(「
猫を助ける」から続く)
猫の足に剥き出しになった骨を認めた私の頭は混乱した。
これは本当に、骨だろうか。しかし、骨以外の何であろう。ここらに動物病院があるかなんて知らない。
タクシーに乗ってつれて行くのか。猫を抱えて。
保険が効かないから高くつく。幾ら掛かる。手元に幾らあったか。自分の飼い猫でもないのに大金を払うなんて。このままでは死ぬかもしれない。骨なんて、こうも簡単に見えるものだろうか。何日ここに座りこんでいたのだろうか。動物病院。どうしよう。誰かに見つかったら。雨の間中、ずっとだろうか。まだ子猫だ。血は止まっている。幾ら掛かるんだろう。ああ、側溝の隙間を塞いでおかないから。どうしよう。このままでは死ぬだろう。ああ。ああ。
猫はむずむずと体を動かしてから、私の手からぴょんと跳びだし、後ろ足を庇いながら草むらの中に入っていった。私は、あ、あ、と木偶のように動けなかった。
逃げられたのではない。弱った猫の一匹、跳びだそうとするのを留めるくらいは可能であったが、しなかった。猫が手を離れてゆけば、私は、もう、何もしなくていい、のだ。ほら、もう、何処にいったのか、わからないぞ。猫に逃げられてしまったので、どうしようもなかったのだ、と思ってみたが、本気でそうは思えなかった。
あの足では、長くはないだろう。
猫を見殺しにした理由は、金であった。部屋に戻れば二十万円ほどは置いてあった。
病院に幾ら掛かるかわからないが、とりあえず診てもらえるだけの金ではあろう。
しかし、私はその金を、知らぬ猫に使うのを、惜しんだ。
猫一匹殺してでも、使いたくなかった。
二十万と猫を秤にかけて、金を取った。
猫は殺した。
暗く項垂れて部屋へ戻った。
とても嫌な気分だった。あの猫は死ぬのだ。私が何もしなかったから死ぬのだ。私が見殺しにしたのだ。
また、嫌な気分である事が嫌だった。
たかが猫一匹死ぬだけなのに、何を落ち込んでいるのだろう。いいじゃないか、猫くらい。
私は引き取り手のない大量の動物が施設で殺されているのを知っている。知っていて、なんら行動しない。私には私の生活があり、それは仕方ないことだと言っていいのかもしれないが、せめて、なにもしない自分の罪深さというようなものを自覚しようと思っている。
そんな私が、猫一匹に動揺しているのである。年間何万と処分されているのを知っていながら、目の前で見知らぬ猫一匹が死のうとしていることに、困惑したのだ。支援の手が届かずに死んでゆく人死んだ人が世界にはたくさんいることを知りつつ、私は平気で生活をしているところなのに、猫、猫の一匹骨剥き出しにしているのを見殺して、この罪悪感。
私は一日と欠かさずに、たくさんの命を見殺しにしているのに、それを知っているのに、猫を、猫に、猫で、こうも嫌な気分になるとは。私が見殺しにしてきたものは一体なんだったのだろうか。
こうして猫が死のうとしているなか、結局は自分のことばかり考えているのも嫌だった。
一番嫌であったのは、この罪悪感がやがて無くなることであった。
罪悪感が今を頂点に、徐々に無くなってゆくのはわかりきっていた。こんなにも心を重くしているのに、十日後にはすっかり軽くなっていることだろう、一年後には、その日そういう罪悪感があったと記憶にあるだけで、すっかり情感は抜け落ちてしまっているだろう。私は今こうして猫を見殺しにしたことに狼狽しているが、今だけなのだ。この先ケロリとするのだ。では、何なのだろう、今の私が考えていることは。
夕刻、所用あって恐る恐る部屋から出た。
大家の家の前を通ると「……白血球がとても少なくなっているそうで……」と大家の家族が話しているのが聞こえてきた。私は聞き耳をたてたが、話はよく聞き取れなかったが、どうもあの猫のことらしい。あの猫を見つけて病院へ連れて行ったのだ。私が見殺しにしたことにかわりはないが、少し肩の荷が下りた気がした。
どんなに良くなっても、骨まで見えていたあの足が前のとおりに機能するはずはない。切断したかもしれない。しかしその後、足に異常のある猫は見かけない。勿論、あの猫が初診の後どうなったのかは知らない。
側溝の隙間は今もそのままだ。
posted by ヨシノブ at 22:24|
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