2008年04月30日

08/04/30

ヨーロッパの、古風な建築技術を大事に、現代技術がその調和を崩さぬようにゆっくりと忍耐強く浸透しているが、決して主役に取って代わろうとせず、威厳と優雅を感じさせる、紅茶のような色合いの街であった。
時間が緩やかに流れている。人は多いが、混雑はしていない。私が褐色の肌をした友人と共にいるのは、緩やかに広い階段の上、ホールの出入り口前のような場所。街の案内板がある。都会の一角だ。
ホールを背に、目の前の高い建物は弁護士事務所である。ホールと弁護士事務所に挟まれた太い道路を右へ進んで、突き当たった道路を左に曲がってあるのはオペラハウスだ。傍には広い公園がある。

私らは知っている。直にこの街で始まることを。
既に予兆は現れている。人々の中に、人ではないものが混じり始めた。黒い球体を頭に、それより小さな球体のパーツを太い線で繋いだ生物。突き出た目を持ち、触手を蠢かせる紫色の生物。常人の2倍はあろうかという背丈の細長いのっぺらぼう。他にも一目見てわかる異生物。これらは全部宇宙人である。今はまだ始まるのを待って人々の中で時間を潰している。
MOTHER2みたいだと、私は静かに興奮している。もうすぐ始まるのだ。

人にも街にも何の変化もないが、それは合図もなく突然始まった。
まずは役に立つ道具をそろえなければならない。私と友人は捨てられた机の引き出しから、何か大層な名前のついたコンパクトを五つ見つけた。ああ、これは光を反射させて敵の目を眩ませるものだ。これで戦闘の援護ができる。五つとも持って行こうとしたが、友人が二つでいいという。荷物にはまだ余裕があるのに。
別の引き出しからは、同じくコンパクトのような開閉式の何かが出てきた。
液晶画面とたくさんのボタンがついている。操作してみる。
これは大変なものを拾った。これには宇宙人の言葉を翻訳する機能があるばかりか、敵の名前やHPなども表示される。友人とひとつずつ持つ。

あとは強い敵を避けつつレベルアップだ。武器や防具も要る。まずはどのあたりから進めればよいか。思案していると、スーツを着た背の高い黒人が話しかけて来、オペラハウスがどこかと英語で訊いてくる。オペラハウス。あのあたりにあったはずだ。しかし私には英語が話せない。面倒なので直接連れて行くことにした。人助けはRPGの基本である。
拳が胸の前に来るように私は右腕を、友人は左腕を曲げて、その両腕に黒人を座らせ、輿を担ぐように歩く。重くもなく軽くもなく。
階段を下りる。友人が口を開く。
「オペラハウスには週に一度は行くんだよ」
へえ、意外だな。
「家族で行くのさ。俺がオペラで興味あるのはツィギーだけなんだ」

道路を渡って、青々とした芝生が豊かな公園を歩く。緑のまぶしい木々。ベンチと噴水がある。広い。この街が威厳を放ちながらも優しげなのは、この公園があるからだ。人々が思い思いの格好でくつろいでいる。

そこに見るからに柄の悪い集団がいた。蹲ったひとりを、何人かで蹴っている。戦うには危ない集団だ。蹴っている男のひとりがこちらに目を向ける。ナイフで突き刺してきた。ナイフは黒人の左腕に刺さるが、黒人はその瞬間右腕で男を殴り飛ばした。さすがNPCは強い。
しかし相手が多く分が悪い。私は黒人を腕から下ろし、黒人は集団へ果敢に立ち向かって行ったが、次々とナイフで刺されて動かなくなってしまった。
勝てない。逃げよう。棒の先にナイフを括りつけたのを振り回す婦人が追ってくる。その刃先を掻い潜るようにして私は走った。取りあえずあのスタート地点へ。そして、まずは、弱い、敵を。
posted by ヨシノブ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

強き者、汝の名は

名立たる探偵数あれど、私が特に好きな探偵が彼なのだが、知っている人はあまりいないだろうから誰にも語らずにいたところ、作者が自身のブログにこの作品を全文転載していたのを見つけ、そのうちここで紹介しようと思ってから、一年半は経った。そんなブログがあったことを、すっかり忘れていたのだ。
しかし、彼を忘れていたわけではない。
彼こそは、我が(乏しい)読書歴の中でも忘れ難き屈指の名探偵なのだから。
いや、名探偵と呼んでは失礼かもしれない。
畏怖と敬愛を込めて彼の名を呼ぼう。その名は、白痴探偵アバタ蝶々!



恥晒し企画・自作解説シリーズ『白痴探偵、奇説を語る』
http://blog.goo.ne.jp/konde-koman/e/be629c6e43d7ca1008160999587060b6

自作解説シリーズ『白痴探偵、奇説を語る』2
http://blog.goo.ne.jp/konde-koman/e/098b9172fea74484907276c8d3bbcc5a



紙面では素敵な挿絵も付いていて、私はこの妖しい世界に魅了された。
アバタ蝶々の推理は、確実に間違っている。そして、この間違いを通した先に、この美しい世界は出現した。私が「勘違いも芸術のうち」という、とうじ魔とうじの言葉を本当に理解できたのは、アバタ蝶々による。間違いを通用させる力、それは板垣恵介が語らせた「強さとは何か」の答えである「我侭を押し通す力」に通ずる。

後光殺人事件で法水麟太郎と出会い、私はそこにアバタ蝶々を見た。
法水の奇説は、結果的に事実と一致したに過ぎず、その本質は荒唐無稽な白痴の妄言である。法水麟太郎の推理は、確実に間違っている。あんなトリックが成立するわけがない。しかし、それを押し通す強さがある。だからこそ推理と事実は一致し、物語は事件の解決を得られたのだ。
法水の衒学趣味はまさしく白痴的であるが、探偵(肩書上、法水は探偵ではない)と白痴をもっと直接的に結び付けているのがドグラ・マグラである。期せずして、ここに日本の二大奇書と呼ばれる『黒死館殺人事件』と『ドグラ・マグラ』が、『白痴探偵、奇説を語る』を介して繋がった。この繋がりから何が見えてくるだろうか。


興味深いことに、探偵を名乗っているのは一人だけで、法水は刑事弁護士、呉一郎思しき人物は精神病患者だ。しかし後者の二人はまったく探偵的である。探偵と探偵的であることの違いは、何を示しているのか。

三者の純探偵度を測るならば、蝶々>法水>呉となる。(法水は刑事弁護士の職に就き、事件との関わりを望んでいるが、呉は望んで事件と関わったのではないばかりか、事件を解決していないためにこう並べた。)
さあ、ここで浮き彫りになったものにお気づきか。
話をわかりやすくするために、三者の物語をこう単純化しよう。
「事件が起り、それを解決しようとする」。
ここで探偵度の違いが何の意味を持つだろうか。無意味である。しかし三者は探偵的(探偵であること含む)である。
即ち、探偵的であることが重要で、探偵そのものである必要はないのだ。探偵的であることとは「事件への参加」と「真実を究明せんとする意思」である。
法水は職掌柄、事件にかかわる必然がある。呉一郎思しき人物は事件の当事者である。ただ白痴であっただけの蝶々は如何に「閃光のひらめきと常人を卓越した奇抜ともいえる洞察力」を持とうとも、跋扈ちゃん事件への参加資格を持たなかった。だから腹ボテ大黒殺人事件の解決という通過儀礼(ストーリー)を経て探偵そのものになることで、探偵的要素の「事件への参加」を獲得したのだ。

以上のことから、探偵的と白痴が三者の共通点であることが確認された。
両者は平生両立しないものである。平生の探偵は理知的に間違いを排し、実態を追い求めて事件を解決し、物語の帰結へ辿り着こうとする。白痴の「正気とも狂気ともおぼつかない言動」とは、要するに間違っているということで、ならば宿命的に理知ならざる探偵的白痴三者の物語は、我々を何処へ辿り着かせたのだろうか。
事件を解き明かすという行為は、覆い隠された既存の世界を露出させる行為のように思われるが、実際には新たに世界を構築する行為であることを、蝶々は実演した。法水は事実を妄言で引き摺り倒し、その姿を妄言に合わせて変えてみせた。呉は事件を解決しないことで、あるべき帰結点など存在しないことを示した。そればかりか、呉は事件そのものの存在さえも曖昧にしている。
すべてが間違っている。ここに我らは魅せられた。間違ってこその境地。地平。新世界
正常というパラダイムを離れた先にしかない次元があることを、三人の白痴は強い力で世界を捻じ曲げつつ、解き明かしたのである。

妄想。矛盾。誤解。齟齬。錯覚。嘘。
間違わなければ成立しない美がある。調和がある。世界がある。
まだわからぬというのなら、貴方に実体験を与えてそれを示そうではないか。
桜の木の下を掘り起こしてみるがいい。
予言する。屍体は埋まっていない。
posted by ヨシノブ at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

今週の「SKET DANCE」

第39話 オタクトオカルト

スケットダンスはこういう話を描いてくるからやめられない。
今回もベタな内容だけれども、テンプレートのような展開にキャラクターが殺されていない。
結城がオカルト好きの変人だというだけだったら寂しいと思っていたので、こういう人物の掘り下げが成されたのはうれしい。
容姿を諦め恋愛を諦めた結城が、その諦めの決断をさせた小林と対峙したときに目を逸らさずに会話したのには、自分の欠点を認めつつもそこを弱さにはしないという意志と強さが表れているが、その前のエスカレーターでの会話、結城の俯き気味の横顔が大写しになったコマからは、捨てきれない憧れと弱さを滲ませている。その余韻が小林の前での結城に、無表情なれど心にまで表情がないのではない

ああもういいや。うまく書けなくて何度も書き直したが、もう放棄だ。今週はいい話でした。

・結城に過去はスイッチの過去の何かに触れていると思われる。
・結城がこれまでのメガネ外すと美人式人物が言わないような台詞を平気で口にする点。
・結城らしくない格好をするも、結城らしく止めを刺したところに、作品としての結城らしさの肯定がある。
・翌日ではないかもしれないが、結局は後日買い物に付き合っている。
・スイッチが結城に歩み寄りをみせている。
・ふはは…
・スイッチに手を握られたときの顔。
・でも何やろ このキュンキュンする感じ!

今回は世俗の「普通」に合わせた格好であったが、将来的には普通の女としての成長に合わせ、結城澪呼らしい格好での美人になるのではないか。結城には黒髪と薄化粧がいいと思うので。
posted by ヨシノブ at 03:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月27日

ぼくらのすばらしい一日



「サルでも描けるまんが教室」は漫画史に遺すべき傑作漫画だと思っている。それで竹熊健太郎のブログも読んでいるわけで、今朝の「ぼくらの時代」も見たわけだ。
「ぼくらの時代」は日曜朝7時からの30分番組で、司会はなくゲストらに好きに話をさせる。今朝は川上未映子・中川翔子と並んで竹熊。川上希望の人選だ。
三者ともなぜブログをはじめたのかという話に始まって、当然マンガの話、中川の父親の話から親の話、父を憎んでいた異性が怖かった母を憎んでいた、異性の話、川上が10年つきあっていた男の話(その男へ心理的に依存しきっていた時期があり、ベランダに閉じ込めて出社できないようにしたこともあったという。今ではそれをよくなかったと思うと言うが、川上の容姿や話し方からは、まだ何かとても困った性格を有している気がする。)、ドロドロしているところで今日はどうもありがとうございましたと鼎談終了。『それでは、今日もすばらしい一日を。』とナレーション。こんな話題のあとで何がそれではなのだろうと思いながら飯を食った。


動いている竹熊は初めて見た。喋るときに口が閉じきらないように見えるのは、脳梗塞の影響だろうか。滑舌にはやや影響が残っているという。紙面でみていたとおりの顔だった。
川上には興味がなく、中川の話は知っていたので、動く竹熊が見られたのと、じんじん君の口調は竹熊のそれであることが判明したのが収穫であった。
「毎日じんじんッスよォ!」
「少年ジャンプはなぜ売れるのですか、とかさ、そういうの訊かれても知らないっすよ」


話は変わって、板垣の描いた春巻がバキに似ていたのは故意だろうか。
花山がいい顔をしていた。好きだなあ花山。ハニャヤマ。今回は克己に華を持たせたとして、そのうち独歩のかっこいいところを描いてください。独歩に謝っちゃうあたり、克己はやはり甘い。
水中でマスクを外されちゃったケビンは一体どうするのよ。キリコが乱入するまで、ジャンが満身創痍なのをすっかり忘れていた。
posted by ヨシノブ at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Living Dead

1割「死んだ人は生き返る」福知山市教委が小中学生にアンケート

 京都府福知山市の市教育委員会は23日、昨年末に市立全小中学校の子どもを対象に行った「命の大切さを考える児童生徒アンケート」の調査結果を発表した。回答数6783人のうち、約1割が「死んだ人は生き返ると思う」と答えた。

 いじめや自殺の増加が社会問題になるなか、子どもたちの命に対する認識を把握しようと実施した。同市教委によると、府内でも初の試みという。アンケートは、死生観やいじめに関する全5問。回答は選択形式と自由記述で行った。

 「死んだ人が生き返るか」の問いには、76・9%が「いいえ」と回答。「生き返ると思う」は9・7%で、理由は、「ゲームで死んでも、もう1回プレイできる」「魂はまた戻ってくると聞いた」「死んだ命はまた違う命になる」「病院で何とか治せる」などの記述が学年を問わずあり、ゲームやテレビの影響がみられたという。

 「赤ちゃん誕生の喜びを感じたことがありますか」の問いには、全体の42・5%が「ない」「わからない」と回答。人(低学年は「動物」も含む)が死んだ時に悲しんだ経験も、28・7%が同様の答えで、市教委では、生死にまつわる感動体験がない子どもが多い、と分析している。

 いじめの設問では、中学生の約1割が、メールやブログなどを使ったネット上のいじめが周りにある、と回答していた。
 市教委は「長崎や兵庫で実施された同様調査と、数字や理由はほぼ同じ結果だった。今後の教育活動に生かしたい」としている。


京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008042300204&genre=F1&area=K00

定期的にこの手の調査がなされ、「命の重さがわからない子どもがこんなに!」「ゲームテレビマンガの影響」と、憂慮しつつどこかしたり顔のコメンテーターの姿が目に浮かぶようだが、私はこの調査で何を得られるのかよくわからないのである。

「ゲームで死んでも、もう1回プレイできる」と続けて併記されているので、「魂はまた戻ってくると聞いた」「死んだ命はまた違う命になる」「病院で何とか治せる」もゲームで死んで云々と同レベルの怪しからぬ回答のように扱われているが、私に言わせれば後ろの三つは正解である。
(「ゲームで死んでも〜」は冗談で答えたとも思えるが、世の中には想像を絶するわからんちんがいるので、稀にこういうのもいるだろう。数年前、死ねば死体の温度は0度になるはずだと主張をする新興宗教があった。)

魂は戻ってくるのである。輪廻転生するのである。
死んだ命はまた違う命になるのである。いわば万物斉同である。
病院で何とか治せるのである。医療は心肺停止状態からの蘇生をたびたび行うのである。
(何ともならないこともあるが、人はそれでも何とか治せることに賭けて治療を望み、治療を施すのである。)

死とは何か。これは古来から人類が考え続けている難問で、医学的宗教的哲学的など多面的にアプローチされ、各々違う思考経路を辿っている。輪廻転生も万物斉同も、死に対する考え方のひとつとして定着している。死の定義がなされていない状態で曖昧な質問しても曖昧な結果しか得られない。質問者は科学的に不可逆的死亡状態から生き返ることがあるかと問うているのだろうが、ならばせめて○か×で答えさせるべきであり、選択肢に「死んだ人は生き返ると思う」なんてのを許して「死んだ人が生き返るか」と質問しておいて、心のあり方としての回答をして何が悪いのだろうか。キリストは復活するんだぞ。(もしかしたら信教の自由の侵害とならないように配慮に配慮を重ねて用意された「思う」かもしれない。ならば間違った配慮である。だってそれじゃ必要な結果が得られないわけで、調査はやるだけ無意味である。)
私が小学生だったら、「生き返る」と答えているかもしれない。理由は「だって心臓が止まった人に電気ショックをあたえて生き返らせることがあるの知ってるもん」である。どの段階で死とするのか、認識が異なっているのだ。心臓が止まった人なぞ、人類がまだウホウホやってたころにはほぼ確実に死んでいる人である。医療の発達がその反魂を成したのわけで、即ち死んだ人は生き返っているのだ。
屁理屈とお思いの御仁もおられよう。しかし、子供が屁理屈を捏ねたがるのを忘れてはならない。
私はもう知命を過ぎているのに、未だに「屁理屈野郎」と言われる。他には「どうせ嘘なんでしょ」とか言われる。心外である。それと、こんな頼りない調査結果でゲームやテレビの影響と言われては濡れ衣もいいところでこれまた心外である。もはや革命しかない。打倒清朝!

と、以上は京都新聞を読んだ限りでの私見である。アンケートの詳細がわからなければ、この記事から得られるものは何もないに等しい。





同様の調査を起点にもっと中身のある内容を引き出している記事。

サイコドクターぶらり旅 2005-01-26 [Wed]
http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20050126
posted by ヨシノブ at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

重要なお知らせ

今月でブログの更新を終了することになりました。
これまで読んでくれた皆様に感謝致します。
毎日寄せられるたくさんのコメントは、ブログを続ける上だけではなく、私が生きる上での毎日の活力でもありました。本当にありがとうございました。

北原梨奈が白石沙里奈と改名しました。改名後の初作品「生中出し 超デジモ 白石沙里奈」はミリオンから昨日4月25日発売されました。来月5月13日にはムーディーズより「ハイパーデジタルモザイクVol.074 白石沙里奈」が発売されます。

昨年ミリオンより「AV復活! 超デジモ 北原りな 完全版」を12月21日に発売予定との宣伝がなされ、サンプル映像が公開され、週刊誌に撮り下ろしヌードグラビアが載るなどし、ギルガメファンはその発売を心待ちにしていたのですが、ついに発売されることなく、作品そのものが無かったかのように情報も消えてゆきました。「北原梨奈」が「北原りな」名義になっているのは権利関係か何かで揉めているのではないか、このまま発売されないのではないかと憶測は憶測を呼び、その混迷は日本の株価にも影響を与えるほどでありましたが、このように発売されたことで、私もやっぱりブログを続けることにしました。コメントも滅多に寄せられていませんでした。
posted by ヨシノブ at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

この家にわが家族はかつて住み居たりし

幼い頃からある時期まで、私の家は貧乏だと思っていた。
父は私の心中を察したらしく、時折、我が家は裕福ではないが、決して貧乏ではないという話をするのだった。それが思い込みでも見栄でもなく、父の話のとおり我が家は中の下くらいだと今では理解しているが、当時貧乏だと思い込んでいたのには相応のわけがある。そう思わぬほうがどうかしている。
両親ともに目に見えて高給取りではないことや、好きに玩具を買ってもらえなかったことも貧乏の根拠であったが、所詮それは貧乏幻想の裏付けに過ぎず、そもそもの根本にして最大、かつ単純明白一目瞭然の理由があった。家が粗末だったのだ。

築何十年かは知らない。当然木造だが、日本家屋と呼べるものではない。形が家の体を成しているだけだ。六畳が二間あって、風呂も厠も台所も押し入れもある。廊下のようなスペースが三畳ほどあった。花壇もあった。ここまでは好い。
奥の六畳間には床の間が設えられていて、掛け軸があった。掛け軸を捲るとそこには秘密の抜け穴が……という物語に子供は心を躍らせたものだが、我が家の掛け軸を捲ると、そこには御札と共にガムテープが貼ってある。ガムテープを剥がすと、壁板に節穴が開いていて、裏の庭木が覗き見えた。壁が板一枚なのである。多分杉板であったろう。これでも私は秘密のカラクリを見つけた気になって喜んだが、そんなカラクリ、いつまでも嬉しいものではない。確実に我が家は貧しいのだと思った。
当然、室内の壁も板一枚である。居間の隣が風呂で、ある時入浴中の私は、風呂の壁に節穴があるのを見つけた。覗くと、居間で父がビールを飲んでいる。これも私は秘密のカラクリを見つけた気になって喜んだが、それも一瞬のこと、他所でこんな風呂場見たことない。この希少性は嬉しくない。
家屋の周りを歩ける程度に敷地があり、地面はなぜかコンクリートで塗り固められていた。敷地は膝くらいまでのブロックで囲われている。敷地の道路に面している部分だけは少し広くて、軽自動車を一台とめられた。とめた車はスペースの関係上必然家屋と密接するため、助手席側のドアは開けられない。バックでとめたら運転席のドアが開かない。そんな庭の一角に半畳ほどの花壇があり、母はそこを絶えず花で満たしていた。
壁板はすっかり色褪せていて塗装もなく灰色、みすぼらしい小さな家であった。あまり見られたくない家ではあるが、通学路に面していたのでどうすることもできぬ。
どういう流れかクラスメイトとの話が、私の家の瓦の色に及んだことがあった。クラスメイトは茶色だといい、私はなんとなく青だと記憶してしたのでそう主張した。話は平行線で終わった。帰宅して屋根をよくよく見てみると、近くで見れば確かに青ではあるが、長い歳月を経て黴か苔かが覆っていて、道路を挟んで見れば茶色に見えないこともないのであった。こんな家に青い瓦というのも、趣味が悪くてげんなりした。

父は半ば隠者である。この土地に越して来、雨露を凌げればそれでよいと言ってこの家を借りた。こんな家でも家賃は存在する。何年も払ううちに、これならば家を建てて月賦を払うほうがよいと気付いて家を建て、移り住んだ。数年後、私どもの知らぬうちに青い屋根の小さな家は取り壊され、更地になった。そこは何ともちっぽけな空き地で、こんなところに衣食していたのが不思議に思えた。
posted by ヨシノブ at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

家はあれども帰るを得ず

家はあれども帰るを得ず 関川夏央  文春文庫

関川は同級生の犬養によく似ていることで私に衝撃を与えた人物であるが、彼の本業であるところの文章を知らない。それで読んでみた。
数ある著作の中でこれを選んだのは、エッセイ風の読み物で軽そうだったせいもあるが、何よりタイトルである。山本夏彦が主宰するインテリア誌「室内」に使ったタイトルのひとつ、「帰りなん いざ木の家へ」に答えるかのようなタイトルではないか。
読み終わって巻末の初出一覧をみてびっくり、本書の一部は「室内」に載ったたもので、家はあれどものタイトルも、そのコラムのひとつにつけられたタイトルだった。これは山本を意識してつけたタイトルではないかと調べてまたびっくり、家はあれどもは1988年7月号に載り、いざ木の家への惹句は2002年2月号に出ている。(夏彦の晩年である。)
不思議な縁である。

どれも文章は申し分ないし、面白く、父親が語った理想の書斎・列車の乗務員室の話は、昔日の国語の問題集に使われていたので懐かしかったが、個人的な劣等感、痛いところを衝く言葉がたびたび出てくるので、今後関川との関係は慎重にならざるを得ない。
posted by ヨシノブ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月21日

08/04/21

稀に見る大出血。それでいて軽く脱水症状。


大空真弓がシャブ中息子3度目の逮捕で「もう一度産み直したい」と云っていたのを、誰かが寺山修司みたいだと云っていたが、それが身毒丸だと今気づいた。すっきりした。

お母さん、僕をもう一度妊娠してください」
posted by ヨシノブ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル 森茉莉  中野翠 編  ちくま文庫

・沢田が生来持っているずぼらでノンシャラン(フランス語のずぼら、大阪でいう後生楽の意味。少しばかり齧っているフランス語をひけらかすのではなく、ノンシャランという言葉の語感がいかにも沢田にぴったりだからだ)な風格と、どこやら得体の知れない、やくざなムウドのせいで、その役らしいものを出している。

・オーガイの小説はつまらぬ。(「雁」だけがたった一つの例外)何故かというと、最初の一行に筆を下ろすときには既う、最後の一行が頭の中に出来ているからで、それでは読んで面白い筈がない。

・今回の文章に行く前に、山本夏彦が「銭形平次」について書き、その後に私のこの欄に書いた平次のことに触れ、頼もしいと書いてくれた。「銭形」が消えるかもしれないという恐怖におびやかされている私にとって、その文章は百万の味方を得た思いである。



山本は後に、晩年の森茉莉は西洋乞食みたいだったと書いている。
posted by ヨシノブ at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇家の財布・追跡!値段ミステリー

天皇家の財布 森暢平  新潮新書

何故買ったのだろう。格好つけたかったのだろうか。(どう格好つくのかわからないが。)
色々載ってます。しかし、特に財布の中身に関心のなかった私には単に数字データの羅列としか映らず、途中で読むのをやめた。
アマゾンレビューでは高評価がついている。データの好きな人なら。



追跡!値段ミステリー 日系新聞社編  日経ビジネス人文庫 

これを買ったときのことはよく覚えているぞ。何か本を買わないとひどく勿体無いような気がして、無理に買ったのだ。そういう強迫観念に駆られて買うものに面白かったためしがない。
連載されていたコラムをまとめたもの。何故この値段なのか、何故利益が出るのかを、サービスから商品まで広く扱って紹介している。コラム1回分が実質2ページ。要はデータ。
ところどころ興味のある話題は出てくるのだが、買ってまで読みたいとは。
でもねえ、やっぱりアマゾンじゃ高評価している人がいるんだよ。
そう、単に私は数字データに向いていないのだ。
posted by ヨシノブ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

穴を掘る

04/12/23

実家の庭には雨水が溜りやすいところがあり、一度土を掘り起こして土を詰めなおし、雨水を溜めないようにしようということになった。
それで私も手伝って、父とスコップで穴を掘り始めた。
1メートルくらいの直径で掘るのだから中々進まない。
次の日から父は小学生を集めてきて穴掘りの手伝いをさせた。
7、8人も集めてきただろうか。ひっきりなしに掘ることが出来るので穴はどんどん深くなった。
深さが5メートル程になるまで何日かかっただろうか。
今考えると余計なのだが、少し横穴も掘った。
あとはぎゅうぎゅうに土を詰めるだけである。ここからは小学生の手は借りずに父がやる。

私が実家を離れている間に、祖母が穴に落ちて死んだ。
夜、庭で育てている野菜でも採りに出たのだろう。穴に落ち、そこへ激しい雨が降ってきた。
掘り出した土も一部崩れ、体を半分埋めるようにして死んだ。
この話を聴いて、私はひょっとして誰かが穴の中に祖母を落としたのではないかと思い、恐ろしくなった。助けを求める声も激しい雨音にかき消され、何とか這い上がろうとする祖母の姿は妙に生々しく想像できた。
私がこの根拠の無い確信を深めたのは、数日後、もう1人同じようにして死んだからである。
殺したのは父ではないだろうかと薄々思っている。
警察に相談することにした。
幸い、信頼できる警察官を知っていたので、内内の相談という形で話を打ちあけた。
警察官は水谷豊である。映画「太陽を盗んだ男」でなく、ドラマ「相棒」での水谷豊だ。

こんな夢をみた。
posted by ヨシノブ at 05:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の日記から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

08/04/19

ぜんぜんだめです。
頭が熱っぽい。体が寒い。原因に心当たりはない。
熱を測ると、37度5分あった。
カレーラーメンを食べるかどうか迷っている。
体調不良のせいか、パイレーツオブカリビアン(初見)があまり面白くない。大砲撃っている場面をみていたら、モンティパイソンのビルが船になっているのを思い出したよ。


北京五輪の話題に事欠かぬ毎日である。私も関心を寄せて推移を見守っているが、そろそろ気になりはじめているのは、パラリンピックだ。開催地はもちろん北京だし、こっちも聖火リレーをやる。なのにちっともニュースで出てこない。
(関連を強いてあげれば、パラリンピック聖火リレー中の車椅子走者に暴漢がってニュースくらいで、しかも中国側の工作疑惑がある。)
パラの動きにメディアが無関心なのか(というのも白々しい問いで、大手、特にテレビメディアは障害を感動させる素材くらいにしか使ってない印象が強い)、パラリンピック・並びにその応援者側自体がチベットにほとんど無関心なのか。


伊集院光がラジオにて、昔に比べてモザイクの基準が甘くなった、今では女優の尻の穴にモザイクがかからなくなった。でも、尻の穴なんて見たいか? と語っていたが、これは伊集院が異常なだけで、見たいよな、みんな。俺だって見たい。
みんなだって理想の女の子の条件のひとつは、「あ、あのね、ひとりでするときに、お尻の穴もいじることがあるよ……。こ、こんな変態でごめんね! 嫌いにならないでね! ううう、恥ずかしいよぅ……。」っていう、アナルに恥じらいと快感があることだろ。
やっぱ男の誰もが思う女の子の可愛い仕草のひとつは、尻の穴をいじっているところだよな。
エロを抜きにしても可愛い。眺めていたい。抱きしめたい。でもスカトロまではいかない。
もう一度言う。
お尻が好きな女の子は、本当にかわいい。


時間帯によって表示が違うのかもしれないが、上部バナーを見よ。
http://blog.seesaa.jp/
魚拓もとってみた。
http://s01.megalodon.jp/2008-0420-0136-01/blog.seesaa.jp/

みんなでマラソンがみんマラなら、トニービーンとマラソンならビンマラじゃないですか。トニマラじゃないのなんていう屁理屈は認めません。あえてオブラートに包んだのです。はっきり言いましょうか。

デカマラ!

こら、落ち着けって、違うって。私はデカルトとマラソンと言いたかっただけなのだ。それがこんな卑猥な単語に。こういうのやめましょうよ。中学生のときに読んだ性教育の本には、5センチあれば女性を喜ばせる事は可能ですって書いてあったもん。伊集院光はリスナーに性器のサイズを報告させる企画をやったときに、自身のサイズは言明しなかったものの、最大値11センチは普通って力説してたもん。大小なんて、ぜんぜん気にする事ではないのです。

ついでにこのブログに集う乙女たちに、男が求める理想の女の子の条件をもうひとつ教えようか。
それは、「サイズや被っていることを気にしない。むしろ被っているほうを好む。」
これが何を指した話題なのか、今はわからなくとも、いずれわかる日がやって来る。なんなら私が直接教えてやりたいくらいだ。
posted by ヨシノブ at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビャアアッ

じゃんぬだっくが少し前から成年誌に復帰している。


シノバズ・ポンドという呼び名にまだ馴染めない皆様、こんばんは。ビャアアッ!
忌まわしきロビン対アトランティス戦が再現されたかのような今週号最後のコマは、肉ファンにはたまらぬ。ビャアアッ!


鉄鍋のジャン。ジャンと佐藤田は"水料理"をテーマに一騎打ち。佐藤田の料理は満点を得る。続いてジャンの料理の試食がはじまった。
私はジャンの辛味をベースにした料理は、もちろん旨い。ベタボメする審査員のなかでただ一人、胸のうちでケチをつける大谷。(ふん、まだや。これではまだ佐藤田に勝ったとはみとめへんで!)
だが、ジャンの料理はそれだけではなかった。すっかり食べ終えた審査員たちがコップの水を飲むと……。

仮面「な、なんだ? 水が妙にうまいぞ!」
黒髪「あら、このお水ってこんなに美味しかったかしら…?」
大谷(全てを察し、白目剥きながら泣いてる)

「秋山の魔法は皿にのった料理だけには留まらないのさ、カカカカー!」
なんとジャンの料理の辛味は、食後の水の味を引き出すことまでも念頭に置いていたのだ。ここで丁寧な解説がはいる。ジャンの勝利を確信した小此木がアハハーと笑う。

大谷(食事の際に口に含むもの、その全てを視野に……! 水料理というテーマを最大限活用した秋山の魔法のでは、佐藤田の魔法なんぞ子供の遊びや…!)

こんな展開を予想していたのですが、全然違いました。クラゲを出された時点で、体の98パーセントが水分のクラゲに何の水を吸わせたのかが肝だとは思ったのですが、意表を突かれました。


ヤンキーフィギュアはお色気枠とはいえ、ほとんど如何にお色気場面にもっていくかだけの話で、よくまあ連載が続いていられるものだなと思ったのですが(だってフルセットが打ち切りですよ。妙にショタキャラがエロかったのに。)、母親がフィギアの秘密を知ってからの展開は、ちゃんと話が動いている感じがします。


相変わらず導入部は期待させるバキ。花山、おかえり!
posted by ヨシノブ at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スケールの大きい俵万智

ニューヨーク州が4月5日「池田大作の日」を宣言
 アメリカ・ニューヨーク州が、4月5日を「ダイサク・イケダ・デー(池田大作の日)」と宣言した。アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のニューヨーク総会が同日(現地時間)、ニューヨーク市のアポロ劇場で開催され、席上、デイビッド・パターソン州知事が署名した宣言書が、代理のデイビッド・ジョンソン州知事上級顧問から授与された。

http://www.seikyonet.jp/sg/sp/shimen/headline/index/1208478253926/0


ほかにどんな人物の日があるのだろうか。これはどういうランクの記念日なんだろうか。日本でいうと耳の日くらいではないか、と根拠も無く瞬間的に思ってしまった。
宗教に不案内な私は、先に日蓮の日、さらにはブッダの日をつくったらどうかと思うのだが、既にあるのでしょうか、ニチレン・デー、ブッダ・デー。釈迦十代弟子のデーは一日に纏めるのか、十日にわけるのか、それならば飛び飛びか、連続か。信仰は奥深い。
posted by ヨシノブ at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

南蛮阿房列車

南蛮阿房列車 阿川弘之

内田百閧フ「阿房列車」の存在も知らず、取りあえず読んでみた。
阿川弘之が世界中あっちこっちの列車に乗る紀行文。
阿川弘之は何冊もの北杜夫作品で知っているが、著作を読むのは初めて。
北視点の阿川よりも本人の著作内での阿川は、なにやら紳士然とした姿に映る。
北視点ではだらしない訳ではないけれど、「乗り物キチガイ」や「孫が憎い」のエピソードでやや特殊な性格を帯びた人物に映る(これは北の親愛の情とユーモアによる描写が大きいだろう)が、本作では海軍出身(といっても、駆逐艦にでも乗っていたわけではなく、中国暗号解読をしていた)らしい凛々しさが見える。
阿川視点による北杜夫や遠藤周作の描写も面白い。
なんだかメインの列車紀行よりも、登場人物の振る舞いの描写のほうに目が行ってしまった。

アボウとは何だろうと思っていたら正しくはアホウで、阿呆とともに「あほう」の当て字の1つ。
余談だが、江戸時代には阿房払いという刑罰があり、武士の刀を取り上げて追放する刑であった。その際に裸にすることもあったという。


05/01/19
posted by ヨシノブ at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

翼神竜の会

自民党の加藤紘一元幹事長らを中心とする超党派勉強会「ビビンバの会」は
15日、国会内で会合を開き、会の正式名称を「ラー(太陽神)の会」にすることを決めた。

前回会合で講演した梅原猛・国際日本文化研究センター名誉教授が
「日本の本質的原点を探る」という意味を込め命名したという。
この日の会合には、加藤氏のほか、自民党の山崎拓元副総裁、
民主党の前原誠司副代表、仙谷由人元政調会長ら与野党の議員約30人が出席した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080415/stt0804152256008-n1.htm


・ビビンバの会命名経緯

この集まりは自称「ビビンバの会」というらしい。ビビンバはごはんと、その上に載せたナムル(韓国風の野菜のあえ物)などを混ぜて食べるが、「私たちはごちゃまぜの会なので、『ビビンバの会』を名乗ろう」と、ソウルで言ったのは加藤氏だそうだ。さらに、韓国滞在中は日程が窮屈だったために、本場の韓国料理をほとんど味わえなかったそうで、帰国してから思いっきり韓国料理を食べようということになり、この日の夕食会が開かれたという。こういう経緯もあって、食事の最後にビビンバを食べて、この日はお開き。政界再編への思惑があるのかないのか、加藤氏の提案により、このメンバーで今後も韓国情勢に関する勉強会を開いていくことになった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080322/stt0803221912007-n1.htm


ビビンバの会の時点でお里が知れるというか、確かにビビンバはうまいけれど、私も母も好きだけれど、日本の政治家が韓国料理の名を冠する会を名乗るのは……と思うのは神経過敏過ぎるか? と思っていたので静観していたのだけれど、こう来るとはね。ビビンバから太陽神へジョブチェンジなりクラスチェンジなりした例は過去にありませんよ。道路族みたいに、ラーの一族とあだ名がつけられるのでしょうか。会食ではビビンバじゃなくて薔薇のスープ飲むの。(それはポーの一族です。)
過去に神の国発言が大騒ぎになったが、ラーの会はいいのだろうか。政教分離とかさあ。さすがに公明党も創価党だの日蓮党だのとは名乗っていないよ。
深遠な意味があるのだろうけど、ラーは高位な神だけれど、政治家の勉強会がラーの会ってのはねえ。政治家が天照大御神の会なんてつくってたら怪しいもの。もともとはビビンバの会だぜ。
(太陽神)と但し書きされているのは、宇宙猿人ゴリとラーに間違われないためだな。
萩尾望都の許可はとったのかな。(だからそれはポーの一族です。)
おっ母さんが狂った 汽笛狂いだ(それはポーポー言ってる詩です)
菊池桃子。(それはラムーです。)
大陸。(ムーです。)

梅原猛が何を考えたのかしらないが、日本が他国に比べ、宗教に無頓着なことを示しているかのようで、結果的に日本の本質の一端を表しているような名前ではある。
posted by ヨシノブ at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

08/04/15

行きつけの漫画喫茶には、缶やペットボトルではなく、使い捨ての紙コップに飲み物が注がれて出てくる自動販売機が無料で飲み放題になっていて、私は氷抜きのカルピスソーダを飲もうとボタンを操作し、自販機の作業が終わるのを待った。
自販機が音とライトで作業完了を知らせる。
すると、近くの本棚で漫画を選んでいた十代後半らしき女が急にやってきて、取り出し口をあけてカップを取り出そうとするではないか。「ごめん、あの、それは私の」と言いかけて、息を呑んだ。取り出したカップの中身が滑らかな緑色をしている。注ぎ口にはカップがもうひとつひっかかかっている。
事態が飲み込めた。この女が取り出さないうちに、私が操作してしまったのだ。
女は一瞥もくれず、無言でカップをひったくるようにして、急ぎ足で仲間のいる席に着いた。仲間らと飲み物の色がどうだとか言っている。
私はしばし呆気にとられたあと、考えてみた。どういうことだろう。私が悪いのか。いや、そんなことはない。終わるまで自販機の前にいなかったあの女がどうかしている、はずだ。本棚の前にいただろう、お前は。なぜ一言もないままに、あれ、俺は最初に「ごめん」って言ってしまったぞ。なぜそっちからは一言もないのか。それは俺が悪いからなのか。俺が確認しなかったからなのか。いちいち確認する仕様じゃないだろ、これは。何でそこで笑っているのだ。俺が笑いものにされているのか。俺が悪いのか。確かに俺は気持ち悪いけれど、それとこれは別件だろう。何なのこれは。
私は取り出し口にひっかっかっていたカップを捨て、改めてカルピスソーダを得た。
席についてそれを飲んでいると、羞恥心と屈辱感と敗北感に身が打ち震えた。俺が不恰好だから笑っているのだろう。俺に責任を全部押し付けて笑っているのだろう。
そのあと私がどのような行動に出たかは、皆さんがニュースでご存知のとおりです。
posted by ヨシノブ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

08/04/13

したいことはできなくて。
最近は何かにつけ、この言葉が頭に浮かぶ。出典は色川の怪しい来客簿のひとつで、亡き友人を著したもののタイトルである。あれもこれも、思ってはいるのだが、思ってはいるのだが。

結局のところ、彼の本意は、固い表皮におおわれすぎて陽の目を見ないで朽ちてしまう。したいことはできないし、できることはしたくない。
他人事ではない気がした。



・・・・・・


桜は好きだ。咲くのも散るのもいい。
その花に惹かれて宴を開くのもわかる。風流でいい。
しかし花見は好きじゃない。
桜の並木道があって、夜中にそこを通ると、ぽつぽつとごみが落ちている。
この道にはこの時期だけ、臨時のごみ捨て場が設けられており、ごみが山と積まれている。
ごみを放置していくなどもっての他だが、自分で用意したものを持って帰らぬというのも好きではない。
ごみ捨て場を設置しなければ、ごみの散乱更に酷しとわかっているが、ほれ、一日の宴が済んで堆積された、桜と同じ風景にあるごみの塊をご覧になられよ。これで何も感じないというのなら、桜なんか見に来ないでくれ。花見だなんて口実で来ないでくれ。私の私有地でもなければ権限もなく、自分でごみを拾うわけでもないのだが、夜中に歩いてそう思う。
桜の木の下に、一つと言わず、いくらでも屍体が埋まっていてかまわない。
でもねえ、無粋なあれらのごみでは、桜は咲かないのだよ。
毎年私が見る桜は、人工の色気ない光に浮かぶ夜中の桜で、いつもごみが付き纏う。
ごみの量と訪れる花見客の量をみれば、一部の仕業と知れるのだけれど、その一部は確実にそこにいるのであるし、また一部には無礼講をどこまでも無礼でいいと思っていそうな空気があって、それらがまとめてひっくるめられて、花見が好きではない。
要は人である。屍体ならいい。生きている人間が邪魔なのだ。
ひとりになりたい。
何者の痕跡もなく。
posted by ヨシノブ at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

今週の「ふたりはプリキュア5GoGo!」

第10話「奇跡! 海を渡ったうんこ」

何故か尻の穴からミートボールがころころでるようになったプリキュアのふたり。時を同じくしてシンガポールは混乱に陥っていた。マーライオンの口から水が止まり、代わりにうんこがぼとぼと垂れ流されはじめたのだ。テレビの前のみんなには、きっとプリキュアのうんこに違いないと察しがつくのだが、プリキュアをみていないシンガポール人や観光客にはわからない。だが、テレビをみているみんなにもわからないのは、じゃあそのミートボールはどっから来たの、ってこと。どこぞの工場のミートボール製造ラインからはごぼごぼ水が吹き出ているのだろうと思うのだけれど。どうなっているんだろうねえ。俺にもさっぱりわからんよ。あとあれよ、最初にキュア黒が空き地でころころっとボールだしたとき、ふたりしゃがんでそのミート見つめおったでしょ。何事やろかと。で、カメラが急に上向いて空映したところに「あ、これミートボールの味がする」ってキュア白の台詞を乗っけたのは、単に演出ではなくて教育的配慮やと思ったね。
posted by ヨシノブ at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

妖怪談義

妖怪談義 柳田國男  講談社学術文庫

妖怪を学問的に扱った人物といえば、やはり井上円了と柳田國男が双璧を成す。私は物心ついた時にはもう水木しげるにやられてしまっていたから、幼少時に妖怪の名のつく子供向けの本は手当たり次第に読み漁り読み尽くした。田舎だからあまり本がなく、すぐに尽きたのである。必然、両者の名前は知るところとなり、ある日図書館で井上円了の本を子供向きに噛み砕いたような本を見つけたのである。
当時の私は妖怪幽霊怪異譚が実に非科学的なことを認識しており、テレビに出てくる霊能者も半分くらいは嘘吐きだと思っていたけれども、どこかに本物の妖しき者どもがいるに違いないと、強い願望の篭った確信を持っていた。
さあそこへ、迷信打破を信条とする井上円了である。真怪仮怪の単語だけは覚えているが、内容は少しも頭に入っていない。面白くなくて、放り投げてしまったのだ。いるんだってば、妖怪は。
柳田もグルみたいなものだろうと思って、以降は妖怪学問研究の双璧を遠ざけた。

やがて物事を理性的に多面的に捉えられるようになって、両者へのわだかまりも自然氷解した。妖怪をオカルト話としてだけではなく、迷信を分解してゆき民俗学的に捉えると面白いことも知った。にもかかわらず、今日まで両者を手に取らなかったのは、いつものように単なる怠惰で、いざ妖怪談義を読んだら面白かったので、己の怠惰を悔やむのである。何も本に関してばかりではない。あの時、あの一歩を踏み出していれば。余裕ぶらずに駆けつけていれば。私は結局のところ怠惰に身を任せて重い腰を上げずに、あらゆるものを逃し、失ってきた。取り返しのつかない、大事なものを。いろいろ思い出してきちゃった。よーし、死んじゃお。

それはそれとして、序文にある「われわれの畏怖というものの、最も原始的な形はどんなものだったろうか」という問いの、なんと興味深いことか。私はきっとクトゥルーの神々、それも盲目にして白痴の魔王アザトースが、何らかのかたちで畏怖の原始を与えたのではないかと思う。が、柳田が求めている答えは多分そういうのじゃないだろうな。そっちでも興味深いけれども。


話はずれるが、幽霊妖怪の類はいると思うかと訊かれれば、私は、いる、と答える。(話の通じそうな相手ならば。)
水木しげるは、妖怪や精霊は感じるもので、いないと思っている人には感じられない、というようなことを言っている。どうやら妖怪は実在しないようだと渋々認め始めた、若かったころの私は、それを苦し紛れの言い逃れのように思ったことがある。
還暦に手が届く年齢になった今の私には、水木の言葉がわかる。詭弁や言い逃れではなくて、確かにそれらはいて、いると思っている奴にしかそれは感じられない。証拠になるものは出せないが、本当にいるんだからしょうがない。一度遭ったことあるし。
ある本で水木は、妖怪に遭ったことが12回ばかりある、とさらりと書いていた。
彼にも一時は妖怪の存在を疑っていた時期があったという。
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2008年04月07日

雀の手帖

雀の手帖 幸田文  新潮文庫

新聞に連日で百回連載されたものだそうで、これだけの質で毎日エッセイを書き続けられるというのは才であると思う。

取材に行っていろんな話をきくのは嬉しいのである。これもひとえに作文を書いたおかげだと思う。「書いた」おかげである。下手でも不出来でも、才だの素養だのがどうであっても、そんなことよりとにかくつとめて「書いた」のがきっかけで、取材に行くなどという楽しいご褒美がもらえたと思う。

これは私も感じるところである。読み返して、いや、読み返すこともできないほどの出来の悪い作文が沢山あるけれど、書いたからこそ巡りあえた僥倖は私のブログにも確かにあって、今まで記事として触れてはこなかったが、このブログを通じて女の子と知り合いになったり、おいしいものを頂いたり、そういうことがたまにあるのだ。この場で改めて、良き友である彼女らに礼をいいたい。粛啓謹んで申し上げる。汝らがここにあることは、我が身には過ぎた僥倖であり、汝らの言葉のひとつひとつを思い出すたびに、我が魂は安らぎを得ます。深い感謝の念を抱きつつ、末永くこの良き御縁の続くよう願ってやまぬ日々であります。謹具。本当は誰とも知り合っていないので届け先のない礼状なのだが、いつかこういう僥倖があるのではないかと願ってやまぬ日々であります。謹具。
posted by ヨシノブ at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

最終的に頭に血が上って気持ちが悪くて頭痛がする。

苦しみを経なかった国はない。苦しみを抱えていない国はない。
過ちのない国はない。誤らぬ国はない。
それは、国をつくるのが人であるからだ。
国の名は人の業で刻まれている。

チンパプエ ちんぱぷえ
フニャンプ ふにゃんぷ
ロピア ろぴあ
フヘヒン ふへひん
ネパアアウ ねぱああう
ポルピア ぽるぴあ
アプリパ あぷりぱ
ニンポ にんぽ
プラピツ ぷらぴつ
ミパリラ みぱりら
ヨイツ よいつ
ニョルヘー にょるへー
アナプ あなぷ
エチポピワ えちぽぴわ
ヨヌパン よぬぱん
フェプリン ふぇぷりん
アメェレア あめぇれあ
キュウパ きゅうぱ
チェリ ちぇり
イピピス いぴぴす
アウティロラプワ あうてぃろらぷわ
アリェルパンコ ありぇるぱんこ
ポンポル ぽんぽる
オリャンタ おりゃんた
レパオン れぱおん
ペトタム ぺとたむ
アルテンチン あるてんちん
ピチュラヘウ ぴちゅらへう
ピャイ ぴゃい
パキスパン ぱきすぱん
ポポッポ ぽぽっぽ
アレヘチア あれへちあ
フィンファポンニュ ふぃんふぁぽんにゅ
イミュアペプ いみゅあぺぷ
プイプ ぷいぷ
ペプピー ぺぷぴー
ペプー ぺぷー
チェポ ちぇぽ
ポポンピワ ぽぽんぴわ
エンパーキュ えんばーきゅ
ピュンアンリョ ぴゅんあんりょ



きょうは、いっちょうけんめいうたいます。
きいてください。


 うーちゅうのー うえーからー
 ちーきゅうをー ながーめたらー
 とーてもー ちーいさーくてー
 みーんななーかよくー しないとー
 いけないとー おもったー
 だってだって ちーきゅうにーしかー
 ともだーちにー なれるあいてはいないんだよー
 だってだって うーちゅうってひろくーてー
 ひとりーだとー さびしーいんだもんー



うちゅうからきたトンカツ

突如宇宙から飛来したトンカツが、のぼるくんの家の食卓に並びました。
厚くてカラリとあがったカツには、ソースがかかっています。みずみずしいキャベツの千切りもそえられています。
「いただきまーす」
がぶりっ!
のぼるくんはトンカツをほおばりました。
「おいしーい!」
トンカツがあまりにもおいしかったので、のぼるくんはしあわせなきぶんになりました。
そこのころ、ももこちゃんの家にはアジフライが、まさるくんの家にはハンバーグがむかっていました。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

ところかわって、ここは戦場です。
「うてー!」
ドドドドーン!
たいちょうの号令一下、たいほうがはっしゃされました。ところが……。
ひゅひゅーん。
なんと、とんでいったのはドーナツにキャラメル、アメにチョコレート……。すてきなおかしばかりだったのです。たいちょうもへいしも、わけがわからず目を白黒させています。
それはあいての軍隊もいっしょでした。こうげきされたとおもったら、おかしをプレゼントされたのですから。
「うちかえせー!」
わけがわからなくなったこっちのたいちょうは、とりあえずたいほうでこうげきしてみました。
ドドドドーン!
ひゅひゅーん。
ところがやっぱり、たいほうからはおかしがとびだしていったのです。
クッキー、シュークリーム、ポテトチップ、ビスケット。たいちょうもへいしも、ポカンとおかしをみおくります。
これでは戦争にならないとあきらめて、両軍ともとんできたおかしをたべたり、こきょうのかぞくやともだちへのおみやげにおかしをもってかえったりして、いつのまにか戦争はおわっていたのでした。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

ももこちゃんは、とつぜんアジフライがとんできたのでびっくりしましたが、あんまりにもおいしそうだったので、こわごわたべてみました。
「おいしーい!」
ももこちゃんは、しあわせなきぶんになりました。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。
まさるくんはもうハンバーグをたべおわって、窓からそらにむかって
「ハンバーグやーい、もっととんでこーい!」
とよびかけています。ハンバーグがあまりにもおいしかったからです。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

なんとこの日は、せかいじゅうに、宇宙からおいしいたべものが飛んできました。
いえのあるひとないひと、くんしょうのあるひとないひと、みんなのところへおいしい料理が飛んできて、みんなはそれをたべてしあわせなきぶんになりました。
そして、せかいじゅうの武器が、おかしをつくりだし、銃口からはケーキだのアップルイだのがとびだして、地雷をふむとポップコーンが飛びだして、ひとを傷つけるためのナイフは、おかしを切り分けるためにつかわれました。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

でも、こんなふしぎは一日でおわってしまい、次の日からはトンカツも何も飛んでこず、武器は武器にもどってしまいました。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

軍隊は、また戦争をはじめました。
その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

「ハンバーグやーい、もっととんでこーい!」
まさるくんは毎日よびかけていますが、もうハンバーグは飛んできませんでした。
その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

たいちょうは毎日たいほうをうつ号令をかけました。へいしは毎日たいほうをうちました。
でも、だんだんとやる気がなくなってきました。あの、すてきなおかしのことばかり考えるようになったからです。あのおかしは、どんなお店でかったおかしよりも、おいしかったのです。
(そして、おかあさんのつくるおかしよりも、おいしかったのですが、それはないしょです。)
もういちど、あんなにおいしいおかしがたべたい!
軍隊は戦争をやめて、おかしづくりをはじめました。おかしをつくっているうちに、武器のつくりかたやつかいかたを忘れてしまいました。その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

せかいじゅうのひとびとが、あの日のおいしい料理を、もう一度たべたくなっていました。
おかねをかせぐことよりも、えらくなることよりも、料理がじょうずになりたくて、どうすればあんなにおいしい料理がつくれるのか、みんなではなしあいました。
のぼるくんも、ももこちゃんも、まさるくんも、いっしょになってはなしあいました。
その様子を目撃したおしょうさんは、びっくりして目を回してしまい、昏倒して危篤状態にあります。もうじき死ぬんじゃないでしょか。

みんなのきもちはひとつになって、みんなはだんだんとなかよくなりました。
そして、おかねや、くんしょうや、軍事力のことなんて、みんないらなくなっていました。
はじまりは、うちゅうからきたトンカツでした。
あの料理やおかしは、いったいだれが仕組んだことなのでしょう。
それがだれにもわからないまま、おしょうさんたちは息を引き取ったのでした。


 宇宙のうえから 地球を眺めたら
 とても小さくて みんな仲良しくしないと
 いけないと思った
 だってだって 地球にしか友達になれる相手はいないんだよ
 だってだって 宇宙ってひろくてひとりだと寂しいんだもん



*現実問題としては、友達になりようがない、なりたくない相手が数多く存在します。
それらはすべて地球にいます。
あなたと、友達になりようがない、なりたくないと思っている相手も数多く存在します。
それらはすべて地球にいます。
posted by ヨシノブ at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

ショットFKY

今日ご紹介する商品はこちら!


(電動式吹き矢 ショットFKYのプロモーションビデオ流れる)


肺活量の少ないあなたも、これひとつでプロ顔負け!
脅威の吹き矢マシーンが登場しました。その名も「電動式吹き矢ショットFKY」!!

吹くと息を高感度特殊センサーが感知し、ギアシステムモーターが作動して、吹いた2秒後には矢を発射! 手軽に楽しく吹き放題!


利用者はこんな声をあげています。
「手放せない便利さ。職場用と家庭用の、最低ふたつは欲しいね。おっと、来客用にも買わなきゃいけない!」(ベネズエラ:カルロス・ペペスさん) 「何をするにも、これがなくちゃ話にならない!」(韓国:キム・フォチョヒさん) 「テクノロジカルなところがお洒落で、どんなファッションにも合うわ!」(フランス:ジャニス・ペルジャンさん) 「妻と娘とこいつがあれば、ほかに何もいらない!」 (ロシア:イゴール・アルテヴィッチ・ユシチェンコさん)「いいですね。一目見てビビビときました。」(日本:松田聖子さん)

「バースデーケーキの蝋燭を一息で消せたのも五歳まで。そんな僕が五十年待ち続けたのが、これさ!」そう語るのはアメリカはニューハンプシャー在住のジョン・ベーカーさん。「僕らの祖先がこの大陸に渡ってくるときに携えていた唯一の荷物が、吹き矢。吹き矢は開拓者精神の権化といってもいいんだ。」誇らしげに語るジョンさんでしたが、一転して顔を曇らせ、自由の国アメリカが抱える吹き矢問題の病理を告発してくれました。「そう、確かに吹き矢は崇高で神聖で、この世における最高の道具といっていい。しかしそれは、吹き矢をうまく吹けない者への軽蔑をも生んでしまったんだ。」2007年現在、アメリカ人の27.8%が吹き矢技能未熟層、いわゆるFgmクラスにあたります。彼らは吹き矢の腕が未熟であるがために、様々な差別を受け、苦しんでいるのです。「ここアメリカじゃ、吹き矢が人間の価値のすべてを決めてしまうんだ。」

(再現VTRここから)吹き矢がうまくないジョンさんは、友人からホームパーティーに誘ってもらえたことがありません。映画館で買うポップコーンは、吹き矢のうまい友人の買ったものよりも量が少ない気がします。給食の酢豚は、肉よりもパイナップルが多かったです。ダイエットが長続きしません。ジョンさんの受けた差別は、ほかにも色々あります。(ここまで)

「でも、今日からはこれがある!」届いたばかりの電動式吹き矢ショットFKYを早速一吹き。お見事! 矢は2メートルも離れた縫いぐるみに突き刺さりました。ご覧のとおり、電動式吹き矢ショットFKYは届いたその日からお使いいただけます。使い方は簡単。コードをコンセントに差し込み、スイッチを入れ、矢を装填し、狙いを定めて吹き口から息を吹き込む、それだけ。子供からお年寄りまで、安心してお使いいただけます。総重量は1.8キログラムと、女性にもうれしい軽さ。

さらに今回は、電動式吹き矢ショットFKY専用の矢を、20本お付けいたします。しかも赤・青・緑・白・黒のカラフルな5色セット! 吹き矢ライフを楽しく彩ります。

これだけついて、お値段は据え置き価格の29,800円。29,800円でのご奉仕です。
今すぐお電話を!

「買ってよかった。僕は大満足さ!」(アメリカ:ジョン・ベーカーさん)
※利用者の声は個人的な感想です。

(ショットFKYのプロモーションビデオとともに電話番号が表示される。BGMはショットFKY愛好者の小坂明子さんが歌う大ヒット曲「あなた」。)
posted by ヨシノブ at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月01日

今週の妖異怪録図絵

ミロ坊主

普段は飲まないのだけれど、急にミロが飲みたくなるときがある。徳用サイズを買うも、後々飲まなくなって、結局残りのミロを湿気けらせて駄目にしてしまった。そんな経験はないだろうか。これはミロ坊主の仕業であると、土地の古老は語る。
昔、まだミロが専門の職人たちの手作業で作られ、売り上げも少なく価格が高かったころに、売り上げが伸びて生産工場に設備投資ができれば、大量生産による低価格化が実現できると聴いたひとりのミロ好きの子供が、周囲の人々に口八丁手八丁でミロを買わせた。当然口車に乗せられて買ったはいいが、使い切らずに湿気らせる人々もいて、子供は彼らの恨みを買うが、己の強引な手法の非を認めず、意固地になってやがて妖怪化し、今でもやたらとミロを買うように人心を惑わせているのだ。
商品をお買い上げいただくのは有難いが、それが飲みきらぬほどとは心苦しく、当社の望むところではない。無理なくお飲みいいただける分だけをお買い求めください、とはミロの販売元ネスレ広報の談である。
posted by ヨシノブ at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 怪奇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする