2008年05月31日

個人的不味い!

私の「不味い!」を幾つか思い出したので書いてみよう。


その一。小学生のときにベルトコンベアの導入はないものの、高級ではない寿司屋で食べたいくら丼。
不味いのとは少し違うかもしれない。その店では少々値の張る一品だったと記憶している。いくらは大好きなので、わくわくしながら頼んだはずだ。外は黒く中は赤く塗られた器に、御飯が隠れるほどいくらが乗って、醤油がかけられている。いくらを一度にこんなに食べるのは初めてだ。スプーンで食べたと思う。ぱくり。うまい。
しかし半分ほど食べたところで、店と同じくいくらもあまり高級ではなかったせいだろう、私にしては珍しく気持ちが悪くなってきて、後ろ髪を引かれるような思いで残してしまった。妙な甘さが濃かったような気がする。

似たもので、とろろかけ御飯も最初の一杯は美味しいのだが、二杯目を食べると気持が悪くなってしまう。


その二.地元スーパーのイベントにて無料で貰った知らないメーカーの見たこともない袋ラーメン。
このラーメンは塩味だったと思う。袋は作為的ではない感じのレトロなデザインで、今思えば賞味期限が怪しい。当時のおおらかな世の中ならば、ロハで期限切れを配っていても不思議ではない気がする。
私は拘りも見境もなくラーメンが大好きで、スープも残さず飲んでいた。当然美味を期待して箸をつけたのだが、びっくりするほど不味くて食べ切れなかった。どのように不味かったかは覚えていない。当時は本当にラーメンが好きだったし、スープも残さぬのを小さなプライドにしていたのだが、
それでも食べられなったのだから、そうとうなものだったはずだ。
現在では年のせいかラーメンを前よりは美味しく感じなくなってしまって、胃がもたれることもある。それでもあんなにラーメンを不味いと思ったことは他にない。


その三。中国物産展で買ったピータン。
卵料理なら見境なく好きだった私は、父の買った黒いピータンを前に尻込みした。何故か食欲をそそられない。一口食べて、二度と口にしなかった。本来ならスライスして少し空気にさらしてから食べるところを、それを知らずにすぐ食べてしまったのだと思うが、今でも一生食べたくないと思っている。


その四。京都の某格安ホテルの朝食。
価格の安さから、若い旅行者には有名なホテルらしい。見事なまでに部屋は狭く、大浴場という名の中浴場があった。朝食は一階の食堂とは名ばかりの、これまた妙に狭いバックルームのような場所で、決められた時間に全員揃っての気まずい食事だった。二台のテーブルをくっつけたものを囲んで、知らない連中と肘をくっつけるようにして無言の食事。逃げ出したかった。
朝食内容は、御飯に鮭の切り身、味噌汁、納豆、海苔だったと思う。不味いとは言わぬ(私はそう簡単に不味いとは思わぬ性質)が、決して美味くなった。味気ない。何の面白味もない。ちょっと泣きたくなった。


その五。大阪のとある食堂。
道路に面した庶民的な外観の店であった。年季の入った赤い暖簾が、ベテランの風格をみせる。
新今宮駅から近いところだったはずだ。この土地を知っているものなら何かしら感じるものがあっただろうが、いくらか話を聞いていたとはいえ私には初めての土地で高揚しており、気取った店ではなく、土地に馴染んだ店で何か食べようと気取ったのが間違いだった。店外にメニューが出ていてどれも全体的に安いなか、特に玉子焼き定食が驚くほど安かった。その価格の記憶に自信がない。350円だった気がするのだが、これはほんの10年ほど前の話である。
味に期待したわけではなく、こんなに安くてどんなものが出てくるのだろうと好奇心をそそられたわけだが、無愛想な中年女性が運んできたものを見た途端にがっかりした。
御飯、玉子焼き、その下に敷かれたレタス二枚、味噌汁。
その名が冠された玉子焼きは、多分メインを張るには最低限の量しかない。少量の料理に大きく余った皿の余白を魅せる高級料理とは違って、この定食の主役を乗せた白い皿は、ただみすぼらしく地を見せていた。
あとは味で勝負だ。玉子焼きなら誰が作ってもそこそこの味になる。一口食べた瞬間、350円を溝に捨てた! と思った。妙に味が薄い。何だか寂しい。味噌汁も味が薄くてちっとも美味しくない。味噌汁なんてのはただ味噌を溶いて熱々で飲めば、私が作ったのでさえ美味しい。それがなぜこうも無感動な味なんだろう。これは病院食か。
御飯にも何の魅力もなく、ぼそぼそとしていたように思う。一番美味しかったのはレタスだった。うれしいマヨネーズ付。
醤油で味をごまかしながら、寂しい気持ちで食事を終えた。安物買いの銭失い。会計をする私は悲しい顔をしていたと思う。
大阪には一泊した。田舎者の私には、驚きの連続となる一泊であった。


その六。イレイザーヘッドを観ながら食べた昼食。
イレイザーヘッドはビデオで何度も観た映画で、観るだけあって好きな映画なのだが、おたふくの女が天井から落ちてくる大きなヒルのような何かを次々と踏み潰す(それも少し恥らって)場面だけはどうにも気持ち悪くて、何度目かでこれを観たときに食べていた昼食がすごく不味くなった。
posted by ヨシノブ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月30日

不味い!

不味い! 小泉武夫  新潮文庫

シンプル・イズ・ベストの好例である。このタイトルを見た途端に買ってしまった。小泉武夫は食い物に詳しいとだけ知っている。そいつが不味いものの本を書いたのだ。わくわくする。


高級料亭高級レストラン居酒屋、ランチ、喫茶店、御菓子デパ地下ラーメン駅弁ファーストフードからスローフードまで、とかく美味いものにスポットライトが当てられる。美味いのは幸福であり愉悦だから、関心を集めスポットライトが当たるのは当然だ。
しかし、ここで大きな不自然に気づく。これだけ美味いものの話題が飛び交っているのに、不味いものの話題が少なすぎる。不味いこともまた、人々の関心事ではないか。
不味いは世にごまんとあるのに、たまにテレビで不味い下手物を食わせて喜ぶ番組があるくらいで、不味いそのものよりも食った反応を見せ場にするそれは大袈裟を好しとし、私の求めるものではない。あとは雑誌で小さな企画があるくらいか。
私が求める怒りの篭った不味いの告発や、笑みを誘う不味いの失敗談、冷静な不味さの詳細報告書は、口コミやネットの掲示板で交わされる程度だ。そりゃあ不味いは誹謗だから、扱いづらいのはわかる。しかし、店や場所を伏せて書けば、不味い本をもっと出せるのではないか。美味いに到達するのは難いが、不味いに出会うは易く、情報に価値がない、と言う人があるかもしれないが、それは浅墓な意見である。美味いに種類がある如く、不味いにもそれがある。

「まずさにも種類がある」
ということである。さわやかなまずさ、体力を消耗させられるまずさ、肉体に恐怖をおぼえるまずさ、胃が逆流するまずさ、唾液が引っ込んでしまうまずさ、舌がしびれるまずさ、歯が溶けそうなまずさ。食事の種類は数々あるが、そこに浮浪者のように横たわるまずさの数々。これこそ食のダイナミズムだ。

青林堂「定本 ディープコリア」より

不味いことに飢えている層はきっとある。不味いのは不幸であり業苦さえ感じさせるからだ。他人の不幸は蜜の味がする。一説には「あまい」は「うまい」が転じたものという。
また、不味いは悪でもある。それに憤るとき、擬似的な正義に浸ることができる。悪をやり込めれば胸もすく。それに、美味いのと違って羨ましくなければ腹もすかない。地雷を避ける情報にもなる。ほら、いいことずくめではないか。
他人の不味いは幸福であり愉悦であり健全であり有益なのだ。


