2008年11月29日

本当は怖い祝日

昔、サンクスギビングデイというと、アメリカの祝日で、麦藁帽を被って胸まである肩掛けのズボンを履いたアイダホの大柄な農夫が、外で農具を持って仲間と木のテーブルを囲み、ジョッキで乾杯している光景を思い浮かべてしまっていたが、きっと現実にはこんな祝い方はされていないであろう。背景には積まれた藁と、風車のついたサイロもある。農夫は髭面。
なんにしろ感謝の言葉が入っていて、長閑で朗らかなイメージをかきたてやすい。
個人的にはまた、「MOTHER」というファミコンゲームに、サンクスビギングという名の町が出てくるせいもある。MOTHER全体が持つ、軽妙で洒落たアメリカの雰囲気、ゲームそのものへの愛着、そういうものが良いイメージを持たせていた。

ところがこのサンクスギビングデイ、流布されているイメージ(私の勝手な想像ではなく、公然となっているもの)と実際の起源には大きな隔たりがあるという。
前にも少し聞いてはいたのだが、詳しく取り上げているところを見かけたので改めて読んでみると、やはり酷いものだった。

Let's Blow! 毒吐き@てっく:アメリカの感謝祭の虚実 - 勤労感謝の日に
http://tech.heteml.jp/2008/11/post_1201.html


サンクスビギングにゲームの印象を持ち込んだのは当たらずとも遠くとも、まるっきりの大外れではなく、入植者の悪びれぬ泥棒ぶりは、神の御加護を受けたドラクエ勇者的であると言えぬでもない。

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2008年11月28日

偽装国家の御都合主義

また勝谷誠彦氏の話題で何だか申し訳ない。
あれだけ大興奮していた前回の「コラムの花道」。逮捕前にあれだけ熱を入れて喋ったんだから、容疑者の調べが始まった今、テロだの将校が決起した戦前の雰囲気だの工作員からの情報だのと何か語るのではないか、と思って今回のを聴いてみた。自首直前、テレビではこんなことを言っていたらしい。内容未確認。

132 名前: 文責・名無しさん [sage] 投稿日: 2008/11/24(月) 21:47:01 ID:yhxtiGD30
11月22日(土)、あさパラでの勝谷専門家の犯人像の予想

・ワイドショーや報道に取り上げられて喜んでいる
・相当、厚生労働省内部事情に詳しい人物
・年金問題が話題になって戦犯扱いした週刊誌を読んで記憶して執着している奴
・政府職員録(マスコミでも見れない)を見るために政府機関やマスコミ機関に出入り出来る人物
・調査能力がかなりある人間
・皮手袋をしていたから殺人に精通している人間
・夕方の人目に付きやすい時間の大胆な行動だからそう言う状況を見切れることが出来るプロの人間

さすがです、勝谷さんw



期待が高まったところで再生開始。
http://podcast.tbsradio.jp/st/files/st20081126.mp3

直前までやっていたらしい音楽のコーナーの話題で談笑しながら始まった今回。てっきりテロ関連の怒気を孕んだ言葉で始まるものと思っていたので拍子抜け。前回勝谷氏と大興奮していた小西氏もそれに合わせて和やかなものだから、「花道」コーナーだけを連続して聴いている私には妙な雰囲気。
本題に入るとのっけから勝谷氏、田母神氏(勝谷氏による呼び名:タモさん)と一献交わしたという大ニュース。もともと知り合いだという。月刊誌willで田母神論文特集することもあってか話題は田母神氏ほぼ一色。テロ事件についてはちょっと触れただけ。残念。
論文は枚数が足りなくて言葉足らずがあるが、田母神氏の持論自体は素晴らしいものだと勝谷氏評す。勝谷氏は出演番組によって田母神論文の評価にブレがあるらしいが、ここでは取り上げない。

気になった部分を書き起こした。文中の「」は小西氏の相槌である。

どういう更迭をされたにしても「うん」武人軍人は最後はですね「うん」あのう、制服を着てね「うん」それでエイヨウヨ?をもって送るのがこれが「あっ」当然の礼儀なわけですよ。「ああ、なるほどなるほど、はいはいはいはいはい・・・・・・」それをあの卑劣なね、ええ、更迭、空幕長たる資格身分を奪って「ええ」それでもうお前そうなると定年過ぎてるから「ええ」定年退職しろっていうねえ「ええ」これ本当に正に自衛隊の存在そのものと同じ「あああ」要するに御都合主義「うん、おおお」偽装国家の御都合主義「うんうん」いつも言っている「うんうん」正にこれですよね「ああ、なるほど」そういうこと田母神さん、くやしそうだった、な。僕の印象だけれども「なるほど、うん」だけどあれは彼をこういう辞めさせ方をしたっていうことは「うん」虎を野に放ったと同じですよね「ああ、はあはあ」もう喋るの好きな人だから「あっはっは、そうかそうか」しかも論理的で「はい」

エイヨウヨと聞こえた言葉が何なのかわからなかった。
小西氏は相手を気持ちよく喋らせる相槌上手だと思う。敢えて悪い言葉を使えば、太鼓持ち的であるといっていいと思う。上手いものだと思う。感心したので書き起こしてみた。


気になったのは、更迭が偽装国家の御都合主義であるという主張。
田母神氏の批判されている主張に、「身内の恥は隠すもの」というのがある。こっちも御都合主義の偽装に見えるんだが。長いが以下抜粋。


・情報公開に関する教育が徹底され、最早如何なることでも隠すのは悪であるというような風潮が生まれつつある。しかし私は少し行き過ぎているのではないかと思っている。
・第3者が対応行動をとることができ被害に遭わないようにすることができるものについては、情報を隠蔽することは厳重に戒められるべきである。更に事故に伴う民事裁判等を有利にするために、官公庁や民間会社などが情報を隠蔽することも責められてしかるべきである。
・情報公開法の第1条(目的)には、「公正で民主的な行政の推進に資すること」が目的であり、そのために「1.政府の諸活動を国民に説明する責務を全うすること、2.国民の的確な理解と批判を得られるようにすること」の2点が書いてある。その本来の狙いとするところは、当該情報が公開されないことにより国民が損失を受けることを防止することなのだ。国民の知る権利を楯に、のぞき趣味的なことまで情報公開を要求することは、また戒められなければならないのではないか。情報公開法第5条第二項イ号には「公にすることにより、当該法人等又は当該個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害する恐れがあるもの」について、情報公開を拒否できることになっている。公人や公的な組織にもプライバシーがあると考えて良いのではないか。自衛隊は国の安全保障を最終的に担保する組織であり、公にできない秘密が存在することはいかなる人も否定はできない。しかしそれ以外にも自衛官にも自衛隊にもプライバシーが認められていいと思う。部隊や隊員が三面記事や週刊誌で笑われただけで終わるようなもの、いわゆる身内の恥的なものまで公開されるようになると、隊員は自分のことを上司に相談することができなくなる。上司に知られてしまえば全て情報公開の対象になってしまうようでは部下隊員の指揮官に対する信頼感は失われてしまう。
・社会的な影響が大きいか又は国民に損失を与えるようなものでない限り指揮官は部下隊員や部隊の保全に努めるという明確な意志を持つ必要がある。自分の部下が公衆の面前で笑われたり辱めを受けたりすることは指揮官の恥である。指揮官のその姿勢が部隊団結の基盤なのだ。
・身内の恥は隠すものとう意識を持たないと自衛隊の弱体化が加速することもまた事実ではないいか。反日的日本人の思う壺である。
・自衛隊は我が国有事に際し部隊の行動を秘匿しながら作戦を実施しなければならない。そのために常日頃から保全を意識した隊務運営を心がける必要がある。公開を要しない事項については徹底的に秘匿するということで、有事のための訓練をしていると思えば良い。秘匿すると決めたことを秘匿できないようでは作戦遂行に大きな支障が出る。指揮官はそれが出来るまで部隊を鍛えるべきである。 もし現状でそれが不可能ならば、これを作戦実施上の重大な問題として認識しておくことが必要である。もし秘密が漏れたならば、なぜ漏れたのか、誰が漏らしたのかを徹底的に追求しなければならない。それが秘密漏洩の抑止力になる。それは国家のため、国民のために必要なことなのだ。自衛隊の秘密保全の態勢は、諸外国の軍と同様に完璧であることを求められている。私たちは航空事故ゼロを目指すと同じように秘密保全についても完璧を目指して努力すべきなのだ。


15年戦争資料 @wiki :航空自衛隊を元気にする10の提言 パートII  身内の恥は隠すもの
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1576.html


具体的に隠されるべき身内の恥がどんなものかというと、これが該当しそうだ。

 航空自衛隊第1術科学校(浜松市)の校長だった宮下今朝芳(けさよし)空将補(55)が今年9月、部下の女性への性的嫌がらせ(セクシュアル・ハラスメント)の疑いで更迭されていたことが14日、わかった。当時の林防衛相には報告されたが、報道機関には「不定期の異動」として公表していなかった。空将補は調査にセクハラを認めており、懲戒処分する方針。
http://www.asahi.com/national/update/1114/TKY200811140145.html

検索して探せば公表されているもので、メイド喫茶で3等陸佐(47)が2万円相当の置物を窃盗とか、一等陸曹(45)が女性用下着1枚を窃盗、余罪有りとか、三面記事や週刊誌で笑われただけで終わるような恥はあり、これらも本来なら完璧に秘密保全すべきものというのが田母神論である。
こういうのを秘匿するのが有事のための訓練と思えば良いと、・・・・・・私には思えない。役所にだって警察にだって企業にだって機密事項はあるだろう。その漏洩防止訓練のため、所属者のハレンチやドロボーも伏せるべしと流用可能な論理だ。うちの人は何にも悪いことしてませんよ、という偽装のように思え、それを正当化する理屈が些か御都合主義だと思う。まさに勝谷氏がいつも言っている偽装国家の御都合主義。


勝谷氏がこの主張について同意しているのか知らないが、この主張を知らぬはずはなく(これだけ話題にして知らなきゃ恥)、もしかしたらこれは偽装国家の御都合主義とは違うと言うかもしれないが、御都合主義の偽装のようなものを掲げている田母神氏の更迭顛末を、偽装国家の御都合主義だと国を非難する勝谷氏の図は、何とも変であることだなあと思いました。




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2008年11月26日

機動旅団八福神

機動旅団八福神  福島聡

3巻まで読む。何かで面白いと紹介されていたが、登場人物ほとんどの性格が気持ち悪くて合わず。サブカル好きでオシャレな人が好きそうな印象。私は下着靴下を除いて過去3年間に買った服がTシャツ一枚という体たらく。その前に買ったのは春秋用の上着。
作者は劇団役者でもあるという。なるほど。

世界は戦争状態にあり、主人公らは軍人である。軍事面よりも、人物の心情に描写の重点が置かれている。
主人公らは福神という全身を覆うパワードスーツを着用して戦う。福神は高い運動機能を持つが、最大の特徴はスーツ内に充填された、衝撃吸収力が異常に高い特殊ゼリーである。砲弾すら効かないらしいが、刃物には弱く、簡単に斬られてしまう。福神は銃を持ったりするが、ほぼ裸である。簡単にスーツの腹を裂かれていた。「硬い盾を持てよ!」と声をかけずにはいられなかった。装甲を張るとか。後に対処されるんだろうか。このままだと破片を飛ばすタイプの爆弾を撒かれてズタボロになっちゃうのではないだろうか。


九回文化庁メディア芸術祭 マンガ部門推薦作品。

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日本世間噺大系

日本世間噺大系 伊丹十三  文春文庫

随筆、掌編が半分くらい。あとはインタビューや座談会の収録風のもの。実際に聴いた話を再構成して書き起こしっぽくしているのだと思う。故に、どこまで本当の話かちょっとわからない部分もある。
才能の豊かさとそれを活かす取材活動の充実。昭和のモダンなハイグレードの大人。
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08/11/23

文明人として恥ずべき話かもしれない。しかし白状する。私は今日、初めてニンテンドーDSというのを間近で見た。驚いた。小さいな、あれは。小さいな、画面。Y君に貸して事情を知らぬY君の親に捨てられてしまった二画面式ゲームウォッチを思い出して心寂しくなったよ。Y君を怒っちゃいないが、モノは今でも惜しい。


立ち会い前の仕切りを繰り返し、睨み合う。これが他のスポーツ・格闘技にはない相撲のいいところだと、今日の優勝決定戦を見てつくづく思った。総合格闘技でも似たことがあるが、ごにょごにょ言い合ったり体をプラプラさせたり、ちょっと違う。スポーツではこうも対戦相手に闘志剥き出し、というのはないように思う。やればシップに反するとかで御咎めもあろうし、やはり相撲だ。相撲は廻し一丁、裸の髷男が、死人すら出る稽古の末にのし上がった場所で力と技で相手を捻じ伏せようとするんですから、伝わってくる気迫が違う。取り組み後に相手と抱き合う慣習がないのもいい。

昔、地方巡業だか何だかが近くに来てな、私は関心がなかったが相撲好きの父に連れられて、公開稽古中の体育館へ見に行ったよ。ちょうど椅子に座って休憩に入ったばかりの有名幕内力士がいて、付き人に世話を焼かせておった。どちらかといえば私の好かない力士だったが、父が勝手に子供と写真を撮らせてくれまいかと頼んでな、「今は駄目」と素っ気無く断られた。断るにしても言葉ってものがあるだろう。その時の父の後姿がちょっと切なかったよ。
力士側にもいろいろ事情があるのだろうが、子供の私は「何の不都合がある。お前は今座っているだけのデブじゃないか」と思った。しばらく様子を盗み見ていたが、特に用事があるわけではなく、ただの座っているデブだった。やがて近づいてきた若い女に請われて写真を撮られていた。
このデブに相撲人気衰退の予兆をまざまざと感じたね。今でも思い出すたびにそいつを軽く呪っているよ。
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2008年11月24日

コラムの花道「元厚生次官ら連続殺傷事件」

先日の「言えなかった言葉」より、コラムの花道をメインに少し。


11月19日、容疑者自首前に放送された元厚生次官ら連続殺傷事件を取り上げた勝谷氏出演の『コラムの花道』。
http://podcast.tbsradio.jp/st/files/st20081119.mp3
番組前半、いちいち「テロかどうかわからないけれども」と配慮を挟み込む小西氏の姿が不憫だが、勝谷氏の熱弁やリスナーの声に中てられて後半は投げっぱなし。(私にも似た経験があるが。)


勝谷
 「今言ったボクの、この時代の、これが起きた、まずこの段階で、犯人がわか
  んない段階でも、今これが起きてしまったということの時代の背景、そして
  犯人がわかったらもっと具体的に踏み込んで、なぜその人物がこう走ったか
  ということに対する分析、そういうものをね、間違ってもいいんですよ。あ
  のね、間違うことを恐れ過ぎる。新聞なんてね、その日に一生懸命書いてん
  だから間違う。
  オレだってここでしゃべってて間違うことはしょっちゅうある。ね。だけど
  それがジャーナリストの責任というものじゃないですかね。」


勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ:被害者を断固哀悼します!
http://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/918345.html


責任(大辞林より)
(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。
(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
(3) 法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。

間違うことが任務や義務ではありませんね。勝谷氏の「責任」発言は、リスクとでも言いたかったのを間違えたのだろう。スタジオの誰か、訂正しろよ。
ジャーナリストも人間なので間違うのは仕方ないのですが、間違っていたことを知らせる積極的な訂正と詫びと間違わないための対策が足りないのですよ。



それと、「自衛隊イラク派遣問題で、テロに屈しないと言っていた政治家連中は何か国民に呼びかけることはないのか。漫画太郎のジョギング中止に意見することもないのでしょうか。」なんてメールを読んで、素晴らしいリスナー(直後に小西氏が「その通り」「有難い」と絶賛、勝谷氏からは「良民常民であり、地に足の着いた、まさに自由とたたかう戦士であり闘士」との称号が送られた)だとかオバマなら中止しないとか喜んでいるが、管氏や鳩山由紀夫氏や冨岡氏など政治家からもテロを許さないという発言は相次いでおり、こんな犯罪を許すと言う政治家を探すほうが難しく、誰がこの事件にどう屈しようとしているのかわからない。それに当時は犯人の正体もグループか否かも掴めていない(報道されていない)状態なのに、もしもSPが対応しきれない人数や狙撃手がいたらどうするのだろう。それでも走る必要があるだろうか。SPを信用していないのかと憤っているが、SPにだって限界もあれば命もある。こんな状況でオバマも走らんでいい。昔の話と笑うかもしれないが、SPはケネディを守れなかった。
何より、テロに屈しないというのはテロにより政治姿勢を変えないということじゃないだろうか。テロかも知れぬ事件が起こりジョギングを中止することが、テロに屈したことになるのだろうか。太郎の本業はジョギングか。犯人の要求はジョギングの禁止か。そもそも犯人は立場を表明せず何の要求も出していなかったのです。

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2008年11月23日

言えなかった言葉

首相の慎重さに鈍感批判も 連続殺傷に非難や決意なく

 元厚生次官ら連続殺傷事件に対する麻生太郎首相の慎重姿勢が目立っている。同一犯による「テロ」の可能性があるにもかかわらず、首相の言動からは、卑劣な行為への非難や対テロへの断固たる姿勢がうかがえない。「政治的目的を持った暴力への感覚が鈍感過ぎる」との批判も出そうだ。

 首相は事件を受け十九日午前、記者団のぶら下がり取材に応じたが、テロの可能性があるとの指摘に「単なる傷害、殺人事件なのか、そうではないのか。それ以上のことは分からない段階でコメントはできない」と述べるにとどまった。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200811190305.html


犯罪学が専門の藤本哲也中央大教授は、年金問題だけでなく、薬害エイズなどこれまでも厚生行政をめぐる問題が起きていることを挙げ「犯人が、厚生労働省を自分の生活を脅かす存在として考えていてもおかしくない」と犯人の抱く敵対心を推理。「襲いやすいOBを狙ったのだろうが、現役も安全とはいえない」と警告した。

 元警視庁捜査1課長・田宮栄一氏は、犯行状況が似ていることなどから「2つの事件は、同一犯か同一グループの可能性が高いと思われる」と分析。犯行動機については「個人への恨みではなく、行政に対する不満があったと思われる。(不満を持った)その時の行政の、トップを狙ったのではないか。今後も、同様の事件が起きる可能性は否定できない」と話した。

 一方、ジャーナリストの大谷昭宏氏は「30歳ぐらいという目撃情報からは、自分が年金が減るなどの被害を受けた人物とは考えにくい。義賊を装い、世間に向けて自己アピールを狙った、ゆがんだヒロイズムがうかがえる」と犯人像や心理状態を推理。元最高検検事の土本武司白?大法科大学院長は「年金問題などに対する不満を抱えた同一犯の可能性が極めて高い」と指摘した。

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20081119-431107.html


 与野党からも憤りの声が相次いだ。自民党の細田博之幹事長は「2件発生したことを考えるとテロ行為だ。平穏に暮らしている夫婦を刺し殺すというとんでもない行為は理解できない。しっかり治安当局も対応してほしい」。民主党の鳩山由紀夫幹事長は「(二つの事件は)何か連動したテロのにおいがする。政策に対する不満があれば対話を通じて議論をして解決をしていくというのが日本の進むべき道だ。決してテロ行為が許されるわけではない」と述べた。

 事件は、午前中の衆院厚生労働委員会でも取り上げられた。最初に質問に立った自民党の冨岡勉衆院議員は「厚生労働行政との関連も取りざたされているが、行政に携わる私たちはいかなる暴力や卑劣なテロに対してもひるむことなく、国民のために職務を遂行していくことが肝要だ」と指摘。

http://www.asahi.com/politics/update/1119/TKY200811190059.html


菅氏は田母神前空幕長の論文問題、元厚生次官宅の襲撃事件に触れ、「国民の目から見て議院内閣制、政党政治が機能しなくなっているんじゃないか。議会がもう機能しないから、直接的な行動に走る、そういうものにつながっていく危険を感じる。議会が行き詰まったら、シャッフルするしかない」と述べ、改めて早期の解散・総選挙を求めた。
http://www.asahi.com/politics/update/1122/TKY200811220187.html


このまま日本政治の漂流が続くと政党政治、議会政治に対する国民の不信が高まり、直接行動的な傾向が出てくることが怖い。現職自衛官の幹部、田母神氏の言動や厚生次官に対するテロなど心配な傾向が出てきている。議会制民主主義を機能させるためには、どの党に有利不利ということを超えて早急に解散総選挙を行い、沈滞した現在の政治を刷新する必要がある。総選挙の先送りは国民の鬱積を蓄積させ、民主主義を危機に陥れる。
菅直人 今日の一言:民主主義の危機
http://www.n-kan.jp/2008/11/post-1861.php



犯人を名乗る男が自首し、男は血の付いたナイフとスニーカーを所持していたというから、今のところ彼が犯人である可能性が高い。男は「昔、保健所にペットを殺され腹が立った」と話しており、どこぞのマスコミらが騒いでいたような、いわゆる『年金テロ』ではない様子である。
中国新聞に批判が出そうですぞと御注進された麻生首相の見解だが、実に正しい。結果的に、ではない。犯行声明が出るなどテロを決定付ける要素が出ていない時点で、事件をテロであるかもしれず、テロではないかもしれないと判断し対応したことが正しいのである。今後、犯人が言を翻してやはりテロであったと言ったところで、正しいことに変わりはない。もちろんマスコミの中にもテロと決め付けない人はいたが、テロに違いないと言わんばかりに騒ぎ立てていた連中、あれは何なのだろう。
勝谷誠彦氏もこんなことを言っていたそうで。

 「ボクはこれ第1報聞いたときからテロであると。なぜなら非常にメッセージ
  性を感じたと。」
 「これは最初の犯行をですね、自分は厚生労働省に対する警告としてやったと
  いうことをメディアが読み解かなかった、つまり自分のメッセージが理解さ
  れなかった。それだったらこういうつながりでやればわかるだろうと。」


勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ:被害者を断固哀悼します!
http://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/918345.html

※今回のコラムの花道については別個に少し書きました↓。
http://qazwsx.seesaa.net/article/110138502.html


勝谷氏の言は、奈良の女児誘拐殺人事件の犯人を予想し外したときのことを思い出す。

勝谷氏が事件解決の一助になれば、と大見得を切って唱えた「犯人は女」説、轟沈。大はずれ。
一助にもならず、ともすれば捜査混乱にも繋がる(わけないか。そんな影響力ない)いい加減な予測であったことがはっきりしたが、犯人逮捕後、自説に言及せず。
きっと当たっていれば鬼の首を取ったように己の慧眼っぷりを誇ったのだろうに。

http://qazwsx.seesaa.net/article/6970126.html

この時感じた、言いたくても言葉が出てこない不快感の正体がやっとわかった。私はずっとこう言いたかったのだ。
「お前はコーチ屋じゃないか」
コーチ屋とは、競馬場などにいて、次のレースは何を買えと勝手に言って来て、レース結果がその通りになればコーチ料と称して金を取り、外せば知らん顔をする職業である。身内に調教師がいるから内情がわかるとか、実は次のレースには八百長が仕組まれているのを知っているなどと、客を信用させるような嘘を言ったりもする。(そういえばどこぞのコメンテーターも、たまに専門家を名乗ることが・・・・・・。)
勝谷氏に限らず、マスコミだの識者だので目に付く、予想するとき当たるときに出しゃばって、外せば知らん顔の仕組みは正しくコーチ屋である。同じ口で言論の自由を叫ぶ姿も見られるが、これを羽仁五郎が言ったらしい「言論の責任をとることになってくれば、言論の自由なんていうものは保障できないんですよ」という言葉や、住井すゑの「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくつあっても足りませんよ」の言葉と合わせて考えてみると、なかなか感慨深い。
彼らがコーチ屋ならコーチ屋で、それはいいと思っている。根絶させることは出来ないし、何より担がれる人(ここには往々にして私も含まれる)に思慮が足りないのがいけない。しかし、幾らなんでもコーチ屋風情が大きな顔をしすぎ(させすぎ)ではないか、というのが気にかかっている。
また、番組への意見や新聞への投書などにも在野?の素人コーチ屋が存在するが、彼らの仕事は番組や紙面が許した上での営業に限られ、つまり大抵は元締めの意向を汲んだ内容しか許されず、コーチ屋になったことを悔いても、それは元締めの過ちを認めることにもなり、元締めの保身のため懺悔の場をあたえられることがまずないので、少しだけ同情する。少しだけ。ほんのちょっと。

現在のところ、動機はペットを殺された恨みらしいが、本当の動機を隠している・黒幕のテロリストがいて操っていた・そもそも彼が犯人ではない等、テロであった可能性は考えられる。コーチ屋ではないぞと言うのなら、自首前と同じエネルギーで年金に絡んだテロの可能性を言い、犯人は黒いポリ袋を持った中年男性だとかブルーバードに乗った男じゃないかとか言っておればよいと思います。






そういえば勝谷氏は総選挙が「11月にやるんやったら、間違いなく23日やと思いますね。」と言っていたが、今日は何事も起きなかったようだ。その少し前には「総選挙は11月2日で決まり。創価学会員の中にいる工作員が教えてくれたから確実」と発言していたらしいという話も・・・・・・。
勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ:今回もお声はかからず
http://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/877232.html



08/11/24追記
容疑者の供述をそのまま受け取れば精神疾患絡み、しかし現状の不可解な点を疑えばテロとの見方も払拭できず、取調べに着手したばかりの段階なのに完全にテロじゃないという論調で書いたのは勇み足だった。もし、容疑者の供述通りに事件が片付けられたとしても、真相が別にあるとの見方はずっと残るであろう。
コーチ屋云々の記事の主旨は揺らがないけれど、テロに決まってる論への異論が、単純にそれを逆さにしたテロじゃない論に固定された書き方になっていて、恥ずかしく思っています。
posted by ヨシノブ at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

08/11/22

確実に1年は、多分1年以上、自分はドラ焼きを食べていなくて今日食って、ああ、こんな食い物があったのだなあと再確認していたら急に胃の辺りが痛くなって、原因は先ほど再確認したばかりの鰻丼と肝吸いと刺身じゃないかと思う。身の丈に会わぬ物を食ったせいで、うぐぐと呻いて、今日の朝食は豚の角煮一切れに御飯だった。ドラ焼きは前にも食べたことのあるやつでどうもなかったので、やっぱり昼の鰻と刺身だと思う。胃薬を三錠飲んで寝た。三度寝た。

生まれつきの顔があまりにも無慈悲、または怪我などによる整形は仕方なしと思うが、多くの場合の整形は功を奏していないと思うが本人は私の評価など気にしていないから私個人が外野で騒いでいるだけ。特に顕著なのは、鼻筋側の目の端を切ってパッチリと目を開かせる整形。これはパッチリのプラス、プラスと言っても有りや無しや微々たるものだが、これを上回る目の淵改造丸判りの大いなるマイナス、厳然たるマイナス、欺くことなくマイナス、白日の下にマイナス、明朗会計マイナス、正面切ってマイナス、でアリマス。一旦目に付いちゃうとげんなりする。よいとは思わぬ。二重瞼信仰もよく理解できなくて、二重にすればよくなるというわけでもないのに、何だろう、あれは。元の顔が大きく変わってしまうほどの化粧もどう受け止めていいのかわからなくて、素顔と化粧のどちらの顔を見ていればいいのか迷う。豊胸手術も、あれは形でわかることもあれば手術跡で決定的に理解してしまったりすることもあって、ことごとくうれしくない。
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2008年11月22日

インランド・エンパイア

名高きデビッド・リンチの映画。イレイザーヘッドもマルホランドドライブも、わからないなりにどこか心地よい映画だった。ところが、このインランド・エンパイアは全くわからなくて、ただただわからない。
私はエヴァンゲリオンくらいになら詳細な謎解きを求めるけど、リンチくらいならわからないままでいいと思っている。森毅も、わからないことをわからないままで楽しめる脳がよいと言うとった。が、それにしてもわからなかった。ある人はこれを精神の病を描いているというが、そういうきっちりと現実に組み込める話(その精神世界がどんなに奇異でも、他人から見るとありふれた単なる病で、厳然として実在する)でもないと思う。絶対にどこかに悪魔が潜んでいる。
だいたいリンチのこれ系統の映画がちゃんとわかるという人のほうが怪しいと思っている。わかるように出来ている映画ならこんなにわからない作りをしているはずがない。わかないというのは作り手や客の不備が全てではなく、敢えて組み込められた一つの要素の場合があり、その1ケースがインランド・エンパイアであり、これをわかったと云うのは作品がわかっていないんではないかとすら思う。たとえリンチがなんと言おうと。
主人公の怪訝顔が何度となく繰り返され、映画の中でこれが一番印象深い。裕木奈江が主役女優との対比もあって30代中盤とは思えぬほど若々しい。少女的ですらある。



リンチ自らハリウッドの路上で行った映画のアピール。
「チーズは牛乳から作られる」
ほらもう、わからせるつもりねえじゃん。



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2008年11月20日

返信:論語 口語訳

論語 口語訳」(http://qazwsx.seesaa.net/article/109354162.html)への論 語太郎さんのコメントにはもっと知りたい点や少しの齟齬があり、誤解を招く書き方であったことから記事の補足もしたく、長文となってしまったため、このような形で返信致します。


論語はとても古い時代のものなので、文字の原義に近い用例も多い。士が士大夫の意味に、憮然が失望の意味に固定する方が、むしろ論語よりずっと後の時代になる。士の原義は、あくまで男性一般。憮然は、多様な意味で我を失うこと。安易な知識の受け売りは逆に恥をかくだけだ。
Posted by 論 語太郎 at 2008年11月17日 09:40




・士について

誤解を与えてしまいましたが、私の読んだ限り、樹玄龍輝は士をすべて「男」で訳しています。

論語が現在のかたちにまとめられたのは漢時代のようで、士大夫が現れるのはそれより後の宋時代のようです。階層上の孔子時代の士といえばこんな認識で良いでしょうか。

周代の身分制社会構造で支配者層は、周王の下に諸侯・卿・大夫・士で構成されて官職と邑(都市国家)を世襲していた。士は支配階層の最下層に位置していた。春秋時代も中頃になると、この階層秩序が崩壊して官職や土地を失うものも現れ、世襲の官職や土地に基づかず知識や力によって仕官する新しい支配者層が士とされるようになり、諸子百家が生まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB

孔子は度々人の上に立つ心得を説きますが、支配者になって個人的な名誉や栄華を手にせよと言っているのではなく、世を正しくすることを目的としています。(それが必然的に個人の正しい生き方を身につけることになり、名誉にも繋がりますが)
孔子の言う士は階層としての士のみではなく、士に値するような立派な人物(士には立派な人物の意味もある)をも指していただろうと思っています。どちらにしろ、そこには「志ある者」という意があります。
当時、士は一般の男を指す言葉でもあったようですが、論語では単に「男」ではなく、上記のようなニュアンスも汲んだ翻訳にしてほしかったのです。
原義が男性一般であろうと、原義から発展した意味もあるのですから、それも考慮して訳すべきだと思います。


子路編20にこんな問答があります。金谷治の訳を一部簡略化して載せます。

子貢問いて曰く、如何なるをか斯(こ)れこれを士と謂ふべき。
子の曰わく、己を行うに恥あり、四方に使いして君命を辱しめざる、士と謂ふべし。
曰く、敢へて其の次を問ふ。
曰く、宗族(そうぞく)孝を称し、郷党弟(きょうとうてい)を称す。
曰く、敢へて其の次を問ふ。
曰く、言必らず信、行必らず果、コウコウ然(こうこうぜん)たる小人なるかな。抑抑(そもそも)亦た以て次と為すべし。
曰く、今の政に従う者は何如(いかん)。
子曰く、噫(ああ)、斗ショウ(としょう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らん。

※コウコウ・ショウはこのブログでは漢字が出ませんでした。

子貢が尋ねた。「どのようであったら士人といえるでしょうか」
孔子曰く、「わが身のふるまいに恥を知り、四方に使いに出て君の命令をそこなわなければ、士人だといえよう」
「敢えて尋ねますが、その次は」「一族からは孝行だといわれ、郷里からは悌順(ていじゅん:兄や年長者によく仕える)だと言われるものだ」
「では次は」「言うことはきっと偽りなく、行うことはきっといさぎよい。こちこちの小人だがね、でもまあ次ぎにできるだろう」
「このごろ政治をしている人はどうでしょうか」「ああ、つまらない人たちだ、とりあげるまでもない」

ここで士を男子一般と捉えるのは適切ではありません。士の次だって次だって男は含まれますが、士に次ぐのも悪いことではなさそうです。
しかし、次善とされているのは他で孔子が徳の賊と批判した郷原であるとも言えるし、その次なんか、よく君子と対比して悪くいわれている小人です。士人たらんとする者は郷原や小人ではいけないのです。
やはりここは士に一般的な男ではなく、志ある者の意を汲むべきだと思います。
樹玄はここを「男は、いかがであれば栄達者と評価できますか」と訳しています。


泰伯編7の「士は以って弘毅ならざるべからず」も金谷は「士人は大らかで強くなければならない」、樹玄は「男は強靭でなければならない」と訳しています。
(蛇足:チャンドラーは未読ですが、樹玄訳はなんだかフィリップ・マーロウみたいですね)


士の原義は貴族的戦士としての身分だったと白川静は言います。士という漢字の成り立ちは刃を下にした鉞を横から見た図だとか。これが大きな鉞だと「王」。

-字統より-
西周後期以来、土地経営の発展に伴って大夫の地位が重要となり、列国期には執政の地位を占めるに至った。貴族的戦士としての士の身分は、経済的地位の低下とともに次第に低下し、のち一般の士女を言う語になる。氏族制の崩壊とともに士は宦遊仕官を求める一般士人の称となり、その士道を確立したものが儒教であった。

漢字語源辞典で藤堂明保は士を男性器の立つ形を示す象形文字としており、そこから転じて「おとこ」の意となるとしています。用例として詩経・ケン裳(けんしょう:ケンの字ブログに出ず)の「あに他士(ほかのおとこ)なからんや」を挙げ、論語・述而編の「執鞭の士といえども」もそれに近いとしています。ついで、「立派な男」の意となる用例として論語・泰伯編の「士はもって弘毅とならざるべからず」を挙げています。

角川大字源ではこの弘毅云々での士を「学問や知識によって身をたてる人」の用例にしています。
新漢和大字典では執鞭の士を中堅の役人層としての士だとしています。

士をことごとく「男」と訳してしまうのが雑だと言ったことの根拠がわかってもらえたでしょうか。
また、私は「士大夫」という言葉を一度も使っていませんし、ましてや士を士大夫に固定していません。私が士に言及しているのはこの部分だけです。

「士」を「男」と訳すなど、訳語も雑な印象。ニュアンスはわからんでもないが、読者の好意的解釈が要求される。

さらに付け加えますと、樹玄は季氏編13にある「君子の其の子を遠ざくるを聞く」を、「君子は我が子を遠ざける」と訳していました。一般的には「君子は我が子を特別扱いしない」の意で訳されるところです。(ここでの君子は孔子のこと。転じて優れて立派な人の意)
樹玄訳では我が子と特に距離を置くようにも読めます。
孔子は自分よりも優秀だと評価していた愛弟子の顔回の葬儀を、先立った我が子の葬儀と同じく質素なものにしようとしています(先進編8)。子を疎んじたわけではないのです。やはり樹玄訳は雑ではないでしょうか。





・憮然について

幾つかの字典で憮然を探してみましたが、失望・がっかり、驚き怪しむ、の意味ばかりで、怒りを示すものや多様な意味で我を失うの意味は載っていませんでした。憮の一字にしても多く意味を載せていた新漢和字典(学研)で

1 ぼんやりする
2 驚いて怪しむ
3 いつくしむ・めでる
4 美しい・みめよい
5 驕り高ぶる・傲慢である
6 大きい

の意味しかありませんでした。新漢語林等一部では「侮」に通じ、あなどるの意味もあるとしています。
「憮」は「心+無」の会意兼形声文字で、音符の無はないの意、心がなくなる・失意するの意味を表し、また、おおいかくす・かばいいつくしむの意味も表しているそうです。


講談社 新大字典
大修館 大漢語林
大修館 廣漢和辞典 中巻
学研  漢字源
学研  漢和大字典
学研  新漢和大字典
平凡社 字通
小学館 日本国語大辞典11
角川書店 角川大字源

以上は、いずれも憮然を「失望・がっかり」としている用例に微子編6の「夫子憮然曰」を挙げていました。
以下は用例に夫子憮然曰が用いられてなかったものです。

尚学図書 言泉
小学館  大辞泉
三省堂  大辞林
三省堂  広辞林
角川書店 現代漢字語辞典

また、大修館の大漢和辞典巻四は「憮」一字の項目で失意の用例として夫子憮然曰を挙げ、「憮然」の項目では驚くさまの用例としても「夫子憮然曰」を挙げていました。
講談社の大字典では憮然の「自失の貌」としての用例に孟子の「夷子憮然爲陞H、命之矣」を挙げ、「驚愕の貌」としての用例に「夫子憮然曰」を挙げていました。

以上に挙げたものは総て、憮然を「失望・驚く」とし、それ以外で我を失うの意味を載せていません。
ネットでも調べましたが、調べた限りでは多様な意味で我を失うとはありませんでした。また、私は日本語しか読めないので、中国語の書物を調べることが出来ません。
憮然を「多様な意味で我を失うこと」としている字典や、その用例を教えてください。

(蛇足:大漢語林だったと思いますが、調べた中で多分唯一、失意のさま、がっかりするさまに続いて「しょんぼりするさま」という大変可愛らしい一文を載せていました。)


では、夫子憮然曰が失望を意味しないとしたら、なんと訳すのが良いのでしょうか。(「わからない」ではあまりにつれない答えで、我々は古典を読むことができなくなってしまいます)

少なくとも、腹を立てたとは考えづらい。怒ったのならば、怒・憤・慍(慍は怒も含んだ意を持つ)といった字を使うほうが適切ではないでしょうか。それに日本では(中国でも?)「怒りで我を失う」という表現がありますが、孔子が我を失うほど怒るものでしょうか。
孔子が腹を立てているように読める文章はいくつかありますが、我を失うほど怒っている場面はなかったと思います。憮然曰の段以外でも、同じような孔子への批判は、夫子憮然曰の次の段や接輿からなど度々ありますが、そう怒りはしません。また、「我を知ること莫きかな(憲問編37)」等、自分の考えが理解されないことを漏らしているような言葉も数回出てきますが、やはり怒り狂ったりしません。それが微子編6で激昂しているというのは、まるで人が変わったようです。

では怒りの他に、この場面でどのように我を失うでしょうか。喜怒哀楽の中で該当しそうなものは、もう哀しみしかありません。
孔子を批判したのは隠者です。隠者は孔子と同じく知者(のようなもの)です。何もわからぬ小人がいうならまだしも、物事を知っているはずの知者が、世を正そうとする孔子の行為を無駄だという。孔子は、知者ともあろうものがどうしてこの乱世を改めようとしないのだと驚き、がっかりしたのだと思います。
憮然が多様な意味で我を失う意味をもつとしても、ここはその多様の中から孔子の心情に失望を読み取るのが適切ではないでしょうか。
他に説得力のある解釈があれば、私はそれに乗り換えることも吝かではありません。論 語太郎さんはこの憮然をどう訳しますか?




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2008年11月17日

ひとりのへやで


usidualcore.jpg



ねつけないよるは どうしても
きみのことを かんがえる
ぼくが きみに してしまったこと
ぼくが きみに したかったこと
いくらかんがえたって しかたがないのに
もうあえないと わかっているのに

きみは そろそろ ぼくを わすれているだろう
ぼくだけが きみを おもっている
でぐちのない きもちで くるしくなって
「好きだよ」って つぶやいた
いくあてのない さびしい ことばは
よるのなかに きえていった
どこかへ きえたい ぼくを のこして
posted by ヨシノブ at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

inbaumo sotano ianat

kanihito.jpgkanihito.jpgkanihito.jpg
いつも
kanihito.jpg
あなたの そばに
kanihito.jpg
わたしの
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きおくが
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こころが
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しねんが
kanihito.jpg
こをもたない いしきの しゅうごうたいとしての わたしが
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います
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どうか
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わすれないで ください
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わたしは
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わすれません
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あなたいがいの ことは
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ぜんぶ
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わすれてしまったから
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だから
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おねがい
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あなたも
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わたしだけを
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わすれないで ください
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わすれないで ください
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わすれないで ください
kanihito.jpgkanihito.jpgkanihito.jpg
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2008年11月11日

左翼はどこへ行ったのか!

左翼はどこへ行ったのか!  宝島社

そうなんだよ。大学に立てこもり、機動隊とぶつかり、ゲバ棒持ってた左翼はどこ行っちゃったの。
右左に詳しい人を知っているが、おいこら教えろと言うのも不躾なんでこれを読むことにした。この本における左翼に明確な定義はなく、なんとなく左翼っぽいものを左翼としている。

内容は沖縄と若年層貧困の左翼にほとんどが割かれており、全共闘世代の扱いが少ない。編集部も当初は全共闘世代がメインの本となると思っていたのに意外だ、と言う。取材を進めても沖縄以外に全共闘世代の姿はほとんど見えてこなかったらしい。

基本的に左翼へのインタビュー。インタビュアーは異論を挟まず協力的な姿勢。内容はかなりマイルドに抑えられており、この本だけをさらっと読む分にはかなり受け入れやすい主張に納まっている。だから、本書に記されていない実際の活動を知っているとかなり相違がある。そうなると知らない活動家の言葉もどの程度信用していいのか疑問で、面と向かった批判もなく、本書に読む価値のある部分はかなり少ないのではないかと思う。

歌声喫茶潜入レポートは面白かった。買ったのもここを立ち読みしちゃったから。
あとはかつての左翼活動から距離を置いた人たちの話。
posted by ヨシノブ at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

論語 口語訳

論語 口語訳  樹玄龍輝  宝島文庫


宝島文庫の棚に「論語 口語訳」というのがあって、ちょっとページを開いてみた。読みやすい現代文に書き下され、弟子の有名どころや孔子の生涯、用語解説など、論語周辺を解説するのに3分の1ほど割かれている。
口語訳してあるから何だ、という内容。口語訳してあるだけ。解説がないから、その遣り取りにどんな意味が含まれているのかほったらかし。そこに何を拾うかで、単なる現代文からは印象も意味合いも大きく違ってくるのに。「士」を「男」と訳す(※)など、訳語も雑な印象。ニュアンスはわからんでもないが、読者の好意的解釈が要求される。

微子編にある子路を介しての隠者と孔子の遣り取りは私の好きな一節である。そこには道を正そうとする孔子が隠者に否定され、自分の思いを語る様子が「夫子憮然曰」と記されている。「口語訳」では、この憮然を「腹立たしげに」と訳していた。誤訳である。
憮然は今でこそ怒りを表す言葉のように使われているが、本来の意味は「失望してぼんやりとしている様子」若しくは「怪しんで驚く様子」である。孔子は隠者に怒りを露にしたわけではない。
「論語 口語訳」は既刊を文庫にしたものらしい。間違いは誰にでもあることだが、読者も編集者も何人も読んでいて、誤訳を誰も指摘しなかったのだろうか。私も面倒だからしないけど。樹玄龍輝は東京大学卒、同大学院修了とのこと。
論語に少しでも興味があるのなら、呉智英の『現代人の論語』を強く推す。残念ながら全章を扱っていないが、単なる口語訳を読むよりも格段に論語が「解る」。論語を学ぶ意欲も沸く。







平成15年度に行われた「国語に関する世論調査」では、「憮然」の意味を正しく理解していたのはたった16%しかいなかった。
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/15_yoron.html


※08/11/20追記
私の読んだ限りの全て、複数の箇所で。
posted by ヨシノブ at 03:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月08日

08/11/08

先日、小さなイベントホールで映画上演会があり、私は後方に席を取った。映画が始まるとすぐに後ろから「あー、うー」と老人の声がする。チラリと見るに、車椅子に座った老人男が発信源である。しばらくあーうー言い続け、付き添いの人が居た堪れなくなったように車椅子を押して会場を出て行った。付き添いは大人しそうな初老の女で、家族であろう。
この老人は、入場前にも通路の狭いところで車椅子を小さく前後させて邪魔であった。痴呆か何か知らぬが、そんな奴を連れてくるな。私は腹を立ててから、しばらく考えてみた。
私とは無関係であるから公共の場のマナーなどと正論を持ち出し、平気で出て行けと言えるが、その論理を通し続けて彼のような者を映画館や劇場から締め出て鑑賞できぬようにするのは酷ではないだろうか。ならば一般市民はどこまで彼らを許容すべきだろうか。
DVDもビデオもあるじゃん、ということで許容しなくてよしと結論。
でもちょっと後味悪い。何度もこういう目に遭えば、不愉快が後味の悪さを上回るのだろうが。
posted by ヨシノブ at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

08/11/08














ヨシノブ? ああ、アハハ。あいつな、布団かぶって寝てるぞ。
前にブログのアフィからダークナイトが売れたって浮かれてたろ。あれがな、いつまでたっても売り上げに計上されないんだよ。注文者がキャンセルしたか、紹介した商品そのものじゃないと売り上げには含まれない仕組みなんだろうな。つまりヨシノブに金が入らないんだ。それでえらく落ち込んで、寝てる。このままだと破産だって悲観にくれてさ。
いくらヨシノブでもアフィで大儲けできると思ってたわけじゃないよ、さすがに。しかし、ブログが小遣い程度の収入になればいいなあとは思っていた。宝くじを買って1等が当たるといいなあと思うようなものだよ。儲けて困ることは何もないからね。それがどうだい。どうにか3年くらいブログ続けて、まだ1円も手にしてない。貨殖の才が全く無いね。アハハ。ダークナイトが売れたって糠喜び。ハハハハハ。ブログも人気無いし。アハハハハハ。ざまあみろ。







マルコビッチ大白抜き
 そういうわけでな、みんなこれを買うといいぞ。
 ここはひとつ広い心で、人助けだと思ってさ。
 ヨシノブは何故か「本当に売れたらどうしよう」なんて
 おかしな心配をしているが、どんどん買え。
 これポケモンと同じくらい人気あるからな、買えば友達にも自慢出来るぞ。
 見せびらかしちゃえ。
 





08/12/21追記
後に売り上げに計上されました。
posted by ヨシノブ at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月06日

日本近代文学評論選【昭和篇】

日本近代文学評論選【昭和篇】 岩波文庫

「一匹と九十九匹と」を読みたくて買った。収録作は三十ほど。有名どころだと「文壇ギルドの解体期」「純粋小説論」「堕落論」など。

題材とされている作家や作品をほぼ知らなくてついていけなかったり、言い回しが小難しくてよくわからなかったりするものもあるが、苦行だと思って読んだ。最初に「文壇ギルドの〜」が来ているおかげで最後まで読めたのかもしれない。これは大変読み易く、文意も明瞭である。最初からわからないものばかり並んでいたら挫折していた。読み易くさえあれば、何となく面白く読めるものである。(「文壇ギルドの〜」は中学の国語問題文で読んだこともある)

マルクス主義に今より活気?があったころ(1929)に発表された「政治的価値と芸術的価値」(平林初之輔)。今読むと実に興味深く馬鹿らしい内容だ。
青空文庫にも収録されている。平林の註が入るあたりまで読んでほしい。(「さま/″\」は「さまざま」)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000221/files/4362_16877.html

この一文は、プロレタリア勝利に如何に貢献するかのみが芸術の価値だよな、という論に対して平林が「政治的価値と芸術的価値は別物」という一言を丁寧に丁寧に述べているだけの話なのである。凄い時代である。今時勝本清一郎のようなことを言ったとて誰もまともに相手をしないだろうが、当時はこの平林の評論を発端に論争が起きたらしい。そういう時代を経ての「今読むと馬鹿らしい」であり、こんな価値観がそれなりの力を得ていた時代が本当にあったことや、今我らが不変と思っている価値観が数十年先に嘲笑されているかもしれないことを思えば、「実に興味深い」。

話は変わるが、自分が「時代の最先端」にいることに絶対的な正しさを得ていると思っている奴は信用しない。そんなもの、100年経てば100年の時代遅れだ。それが正しいかどうかは後になってみなければわからない。それ以降にひっくり返されるかもしれない。100年前の愚考を笑うのは、自分が100年後から笑われないはずという驕りでもある。事後法の禁止は近代刑法の原則でありこれに異論はほとんど聞かないが、刑法以外での不溯及となると意識は希薄で、歴史から学ぶことからはみ出して、人は度々現在を揺ぎ無い基準にして過去を嗤い糾弾する。





posted by ヨシノブ at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月05日

デブリ観劇する。

1ヶ月ちょっと前にさ、妙な経緯からちっこい劇団の芝居を観ることになったの。演劇集団デブリ(仮名)ってとこの。芝居には興味があるんだけど、私、出不精だから観劇なんか数えるほどしか行ったことない。

前売りがとっくに無くて当日券買うしかなくて、そもそも当日券出るかどうかもよくわからないまま会場行った。そしたらいるのね、当日券目当ての奴が何人か。当日券は席の埋まり具合次第なんで、開演直前になるまで何枚出せるかわからんとのこと。整理券貰って、時間来るまでふらふらしとった。
そもそも自発的に観にきたわけじゃないからさ、観られんなら観られんで別にいいわけ、私。気が楽。当日目当てが10人居て私が10番目、席は9人分ですゴメンネさよなら、って展開なら流石に嫌だけど、私の後ろにも何人か控えてるんで、死んだとて道連れいるから心強い。勇気凛々とふらふらしとった。むしろ観られないほうがいいかも知れない。申し訳ございませんという係員の説明に、肩を落とす当日連中。私だけ平気な面。連中の一人と目が合う。いかにも演劇が好きそうな、まだ少し垢抜けない大学生風の女で、連れはいない様子。友達いないんだろか。女は私の目を見て、何かを取り繕うように力無く曖昧な笑顔を浮かべた。私もこのまま帰ったんじゃ無駄足なんで、声かけてみる。
「どうです、あぶれた者同士、これから一緒に食事でも。」
「ふふふ。そうね、このまま帰ってはつまらないわ。」
見た目よりも少し気が強そうだ。
夜のネオン街へ向かうふたりの背中。人々の蠢き、街の喧騒。遠くに聞こえるクラクション。それらが渾然となって、早くもふたりの行方は杳として知れぬものへとなってしまった。
その数時間後、とあるホテルの一室にふたりは居た。
「ヨシノブさん、どうか軽蔑なさらないで。あたし、男の人へその日のうちに体を許すなんて、これが初めてなのよ。あなただから許したのです。だから、ああ、ああっ、もっと瑞枝を愛してくださいませっ! あああ〜。もっと、もっとお乳を吸って!」
一通りのことは済ませているらしい瑞枝の体も、私から見ればまだまだ硬く閉じたつぼみに過ぎなかった。素地はいいらしく、丁寧に扱うとすぐに綻び始め、やがて女体として開花した。初めて知る女の感覚に瑞枝は貪欲に溺れ、男というものを存分に貪り喰らった。しかし彼女はこの道の奥深さをまだ知らない。どうやってそれを教え込ませてやろうか。私は愉しい計画を練りながら、今しばらくは瑞枝の要求するままに御奉仕して差し上げるのだった。

で、観たの。全員分当日券出たみたい。芝居はねえ、率直に言えば面白くなかったんだ、これが。気持が全然入っていかない。登場人物に気に入らないのがいてさ、主役はそいつをぶっとばしてふざけた口きけないようにしてやればよかったし、本来なら私が舞台に上がって殴りつけるべきだったんだけれど、ああ、これは何も突飛なことを言ってるわけじゃなくて、寺山修司がさ、観客は安穏と受身でいてはならぬって主旨の話をしていたんだよ。実際に舞台に上がって殴りつけたらみんな困るでしょうけど、寺山の言うことですから。
でも軟弱な常識人ですから、私。殴ったところでそれは最大多数の最大幸福だろうか、なんて考えてしまう。幸福に貢献するか否かなんて関係ないんですけど、そういう常識的理屈を持ち出して正当化しようとするから大成しない。自分がやられたら嫌だしね。寺山? ぶん殴ってやりますよ。

殴りつけることも出来やしない私には不満が燻り続けてもう、面白くないんですな。面白くないのは、それだけじゃない。しばらく観ていて気がついたのですけど、会話にしても人物の性格にしても、いちいちセンスが古い。これは驚くに値するよ。寺山の本読んでるときに感じる古さなんだもん。寺山は25年も前に死んだ人ですから、読んで古いところがあっていいのです。彼の生きた時代が遠ざかっただけだし、内容が時代的な古さに負けてないから、古いことすら一種の売りになってる。今でもそこにある肝心要を拾い出して現代の手法でやれば面白いもの。ただ、デブリのは、時代についていけないアングラ演劇の残滓みたいな古さ。どんな爺が脚本書いてるんだろと思ったが、あとで確認したらまだ若い男だった。話をきくに案の定寺山好きみたいなんだけど、寺山が今芝居書いたらこんなの書かねえって。寺山没後20年くらいのときに出た本の中で、宮台真司が現在のJAシーザーを評して酷いこと書いてる。

10年前くらいかな、テレクラ取材で青森に行ったとき、三沢近辺でシーザーさんたちが市街劇をやってて、バカかと思いました(笑)。1970年の高円寺じゃないんだよ。寺山的な意匠を反復すれば寺山的だと思ってる。こういう後継者はいかがかなものか。寺山の魂を継承するってどういうことか。もし寺山が1990年に生きてたら何をするか。それを想像することが寺山的なんじゃないのか。90年代の寺山は、白塗りの顔で街を練り歩かないよ。

のっけから「バカかと思いました(笑)」ですよ。ひどい(笑)。シーザーが何をしているか90年代の寺山が何をするか私は知らんけど、デブリの作家に感じたのは上記の宮台みたいなことなんだよね。およそ40年前の芝居を観て、その縮尺を考えずに今でも40年前のそのまんまで芝居を書いてる。顔が白塗りのまんま。ゼロ年代で白塗りに相当するものは何だって考えなきゃいけない。そうじゃなきゃ40年前の白塗りの衝撃は出せないよ。つまり、ガンダムってつければ何でもガンダムになると思ってんじゃねえよってことであり、あんなんが仮面ライダーで通るかって話でもあるわけよ。こっちのはまた徹底的な打算であるわけだけれど。

その古さを象徴しているのが、時折台詞に挟み込まれる「おまんこ」「ちんぽ」。これを男女の役者が濡れ場でもないところでいうわけ。台詞うまく再現できんのだけど、これがもう昭和ど真ん中のセンスなんですよ。
「あんた、ここで勃起させなよ! 男は死が迫ると子孫を残そうと本能的に勃起するんだろ。命かけてるなら、今ここで勃起しておくれよ! ほら、あたいのおっぱい触っていいから。おまんこだって見せてあげる。小便臭いおまんこじゃないよ、もうちゃんと毛が生えて男だって知ってる大人のおまんこだ。だからさ、お願いだから、あんたのちんぽを固くさせてよ!!」(最後には絶叫。二人は静止。男は床から半身を起こし息を呑み、女は椅子に片足を乗せ、片手は自分の乳を掴み、片手はワンピースを捲り上げショーツに手をかけ、今にも飛び掛らんばかりの気迫。徐々に暗くなる空。ここで一瞬の強い光と共にドーンと大きな雷鳴のSE。小屋の中のふたりの姿が強いコントラストで浮かび上がる。サーッと降り出す雨のSE。一気に豪雨。今度は弱弱しい瞬き。遠くでドーンと雷鳴。窓から辛うじて差す薄明かりに、二人の姿が影絵のようになって、やがて舞台はゆっくりと暗転。闇に比例して雨音はますます大きく。真闇の雨音は暴力的に耳を劈く。)
ああ、オリジナルでやってみたがうまく書けん。むしろこれちょっといい画じゃねえか。そうでもないか。うーん、小沢昭一的ストリップ精神解放論を今現在にも通そうとするような古さなんだよ。昔はね、そこに観客をドキッとさせる若さとか新感覚、深くえぐった何か剥き出しの何かを表現できたかもしれないが、今そんなこといわれたって何の新鮮味もないもの、陳腐になっちゃって。シーザーが今でも白塗りで寺山的をやってるつもりなのと同じ。

あとね、何度か客が笑う場面があったのに私はまったく笑えなかったのは、ショックだった。まったく面白くないのに、大笑いじゃないが客がそれなりに笑うの。笑いの好みが合わなかったという話ではない。そんなので笑ってていいのか。そんな台本書いてて平気なのか。そういう段階。軽い疎外感と恐怖感あったね。モリマリが「太陽を盗んだ男」を映画館で観たとき、ジュリーがベッドの上で飛び跳ねて大喜びするところで笑ったが、自分以外の客は笑っていなかった、フランス人なら笑うであろう、日本人は何か映画は芸術だから真面目に観ねばならぬと思い込んでいるようだが云々と書いていたのが、うろ覚えながら頭を過ぎった。これは違う、そうじゃない、面白くないんだ。何だこれ。私の感受性が痩せているのか。客席の笑いの中にいて、親戚のつまらない冗談を聞かされたように身を硬くしてしまった。こいつら、こんなので笑うのか。これが許される狭い世界、40年前から動かない世界、そこに留まっているからこの劇団はちっこいままのつまんない芝居なんだよ。そう思った。けど、それじゃあ私は誰に許されていて何処にいるんだろ。こんなものでも、形にする人たちがいて、金を払って時間作って足を運んでまで見る人たちがその何倍もいる。誰が私の戯言を形にしたくて時間を作って金を出して見たいんだ。舞台からの照明で青白い顔の並列たちが笑いさざめく。私も同じく顔を青白くできているだろうか。孤立を深める。

それでも席を立たなかったのは、これがどう面白くなっていくんだろうというのが気になったから。「本当につまらなかったんだ、だけど、最後のあの場面だけはいいなって思っちゃったんだよね」。そういう感想が出ちゃう敗北感を予期していた。芝居が進む。さあ何処だ。何処から面白くなってくるんだ。さあ! プツン。終幕。緞帳が金属部品をキュルキュルいわせて降りてきたんで、呆気に取られちった。緞帳剥ぎ取ってみようかと思った。ああ、これは何も突飛なことを言ってるわけじゃなくて、寺山修司がさ、観客は安穏と受身でいてはならぬって主旨の話をしていたんだよ。そんで、ああ、緞帳前に役者が出てきた。カーテンコールか。新たな展開か。前者でした。ふへえ。

それでも拍手は鳴り、役者はお客さんのお陰でいい芝居が出来ましたって顔で、そりゃまあそうなんだが、私は結局殴りに行かなかったんだから。これが成功という実績に振り分けられてしまうだろうことにムズムズする。ううむ、面白くなかったねいと誰か思っておらぬか。実はつまらなそうにしている客を数人見つけていたんだけどね。哀しや、軟弱常識人。機械的に拍手しちまったよ。
幕切れにポカンとし、胸に沸き立つ言葉を交わす相手も無く、家路に着いた。この演劇体験は何だったのだろう。どうすればよいのだろう。経験を無駄にするか否かは自分に懸かってるんだって、それは正論ではありますけれども、やっぱり当日券出ないで瑞枝の乳を吸ってたほうがよかったなあ。今からでもどうにかなりませんかね、これ。払い戻ししなくていいから。


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2008年11月04日

20年

ヤク中の熊公、自分にジャブを打つのに飽き足らず、手前のうんこにまでシャブを打つようになっちまった。見るに見かねて八っつあんが声を掛けます。
おおい熊公、うんこにジャブジャブシャブ打って勿体ねえじゃねえか。もっと自分を大切にしろい。
おう、八の字。へへへ、これが打たずにいられますかってんだ。うんこと云えば「こ」がつくだけに我が子も同然、シャブを分けてやるのが親の勤めよ。おいらこのガキどもが可愛くって仕方がねえ。ほら、見てみろ。これが今朝方出産したうんこだ。どうだい先端の尖りが利発そうじゃねえか。名前は七之助っていうんだ。七時ぴったりに陣痛が来てな、すぐに飛び出てきやがった。そしてこっちが一日違いで姉さんのお松。松ぼっくり眺めてるうちに出てな、御隠居がうんこ漏れてんぞって教えてくれなくちゃ、こいつは今頃ひっそり死んでいたかもしれねえ。このモリッとしたカーブがイカすだろう。安産型だな。そしてその兄貴がブライアン。こいつはローストビーフ食った翌日に生まれたからエゲレス人だと思う。日本での生活に慣れるように、普段の会話は日本語がベースだよ。隣で一際でかいのが、あ、ああ、こいつの名前何だったと思う? うーん、覚えてねえな。でもこいつが難産だったのは覚えているぜ。三日間腹に居座って、尻がはちきれそうになりながら出てきたんだ。柔道部でこの体躯を活かしたいって言ってる。俺も柔道頑張れって応援しててさ、今すぐにでもオリンピックに出してやりたいね。もう毎日出す。自分でも親馬鹿だと思うよ。それでその隣が・・・・・・。
もういい、もういい。熊公、お前が嫁もいねえのに子育てに精を出しているのはわかった。
あ、嫁はな、ちんこっていう幼馴染が・・・・・・。
ええい、見せるな! 仲良く添い遂げるちんこさんが嫁だな、ああわかった、わかった。ちょっと用事を思い出してな、今日はもう失礼するよっ。
八っつあん、熊公にすっかりキ印がついたとわかり、これ以上つきあいきれねえってんで退散して我が家へ。
人間ああなっちまったら御仕舞いだね。俺っちもシャブをすっぱり止めねえといけねえ。うん、止めよう。俺っちはもうシャブ止めるぞッ! さて、止めたついでに一本打ちますか。
簡単にシャブから足を洗えたら苦労はありませんな。八っつあん、器用に二の腕をゴムチューブで縛りますと、既に注射器は準備完了しております名人芸。いよいよ針を差し込まんとしたその瞬間。
御用だ御用だッ!
桜田門の連中がドッと部屋に押し入ってきた。しっかり張り込まれていた八っつあん、覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕。その後、前科や余罪がゴロゴロあったので死刑判決が確定しました。
裁判には時間がかかり、執行命令にも時間がかかり、執行の日が来たのは逮捕から20年も後のこと・・・・・・。




まだ正月気分の残った町中を死刑執行所へ向かう護送車の窓から、八は見納めになる最後の風景を目に焼き付けていた。20年経って町の風景はすっかり変わっていたけれど、町の空気は懐かしさに満ちている。
護送車は文化会館前を通った。そこには成人式を終えたばかりの、まだ着飾った若者たちがそこかしこで屯し、話に花を咲かせているところだった。
・・・あっ。
八はそこに、紋付袴や振袖に身を包んだうんこを見た。大きなうんこ、金髪のうんこ、何人も、何人も、うんこが。そのうんこに囲まれているのは。
ああっ。
嬉しそうな熊だ。
あっ、あっ、あっ。
窓に飛びついて声を上げる八を刑務官が警棒で殴り引き剥がそうとするが、八は文化会館がすっかり見えなくなるまで窓に顔を押し付け、声にならぬ声をあげた。言葉は出なかった。それは堰を切った感情の奔流がたてる轟音なのだ。
散々に殴られて床に転がされた八の目からは、痛みではなく、胸を震わせる何かで、涙が溢れていた。
posted by ヨシノブ at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | うんこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

いきいきの構造

「限界」使わず「いきいき集落」 宮崎県が新呼称決定

 「限界集落」という呼び方に反感を覚えていた山間部の住民らの声を受け、代わりの呼称を全国から募集していた宮崎県は、寄せられた1890件の中から「いきいき集落」と決めた。過疎化が進む中山間地域の中でも「元気な地域づくりに取り組む集落」と定義。県は、名前にふさわしい集落を募集し、ホームページなどで紹介して地域おこしに一役買いたい考えだが、「言葉を換えても現状は何も変わらない」と冷めた見方もある。

 限界集落は、長野大の大野晃教授が提唱した学術用語で、65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、冠婚葬祭など共同体機能の維持が困難な地域、とされる。
 新呼称は東国原英夫知事らによる委員会が選んだ。「活動は花の植栽でも道路の清掃でも構わない。大切なのは住民が主体的に取り組むこと」(知事)としている。
 限界集落は住民のやる気を奪う呼称だ――。知事にそう訴えていた黒木定蔵・西米良村長は「住民にとって精神的圧力だった呼び方を、まずやめることに意義がある」と評価する。
 西都市中心部から車で約1時間の銀鏡(しろみ)地区で民宿を営む区長の浜砂重忠さん(73)は、同じ70代の仲間とともにグリーンツーリズムに取り組んでおり、「いきいき集落はまさに自分たちが目指しているもの」と話す。
 一方、同じ山間地でも冷めた見方の住民も。椎葉村の村おこしNPO「土風緑の会」顧問、黒木勝実さん(72)は「村が寂れるのは若い人がいないから。そこを何とかしなければ」。
 林業が栄えた1950年代半ば、村には1万人以上が暮らしていたが現在は約3200人。「『いきいき』はそんな簡単なものじゃない。行政はまず現状をしっかり見ることが大切だ」と指摘する。
県の担当者は「名称で問題が解決するとは思っていない。まずは、モチベーションを高めることが目的だ」と言う。(阿部彰芳)

http://www.asahi.com/national/update/1102/SEB200811010016.html

「いきいき集落」。私はこれを嗤ってしまいましたが、皆様方におかれましては如何でしょうか。
「元気な地域づくりに取り組む集落」「いきいき集落はまさに自分たちが目指しているもの」。いきいきしなくていいと思っている集落が何処にあるのでしょうか。
「『いきいき』はそんな簡単なものじゃない。行政はまず現状をしっかり見ることが大切だ」。黒木勝実さん、それは黒木定蔵・西米良村長や銀鏡地区で民宿を営む区長の浜砂重忠さん、反感を覚えていた山間部の住民らに向かって言って下さい。(批判の矛先を行政だけに持っていくのが実に某新聞らしい。)
こんな名称にしたところで何がどうなるのか。内実は限界集落そのまま。いきいきなんて名乗ってる余裕があるのなら、行政の対策はいらないとも言え。

これからはスポーツ選手が引退するときには「体力のいきいきを感じまして・・・・・・」と話さねばならぬ。ふへへへ。ふへ。ふへへへへへへへへへへ。
そんな冗談を考えていたが、見解を改めることにした。
「いきいき集落」というのは、考えてみれば考えてみるほどにぴったりの名称なのである。いきいきも限界も意味はそう違わない。実も蓋も無いほどに限界だからこそいきいきを被せているのであり、つまりいきいきはのっぴきならぬ限界を示す。これより、ネット上に実在するテキストから「いきいき」と「限界」を相互に置換したものを並べる。両者の同一性を感じるはずだ。


・限界健康
・限界長寿
・限界ガーデニング生活
・女性限界応援ナビ
・シニアの限界生活
・仙台放送/テレビ限界脳体操
・限界夢キラリ
・限界ふれあいフェスティバル
・限界世代
・ふるさと・限界村づくり
・限界育児
・学びわくわく こころドキドキ からだ限界
・限界ふるさと推進事業助成金
・ろうきん限界コミュニティ
・限界主婦のパート・アルバイト講座
・限界プラザ島根
・限界長生き人生
・限界脳フェスタ2008 in 東京女子学院
・限界福祉のホームページ
・ようこそ! 限界タウン知多
・限界自己実現
・限界ロハスライフ!
・限界・のびのび健康づくり協会
・限界チャレンジ!
・限界らいふフェスタ
・特産品センター 限界村
・限界高齢者のページ
・北方町の限界商店街!!
・農林水産省/限界ふるさと大計画
・社員限界!元気な会社宣言企業とは?
・限界クリニック
・新市歌「笑顔限界」
・限界美容講座
・第2回高齢者限界居住アイデアコンテスト
・NPO法人 限界住宅リフォーム機構・愛知
・21世紀限界ハイスクール構想
・V.A.:脳が限界 抒情歌 右脳編・左脳編
・限界サタデー
・健康・美容に役立つ波動測定・転写機、波動商品は「限界ワールド」
・人・ふれあい・街・限界
・限界人生
・脳が限界クラシック
・こころ限界フェスタ 
・限界!沼津っ子
・みんな限界 宮崎美子の介護保険
・50歳からの限界セックス
・限界大家族
・「限界生徒」と「ハッスル先生」
・エダさんの限界社民ライフ
・SHOW-YA いきいきLOVERS


どうだろうか。いきいきも限界も違う意味のようでいて、入れ替えると実のところ意味するところは同じであることを感じてもらえたのではないか。
いきいき集落。もう切羽詰って言葉で取り繕うくらいしかすることがない感じが出ていて、実に的確な名称である。

posted by ヨシノブ at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

今週の業務報告

アクセス解析の管理ページでは、訪問者のブラウザのドメイン・OS(機種)・ブラウザ・国/言語(PCに設定されてるものということだろう)等がわかる。以下の数字は大雑把です。

過去4ヶ月のデータを見ると、毎月の全訪問者数の7%前後が英語を使っている。いくら英語圏が広いからといって、日本語ブログに毎月これだけの英語人が平均的に訪れているのは予想外であった。あとは中国語韓国語がそれぞれ月平均二人来ている。アラビアとドイツは単発で一回だけ。アラビアから何を求めて来たのだろう。

ブラウザはIE6が40%弱で最も多く、IE7が20%強、Firefoxが10%と続く。Safariは3%、Operaは2%に届かない。私が目にするブラウザの評価と、ここにあるパーセンテージは比例していない。やはり最初から入っているIEは強いな。変り種では、ひとりだけPS3(普通にネットが見られるとは知らなかった)、IE5のバージョン違いが数人。面白いことにOperaは訪問者によってバージョンがまちまちで、7代から9.5代まで15種類くらいが来ている。それなりの事情があるのだろうか。

OSは70%がXP。時点はVistaと2000が10%で競っている。Macは7%、次がもう1%代で98とLinux。95がひとりだけ。

ドメインはOCNが15%で一等賞。次をdionとbbtecが7%あたりで上へ行ったり下へ行ったり。以下は種類が多すぎてどんぐりの背比べ。

ディスプレイの解像度もわかる。
40%が1024x768。次いで20%が1280x1024。15%で1280x800。以下1680x1050を頭に一桁。

カラー数。
32bitが78、16bitが15、24bitが6。



このブログにどんな検索用語でやってくるのか調べると、群を抜いた1位に或る人名が来ている。人名のみでは来ない。この人の不名誉な事件に関わる単語と組ませてやってくる。
その名前と単語の組み合わせで最も多いのがこれ。3.4%。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1B3GGGL_jaJP262JP262&q=%E7%B1%B3%E8%89%AF%E7%BE%8E%E4%B8%80+%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4&revid=37174125&sa=X&oi=revisions_inline&resnum=0&ct=top-revision&cd=5

言葉をもう少し短く区切ったり、代わりにviolenceと組み合わせたり、それらを合わせればこの人だけで全体の5%を占めている。次点も人名で、この人は本名芸名を合わせて2%。

次点の人
http://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E5%A1%9A%E5%B0%9A%E5%AD%90&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B3GGGL_jaJP262JP262&aq=t

posted by ヨシノブ at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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