度の知性が窺え、罠を張ったことから人間に近い知能を持つことが示された。(科学者の主人公が彼らの知能に全く関心を持たないのは不自然だけれど)
主人公は一人だけ残された健康体のつもりでいるが、実は感染者と思われる者はウイルス感染に耐える(適応する)ことで進化した新人類(ここでは便宜的にこう表現する)であった。主人公は免疫でウイルスに対処し姿を変えなかったという別の進化を遂げた種(と言えるのかな? ウイルス感染することで進化するという学説は実際にある)
新人類は旧人類の頃の知能や記憶を幾らか失っているものの、既に動物の域を脱する意思疎通能力や社会を得ている。新人類にとって異形の主人公は魔物や怪物のような「伝説」として有名になっており、最後、あれやこれやで主人公は新人類の認識を知り、「I Am Legend」と叫んで彼らに向けて銃を乱射するのだった。(彼らと敵対し続ける長く孤独な人生、或いは多勢に無勢で近々の敗亡を暗示させる終わり方)

・ボブ・マーリーのCDを聴いているところにて
生き残りが集まっている村へ行き、あの女がボブのこと、「伝説のアルバム」のことを村の連中に話す。誰もボブのことを知らなくて、大した反応はない。(この時点で主人公は死んでるのかも)
やがてダークシーカーたちとの決戦をすることになり、みんなはボブの逸話を思い出して勇気を奮い起こそうとする。決戦時、誰か一人が危険な行動をしなければならない事態になり、皆が尻込みする中、一人の老人がそれを引き受けようとする。
あんたじゃ無理だとか、犠牲を差し出すことへの罪悪感から引きとめようとする声とかに、老人は一言「I Am Legend」。その人こそボブ・マーリー本人だったのである!(本人による特別出演。主人公生存時には、それまでボブだと気付かなかったものとする)
その後ボブはどうなったのかって? 人類を救った英雄、生ける伝説として、今日もギター抱えてレゲエを歌っているのさ。
(実際のボブはもう鬼籍に入っていますが映画は作り話なのでなんとかしなさい)


・実際の結末を観て。
それじゃ「He Is Legend」じゃねーか。
ガキども、特に主人公の娘は愛情の対象でありながらもおばさんの家に行きたくないとゴネるのがすごく不快で、(緊急事態であることくらいガキでも気付けよ)、女の連れてきたガキは無愛想なくせに肝心なところで声を漏らす(何のプラスにもなんねえや)し、気に入らんかったです。
女も、主人公を死から救ったとはいえ、態度が横柄ではないか。そこはお前の家じゃない。神の声を聴いたという優越感(崇高な使命感)のなせる業なのだろうか。(NHK教育:日曜夕方6時にやってる「ハーバード白熱教室」がすごく面白い。政治哲学のマイケル・サンデル教授が学生たちに意見を言わせながら、わかりやすい講義をしてくれる。講義は純粋に面白いのだが、学生の意見というのが、多分大抵の日本人なら驚くようなことでも堂々と言うので、呆気に取られることも多い。怖くなる。じゃあ日本人はそういうことを考えないのかというと、考えてるやつを枚挙に遑が無い。だた、そういう日本人は表立ってそういうことを言わないやつが多く、学生の感想はやはり、堂々とそんなことを言うのかあ、という呆然に行き着く。こういうことを堂々と言えるのは議論における健全な自己主張だと思うものの、そういう価値観でニョキニョキ育って知性を磨いて理論武装し正当化された強い信念としてゆくのかと思うとやっぱり怖い。自分の考えに合う意見が出るとほっとする。今日の放送では教授から「民主主義を信じているのか」という問いが度々発せられて、信じることが絶対的正解・正義のような雰囲気があった。原語とそのニュアンスはわからないが、日本語で民主主義を信じるかと問われるならば、私はNOである。信じるという定義がよくわからないが答えてみた。統治形態の中で比較的まし、これにするより仕方なしという程度で、システムに過ぎぬことであり、システムには向き不向き長所短所効率の良し悪しなどはあっても正義とか邪悪とかは本来無い。で、何もかも都合よくいく政治形態など考えつかぬ。問題は目的と状況に沿ったシステムの選択、適切な取り扱い、運用。鼓腹撃壌の世に民主主義は無かった。16世紀ごろに海賊は民主主義を採用していた。信用はしない、利用する。私のマスメディアへの態度もこれに同じ。ハーバードに限らず日本でも民主主義が絶対的に素晴らしいものであるかのように言われることしばしばあるが笑止、だがその思想怖し)←以上は臆することなく横柄な女の態度に、学生たちの堂々たる「お前よくそんなこと言えるな」に通じるものを感じたので書いた。誤解される書き方なので補足すると「そんな意見はおかしいから言うな」ではなく、「よくそういう考えのまま今日まで生きてきたなあ」とでも言おうか、その考えに疑いが無いこと(彼らにとっては生じる疑いへの論破があり、彼らが私を見れば「よくそういう考えのまま今日まで生きてきたなあ」である)への心底驚愕である。

ハーバード白熱教室 講義は連続する内容だがどの回から観始めても大丈夫。4月24日(土)【23日深夜】午前1時15分からは再放送の第一回が始まるので見逃していた私は観るよ。
http://www.nhk.or.jp/harvard/about.html



で、観終わったあとに少し調べてみたら、キャプテンスーパーマーケットだの28日後だの、あっちの人が好きな別エンディング方式であり、この方式は好きになれないのだが、ゲームのマルチエンディングには抵抗がないので単に個人的な好みや慣れの問題なのだなと今気付いた。原作に近い別の結末があり、その内容紹介はレビュー先駆者達に任せる。(下のリンクから)
読んでびっくり、私の考えた展開に近い。(さて、どっちの展開に近いかは秘密)
でも、あっちの人(それ誰のことなんだよ)が好きな温い結末より、大体の人はこっちの結末を好む(自分が作るとなったら結末をこう作る)のではないだろうか。(こっちにもこういうハッピーエンド好きは多いがそういうのは何故か除外して)

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%89+%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&lr=&aq=f&aqi=g-m2&aql=&oq=&gs_rfai=

過去に書いたことがあるが、誰も憶えていないだろうというか読まれてもいないだろうし、この記事だって誰か読むのだろうかと考えると私が読んで後は私が読み返して1年位してまた私が読むのでしっかり憶えている(私)が、自分だけが生き残った世界、というのは私の考える理想郷のひとつ。だから映画の前半くらいはすごく楽しい気分になった。そして私もこうなったら犬を飼おうと思った。対向車を考えず車を乗り回したい。大音量で音楽かけたい。日本では銃は難しいから(あっても私は扱い方を知らないので危険)エアガンを持ち歩こう。マネキン遊びは興味ない。


と、だいたいこんな映画でした。

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2010年04月18日

新世代への啓示

この歳になると色々なことがわかってくる。最近わかったのは、「火を通しても駄目なものは駄目」ということ。若い人は、そんなものわかるもんか、と反発するかもしれないが、これは事実である。でも、おじさんはその反発心が嫌いじゃないぞ。言われたことをはいそうですかと受けて入れて事足れりとする恭順が利巧なのかもしれないが、自分でぶつかってみること、これが若いうちは特に大切な事なんじゃないかと思う。

「火を通せば大丈夫」とは、なんと夢のある言葉だろう。黄金郷の伝説のようだ。しかし、その黄金郷が何処にあるのか、そもそも実在するのか、それはわからない。だから私は、夢をみているだけの生活を捨て、意を決して冒険の荒波へと飛び込んだ。期限を過ぎて10日経つ子持ちししゃもは、既に卵が絶望の色に染まりつつあった。だが、食べ物を粗末にしたくない。卵かけ御飯やふりかけに寄り道して、こうも腹黒くなるまで見放していた責任は私にある。コンロに網を乗せ、少し塩を振ってアルミを被せて5匹焼いた。塩は魔除けである。いつもよりも3割増の時間をかけて火を通し、頭と尻尾は完全に黒焦げ、身は燻製のように硬く締まったそれを、御飯と食べた。味に異常は無かったと思う。なにぶん、味がする前に飲み込め、とゴーストが私に囁くので、異常は感知されなかった。されなかったはずだ。何も異常は無かった。
これが朝食で、昼食も残りの5匹を焼いて同様に食べた。

翌日、腹の内部からキュルキュルと鳴き声がするのでクトゥルフの呼び声かと思ったら、やがて黄金郷の夢に破れたことを理解した。でもそんなに負け戦じゃなかった。最初のうちは勝ちだと思っていたくらいだ。しかし段々と意地を張っているだけだと悟って、ビオフェルミンを飲んだのである。
それから数日経つが、腹からはまだグルグルグツグツと声がしている。これはもしや本当にクトゥルフの……。





ええい、ついでだ、とばかりにししゃもの同日、期限が2年前に過ぎている即席の味噌汁も飲んでいたのだが、こっちが主犯なのかもしれない。具はなめこで、それを封じていた銀色のパックが宇宙っぽい感じだったし、静かな戸棚に置かれていた2年間と私が苦悩と後悔と堕落で過ごした2年間は異なるものだからいけると、そのままの君でいてくれると思ったけど。思ったんだけど。
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2010年04月17日

10/04/16

歴史秘話ヒストリア 「先生、そりゃムチャです 〜吉田松陰 人生体当たり〜」

吉田松陰に詳しくはないが、前に「心情圏」でその生涯を扱っていたのを読み、興味を持っていた。この人は、本当に無茶な人で、無茶が祟って、否、己の信念を通したため、三十歳で死罪となる。(井伊直弼 安政の大獄)
番組では紹介されなかったが、次の松陰の句が好きだ。

 かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂

わかっちゃいるけどやめられない。真理である。
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2010年04月16日

今週の「3年N組ヒゲモジャ先生」


第一話「ヒゲモジャ登場」

山田中学に赴任してきた教師桜川恭一郎。生徒たちとの初顔合わせとなる赴任式に石斧を振り回し奇声をあげながら全裸で登場し、取り押さえようとする教師たちと大立ち回りを演じた後、鎮静剤を打たれて保健室送りになった。赴任式始業式は桜川と負傷した教師数名が欠席のまま行われ、生徒たちは落ち着かない。桜川が体育教師で3年N組の担任と発表されると大きなどよめきが広がった。
式の後、3年N組の教室に現れた桜川はジャージを着せられており、鎮静剤の影響で口が動かないらしく「ウガウガ、ウホウホ」と言うばかりで、そのうち教室の隅で石斧を抱え込んで寝てしまった。安らかな寝顔を取り囲んで不安げに見守る生徒達。一人が言う。「見てみろい。どう見たって桜川恭一郎なんていう格好の良い名前の顔じゃねえわい。先生の名前はヒゲモジャで丁度良いや」 桜川は顔中にヒゲがモジャモジャと生えており、ぴったりの渾名だと一同から賛意を含んだ笑いがおこった。
一方、校長室では教頭と負傷した教師を含む数名が校長に詰め寄っていた。「受験を控えた3年生にあんな教師は不適格だ。今すぐ人事の配置転換を求む。そもそも赴任式での醜態を口頭注意だけで済ませるなんて非常識。警察を呼ぶべきではないのか」 校長は「桜川先生の溢れるエネルギーが、生徒達の受験に向けるエネルギーを後押ししてくれるはずだと確信しています。それに桜川先生は口頭注意でかなりしゅんとしていたしジャージも着てくれた」と返す。「対応が甘すぎる。壇上で裸ですよ。公然猥褻罪という歴とした犯罪です」「そうだそうだ」「純真な子供達に何というものを見せてくれたのだ」 突きつけられる厳罰論に校長は言い放つ。「言いがかりはお止めなさい。一体何が猥褻だったというのです。その猥褻だった部分を描いてごらんなさい。さあさあ」 ボールペンと藁半紙を突きつける校長に、詰め寄っていた教師たちは何も言い返せず、すごすごと退散していった。桜川はヒゲだけではなく全体的に体毛が濃過ぎて、猥褻な部分など判別出来なかったのである。
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2010年04月15日

10/04/15

車で買い物に行こうと家から外に出ると、車がない。母が買い物に使っているのだろうと思う。家は昔に住んでいた襤褸家で、実際と違うのはブロック塀で囲まれた広い庭があるところだ。乾いた固い土で、まばらに草が生えている。

家はいつの間にか現在の実家になっていて、居間で父と平野綾が座卓を挟んで向かい合っているのがチラリと見えた。父は胡坐、平野は正座。窓が網戸になっていて、どうやら夏のようだ。
平野はラーメンの宣伝をすることになったが、依頼主の要望である野太い声が出せないので一切の仕事を休んで三年間野太い声を出すための訓練をするのだと話をしている。
それを背中で聴きながら、私は隣接する台所をうろうろしている。所在無いのではない。テレビで観た、茹で卵に味をつける道具の宣伝で、私の頭はいっぱいになっている。その道具は、橙色の四角い台座の上に、卵よりも一回り大きい卵形の、緑色の半透明プラスチックがついており、その頭が開いていて、そこに殻を剥いた茹で卵と水と醤油を入れて煮るようになっている。これで茶色い味付き卵が出来上がるという寸法だ。私はこの道具に何か不審な点があるように思えてならないが、何が引っ掛かっているのかわからずにうろうろしている。


*****

最近、「アイ!マイ!まいん!」にDJソルトが出ずに、その亜種が出ているので、ソルトの役者が怪我でもしたのだろうかと思っていたら、ソルトは先月で番組を卒業したのだという。
ラベル:
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2010年04月14日

10/04/13

今日、NHKで宮史郎が「女のみち」を唄っていたが、体が始終細かく震えていた。
去年は見たときはこうじゃなかったような気がする。
すっかり老け込んでしまったし、声も落ちていて、かなりまずいのではないかと思う。
溢れ出すビートに身を任せていただけなら良いが……。
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2010年04月13日

DAGON

2001年スペイン産ホラー映画。原作は「インスマウスの影」。
映画では町の名がインボッカ。ボッカはスペイン語で口。
原作の設定・あらすじを活かした、原作とは違う人の物語。

ヨット遊びに来ているというのに男がノートパソコンで株価を見始めたから、パソコンを海に投げ捨てた女。そんな冒頭で始まるから、おらの妖怪アンテナはビンビンだ。父さん、あまり面白くない妖気を感じます。最終的にこの女は恐怖に次ぐ恐怖の後、ダゴンによって無残な結末を迎えるのだが、おらには海を汚した罰だとの想いが拭いきれんのだ。

観ていてどうも気が入らない。開始から15分経って原因に気付く。ホラー映画なのに、眼鏡をかけた主人公の男が春風亭昇太に似ている。
着ているトレーナーに「Miskatonic」と書いてあるのは、ラブクラフトファンへのサービス。未読者向けに説明すると、天才バカボンの世界を舞台に新たな登場人物を主人公に映画を作ったら、そいつの着ているトレーナーに「バカ田」と書いてあるようなもの。で、顔が昇太に似ている。

冒頭と終盤以外の殆どが明かりのない夜の場面で、明かりが殆ど無いものだから画面が暗い。これは原作の、読者に想像させるためはっきりと描写しない手法の再現と、終盤に異形を見せつけるインパクトを狙ったのだと思うが、暗すぎて何がなんだか、何をしているんだがよくわからん。目が疲れる。
この映画を高く評価する人は、原作の持つ雰囲気がよく出ている、特に町並みが原作通りだ、と言うが、暗くてよくわからず。私の考えるインスマウスはもっと荒廃と寂寥のある町で、この映画では建物が密集しすぎている。町全体を描写する余裕が無いのだろう。それに私の考えるインスマウス面は、もっと魚っぽい感じだ。

主人公にも主人公が助けようとする女(PC投げ女)にも魅力を感じず、助かってくれとも酷い目にあっちまえとも思わず。だって父さん、主人公は何だか嫌な奴で興味がわかないんだ。助けてくれた爺を脅したり、冒頭の一刻も早くヨットを助けなきゃいけないところで無駄話をしたりで。他人のパソコンを海に投げ入れて、ちっとも悪びれない女なんて論外。
ダゴンに仕える巫女?だけ良かった。足は触手だが、顔も主人公に情を寄せるところも可愛い。しかし、彼女によって町に残ることのおぞましさが薄れてしまい、作品としてはマイナス。


私はこの原作へ強い思い入れがあるので、高い評価は出来ず。
個人的には他人に薦めぬ。






VHS字幕版にて。
主人公、街の住人から「この街に居続けろ(大意)」と言われ、「だが、代償として半漁人になるんだろ?」と返す。
本来は「半魚人」と記すべきところだが、物語の舞台は神に大漁を約束された港町。町に住めば漁業に関わるだろうから、「半漁する人」で間違いじゃないんだよなあ。ああ、すっきりしない。

はんぎょ 【半漁】
漁業を営みながら、他の職業にもついて生計を立てること。  大辞林 第二版

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/159492/m0u/%E5%8D%8A%E6%BC%81/
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2010年04月11日

鳥肌

少し熱が出て気分が悪い。気分が悪いついでに、今日は嫌な思い出を書こう。

今から十年近く前、ネットで鳥肌実の名前が売れ始めた頃、近くで彼がライブをするというので、1人の友人を誘ってそれに行った。
チケット代は2000円だったと思う。安いがその分、ライブは1時間ほどしかなかった。そこそこ大きな会場だったが、知名度の低さと宣伝の少なさで客席は3列ほどしか埋まっていない。端の席を空け、中央に固まるように座っての3列である。
ただ、面白かった。抱腹絶倒であった。息が止まった。私も友人も客席の皆も笑い転げた。

それから1年ほどして、また近くで鳥肌のライブが行われるというので、私は先述の友人ともう一人の友人を誘ってチケットを手配し、これを観にいった。チケット代は少し上がって、時間も長くなった。前回と違ってやや小さい会場だったが、客は増えて満員である。
ただ、面白くなかった。鳥肌の芸は精彩を欠いていた。前よりも名が売れて、田舎の小さな箱でやるのが馬鹿らしくなったのではないかと思うほどに。更に不味いことに、客に若い馬鹿の一団がいて鳥肌の政治ネタの最中に「ねえ、○○は?」などと政治家の名を挙げて声を掛けてヒャアヒャア笑っている。何度かやるうちに、鳥肌がこれに答えてしまった。
伊集院光が落語家だったころ、師匠から高座の最中に客から話しかけられても相手をしてはいけないと教わったそうだ。理由は、その客が何度も声をかけるようになるから。私は瞬時にこの話を思い出した。
案の定、馬鹿は馬鹿だから気を良くして「じゃあ××は? ねえねえ」などとヒャアヒャア馬鹿ながら声を掛け続け、鳥肌もさすがにそれからは相手にしなくなったが、場内にいるスタッフは馬鹿を野放しにしたままで、打ち壊しもいいところだった。
終演後、友人らはチケット代を私に払おうとしたが、受け取れなかった。

隣県で鳥肌のライブがあるという。私は最初のライブが忘れられず、今度こそは面白いのではないかと期待を込め、汚名返上するような気持ちで前回の二人を誘った。チケット代はまた上がっていた。会場は大きなもので客もほぼ満員ではなかったろうか。
だが、面白くなかった。相変わらずの精彩の無さで、前回のような馬鹿がいなかったのがせめてもの救いだったが、ライブの間中、私は友人らに申し訳無い気持でいっぱいだった。最初のライブではテレビで放送できないものまでやってくれた鳥肌だったが、前回今回と、無茶なことをやってやろうという気概が感じられなかった。何か理由あって芸に制限を課していたのかも知れないが、そこへ抗う風でもなく、鳥肌実っぽいことを粗くやって持ち時間を消費しただけのようにみえた。
夜のライブで、交通の便が悪かった上に思ったより会場が遠かったため、平日だというのに帰り着いたのはかなり遅い時間となった。友人らはまたも私にチケット代を払おうとしたが、受け取れる理由など無い。

それから鳥肌がドラマに出たり映画に出たりと、その活躍が時折耳に入ってくるようになったし、近くにライブをしに来たこともあったが、私にはもう鳥肌に触れる気力が無く避けている。私が見た鳥肌はたった3度で、うち1回については今でも面白かったと思っている。だから彼をつまらない芸人だという言うつもりはないが、友人2人を連れ回してつまならない時間を与えてしまったことは事実だ。何故2回目で踏み止まらなかったのだろう。3回目は出来を確かめるために一人で行けばよかった。
生活環境が変わってこの友人らとは疎遠になってしまったが、今でも申し訳なく思っている。彼らは、面白くなかったとは一度も言わなかった。
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2010年04月10日

10/04/09

ある店で「けいおん!」一番くじの景品であるマグカップが売られていたので買う。絵柄は琴吹紬。今まで使っていたマグカップよりやや大きく、実用性に申し分なし。くじ一回は500円するが、それよりも安価で価格にも申し分なし。
前にも書いた通り、私はこうした柄物の食器類を欲している。アニメショップにあるのではないかと気付いて某店へ行ってみた。思った通り何点かコップや皿があったものの、知らなかったり思い入れがない作品のもので買わず。
アニメイトのオンラインショップを見るも、これという作品のものがない。けいおんマグカップ(私のとは別商品)が899円だった。そういえばこの手のグッズは本来値が張る。
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2010年04月08日

オールブラン

今日紹介する商品はこちら。「ケロッグ オールブラン」です。

http://www.kellogg.co.jp/products/details/allbran.html
商品説明
「ケロッグ オールブラン 235g」は、食物繊維たっぷりの小麦外皮(ブラン)を主原料とした、自然の食物繊維がたっぷりの特定保健用食品です。不足しがちな食物繊維を1食分(40g)で、1日に必要な量の約50%摂取することができます。


本商品は、シリアル(「もうガマンできない!」とゴリラがむりゃぶりついているやつ)の一種です。「摂取・調理又は保存方法の注意」には、「牛乳などと共に食べてください。」とあります。

シリアルはいつも「シスコーンBIGマイルドチョコ」を食べている私が、オールブランにチャレンジ!
器にオールブランをあけて、牛乳を適量かけ室温で暫し放置。(牛乳はあまり冷たくないのが好み)
シスコーンだったら少しふやけている頃合いまで待って、オールブランをスプーンで掬ってみると、ふやけるどころか初期形態が崩壊して、粒子の大きいソフトな泥のようになっていました。一口食べてみると、可もなく不可もない味。いや、後味が、これは。頭の中に「飼料」という言葉が浮かびました。食べた事はないけれど、家畜の餌みたい。名誉のために良い表現をすると、「ワンちゃんのおやつビスケット」のようでもあります。食べたことないけど。
ガマンしながら食べ、冷静に考えると、「比較的食べやすい枯草」だと思いました。比較の対象となったのは「未加工の枯草」です。枯草を食べた経験はありませんが、太古の昔、溢れるフロンティアスピリットで様々な食材へ果敢に挑んで行った先祖たちの記憶が呼び覚まされたのだと思います。現代日本の食卓に枯草の味を活かしたメニューがないのは、先祖たちが枯草を食べ、その後の各集落の長老たちが集まっての会議で「枯草は食べ物に非ず」と決定されたから(賛成5反対1による)です。
枯草はおいしくないのです。つまり、オールブランはおいしくありません。

オールブランはマズイ。メーカーにもその自覚があるらしく、オールブランの箱の裏にある「ケロッグの食物繊維シリーズ」には、本商品が「しっかり派のあなたには」と紹介、その隣で「ブランフレーク」が「おいしく派のあなたには」と紹介されています。
ケロッグのサイトではオールブランが「小麦(ブラン)から生まれた食物繊維たっぷりのシリアル」、ブランフレークが「食物繊維をおいしくとるならブランフレークがおすすめ!」となっています。
オールブランを決しておいしいと言わないところに誠意を感じます。

オールブランでグーグル検索すると、関連する検索キーワードに「オールブラン まずい」がありますが、青汁よりはまずくないです。そして、便秘が治っただのお通じが良いだの、うんこがもりもり出るのが評判です。



私はうんこに困っていないので買いませんが、貴方は買いなさい。買いたいよね。
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2010年04月06日

10/04/05

私の飼い猫の名は?…高校教諭がテスト出題

 福岡県柳川市の私立杉森高校で昨年、40歳代の男性教諭が中間・期末試験で、飼い猫の名前や車のナンバー、生徒の氏名や出席番号などを出題していたことがわかった。

 1、2学期に実施された食物科3年の「生物1」と同科1年の「総合理科A」の試験。1問目はいずれも「あなたのクラス・出席番号と氏名を読みやすく記入してください」だった。このほか、教諭が乗る車の種類や色、ナンバー、猫の名前などが出題されていた。

 囲みの中から解答を選ぶ穴埋め問題では、正解の用語を逆の順番に並べただけ。試験中にもヒントを出していた。同科の平均点は84〜94点で、他科と比べて20点以上高かったという。

 昨年11月、外部からの指摘を受けて同校が調査したところ、教諭が認めたため、鐘江茂光校長による厳重注意処分とした。「授業中に話したことを生徒がきちんと聞いているか、確認したかった。氏名を書く問題は加点していない」と説明したという。職員会議で「単位認定できない」との声も出たが、校長の裁量で認めた。

 鐘江校長は「不適切な試験だった。問題の中身をチェックする機能がなかったため、3学期から改善させた」と話している。


2010年4月5日06時17分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100404-OYT1T00715.htm

中学生二年の頃だったか、公民担当のH教諭(当時30代中盤だと思う)が作成した中間試験問題の最後に「最近、○○(芸能人の名)が結婚したことについてどう思いますか」という設問があって魂消た。さすがに点数計算には含まれない問いだったが、やっていい遊びの範疇を超えている。
これで面白い先生とでも思われたかったのだろう。これで生徒の心を掴むつもりなのだろう。私はどういう答えが求められているかはわかるものの、「数年後に離婚すると思う」という忌憚のない意見を書いた。
後日の答案返却時、林教諭はこの設問に触れ「学年で一人だけ、離婚すると書いた人がいました」と不機嫌な顔で私を睨んだので、腹が立つと同時に、こいつはまだこの設問が許されると思っているのかと呆れ、また、学年で俺以外は「○○おめでとう」なんて書いて平気な連中なのかとも呆れた。波風立てないのが知恵のひとつだとわからないでもないが、若者がそれでいいのか! 林なんぞの機嫌取ったところで出世には関係ないんだぞ!
後に件の芸能人は離婚した。
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2010年04月04日

10/03/28

あまり有名ではないが、名所のようなものがあって、行ったことがないから行ってみようと地図を見ると、ざっと道程35キロというところか。国道何号線を何処で県道に入って、なんてのを憶えて運動がてら朝から自転車。

天気も気温もちょうどよく、目に付いた店に寄ったり、公園で自作の弁当を食べたりと、気持ちよく暢気に走る。このペースならば目的地でゆっくりして帰るのにちょうどいい計算であったが、あと20キロというところから緩やかな上り道。どうということはない坂道だが、果てることない上り坂にギアは落ち、自転車を降り、それでも黙々と上りおると、周囲の人家もまばらになって道路は山へと入ってゆく。いくら上りといえど、これが帰りには下りに化けるのですから、なんてことはないよ。日頃の運動不足にちょうどいいではないか。

しかし、道路に白い「登坂車線」の文字を見たときは心が揺れた。片や切り立つ崖、片や奈落への崖、自転車乗りが通ることなど全く考慮されていない余裕無き道路の端を、自転車を押して歩く。黙々と歩く。やがて登坂車線は終わったものの、上り坂は終わらない。なにもマチュピチュ遺跡へ行くわけじゃないんだ、上りきるさ。既に筋肉痛で足が痛み出していたが、過去にはもっと酷い状態で坂を上ったり下ったりしたことがるから、なんてことはないよ。あの時は前日極度の空腹で眠ることが出来ず、翌朝は疲労困憊のあまり食欲が出ず、吐きたいのを堪えておにぎりをひとつ食べ、坂の上り下り。一歩ごとに足が攣った。あとで楽な体勢になれても、そこからまともに体を動かせなかった。

やがて、目的地まであと10キロの看板を目にして帰宅を決めた。もう上ってられぬ。まだ半分。これでは目的地に着いたところでゆっくりしてられぬ。日が暮れる。踵を返した。

それからの下り坂10キロは、さきほどまでじりじりと歩みを進めてきた時間と距離が嘘の如く、瞬く間に下り終えてしまった。白昼夢の中を彷徨っていたような、ぼんやりとした現実感が残って、振り返ってしばらく坂を眺めた。
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2010年04月03日

なつかしい芸人たち

なつかしい芸人たち 色川武大  新潮文庫

色川の『怪しい来客簿』を、もう何度読んだかわからない。最近もまた読んで、あの何とも言えぬ幻想感の余韻を残していたところへ、偶然本書を見かけたので買った。

出てくる芸人の半分くらいは名前を知らず、知っている芸人でもその芸を見ておらぬのがほとんどなれど、それが何も苦にならないのは、単なる芸人話ではなくて、色川の眼差しを読んでいるから。

吉川潮の巻末解説の題名が「芸人とおンなじ哀しさ」で、これは立川談志が云った言葉「兄さん(色川)には芸人とおンなじ哀しさを感じた」から取ったものであり、『文藝別冊 色川武大VS阿佐田哲也』収録の談志・吉川の対談題名も「芸人とおンなじ悲しさ」(原文ママ)である。それを思い出して文藝別冊を引っ張り出してそこを読み、ついでに他の記事も読むうちに、だらだらと夜は更けてだんだん頭がとろとろしてきて、『怪しい来客簿』の読後感のようになっていった。

表紙にあるめんこ画のキンゴローが妙に不気味で、妖怪に見える。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4101270058/sr=1-1/qid=1270223546/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1270223546&sr=1-1
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2010年04月02日

10/03/30

私は伝言か手紙を届けるために戦場にいる。
学校の芝生がない運動場のような、固い平らな地面。小型ショベルカーほどの大きさの、薄茶色の戦車が何台も置かれている。
どこか遠いところから砲撃されていて付近に何発も着弾する中、それを避けながら進んでいると、砲撃で穿たれた穴にすっぽり嵌まり込みそうになっているのを半身で堪えているような一台の戦車があり、穴に潜って戦車の整備をしている父がいた。会話の内容は憶えていない。
私は戦場のすぐ隣へ行く。芝生、アスレチック、戯れる人々、平屋の建物、辺りを囲む森。これらといい、運動場のような戦場といい、キャンプ場と学校が基になっているのだろう。ビルが一棟あり、三階建てだったろうか、屋上ではテニスを楽しむ人々がいる。突如、森の中から一台のヘリが飛び出し、屋上へ攻撃を始めた。人々は逃げ惑うが、本人たちは必死なのにそれが動きに出ていないというか、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、どうも逃げ方がちぐはぐである。大仰な動きで少しも俊敏なところがなく、わざわざ口を大きく開いて「う、わ、あ、あ、あ」などと言っている。
平屋は保育園のようなところで、コの字型の建物の凹んだところが入り口で、入ると広間の正面に受付カウンターがあり、そこに立って左手後方に、子供が大きな積み木などで遊んでいる部屋がある。私は受付で何かの手続きをするが中身は憶えていない。
私はこの戦争に巻き込まれて死ぬだろう。ここで死ぬかもしれぬ旨を伝えておきたい人がいるので携帯電話をかけようと思うが、もともと電話をかけない相手なので気が引けて、メールを打つことにする。建物の奥へ進むと、電車の座席を長くしたような、壁に設置された長椅子があって人がぽつぽつと腰掛けており、そこに私も腰掛けて文案を練っていると、いつのまにか席は埋まっていて、椅子の前は一段低くなって、そこに向き合う形で大勢の人々がいる。まるで舞台と客席である。そこへ私の両隣同士が何やら口論をはじめ、どういうわけか私もその話に入ってゆき、やんわりとした冗談を言いながら仲裁する。その遣り取りは憶えていないが、何やら喜劇のようだな、と思っていた。
ラベル:
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2010年04月01日

春の珍事件 道端にハンバーグ

今日四月一日未明、東京都新宿区の農道で長さ4メートルに渡りおいしそうに焼き上がったハンバーグが点々と落ちているのを通行人が発見、110番通報した。警視庁はテロの可能性を考慮し特別警戒態勢を敷いて恐る恐るハンバーグを拾い上げる作業を行った。前代未聞の事態にハンバーグを見たい野次馬が現場に殺到し、辺りは一時騒然となった。
回収されたハンバーグは大小あわせて五つ。現場周辺では聞き込み調査が行われハンバーグの身元特定を急いだが、特定に繋がる情報は得られなかった。刻々と時間が過ぎてゆくなか、小腹の空いた田中プリ彦巡査長がこっそりハンバーグを齧ってみたところ、実はうんこだと判明。鑑識によると、適度に踏まれることでうんこがハンバーグそっくりに成形された可能性が高いという。
事態の急変に野次馬は熱狂し、「うんこ、うんこ」と大合唱しながら一糸乱れぬウェーブで現場を盛り上げた。この騒ぎを聞きつけて、手作りの宇宙船で警視庁に駆けつけた山田山夫さんが落とし主だと名乗り出た。山田さんは報道陣に対し恥ずかしそうに「うっかり落としていた。まさかこんな騒ぎになるとは。申し訳ない」と語り、ペロリと舌を出してお茶目な一面をアピール。山田さんは手ブラで乳首を隠していたが全裸だった。
なお、山田さんは勝手にうんこを齧られたとして田中巡査長を相手に訴訟を起こす構え。
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