本書を手に取っただけで、ざっとこのようなことを考えてしまった。



読んでみると、私の期待していたものとはちょっと違って、どうしようもない定食屋の話の類は少ししかなくて、店の都合による解凍ものや化学調味料に頼ったものなど手抜きを批判するのが殆どで、あとは明らかに不味いものへと果敢に挑んだもの、文化の違いで口に合わなかったもの。不味い不味いと言いながら挑戦するのは、食への野次馬的好奇心ばかりではなく、好きが嵩じて食文化論や発酵学を専攻するまでの学究肌の成せる業だ。そのため、不味いというばかりではなく、なぜ不味くなったのか考察しているのが巷の不味い談義と一味違う。
小泉武夫ははじめにこのようなことを書いている。
逆説的に考えれば、不味いがあってこその美味いである。そう考えると、不味さの本質を探ることは、美味しさとは何かを探ることでもある。

ただ、食文化の違いによって口に合う合わないがあるように、美味い不味いは主観的なものだ。私は読み進めていくうちに、静かな不満を抱えていることに気付いた。ここで不味いと断じられているもののなかに、自分なら美味いとは思わずともモリモリ食べられそうなものが含まれているのだ。小泉が閉口したものを、同行した学生がもりもり食っている様子も描写されている。普段口にしているものや年齢によって感覚が異なり、小泉のそれは経歴や食遍歴をみるに、多分一般層より相対的にハードルが高い。また、この本に出てくるものはすべて美味いか不味いかどちらかに分類にされていて、美味ならぬは不味いでしかなく、「美味くはないけど・不味くはないけど」の曖昧がない。そこからもハードルの高さを感じさせている。

ともあれ、読んで不味い本ではなかった。ざっと調べたところ、続巻はないようなので、是非ともシリーズ化してほしい。また、この手の本がひとつのカテゴリーとして確立できるくらいに、世間は不味いへの関心を顕在化してほしい。絶対関心あると思うんだけどなあ。
posted by ヨシノブ at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

内山田洋と

起承転々:気にくわない夏 /岐阜

 どうにも気にくわないことがある。クールビズだ。

 ある県庁が初めてクールビズを導入した日のことだった。全職員がノーネクタイになっていた。すべからくネクタイを締めていた前日から、「軍隊的」ともいえる見事な変わりよう。鳥肌が立った。

 地球温暖化にストップをかけようという考えには賛同する。ネクタイも上着もいらないのは大歓迎だ。

 だが、ノーネクタイを規則化したり、「皆が締めてないから」「外さないと集団の中で浮くから」と迎合する現状は、どれだけすてきなクールビズファッションが登場しようとも、ネクタイを社会が強制した時代と精神的には何ら変わらない。

 場に適した服装を「自由に」選ぶのが、本当に円熟した大人の社会だろう。クールビズという言葉から、詰め襟の制服を強制された中学・高校時代を連想するのは、天邪鬼(あまのじゃく)な私だけなのだろうか。【荒川基従】

毎日新聞 2008年5月27日 地方版

http://mainichi.jp/area/gifu/news/20080527ddlk21070067000c.html


制服が冬服から夏服に変わるようなものに過ぎず、学生とは違って大人の社会なのだから指定のメーカー品でなければならぬわけでもなく、クールビズという場に適した服装を「自由に」選べるのだからいいじゃないか。そう思うのは制服の強制に不満がなかった私が天邪鬼なだけだろうか。
それにしても気にくわないのは、「すべからく」の誤用である。このような軽い読み物は校閲部や編集長を通さぬのだろうか。掲載前にすべからくチェックすべきはずだが。

こうやって済し崩しに「すべからく=すべて」は認められていくのだろう。すべからくは義務教育で習得する範囲の漢語であり、間違えるのは恥ずかしい。それは義務教育程度の英語を操れない私が恥かしいのとは違って、使えるはずの「すべて」を避けているところに、ちょっと高級な表現をしているつもりの意識がみえて恥かしいのである。それは私が英語が操れぬのに、格好いいところをみせようと英国人相手にローマ字で筆談を申し込むようなものだ。私は分をわきまえて、素直に片仮名を使う。基礎英語力がないだけあってあまり通じない。

言葉は常に移り変わってゆくもので、意味の変遷は避けられない。それはわかっている。しかし、すべからくにすべての意味を持たせる理由なんでないではないか。普段使っている言葉が、別の意味を持とうと変わりゆくその真っ只中で、違和感を覚え、抵抗するのは当然の心情とわかってもらいたい。
なお、私も無知ゆえに言葉の誤用があるでしょうが、指摘あれば随時直してゆきたいと思っています。



新聞社が一般にすべからくの誤用を泳がせているのかどうかは知らないが、確実に広めた毒は、当用漢字表のおかしな厳守による交ぜ書きである。
・交ぜ書きで何が悪い、明治より前ならば交ぜ書きはあって、非交ぜ書きこそ伝統的ではない。
・漢字に通じている人ばかりではない。彼らを遠ざける。
そういう声がある。しかし、交ぜ書きで何が悪いって字面が間抜けなのが悪い。
「信ぴょう性」「操だ」「破たん」「覚せい剤」「ら旋」「ら致」「更てつ」「さいたま市」「「南アルプス市」……。
まったく美的感覚の問題で個人の好き好きだから、何と言われようと私にはこれが間抜けに見えます。
そして、漢字の多用が読者を遠ざけるという理由。識字率の高い日本で何を言う。ルビを振ればよい。よもや平仮名までも読めぬ人に配慮しての交ぜ書きとは言わせぬ。明治時代の新聞には総ルビがあったのだよ。新聞社が手間を惜しんでそれを無くしたのだと山本夏彦は書いていた。すべからく高級意識は呉智英が書いてた。私の書くことは大抵両者からの受け売りそのままだが、それに納得しての受け売りであるし、両者の名を伏せて書いては自分の手柄だと吹聴しているようで恥かしい。また山本と呉かと思われるだろうが御勘弁のほどを。いっそ二人の本だけ読んで私のブログは読まないでください。このブログからは私の愚かさを確認する以外に得るものがありません。


拉致の拉が難しい? 読めない人がいる?
「闘将!!拉麺男」は子供向けの漫画アニメだ。私はそらで麺を書けなかったが、「拉」を書けた。わけのわからぬ漢字言葉満載の「魁!!男塾」だって、夢中で読んだ。男爵ディーノの最後に胸を熱くした。
そう、少年漫画にはルビが振ってある。新聞もそうせよ。コストがかかる、紙面が硬くなって読者が離れる、なんてのは単に経営上の問題であって、私は言いたいのは、日本語の在り方としての表記のことなんです。



08/05/30追記

記者が「すべからく」に当然・義務の意味を込めていたのならば、それを全部と断じたのは私の先走りです。そうだったらごめんね。
posted by ヨシノブ at 23:48| Comment(4) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

不幸体質


前回の大会の終了からクリスマスボウルがはじまるまでが、体感的には急展開すぎる。事前に相手チームをもっと掘り下げてよかったんじゃないの? 試合中においおい回想シーンが、膨大な量ではいっていくのだろう。もしくは具体的な連載終了時期が決まって、そこに合わせて展開を早めたのか。
長期連載作品には作者が結末をちゃんと書けるように、早めに終了時期が伝えられるそうだ。ぬーべーは3ヶ月前に伝えられたと単行本に書いてあったと思うが、時期の具体的数字に自信がない。ぬらりひょんの孫をみるたびに、ぬーべー来て!と思います。別誌でいずなが連載中ですが。そして子供たちに変な武装をさせるのはやめてほしかったです。

月光条例がいまいちなのは、どんなに破壊があろうとも敵を倒せば元通りになってしまう点だ。破壊の不可逆性がスリルを生み、破壊を覆すからカタルシスが生まれる。「全部なかったことになります」が前提では、スリルもカタルシスもない。
いい画を描いているし、今後、破壊の取り返しがつかない状況になって緊迫感が生まれる展開が用意されていると思うので、期待はしている。藤田だもの、生ぬるい話でおわるはずがない。
それと毎回のようにこれまでのあらすじを入れるのは、必要ない。



板垣先生、克己があまりにも不憫です。
思い返せば、彼はその生い立ちからして不憫でありました。
空手と己の強さへの自負は、烈海王の前に崩れました。その烈を師として迎え入れた人の良さや合理的思考は、今思えば、常に不幸からの最善手を実行する悲しい賢明であったのかもれません。父親を殺された直後、その敵であるライオンを優しく宥めた幼年期のように。
命の遣り取りに始まり、やがて奇妙な友情を結んだ死刑囚ドイルに克己は逃亡のお膳立てをしますが、その直後にドイルは襲撃され、逃走し潜伏するも間もなく拘束。克己はそれを知っているのでしょうか。
勇次郎には甘さを指摘され、独歩を超えられぬ自分に煩悶し、弛まぬ鍛錬を積み、技に磨きをかけ、不意を撃つとはいえ独歩に膝をつかせ、いよいよここから!
それが、まるで意中の女を恋敵らに取られるように。それも、相思相愛のように。
優しい義母も、その安否は不明なままです。



しーんく、セックスしよ!
posted by ヨシノブ at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

エーゲ海の新茶

時事放談で中曽根康弘が卒寿を祝われていた。番組からはどこかの名店の、パイのように丸く整形された玉子焼き(らしい)に、バースデーケーキのように「祝卒寿」と書かれたプレートが乗ったやつが用意され、長寿の秘訣トークで冒頭を飾った。私は眠かったので記憶が曖昧です。
68キロ。深呼吸して空気を肺いっぱいに吸い込み、背骨を伸ばし体を大事にしている。
朝は野菜を食べ、昼はそばを食べていると言っていたような。

番組から注文されて一句。

 長旅も 卒寿も 新茶も 夢の中

人生長いあいだ旅してきた。長旅も、卒寿も、今日のお祝いも、新しく頂いている茶も、全部は夢の中にあるんだ。そういう感じ、ですね。まあ、これは下手な俳句ですけど。と本人が解説。
新茶は「しんじゅ」と読んでいた。小島慶子が小さく「まあ、そうなんだ」。

中曽根は政界きっての俳人だが、句に疎い私はその作品をこれしか知らない。

 ひさかたの 茶のぬくもりや けさの秋

「ひさかたの」は本来、天・雨・月・雪・雲など天に関する言葉にかかる枕詞。空としての天だけではなく、意味を広げて都・岩戸にもかかる。
茶にかかる枕詞ではない。呉智英に扱き下ろされていたが、何に対してであれ、そこに天とも呼べるような普遍的な世界やその法則を見出すことができる。世は万物斉同にして万古不易であるからだ。そう拡大解釈をすれば、ひさかたを枕詞に茶を引き出しても間違いではない。中曽根はこの見解を意識したうえで、これを詠んでいる。
枕詞の誤用とするか、許容範囲の拡大解釈とするか。この一句は現在の憲法九条運用の是非を、静かに問うているのだ。仮に中曽根が違うといっても、俺がこういっているのだから間違いない。
枕詞の是非を憲法の是非に結びつけるなんて、的を外している。そんな声もあるだろう。俺もそう思う。
posted by ヨシノブ at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

ベルツマンの研究

ベルツマンは間違いなく人類の知の最先端に立っている。資産家の家に生まれ、潤沢な財産を惜しみなく使い、生命維持に必要な活動以外の時間を学問に充て続け、45歳にして人類が積み上げた自然科学、社会科学、人文科学をほぼ全て修めた。この間、一切独自の研究をしなかったベルツマンは、修めた学問を縦横無尽に組み合わせ、それまでの鬱憤を晴らすかのように次々と革新的な研究論文を発表した。無名な男の奇想天外な論文は、一部の物好きへ強い疑いと嘲笑をもって迎え入れられ、驚きと共に世界中の学者へと送り出された。学者たちは検証の結果その内容に間違いがないことを確認し、やがて学問を志す者でベルツマンの名を知らぬ者はいなくなった。

ただただ学問を窮めんとしていたベルツマンは、54歳の時に大きく方針を変える。これまでの研究を活かして膨大な特許を取り、医療器具開発メーカー`22`(two-two)を設立、その後あらゆる異業種へ参入を果たし、世界一の複合企業のトップに就いた。誰も見向きもしなかった二束三文の土地を買い取り、世界有数の油田に変えたことも数度ある。歴史上、これほど知と金を持つ人間はいなかった。
67歳を迎えたベルツマンは順調に業績を上げ続けながらも、`22`を部下に譲り渡して突如実業界から引退する。彼はその理由を、研究に必要な費用が集まったからだとだけ語った。世間は天才は変人であるという典型的なイメージを一層強くした。ベルツマンの資産は膨大かつ複雑な管理をされており、そのすべてを把握しているのは本人しかいない。ベルツマンを追いかけている或るジャーナリストは、彼はどの国家よりも金を持っていると語っている。
ベルツマンは企業で得た資金と情報で優秀な人材を数多く雇い、即金で都市ひとつぶんの土地を買い、その地上と地下を研究関連施設と研究員で埋めた。人々は彼が何を始めたのかを知りたがった。引退後、ベルツマンが表に出ることはなく、その活動も公式には居住型宇宙ステーションの開発と発表されたが、これまでの活躍が嘘のように何の成果も報告されないために、本当は別の研究をしているに違いないと噂された。それも、時間を自由に行き来するタイムマシンを開発しているという荒唐無稽な噂が、誰からともなく囁かれていたのであった。

ベルツマンは52歳のとき、人類の知のすべてをつなぎ合わせた先に、時間を越える手段の存在を発見した。それは銀河系の惑星配列による各惑星の重力の微々たる影響までを考慮しなければならないのを手始めに、幾つもの繊細な条件が伴うもので、惑星の重力を随時測定・算出する施設を建設するだけでも、手持ちの資産ではとても足りなかった。彼は実業界に進出する以前、自発的に収入を得たことがなく、生まれつき得ていた資産と研究発表によって得られた資金援助の申し出だけを糧としていた。`22`の設立に、この研究を完成させる資金を得るため以外の理由はない。そしてこの社名は、世間では設立メンバーが22人だったことに由来しているとされているが、その真実はベルツマンが企業の設立を思い立ったのが2月2日であること以外に何も由来しない。
引退後のベルツマンの研究は、その実像から離れた姿で噂された。彼にしても夢のような時間旅行を実現させるのは、とりあえず現在のところは不可能だったのである。彼が理論上可能だとしたのは、粒子の活動で無作為に決定されるおよそ480年から1390年先の未来の、15cm四方以内の何かを現在に転送させる技術であった。転送自体の理論は完璧であったが、不確定性要素が大きすぎて具体的に何を結果として得るのかまでは予測がつかない。せいぜい結果を上部マントル層から大気圏内までの地球上の何処かの何かと絞り込むまでが、ベルツマンの頭脳の限界であった。
ベルツマンがこの研究を秘匿したのは、時空を超え未来に接触するのが危険視され、妨害されるのが明白であるためだ。ベルツマンはこの研究の先に何があろうとも、そこに研究対象とする以外の興味を持たなかった。転送により、もしも未来に被害があったら、または現在に被害があったら、不測の事態に陥ったら、それについて研究したい。転送物によっては自分が死ぬかもしれないが、何も願ってこの世に生まれてきたわけでなし、死ぬならそれでよい。ベルツマンは世間の天才は変人であるという典型的なイメージを、迷惑なほどに全く損なわない人物であった。

ベルツマンが世間から離れて15年たったある日、とうとう全ての準備は整った。最後に完了した準備となったのは惑星の配列で、算出された予測通りの配置と重力値になり、計算では突発的に大規模な変動がない限り、これが前後300年のうちで最も理想的な配列である。ここに問題が生じていれば擬似的なブラックホールを幾つか造って重力の調整を行う予定であったが、その必要はない。
防護服に身を包んだベルツマンは成功を確信し、転送器の前に立った。それは最重要研究施設の地下400mに設置されている、最大15p四方の来客の持つ考え得る限りのあらゆる危険要素をその内部に留め、観察するための加工がなされた、2tトラックを2台並べたくらいの大きな箱で、必要に応じて移動出来るよう実際にタイヤも付いている。
「時は来たれり」
ベルツマンは計器に目をやって異常のないことを確かめると、オペレーターたちに転送開始の指示を与えた。転送が始まる。そして、瞬時に完了した。
箱の内部を探ったデータは確実に何かが転送されていることを示しているが、機器の一部に不測の障害が発生してしまい、それが何かを観測できない。得られたデータからは高熱やガス、ウイルスや放射能反応その他、危険な要素がないであろうことが確認できた。ベルツマンは障害の復旧を待てず、自身の体で観測すべく箱の扉を開けさせた。円形の分厚い扉が転がるように横へずれ、ベルツマンは単身で中へ乗り込む。中央に、立方体の何かがある。15p四方という限度いっぱいに転送されたらしい。どこかの地層のように見える。ベルツマンは持ち込んだ計測機器で、改めて周囲の危険性の有無を調査した。問題がないことを確認し、防護服のヘルメットを脱ぐ。
人類の知を集積したベルツマンにはそれが何か一瞬でわかったが、それを判別するために、人体で可能な限りの最も確実な方法で、確認をとった。
「うんこの味がする」

未来からの転送をそれっきりにして、ベルツマンはそれからの3年を未来うんこの解析に注ぎ、それがおよそ680年先の未来からやって来たひとりの人間の排泄後2分以内のうんこであったことを突き止めた後、次の研究に取り組んで5年後に死んだ。ベルツマンには遺される施設にも人にもまったく関心がなく、当初から死後の土地の管理を何の要望もなく`22`に一任していた。
主要な研究施設群はすべて一時凍結という名目で、実質破棄された。資金の管理をしていたベルツマンを失い、膨大な維持費が誰にも負担出来なかっただけが理由ではない。ベルツマンは各分野ごとに機能を独立させ、研究の全体像が誰にも把握できないように徹底していた。妨害を避けるためであり、危険を知って研究員が逃げないためでもある。雇われた研究員たちは、自分が何のために何をしているのわかっていなかったが、人類史上最初で最後あろう超天才のもとで働ける名誉と、各自の研究が許され、そのために必要な施設も機器も資金も与えられている厚待遇に逆う気はなく、ベルツマンはタイムマシンを作っているんだというジョークを飛ばしながら、指示されたとおりに日夜惑星の重力の観測を行い、擬似ブラックホール発生装置やトラック2台分の不思議な箱、卵型の一人用シェルターのようなものの開発にあたっていたのである。ベルツマン死後、彼主導の研究のための施設は誰にも目的のわからない施設となり、それを有意義に活用できる者もなく、実質的な破棄が決定された。研究員の個人的な研究のために用意された施設は、彼らからの要望もあり、また世界でも最高水準の質を備えていたため、現在も運用されてる。
`22`はこの土地を学術研究都市とすべく、その計画を進行中である。

ベルツマンは死んだが、その最後に立ち会ったという人間は誰もいなかった。そもそも、いつどのようにして死んだのかさえ、はっきりしない。もともと人前に姿を現さず、施設でも一部の人間としか接触しなかった変人である。その最後を語る者もいなければ、葬儀も墓もないことを不審に思う者はいなかった。ベルツマンに雇われていた研究員たちは広義に解釈すれば彼の死の立会人とも言え、それを大きな誇りとした。そして彼のこと語るたびに、その最後を、誰からともなく言い出したこんなジョークで結んだのである。ベルツマンはタイムマシンで未来へ行ったのさ、と。
posted by ヨシノブ at 10:08| Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

赤い眼鏡にゃガッカリだ。

「騙し絵がこわい。だって、描かれたものが別のようにものに見えるんだもの」というのは、エッシャーらではなく、回ってみえる模様、うねるストライプ、そういうので、それだけ聞くとちょっと笑ってしまうが、その後に続く「騙し絵は本当はどうなっているのかわかる人がいるから騙し絵とみんなわかるが、世界中の誰も騙し絵だと気づかない何かがあるかもしれなくて、こわい。視覚を騙すのみでなく、五感のすべてを。そもそも騙し絵の『本当』を誰がわかるの。だっていくら専門家がみたことで、それは錯覚して見えているわけで」まで聞くと、なるほど理屈のある恐怖だ。「宇宙人も、実はそんな騙し絵的に存在しているのではないか。例えば人間にはアイスの棒にしかみえないように」。本人の病的な理屈馬鹿性格が色濃く投影されてる発想で、と書くとそんなに理屈っぽい話かなと思うだろうが、ここに書ききらない彼のあらゆる話を聞けばあなたも理屈馬鹿の病気がわかるはずだが、そこまでの労を執らないことを容赦願いたい。騙し絵を入り口にして彼の言動そのものを俎上に載せたいのだ。これをただの病気と一笑に付す者もいる。それは彼個人へではなくボーダレスアーティストのような『異常』一般にあることで、さあ、注釈が長引いたせいで体感的には急展開、彼の騙し絵観から彼自身に話を広げたところでもう彼個人をも離れてしまった。例えば草間彌生がその精神疾患故に芸術であることを認められなかったように。ここではたと思い当たったのが、太った男が落語で客を笑わせているつもりが実は太っていることを笑われていると気づいて落胆した話を聴いた談志が、それでいいじゃねえか太っていることで笑わせろ。話は返って、あの理屈馬鹿の病的な話を聴いて笑う私は太った落語家のデブを笑っているところなのであった。それでいいじゃんねえ。色川は自身のエキセントリックを気に入っていたがそれが病気の副作用と知って落胆した。病気もその人のうち、狂人であることはあんたの手柄だと読みながら思ったがその時談志のことなんか頭に入れちゃいなかった。なぜこうも談志談志と引き合いに出すのかというと、当時それを頷くことは頷いたんだが、じゃあ俺がその理屈でデブを納得させられるかというと出来そうにないと思いました。そりゃあデブで笑うよ、笑うけれどもデブの本業は噺家で、噺で笑うってのが本筋じゃない。ねえ。それを、ああた、デブのほうは噺で笑わせにかかってるンですから。内心、デブで笑うってのは違うんじゃねえか談志、と思って黙ってショートケーキにも手をつけず。それがちょうど十年前の事で。それからちょうど十年後の今日の晩の事。理屈を考えるより先に俺は今も昔もデブで笑っていたと急にわかったんでさ。やっぱデブで笑って笑わせて、それでいいんじゃんねえ。芸と芸人は不可分じゃと、人間と、人間と対比させた時には何を当てはめたらいいかわからんから、やっぱ芸と芸人にもどって、それはね、不可分なんだと、先に感触がわかっていて今その論理を芯から承知した気がする。考えれば考えるほど当たり前なんだよなァ。誰が芝浜やっても同じではないのは、単に技量に差があるんじゃなくて噺家の色が違うんだよねえ。デブがやったらデブじゃないやつのとは肉の動きが違うし、いくら病気の作用だろうと、それを面白く料理できるのは本人の手柄だし、そいつのどこまでが本人でどこからが病気なのか明確にすっぱりわけられりゃしねえんだから。わけたところでそれがどうした、いつでもどこでも御一緒なさる。しかしデブで笑わせろって談志が言ってるってところに味がある。落語は人間の業の肯定なんだっていう談志の持論にピタリとくるじゃねえか。そういや色川が芸人みてたのもそういうことで、自分と同じ人間が出てる安心感があると。ああ、腹が減ったよ。何を食おうか。(夜の街へ消える)
posted by ヨシノブ at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月21日

かく闘えり

まだ小学校にあがる前の一時期、あれは忍者ごっこの一環だと思うが仔細を忘れた。
最初に自分の変身能力を自己申告する。
ある者がこう言った。「むげん!」
またある者もこう言う。「おれも、むげんね」
やはりある者もこう言った。「むげん」
皆こう言うのである。
即ち忍者たる自分の変身可能な対象は、無限にあると申告しているのだ。
飛行機、車、たっちゃん、じゅんくん、すべり台。虫も獣も何でもござれ、見事変身仕る。
これでどう遊んでいたのか、記憶は忘却の彼方に在る。

私も最初の数回は、負けてはならじと「無限」と申告したのだが、回を追うごとに漠然とした不安を強めていった。無限という数は本当に存在するのだろうか。私は具体的な無限を知らない。無量大数という単位なら知っている。しかし、無量大数も怪しい奴だ。単位として形式的に作られただけで、実際に「何か」が無量大数もあったのだろうか。量を認識するために生まれたのが数という概念なのに、その本懐を飛び出して、悪戯に作られた、存在が確認されていない量を示す無用な単位。それが無量大数なのではないか。
私は知の傲慢に息苦しさを覚えた。そしてむげん主義者たちを軽蔑した。奴らは無限とは何かろくに考えもせず、主体性の無さと対抗意識でむげんを連呼しているに過ぎない。彼らの変身はいつも十種を超えぬ程度で、無限の活用も必要もないのだ。

私はこの息苦しさを解消する手段は、誠実しかないと考えた。
自分が本当にその存在を信用し証明出来得る範囲の数で、申告しよう。本当は変身能力なんて二十もあれば足りるのだけれど、相手は不逞の輩なれば油断は出来ぬ。私が認識する最大の数で挑もう。
百、二百、三百。まだ少ない。最も大きい数は何か。実在する最も大きい数とは……。

決戦の日は来た。
「おれはへんしんできるの、むげん!」「おれもむげん!」「むげん!」
嗚呼、今日も青い空の真下で、誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ。
彼奴らに、これまでの私の惰弱に、反旗を翻す。虚妄蔓延る忍者界に今こそ実存の革命を起こす。
私はきっぱりとこう申告した。
「二千」
持ちうる限りの最大戦力で仕掛けた。名目上、無限には劣るが、これだけの能力が在れば実戦で不自由することは無い。第一、敵のは所詮迷信のような戦力である。私の実体の伴った戦力の前に、重みある真の数字というものを知って往ぬがよい。
滅びよ。

ところが相手は誠実さどころか、知性のかけらもなかった。
「にせん!」「にせんだって!」「たったにせん!」
己の立場も二千の大きさも理解せず、嘲笑を浴びせたのである。知性の光届かぬ暗愚の様態に、窮地に陥った私は怯んだ。そこを衝いて、結託した蛮族どもは理不尽な要求を突き付けた。
「にせんしかへんしんできないやつは、木にしかへんしんできないことにするね」
自己申告した数がそのまま変身能力となる忍者界の掟を、根底から覆す暴論である。いくら愚かであろうとも、奴らも忍者の端くれだと思っていたのだが、ここまで堕落していたのか。
無論、徹底抗戦である。これ以上奴らに忍者を名乗らせるわけにはいかない。皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ。
私は気力を奮い立たせ、この魔境を敵陣に吶喊した。

 ――――まぶしいほど、青い空の真下で。



 
posted by ヨシノブ at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

グロリア

リンプビズキットのフレッド・ダースト(Fred Durst)を、いつのまにかダーストン(Durston)だと思っていた。さらにウェス・ボーランドが再脱退していたことを知らなかった。
10年くらい前、リンプ公式ページ(http://www.limpbizkit.com/ 現在は消滅?)に写真コーナーがあり、メンバーの写真(バカでかいアフロのフレッドとか)に混じって一枚だけ綾波レイの画像があって、Fred's girl friend と書かれていた。稀にウェスを目の病気だと思っている人がいる。某掲示板で本当にいたんだよ。


エミネムのgirlsの最後、「ミニスカポリス」と言っているように聴こえてぞわぞわする。「ミニスカウォーズ」にも聴こえる。原音は music awards。


マーティー・フリードマンはずっと元メタリカだと思っていた。最初はメガデスと覚えたはずだが、記憶がだんだんとメタリカへシフトしていたのだ。メガデスなんてスタンドみたことねえんだもん。




posted by ヨシノブ at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

思い出そっくり

思い出そっくり 出久根達郎  文春文庫

名前は知っているがちゃんと読んだことはない人。雑誌コラムでぽつぽつよ読んだことはあるのだが。
営む古本屋のこと、本の思い出、書評、創作小話など。

私が面白かったのは、「室内」に載ったコラムが五つ収められていて、それがそれまでの出久根の文体と少し違って山本夏彦っぽいところだ。
タイトルからしてそうである。「歩くことなくなった暮し」「いつの間にか見られている」「怪しや病室に冷蔵庫がある」「弁当みればすべてがわかる」「墓を持ってもうれしくない」。もう山本そのまま。中の文章も、それまで多かった柔らかく丸みを帯びたものから、少し冷めた山本らしいものばかりになっている。紙面にあわせて文体を書き分けているのだろうが、タイトルのつけ方があからさまに山本すぎる。関川夏央が室内に載せた「家はあれども帰るを得ず」のタイトルも随分と山本らしかった。もしかしたら、山本が少し朱を入れているのかもしれない。
posted by ヨシノブ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

一人の老人の無駄とも思える日々の積み重ねが、人々の心を救った。



ある日、村はずれの山に大きなうんこが乗っていました。
7合目から上ぜんぶがうんこという有様でした。
どうみてもうんこですが、こんなうんこがあるはずありません。
村一番の古老が、本当にうんこなのかたしかめに行きました。
帰ってきた古老は「たしかにうんこの味がする」と言いました。本当にうんこだったのです。
その日から、ひとりふたりと人々は村を去りはじめました。身近に巨大なうんこがあるストレスに、常人の神経は耐えられないのです。最後まで村に残ったのはひとりだけでした。それは、あの古老でした。
古老はあの日から毎日山へ出かけては、あれがうんこかどうかを確かめていました。
毎日うんこでした。

村を出た人々は散り散りになって、それぞれ新しい場所で生活を始めました。
ところが困ったことが起きました。村を出る理由となった大きなうんこの話をしても、誰も信じてくれないのです。うんこ村の人々はホラ吹きだと言われ続け、とうとう自分でもあれが本当にうんこなのか信じられなくなってしまい、村へと帰っていきました。
村へ帰って古老にたしかめてみると、古老は「毎日うんこの味がする」と言いました。本当にうんこだったのです。
村人は安心して、村を去りました。古老だけは村に残って、毎日うんこか確認をしました。
毎日うんこでした。
posted by ヨシノブ at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

08/05/14

私は死刑そのものに賛成(現制度を変えていいと思っている)で、反対派の理由に納得できないのがいくつかあり、そのひとつは、そもそも人を殺してはいけないから死刑は駄目だという倫理(?)だ。
人間であるというだけで、何をどれだけやろうと殺してはならぬほどに尊厳というのがあるのだろうか。人間は自分の都合で他の生物の命を奪いつづけるが、人間の命だけは絶対に死守しなければいけないのだろうか。ただ人間に生まれてきただけで、絶対的に命の保障をすべき特権階級なのだろうか。他の動物には同族殺しをするものがある。
内緒にしていたけれど、私は人間がそんなに尊いものだとは思っていない。(05/17追記:どんなに罪があろうとも死刑にはあたらぬほどに尊いとは思わぬ」の意味です)
暇つぶしに手当たり次第10人殺した人が死刑を宣告されて、「そりゃないぜ」って言っても、お前はそれ以上のことやってるじゃねえか、なんでお前が殺されるのがダメなんだよう、って思う。
posted by ヨシノブ at 07:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

08/05/13

誰が確認をとるわけでもなく、集団内の人物の位置づけが無言のうちに決定されていることがある。
同じ小学校のC子さんは、クラス内で「オシャレでちょっと可愛い」とみなされていた。でも今思い出してみたら、そうでもない。

MOTHER2というRPGゲームに、「そまつなパン」という体力回復アイテムが出てくる。あっても困らないが、なくても困らない。大して回復しないし、持てるアイテム数は有限なので、むしろ実用価値がない。ただ、非売品でふたつしか手に入らないし、名前が面白く、コレクターアイテム的価値がある。MOTHERにはこの手のアイテムがたくさん出てくる。
ゲーム内にこのアイテムの画像は出てこない。でも、今思い出してみたら、C子さんはそまつなパンみたいな顔をしていた。そこで改めて評価してみると、彼女は「キッズなオシャレのそまつなパン」だった。

人物の死後、再評価が行われ、生前と逆の評価をされることがある。
それは、こういうことなのだろう。
posted by ヨシノブ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

08/05/12

書きたいことはあるが手が進まない。手が空いてるときには書きたいことがない。


生涯に於いて、他人と会話した時間より独り言の時間のほうが長い。


戦車の紹介をしているのかと思ったら架空戦記だった。
<大韓民国の国防力>世界最高の戦車“黒豹
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99851&servcode=500§code=510


そういえば半島が統一されないのは、韓国に中国との緩衝地帯を求める声が増えたのが一因とか。
中国が怖いのは今に始まったことではないのに、と思う。
統一に背を向ける韓国――恐中論が加速(2007/2/14)
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/20070213n5a2d000_13.html


サイバラの近所に福本伸行が住んでいる。
http://ameblo.jp/saibararieko/entry-10096101638.html


こわれ者の祭典のイベントタイトル(?)に「ストップ!硫化水素自殺」。
巻き込み事故防止を訴えて自殺自体は否定していないのかと思ったら、そうではなかった。
じゃあ「ストップ!自殺」でいいじゃないすか。硫化水素は手段であって、目的は自殺で、手段はほかにもあるのに、硫化水素にストップをかけても、ね。
http://koware.moo.jp/
私も自殺したいといえばしたいのだが、「こわれ者」に列記されているような強いハンデを抱えていないせいか、この祭典に近寄りがたい。ああ、そもそも参加資格がないのか。(引きこもりの気はあるんだが)
そういえば「だめ連」もどこか嫌だった。
落伍者仲間は欲しいのだけど、自分のことはあまり話したくないし、引きこもりの性分だし、無理か。


長机に椅子が12345と並んであり、2と5に人がいて、何も考えずに3へ座った。
2の人が用を済ませるために一旦席を外した。戻ってきて座ったのが1の椅子。
……。
この心のざわめきは、被害妄想だろうか。わかるんだよ。わかるのだけれど。
2は若い女性だった。


なぞなぞ。まずいけどうまいものって、なーんだ。
こたえ↓
・減量中に意思の弱さから食ってしまうもの
・愛情のこもった料理(モンモンモン思い出したので追加。モンモンは大好きな漫画だったが、周囲に理解者がI君ひとりしかいなかったため、寂しかった。I君とはサルコップやめがねマンの話で意気投合し、後にマキバオーでサンダーボルト死去の報を知ってその思い出を語った。本格的に面白くなるのは2巻からだと思う。マキバオーも同様。単行本書き下ろし最終話には泣いた。)
posted by ヨシノブ at 05:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月12日

成り済まし詐欺

ここ数年の内に出来た焼肉屋の前を親父と通った時に、親父に妙なことを言われた。
ここに家族3人で食べに来たことがあるというのだ。
私はその店に一歩たりと足を踏み入れたことはない。
別の店ではないか、と問うと、馬鹿にしたような顔で、ここに来たじゃないか、開店した頃半額サービスがあって来てみたら行列が出来とって、肉も中々こないでお前は漫画を読んじょった、肉を大目に頼んでしまって、最後に豚肉を少し残したじゃないか、行列には○○さんも来ていたがあんまり列が長いものだから途中で帰った、と言う。
まるで覚えがない。いつの頃かと聞くと、1年か2年前、と漠然としているし、季節もはっきりしない。
本当に覚えていないのか、といわれる。本当に覚えていない。
お前は漫画を読んじょったではないか、といわれる。それは持参のものか、店の物か。
店の物じゃった、といわれる。まったく記憶にない。
まったく記憶にないのだが、来たことがあるはずだと言われ続けていると、頭の中に店の内装や漫画を読んでいる自分の姿が少しづつ浮かんでくる。でも記憶はない。
親父は勝ち誇ったような顔で、行ったことがあるに千円賭ける、お前も賭けろ、と言う。
自分の過去に自信が持てないまま賭けにのる。
家に帰って、同じ焼肉屋に行ったとされる母に事実はどうだったのか尋ねると、親父に向かって呆れたように「私とお父さんの二人で行ったじゃないの」という。父驚く。
こうして私の所持金は目出度く千円増えたのである。
親父はきっと、私の偽者をみたのだと思う。私の偽者が私のふりをして親父を騙し、漫画を読んだり肉を食ったりしたのだ。たまにはそういうこともある。母は騙されたことを忘れているのだろう。
posted by ヨシノブ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

08/05/05

母が実家で採れた苺を置いていった。
摘んだままを袋に入れてあり、土がついている。
食べる直前に洗いなさい。水に濡れるとすぐに傷んでしまいますからね」
知っている。母はいつもガスの元栓や戸締りについてもわかりきった注意をしてから帰ってゆく。こちらが承知しているのを承知したうえで、それでも何か言いたくなるのだろう。黙って頷く。

親の知り合いの苺農家某氏は、ケーキに乗った苺が食べられないという。
苺は水に濡らすとすぐに傷んでしまうのに、何日もあんなに綺麗でいられるのには必ずしや何かの薬剤を使っているはずで、不気味である。他の食品でも使われていること、人体にさして影響が無いだろうこと、知っているけど我は苺農家なり、こと苺だけは御勘弁を。人情である。

「これはね、ハッシュドビーフというのよ。ハヤシライスやビーフシチューみたいなもので、御飯にかけて食べてもよいのです」
母はタッパーにいれられたそれを鍋に移し、タッパーを洗って持って帰った。
こちらがハッシュドビーフを知っているのを承知したうえで、それでも何か言いたくなるのだろう、と思って、黙って頷いた。
posted by ヨシノブ at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月09日

05/03/14

NHKの不祥事などを理由にした受信料支払い拒否・保留が2月末現在の暫定値で約56万件に上ったとNHKが発表。その56万には「テレビを撤去した」などの、不祥事に関係なく契約を打ち切ったとする世帯は含まれていないのだろうか。 名目上テレビがないことにしている層がいると思う。

「拾ってきたテレビをコンセントに繋いでないのにNHKが映りマス。
家族友人には見えないようですが、ワタシにはハッキリとにこにこ島がありまして、
にこにこ仲間がいる様子が手に取るようにミエル。ミンナの声も聞こエル。
NHKがみえる。NHKではカミサマもみえる。天国の動く音もキコエル。
悪いヤツが天国にひき潰されてどろどろにマザッテ声をアゲテイルところも映る。
ちゃんと強い光も輝く。
北極と南極を貫く光がカミサマの左目と上目と右目と下目をマッスグに貫イテ、
マッスグにマッスグに光を飲み込む口がNHK。
目を閉じてもNHK.。声をあげればNHK。小指から親指の間にあるNHK。
テレビにNHKが映りマス。NHKを見てる。NHKが見てる。
NHKが出てる。受信したNHKがテレビの穴から溢れて流れテイル。
ワタシの穴からもNHKが溢れてユックリ流れている。
強い光がサシテ、神とワタシはNHKになりまシタ。
にこにこ島がありまして、にこにこ仲間がワタシです。NHK。NHK。
ワタシはNHKを受信した。収束するNHKがワタシ。拡散するワタシがNHK。
今や受信契約を結ぶ。契約をシタイ。NHKシタイ。」

って電話をかけたらNHKは契約してくれるのだろうか。
posted by ヨシノブ at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新連載鷲巣

近マオリジナルにて、鷲巣巌を主人公に新連載の予告。
鷲巣はここ10年くらい(誰がこんな長丁場を予想しただろうか)アカギ麻雀を打ち続けているところ。
作画は原恵一郎。「凌ぎの哲」を描いていた人である。凌ぎの哲は結構好きだった。ドサ健の髪型が尻みたいになっていたけど。
アニメ版アカギ最終話での、アカギとのふてぶてしいやりとり(もっと血を抜け云々)に負けないような、いい漫画にして欲しい。


あと日本にパンダ要るか?
posted by ヨシノブ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月08日

08/05/07

いつでも心穏やかに死ねるようになりたい
posted by ヨシノブ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

秘密外の○○

個人的な備忘録のつもりなんで……。
軽く日記をつけてみようかな、なんて……。

私はそういう言い訳はしない。はっきり言おう。
大人気ブログになりたい。
書籍化したい。もちろん売れたし。
○○○○○○とか○○○○○○が売れるのならば、私のブログだってそこそこいくはずだ。
人気のあるブログになるためには、あと何が必要か。もうこれしかない。エロだ。
今回はアダルト要素を組み込むことによって、実りある印税生活への第一歩を踏み出したい。
あとモテモテになりたい。女の子とちゅっちゅしたい。



 注意

今回は未成年には有害な情報を取り扱っておりますので、未成年の閲覧を禁止致します。
また、成年であっても性情報への不快・嫌悪をお持ちの方には閲覧を禁じます。
当方は一切の責任を負いません。














yamada01.jpg


山田花○とSEXでございます!@

激ヤバ激似熟女とやっちまってもいいんですかSP!山田花●に激似、しかも妊婦!?ってだいじょうぶなのかっ!?ある意味究極、超マニアなアナタには見て欲しい!っていうかこれは見とくべき!!

http://www.dmm.co.jp/mono/vhs/-/detail/=/cid=36xyg01/

「細かいことは見ればわかるさ」とあるが、たかだか60分でこのビデオへの疑問が解決されるわけがない。「白鳥麗子でございます!」の主演は鈴木保奈美(TBS)と松雪泰子(フジ)あったが、この度は山田花○である。激似なのに似ていないので激ヤバ。それでいてTHE HARD SEX。THE HARD SEX。なんと力強い言葉か。THE HARD SEX。日本が戦争に負けるわけである。私はこんなSEXが国から許されているのを知らなかった。パケ裏を薄目で見ると、左下の写真がえりごりあんに出てくるキノコっぽく見えてくる。(乳首が目)
な、何かを感じとったらしいぞ!?






@があればAもあるわけで、同時発売されたのこれだ。
















00ki02pl.jpg

大木凡○とSEXでございます!A

激ヤバ激似熟女とやっちまってもいいんですかSP!大木凡●に激似、ものすごいインパクトで超絶かあちゃん登場!てか大木凡●って男じゃん…。う〜ん、でも似てるんですよこれが!!(笑)ある意味究極、超マニアなアナタには見て欲しい!っていうかこれは見とくべき!!

http://www.dmm.co.jp/mono/vhs/-/detail/=/cid=36xyg02/

もうとにかく似ていることを武器に、大儀も問わず戦場へ躍り出た愚者か勇者か。男は常に目の前の女がSEXの対象であるか否かを問うている。時には苦しい戦いもある。しかし、「年齢がアレだけど、こんなに綺麗なら」「確かに顔はね。でもおっぱいの形が最高」「いや、声がいいんだ。これは鳴かせてみたい」「肉付きのいいほうが抱き心地がいいんだよ」「むしろ、これはこれで」と勝機を伺い、その戦を夢想し、これに打ち勝とうとする。されどここに現れたるは、メガネでも熟女でもなく、大木凡○を主砲に仕掛けてきよる。それって男じゃん。予想外の特殊戦を迫られた男は一も二もなく敵前逃亡するのであった。THE HARD SEX。
posted by ヨシノブ at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

座り込む奇妙な花

水谷豊が出演した「SONGS」を3度見たが、実によい。
水谷は歌が下手である。しかしその自覚がないかのように、ノリノリ(大変恥ずかしい表現で躊躇したが、これが最も的確な表現である)で歌うのだ。これがいい。水谷の人柄の良さが歌を通じて溢れている。
彼が歌うときには、その歌の主人公になりきって歌っているのだと、仄聞したことがある。
私が感じた水谷の人柄の良さは、本当はその歌の主人公のものなのだろう。それを実在の人物のものに感じさせたのなら役者が上手いということで、水谷自身の内面が出ているのならそれはそれでよく、どちらに転んでも不満はない。
歌うことも演技とするならば、時折見せるかわいらしさは、意図せぬ副産物だろうか。
水谷自身の落ち着いた大人の声で語られるナレーションと、歌自体のかっこよさ、下手な歌唱のかっこわるさが相まって、水谷は時折かわいらしいのだ。更に昔の自分の映像や、歌詞にあわせての、まるで「楽しくて仕方がない」かのような笑顔をみせるものだから、尚のこと拍車がかかる。
明け透け一目瞭然の、かっこよさとかっこわるさの大きな落差。どういうつもりなのだろう。


2006年トリノ冬季五輪開会式、ルチアーノ・パバロッティはオーケストラを従えてアリア「誰も寝てはならぬ」を『歌った』。しかし実際にはパバロッティの健康状態を考慮し、事前に録音したものに合わせて『歌っているふり』をしていたのだと、指揮者レオーネ・マジエラが後に明らかにした。オーケストラも『演奏しているふり』だったという。


私が思い出したのは、デビット・リンチ監督の映画「マルホランド・ドライブ」で最も好きな場面だ。主人公と友人はクラブのステージに立った女の情感豊かな歌に感動して涙を流す。突然女は倒れる。女に駆け寄るスタッフ。怪しや、歌はまだ続いている。何事かと訝しがる主人公ら。慌しいステージに隠されていた音楽再生機器があらわになる。涙を流し声を震わせて『歌った』あの女は、本当は『歌っているふり』をしていたのだ。
ステージの司会者は「全てはまやかし」と言う。


伊丹十三「音楽というのは耳や鼓膜のために書かれたのではない。心に向かって書かれたのだということを今一度思い出していただきたいと思うのです。」


全てまやかしなのは、他人だけではない。自分の心だって、一体どれだけがまやかしではないと言えるのだろう。自分とは何か。哲学も宗教もこれを問い、その解釈は深くなれば深くなるほど難解になる。難解と思うのは、それだけ自分が何か把握できていないからである。自分だけはまやかしでないと、何故断言出来ようか。


まやかしに浸りきって、それでも我らは音楽から離れられない。
音楽には、何かまやかしではないものがあるかのように思っている。そんなこと、わかるものか。


電波に乗ってやって来た水谷豊が、どういうつもりでノリノリだったのか、誰にもわかりはしない。どこまでが演技で何が本音か、知る術はない。それでも歌を聴くのだ。聴いてしまうのだ。


「わからないことばかり でも安心できるの」(マカロニ/Perfume)
posted by ヨシノブ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

05/01/25

美味しいもの」について考えると、いつもこの話を思い出す。
昔、学校の図書室の本で読んだ小説
一場面のみ、あやふやに覚えている。

主人公は案内されて、ある部屋を壁の裏から覗き見する。
その部屋には何人もの美食家が集まっていて、普通の人が食べられないようなあらゆる美味しい料理を食べている最中だった。
食事が一段落すると、美食家たちはそれぞれ嘔吐を始めた。
それが一段落すると、また料理が運ばれてきた。
嘔吐は胃袋を空にして、また食べれるようにする為だったのだ。
こうして美食家たちは際限なく食事をしている。
と、そこまでは豪華な料理だったのに、急に鮭のほぐした身が入っただけの粥が運ばれてくる。
美食家たちは粗末なものをだされて不平を言うが、口をつけてみると、
これがとんでもなく美味くて驚き、次々におかわりをする。
次に彼らは、いくら粥を食べても腹が膨れないことに驚く。
美味しいのと幾らでも食べれることに悦び、美食家たちは貪るように粥を食べ……。

この場面の前後、小説のタイトル、作者は完全に忘れた。
でも、いまでもこの場面を思い出してこの粥を食べたくなることがある。
posted by ヨシノブ at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

****を守って

05/01/24

NHKで憲法を考えるシリーズをやっている。
前回は自衛発足の経緯を主体とした番組だったが、少し左がかった印象を受けた。
今回は九条の改正是非を巡り、スタジオに客を入れて、是非双方の立場の出席者に議論をさせるという内容。この一員に久しく見かけなかった土井たか子大先生が名を連ねていて驚いた。
土井さん、後日拉致問題についての特集にお出でくださいね。

番組中、画面下部に視聴者からのメッセージが表示されたりされなかったりする。
その中に面白メッセージを発見。

 23歳で戦死した叔父が、「憲法九条を守って」と訴えていると感じる。  67歳 女性

おい! そんなフィーリングで憲法議論に参加しないでくれよ。
これを放送したNHKは、死後も意志が存在しており、そこには耳を傾けるべき意見が存在していると認めているのだろうな。これは意見を言わなければ損である。私も祖父や叔父にNHKに意見を寄せるよう墓前で報告しておこう。そのうち死者から選挙権を取り上げるのはおかしいのではないかという議論も出てくることだろう。生きてる人の組織票より死者の票がモノを言う時代になり、公職の候補者、公職の候補者となろうとする人、現に公職にある人、そしてその後援団体は、選挙区内の墓に対してお供えをすることが原則として禁止されると思う。 票の取りまとめをして逮捕される坊主等出現の予感。
しかし、すげえなあ。勉強熱心な死者だよ。
自分が死んだ後に成立した日本国憲法について知ってたり、その憲法維持を主張したりするんだから。
私も死んでから日本の行く末を憂いたり、親戚に政治的意見を伝えたりするのだろうか。
「おばけにゃ会社も仕事もなんにもない」とはゲゲゲの鬼太郎主題歌2番の歌詞であるが、 幽霊はなかなか忙しそうである。霊界にも市民団体がありそうな気がしてきた。
霊界裁判所へ集団訴訟でも起こしているのでしょうか。 鬼太郎で妖怪大裁判ってあったな。あんな感じか。
…あっ、私も死者の声を感じるぞ! 内村鑑三が、「平和な時の平和論」と言ってると感じる!
あとこの67歳女性は「ぼくの地球を守って」ファンではないかと推測する。
前世とか聞いてみたら面白いことを言い出すかもしれない。

最後に視聴者の意見を紹介して番組は終わった。
その際、意見を読み上げる司会者へカメラが寄っていった時に、マイクのゴソゴソする音と、おたかさんの「あれれ、もう終わっちゃう」って小声が入ってて笑った。
posted by ヨシノブ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

とても理解できません

現在、児童ボルノとして規制する対象に漫画やアニメなどを含めるか否かの議論は、「被害児童が実在しない」という意見が勝って規制が見送られた。
いつか規制対象になるのではないかと私はみている。

児童ポルノに関連して多くの人の頭を掠めるのが宮崎勤であろう。
彼こそがオタクとロリコンの体現者であり、他のオタクやロリコンも大なり小なり宮崎勤であり、変態であり変質者であり潜在的犯罪者であり、人間のクズである。宮崎勤事件の報道は、このような世間的風潮を作り出した。
今でこそ、事件の記憶が色褪せてきたこともあり、笑い者にされながらもオタクはかなりの汚名を雪いだが、宮崎勤との同一視を完全に払拭したとは言い切れず、ロリコンに至ってはその対象が実在・架空を問わず、実際に児童に被害を与えたか、与える気はあるのかの問答も無用に人間のクズとされている。ここでのオタクやロリコンの定義を求める声もあろうが、世間はそんなことまで気にしてくれない。なんだかオタクっぽいのはオタクで、ロリコンじみているやつはロリコンだと見る。

ビデオで埋め尽くされた壁、積まれた雑誌。宮崎勤の部屋は気違い性犯罪者に相応しくおぞましいもので埋め尽くされていた、ということになったが、それはマスコミの作り上げたイメージで、実はそれほどではなかった点については、イメージを作り上げた時ほどには熱心に伝えられていない。
実像と異なっていても、それは「誤解」なので、「仕方ないかもしれない」ことだからだ。

以下は「格闘する読売ウイークリー編集部」というブログに2005年11月12日に掲載された一文である。


いったいどうなっているのか

女子高生がタリウムを母親に飲ませたかと思えば、
今日は同級生の女の子を殺した疑いで高1の男子が逮捕。
いったい、どうなっているのでしょう。
とても理解できません。

10年ほど社会部にいたので随分事件取材もやらされました。
警視庁記者クラブでは、
詐欺とか汚職などの知能犯を扱う捜査2課の担当だったせいで、
その後もそんな事件ばかり取材しました。
知能犯ですから、頭を使った犯罪なのですが、
動機はほとんどが「お金」。
その点では、大変わかりやすいのです。

理解不能と思った事件も、多くはありませんが、経験しました。
忘れられないのは、平成元年の「宮崎勤事件」です。
幼女4人の連続誘拐殺人。
オウム以前の、戦後最大の事件かもしれません。

ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
宮崎勤が逮捕されたという一報で、
五日市町の彼の自宅に急行しました。

なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3−4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
5,6人の記者でじゃんけん。
で、私が一番になった、というわけです。

部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです。
テレビとビデオデッキが3−4台あったと記憶しています。
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。

おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。

なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。

その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。

ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
それでもやっぱり、事実とは違ったのです。
高校生逮捕の夕刊を見て、
そんなことを思い出しました。
(苦悶デスクこと・木村透)



記事そのもののは何故か消えてしまっている。(TOP:http://yomiuriweekly1.hontsuna.net/
文章の一部で検索すれば、これを扱ったページが幾つも出てくるので、記事が存在したのは信用して貰えるだろう。
いったいどうなっているのか。
圧力でもかかったのだろうか。
この闇に葬られた言論と報道の格闘史を急に思い出したので、今日はこれを書いてみた。
posted by ヨシノブ at 22:27| Comment(1) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする